午後の授業
総合PV40万突破です。皆様、本当にありがとうございます。その感謝の気持ちを込めて、おそらく誰も待っていないであろう、リチャード視点の番外編です!すみません。ただただ私が書きたかっただけのものです。本編での登場は一回だけという、誰こいつ、となりそうな彼ですが、個人的には好きです。
どうか楽しんでいただけますように……!
午後一時、バートロム公爵邸の一室で、溜息を吐いている男が一人。
用意した教材を机にバラバラと置いて、公爵令嬢の家庭教師リチャードは床にへたり込む。
「ティアお嬢様、どうしていつも逃げてしまわれるのか……」
リチャードの教え子であるティアレシアは、どちらかというと勉強熱心で、頭もいい。ティアレシアにはもう教えることなど何もないのではないか、と思ってしまうほど、飲み込みが早いのだ。さらに、年頃の少女だというのに とても冷静で、びっくりするぐらい大人びている。
そんなティアレシアは、決まって歴史の授業の時に消える。
はじめてすっぽかされた時は、お嬢様特有の我儘だとか、気まぐれなんだろうと思っていた。しかし、他の授業は真面目に出るのに、歴史の授業の時だけ逃げてしまうから、リチャードもさすがに気まぐれではなく、何か理由があるのだろうと確信した。
何度か、ティアレシア本人に聞いてみたことがあるが、毎度うまくかわされて、それ以上何も聞けなくなってしまう。だから、リチャードはティアレシアから聞き出すことを諦めていた。
シュリーロッド女王の誕生祭があることを期に、リチャードは休暇をもらっていたが、まさかその休暇中に革命が起きるとは思ってもみなかった。それも、世話になっているバートロム公爵が新国王となり、革命の影の功労者はティアレシアだというではないか。自分はとんでもない人たちを相手にしていたのだ、と改めて実感した。
もう一介の家庭教師が話すことのできる身分ではなくなってしまった、と落胆していたのだが、革命の雰囲気がだいぶ落ち着いてから、リチャードの元に家庭教師として戻ってきてほしいという旨の手紙が届いた。
以前は仕事場として使っていたバートロム公爵邸の一室だが、王族の住まいだと思えば緊張した。
とはいえ、久しぶりの仕事だ。リチャードは張り切って教材を用意し、やる気満々でティアレシアの入室を待っていた。
しかし、三十分経ってもティアレシアは現れない。やはり、忙しいのだろうか。それとも、いつものように隠れてしまっているのか。もしそうだとすれば、お嬢様捜索隊である使用人たちの掛け声や足音が聞こえてくるはずだ。
床に座り込んだまま、リチャードはだんだん不安になってくる。
「もしかして、本当は呼ばれてなかった、とか……?」
そう独りごちた時、ドアが開き、薄ピンク色のドレスを君纏ったティアレシアが入って来た。
その所作は何度見ても美しく、その顔はいつも人形のように整っている。しかしそこに以前のような冷たさはなく、ティアレシアはとても穏やかに微笑んでいた。あの革命が、ティアレシアを変えたのだろう。
慌てて立ち上がり、リチャードは頭を下げる。
「お久しぶりです。この度は、ジェームス国王の御即位、おめでとうございます。ティアレシアお嬢様がお元気そうで何よりです」
「ありがとう。先生も、お元気そうでよかったわ」
「あ、はい……」
何度顔を合わせても、リチャードはティアレシアとの会話はどぎまぎしてしまう。授業で自分の理論を話す時はスムーズに話すことができるのに、普段はティアレシアの雰囲気や美しさを前になかなかうまく話すことができない。
「遅れてしまって申し訳ありませんでした。少し、準備に手間取ってしまって」
「準備?」
「えぇ、こちらなのですけれど……」
そう言ってティアレシアがちらりと後ろに視線を向けると、彼女の侍従が大量の本を運んできた。
その本を見て、リチャードは目の色を変えて飛びついた。
「こ、これは! 九九九年にクリスティアン女王の側近が書いたといわれる幻の歴史書に、外交問題について詳しく記された『周辺国目録』、大陸隅々まで記された地図帳まで! 今まで見ることも叶わないと思っていた書物ばかり……一体、どうしたのですか?」
数々の貴重な本を前に、リチャードは緊張なんて忘れていた。純粋に学者として、ティアレシアの前に立っていた。
「ずっと、歴史の授業で雲隠れしていたお詫びですわ。私、ずっと勘違いしていましたの」
「勘違い?」
「クリスティアン様が父王を殺した罪人で、敵国と通じていた、そんな歴史を学ぶことが嫌で逃げていましたの。でも、キャシーに聞きました。先生は、クリスティアン様の無実を信じていらした方だと」
ティアレシアの言葉を聞いて、リチャードはようやく納得することができた。
普通に学ぶ歴史というものは、シュリーロッド女王陛下によってつくられた、クリスティアン女王がすべての元凶だったからこそ処刑されたのだ、という歴史の流れだ。
しかし、リチャードはクリスティアンににたった一度だけ会ったことがあった。父が傷痍軍人で、国王陛下の慰問を受けていた時に、同じように慰問に来ていたクリスティアンを見かけた。そして、その優しさと癒しに触れて、一目でリチャードはクリスティアンに心を奪われた。しかし、ただの軍人の子どもが、王女に近づける訳もない。それでも、王家のために何かできることはないか、とリチャードは父に相談したことがある。
『リチャード、ブロッキア王国が正しくあるように導いて下さるのが、国王陛下だ。ならば、私たちは国王陛下が成そうとしていることを、正しく記憶しておかなければならない』
父の言葉で、リチャードは学者になる道を選び、紆余曲折を経て教育者となった。リチャードが見たクリスティアンの姿は、父親殺しをするようにも母国を裏切るようにも見えなかった。誰からも、彼女は愛されていたから。
だからこそ、リチャードは歪められたクリスティアンの人格像と歴史を正そうと自分の生徒となる子どもたちには実際に見たままのクリスティアンの姿を話してきかせていた。歴史はしばしばその時代に生きる者によって歪められることがある。しかし、その歪みを正すことができるのもその時代に生きている者だけなのだ。リチャードは、後世に残す歴史を、少しでも真実に近づけたいと思い、教育者として働きかけてきたのだ。
そして、ティアレシアは歴史を正すことができる立場にいた。王家の血筋を引いていて、エレデルト国王の弟ジェームスの娘だったからだ。だからこそ、リチャードはティアレシアには余計に熱心に教育していた。
しかし、そんな地道な努力ではなく、ティアレシアは改革という形で過去の歴史を正した。リチャードには絶対にできない形で、この王国の歴史を変えたのだ。
「お詫びをするのは私の方ですよ。ティアお嬢様は、私以上に歴史に詳しく、この王国を大切に思っている方だ。あなたに私から教えられることなど、何もありません。本当は、もっと早くにこう言うべきだったのですが、どうしてもティアお嬢様との勉強の時間が楽しくて言い出せませんでした」
苦笑を漏らしながら、リチャードはティアレシアに頭を下げた。
「いいえ、私はまだまだ先生に教わりたいですわ。この本だって、そのために用意したのですよ?」
「え?」
「先生は、歴史学者になりたかったのですわよね?」
何故ティアレシアが知っているのか、内心首を傾げたが、そういえば授業中に教師になる前の話をしたことがあるような気がする。
曖昧に頷くと、ティアレシアの顔がぱっと輝いた。
「私、本当は歴史にとても興味がありますの。この国だけじゃなくて、外国のことも学びたいのです。どうか、先生のお力をお貸しください」
将来、女王になるかもしれないティアレシアに、頭を下げられては、リチャードが断れるはずもない。もとより、断る理由など持ち合わせていないが。
リチャードが今までやりたかったことが、目の前にある。教える側と教えられる側がいつしか逆転しそうな危機感はあるが、その分リチャード自身学びを深めるつもりだ。
「私に教えられることであれば喜んで。今度は逃げたりしないでくださいね。けっこう、落ち込むんですよ」
「えぇ、大丈夫ですわ。もう逃げたりしません」
くすっと笑いながら、ティアレシアが言った。
その笑顔を見つめていると、ティアレシアの後ろに控えていた全身黒ずくめの侍従に睨まれてしまった。
今日も、バートロム公爵邸の一室で、リチャードは生き生きと歴史を語る。
彼の授業から、ティアレシアが逃げ出すことはなくなった。それどころか、リチャードの話に夢中になりすぎて、侍従のルディが無理矢理ティアレシアを部屋から連れ出すようになってしまった。ティアレシアと侍従の恋仲は屋敷中の人間の知るところとなっているが、ティアレシア自身は知られていないと思っている。リチャードも、あえて周知の事実だということは言わず、あたたかく見守ることにした。
穏やかな時の流れの中でも、歴史は少しずつ動き出す。
新しく紡ぎだされる歴史がどのようなものになるのか、リチャードにできることは歴史を動かすのではなく、見守ることだ。
そして、真実を記憶する。
「美しい王女様は、悪魔をも魅了する……、なんて、詩的すぎるかな」
またもルディによって生徒であるティアレシアを連れ去られてしまったリチャードは、ぼそりとそう呟いた。
読んでいただきありがとうございます!
読者様からすれば全く思い入れのないキャラクターではあるかと思うのですが、楽しんでいただけたでしょうか。
楽しんでいただけてるよう、私は祈ることしかできません。
どうか、リチャードの好感度が上がりますように。
本当にありがとうございました。
奏 舞音