姉の心残り
「悪魔のキスは復讐の味」を読んでくださる方へ、感謝の気持ちを込めて番外編第8弾です。
いつも本当にありがとうございます。
みなさまに楽しんでいただけますように。
よろしくお願いしいます。
「ねぇ、クリスティアン。今日はあなたをわたくしのお茶会に招待するわ」
目の前には、にっこりと優雅な微笑みを浮かべたシュリーロッド。
初めての姉からの誘いに、クリスティアンは嬉しくて満面の笑みを零し、頷いた。
茶会の開かれる庭には、春の花が芽吹いている。シュリーロッドは美しいものを愛していた。だから、春の花が咲く季節になるとよく茶会を開いた。その規模は小さなものから大きなものまで様々だったが、今回クリスティアンが招待されたのはごく少数の小さなものだった。
「このハーブティーはね、わたくしの庭で育てているハーブを使っているのよ」
真っ赤なドレス、ではなく落ち着いた深緑色のドレスを着ているシュリーロッドは、そう言ってティーカップを口に運ぶ。クリスティアンは少しだけ緊張しながら、姉と同じようにハーブティーを飲んだ。やさしいカモミールの味わいが口の中に広がり、クリスティアンの緊張は安らいだ。
「ふふ、おいしいでしょう?」
「はい、とても。でも、お姉様がハーブを育てていたなんて、知りませんでした」
「わたくしのハーブティーを飲んだのは、クリスティアンがはじめてよ」
少しきつい印象を与える姉が、柔らかな眼差しで自分を見つめている。この状況に、クリスティアンはどうしていいか分からず、目を泳がせる。
異母姉であるシュリーロッドには、嫌われていると思っていた。ゆっくりと話をしたこともなく、いざという時にも助けてくれなかった。父が死に、姉妹で助け合って生きていこうと思った時にも、姉はクリスティアンの手を取ってはくれなかった。
(お姉様のこんなやさしい表情、はじめて見たわ)
クリスティアンは、珍しい姉の表情を脳裏に焼き付けておきたくなった。じっとシュリーロッドのきれいな顔を見つめていると、ふふっと笑みがこぼれた。
「わたくしの笑った顔が、そんなに珍しいのかしら?」
「い、いえ……あの、でも。不思議で……お姉様は、私を避けていましたから」
しどろもどろになりながらも、クリスティアンは本心を口にした。クリスティアンの思い違いでなければ、姉は自分でつくったハーブを妹のために用意してくれていたことになる。それも、初めて。
「クリスティアンが女王として、色々と疲れているのではないか、とわたくしなりに心配していたの。だから、気分が落ち着くように、と思ったのだけれど、迷惑だったかしら……?」
目の前にいるのは誰だろう、と、クリスティアンはさすがに自分の目と耳を疑いたくなった。傲慢で、自分勝手で、でもそれが魅力でもあった美しい姉は、こんなことは言わない。クリスティアンは与えられた言葉と気遣いが嬉しいのに、素直に喜べないでいた。
「迷惑どころか、とても、嬉しいですわ。でも、どうして……?」
「わたくしはね、本当はクリスティアンと仲の良い姉妹になりたかったのよ。でも、いろんなことが重なって、わたくしは何も見えなくなってしまったの」
穏やかで、優しい声音で、シュリーロッドは真っ直ぐにクリスティアンを見た。
「あなたが気付かせてくれたのよ。ティアレシア」
シュリーロッドと茶会に来ているのは、異母妹であるクリスティアンのはずだ。
ティアレシアとは一体誰だろう。
そう考えた時、クリスティアンの中に眠っていた記憶が溢れ出す。
シュリーロッドの陰謀により処刑されたこと。悪魔と契約し、復讐のために生まれ変わったこと。シュリーロッドの治世で革命を起こしたこと。そして、シュリーロッドがセドリックの刃からティアレシアを庇って死んだこと。
「あら、どうしたの。そんなに泣かないで」
シュリーロッドが、真っ白なハンカチで涙を拭ってくれる。今ここにいる自分は、クリスティアンなのか、ティアレシアなのか、混乱する頭では考えられない。ただ、目の前には憎くて、憎くて、それでも愛していた姉がいる。
「どうして……?」
「気づいていなかったの? ここは、あなたの夢の中よ。わたくしの心残りは、ただ一人の妹とゆっくり話もできなかったこと。優しい神様が、願いを叶えてくださったのよ」
涙を流し続ける妹に、姉は優しく微笑んだ。
「ずっと、ずっと、恨めしくて、憎らしくて、クリスティアンなんかいなければいいと思っていたわ。でもね、あなたに言われて思い出したの。わたくしは、妹の誕生を喜んでいたし、お母様のことも、お父様のことも愛していたんだって。そして、愛されていたのだって。自分の手ですべてを壊しておきながら、クリスティアンのせいにしていたの。馬鹿な姉だわ」
「……お姉様」
「だからね、あなたとこうしてゆっくり話がしてみたくなったの。生きていたわたくしは、あなたを傷つけることしかできなかったけれど、優しい姉として、かわいい妹の側にいたくなったの……」
涙が、止まらなかった。もういないのに。これは夢なのに。もしかすると、クリスティアンの願望がみせる幻かもしれないのに。
「お姉様。私は、お姉様が好きでした。どんなに嫌われていても、たった一人の家族だったから……だからこそ、許せなかった。どうしてあんなことをしたのか。理解できなかった。でも、ずっと私も話がしたかった。こうして穏やかな時間を過ごしたかった……!」
クリスティンは、感情をいっきに吐き出す。本心を隠す必要なんてない。どうせ夢なのだから。
「どうして、私を庇って死んでしまったの」
ティアレシアの復讐は、シュリーロッドを死においやることが目的ではなかった。シュリーロッドの我儘で、一体どれだけのものが奪われ、多くのものが傷ついていたのか、分からせて、その過ちを心から悔い、自ら罰を受けようと思わせたかった。そして、ジェームスの治める王国を見てほしかった。ブロッキア王国の素晴らしさを、姉に分かってほしかった。それなのに、狂気的なセドリックの行動によって、シュリーロッドは死ぬこととなった。それも、ティアレシアを庇って。
「あなたのおかげで大切なことに気づけたからよ。それに、わたくしはセドリックのことを本気で愛していたから……最期くらい、あの人をお姉様に譲ってもいいでしょう?」
あまりにも出来のいい妹を持つと苦労するのよ、と冗談めかしてシュリーロッドは笑う。
そして、泣きじゃくるクリスティアンを抱きしめた。
「ねぇ、クリスティアン。わたくしはろくでもない姉だったけれど、あなたのことは心から誇りに思うわ」
夢の中のお茶会は、その一言で終わりを告げた。姉が育てたハーブティーも、春の花もなにもかも消えて、クリスティアンはティアレシアとして目を覚ます。
「悪夢でも見たのか」
ティアレシアの顔を覗き込むのは、ルディの美麗な顔。心配そうに見つめる漆黒の瞳を目の前に、ティアレシアの意識は少しずつ覚醒する。
「いいえ、とてもいい夢だったわ」
ティアレシアは頬に伝う涙を拭い、笑顔で答えた。
(お姉様、ありがとう。そして、さようなら……)
姉の魂が旅立つ前に、会いに来てくれたのだ。ティアレシアは不思議とそう確信していた。
あんな優しい表情をする姉の顔など、クリスティアンでもティアレシアでも想像できるはずがないから。
読んでいただきありがとうございます。
実はずっとシュリ―ロッドを書きたいと思っておりました。少し悲しくも切ない姉妹の再会でしたが、シュリ―ロッドの心は救われたのだと、ティアレシアに伝えたかったのです……。個人的に同じ姉としてシュリ―ロッドに肩入れしたくなります。優しい姉として旅立たせたかったのです。
読者のみなさまにも楽しんでいただけていると嬉しいのですが……。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。
奏 舞音