王子様を演じた王子
いつもは平和で幸せな番外編が多いですが、今回は満を持して彼のお話です。
よろしくお願いします。
思えば、生まれた時から完璧だったのは兄の方だった。容姿だけ美しくて、兄以上の頭脳も身体能力もなくて、すべて二番手だった。聞こえてくる臣下の噂話は「容姿だけは兄王子より美しいが、その他は特になにも……」というもので、自分は容姿以外に特筆すべき点はない王子だった。物心ついた時、どうにもそんな環境が嫌になって、周囲に腹が立って、開き直ることにした。
「容姿だけが取り柄なら、この容姿を使って何だって手にしてやればいい」
そうして、ヘンヴェール王国第二皇子セドリック・ヘンヴェールは『絵本の中の王子様』を演じるようになった。
「キャーっセドリック様よ!」
「こっちに向いてぇぇぇ!!」
「あ、今わたくしに笑いかけてくださったわ!」
セドリックが社交界に顔を出せば令嬢たちの黄色い悲鳴が上がり、少し甘いセリフを吐いただけで彼女らの心は簡単に手に入る。
たったの十歳で、セドリックは女性の心をつかむ術を身に着けていた。
しかし時々、セドリックのために嫉妬の嵐が吹き荒れることがあった。面倒だが、こういう場合はセドリックが収めるしかない。彼女たちも、セドリックに諌められるのを待っているのだ。
「ごめんなさい。僕は、みんなの王子様だから」
子どもらしく甘えた声でこう言えば、令嬢たちはセドリックに逆らわない。
そうして、セドリックの熱烈なファンは、確実に増えていった。
貴族の裏事情だって、他国の情勢だって、令嬢たちはセドリックのためにぽろりと零してくれる。もちろん、重役に就いている貴族の娘ばかりだけではなく、下っ端貴族の令嬢や女官たちも手中に入れていた。そのおかげで、様々な噂話がセドリックの耳に届く。
今まで真面目にやっていたのが馬鹿らしくなるくらい、あっさりと情報が集まってくる。
「ふふ。お兄様はほんと真面目だよね。正規のルートで一生懸命情報収集か。そんなもの、僕だったらすぐに手に入れられるのに」
兄を超えることすらもう興味がなくて、ただただ自分はなんでも知っているのだという顔をして昔セドリックを顔だけだと評価した臣下たちに笑みを向けていた。
兄のことも、次期国王としてよくがんばってるな~、と客観的にみているだけ。第二王子として兄を支えようなどこれっぽっちも思っていなかった。
そして、セドリックが十二歳になった年。
突然の父王の命令が、セドリックの運命を大きく変えることになる。
「ブロッキア王国へ行き、友好を示してこい」
友好国のブロッキア王国は、カザーリオ帝国に攻められていたヘンヴェール王国を救ってくれた国だ。東で最も大きな国。それでいて、権力を笠にきて威張ることもしないため、東大陸の国々から信頼されている。
恩あるブロッキア王国への使者に、次期国王の兄ヘンリックではなく、自分が命じられた。
それは、はじめての父王からの正式な命令だった。
「お前は、社交界で様々な交流を築いているそうだな。その手腕をブロッキア王国でも発揮してこい」
厳格な父が淡々と話すのを、セドリックはぼうっとしながら聞いていた。
自分は初めて父に褒められている。好き放題していただけなのに、認めてもらえるとは思っていなかった。
残っていた真面目な部分で、少しだけセドリックは感動していた。
「まあ、ヘンリックのようにとは言わない。せいぜい子どもらしく、あちらに気に入られるだけでいい」
しかし、この一言でやはり自分は兄には敵わないのだと気づいた。そして、そのことを悔しいと思う自分がいたことに気づいた。
第一王女シュリ―ロッドは、セドリックに視線を送りながらも、奥手なのかプライドが高いのか、上座から動こうとしなかった。それなのに、不満そうな顔でセドリックに熱い視線を送る。まるで、セドリックに迎えに来いとでもいうように。しかし、セドリックはあえて気づかないふりをした。国王エレデルトと談笑し、ブロッキア王国の貴族との交流を深めた。第一王女シュリ―ロッドが次期女王になる可能性は低い、という情報を得ていたからだ。セドリックが歩み寄るとすれば、この場にはいない第二王女クリスティアンだ。
今のままでは、自国での地位は望めない。兄以上になることはない。そして、父が本気でセドリックのことを認める日も来ないだろう。
セドリックが兄を見下し、父に自分を有益だと認めさせる方法は、この大国ブロッキア王国を手に入れることだけだ。
そのためには、次期女王となるクリスティアンに会わなければならない。
今回の外交が問題なく終わっても、セドリックは使者としては使えると思われるだけだろう。しかし、それでいい。次にブロッキア王国を訪れる時には、クリスティアンを手に入れてみせる。
セドリックは静かにクリスティアンに打つ手を考えていた。
その翌年、セドリックの思惑通り、二度目のブロッキア王国への訪問が決まった。
クリスティアンに関する情報は手にできるだけ入れてきた。その情報をセドリックなりにまとめると、クリスティアン王女はかなりのお人好しで他人をすぐに信用する甘ちゃんだった。
「あれこれ考える必要もなさそうだね」
世間知らずの甘ちゃんなら、セドリックの笑顔ひとつで事足りるだろう。
そんな、軽い気持ちだった。
クリスティアンを手に入れて、ブロッキア王国というヘンヴェール王国よりも力の強い国を手にする。そんな野望の前には、純情な少女一人落とすことくらいなんでもないことのように思えたのだ。
「クリスティアン王女様、どうか私と一曲踊っていただけませんか?」
複雑に編み込まれた美しい金色の髪、不安そうに潤む碧色の瞳。ガラス細工のように繊細で、透明すぎる王女。一目見た瞬間に、囚われたのはセドリックの方だった。今まで、あまりに女性の裏を知りすぎて、十三歳にして女性に対する夢も希望もまるで持っていなかった。そんな汚れた黒い自分の前に、何ものにも穢されていない純真無垢な天使がいる。
ダンスを踊りながら、夢見心地で幸せな気分になったのははじめてだった。
曲があっさり終わりを迎えても、セドリックは腕の中にいる天使を他の男に渡したくなかった。だから、未練がましくダンスを続けたいと申し出た。
あまりにか細く、可愛らしい声で了承の返事を得た時は本気で胸が震えた。
「もう一曲、可愛い王女様を一人占めできるなんて、私は幸せ者です」
それは、女性に対して『絵本の中の王子様』を演じている自分ではなく、素のセドリックが発した言葉だった。
この瞬間から、セドリックは兄のことも、父に認められることも、ヘンヴェール王国のことも、ブロッキア王国を手に入れることも、何もかも本気でどうでもよくなった。
この美しく、純粋な天使を自分の側にとどめておくためにはどうすればいいか。そればかりを考えるようになった。
そして、父王を納得させ、セドリックは正式にクリスティアンに結婚を申し込み、婚約者となった。
優しすぎる彼女に愛されたいから、セドリックは本気で『絵本の中の王子様』のように優しい面だけを見せた。
本来の自分を偽り続けたせいか、セドリックの愛は知らないうちにどんどん歪んでいった。
天使をこの手の中だけに。
誰も、その美しさに触れることがないように。
自分だけの、天使に……――。
「クリスティアン、こんなに僕を溺れさせて、君は悪い天使だよ」
きれいな彼女の瞳に映るのは、自分だけでいい。
だから、セドリックはシュリ―ロッドの話に乗った。
もし明るみに出れば命はないというのに、愛しい彼女を独り占めするためなら別に構わなかった。
シュリ―ロッドと手を組んだ日、セドリックはうっとりと、甘く優しい夢を見ているだろうクリスティアンの耳元でそっと囁いた。
シュリ―ロッドの陰謀でエレデルトが死に、愛したクリスティアンさえも死んだ。
女王の夫となったセドリックは、図らずも昔抱いた野望を叶えていた。
しかし、歪んだ愛に執着しているセドリックにとって、もはやそんな野望に何の価値もなかった。
愛しい、愛しいクリスティアンに会いに行くことだけが、セドリックの心を癒した。
物言わぬ死体でも、セドリックにとっては大切な愛する人。
ようやく自分のものになった、大切な人。
「クリスティアン、愛しているよ」
自分で作り出した夢の中で、まどろむ。
いつか醒める夢だと、頭のどこかで感じながら……。
そして訪れる夢の終わり。
セドリックの夢を終わらせたのは、ティアレシアという少女。
彼女は、クリスティアンでしかありえなかった胸の震えを、もう一度教えてくれた。
もう、クリスティアンの夢は終わった。新しい夢を、自分は追いかけるのだ。
セドリックはティアレシアの望み通りに動いた。彼女を手に入れるために。
しかし、彼女はセドリックを見てはいなかった。
「僕が死んで、彼女が誰かと笑ってるなんて耐えられない」
ティアレシアの計画によって入れられた牢獄の中で、セドリックは看守から様々な情報を得た。
そして、シュリ―ロッドの処刑にティアレシアが立ち会うことを知ったのだ。
同じ時刻に、自分も牢の移動を願い出た。大人しくしていたから、あっさりと看守は許してくれた。それに、セドリックは仮にも元王子で元女王の夫だ。あの陰謀だって、シュリ―ロッドが言い出したもので、セドリックはそれに乗っかっただけ。直接手を下していないし、口も出していない。
そうして、セドリックは二番目に愛しい彼女のところへと看守から奪ったナイフを手に走った。
「ティアレシアは、俺のものだ……俺が死ぬなら、ティアレシアも一緒だ!」
今まで、『絵本の中の王子』であるために、「僕」を心がけていた。
しかし、この命が終わるその瞬間は、『僕』を捨てた、本当の自分でありたい。
無意識に、『俺』という一人称を使ったセドリックの前に飛び出してきたのは、愛そうと思っても愛せなかったシュリ―ロッドだった。
「わたくしの、愛しい人。あなたは、わたくしのものでしょう?」
手には、ぶすりと肉を突き刺す感触。そして、そのナイフはにっこりと微笑んだシュリ―ロッドによって自分の腹部にも突き刺さった。
こんな、こんなはずではなかったのに……。
本気で、本気で愛していたのに、何がいけなかったのだろう。
クリスティアンのように純粋にきれいに愛するなんて、セドリックには無理だった。
だって、セドリックはクリスティアンに出会うまで本当の意味で愛されていなかったから。
ずっと、容姿だけが取り柄の王子のままだった。
だから、セドリックは『絵本の中の王子』を演じ続けるしかなかった。
シュリ―ロッドだって、ただセドリックの容姿に騙されただけだ。
そう、思っていたのに。
どうして、目の前で息絶えようとしているシュリ―ロッドは心からの笑みを浮かべているのだろう。
永遠の闇に堕ちていくセドリックが最期に見たのは、求めていたティアレシアではなく、幸せそうに笑うシュリ―ロッドの顔だった。
読んでいただきありがとうございます。
いかがでしたでしょうか。
本編が完結して、いつか絶対書きたいと思っていたセドリックのお話です。
かなり歪んでいますが、彼は彼なりに本当にクリスティアンを愛していました。ただ、愛し方が分らず、素を出すこともできない不器用な男だったために悲劇は起きてしまいました。シュリ―ロッドの国王暗殺の話を聞いて、それいいかも! と思ってしまうくらい馬鹿で不器用なセドリック。他の女性相手ならもっとうまくやったでしょうに、セドリックの方も実は初恋ですからね。本当に好きな子にはどうしたらいいか分らない!っていう。
いやあ、考えたら分かるだろうに! 恋は盲目ってやつですね。
長々と変態セドリックのお話にお付き合いいただきありがとうございました。
今後とも、よろしくお願いします。
奏 舞音