悪魔の女王
これはね、とっても幸せなお話よ。
みんなに愛されたお姫様が、素敵な王子様といつまでも幸せに暮らすの。
わたしも、きっといつか素敵な王子様と結ばれたいわ!
本当に、そんな未来を夢にみていた。まだ、無邪気で、向けられる愛情を疑うことのなかった、幼い日の思い出。
「シュリーロッド様、レボルト領民で税金が払えない者が増えているようです」
経理大臣である、ゼイレン伯爵からの報告に、シュリーロッドはふうんと気のない返事を返す。
「税金が払えない者に、罰を与えてもよろしいですか?」
両手をハエのように擦り合わせながら、ゼイレン伯爵がにこにこと微笑んでいる。この男は、自分の領地から好き放題税金を徴収しているらしい。しかし、シュリーロッドにとってそれほどの痛手にはなっていないので、放置している。きっと、ゼイレン伯爵はシュリーロッドがそのことを知っていることに気付いていない。それを知った上で、知らないふりをしていることをシュリーロッドは楽しんでいた。
「好きになさい」
ゼイレン伯爵が視界から消えると、シュリーロッドは鈴を鳴らした。控えの間から、侍女長のキャメロットを先頭に五人の侍女が現れ、皆が頭を下げる。
「ねぇ、少し肩が凝ったわ」
「お疲れ様でございました。では、肩をお揉みしますね」
今日は特になんの仕事もしていない。何をしたか、と問われれば外国から輸入した珍しい宝石や宝飾品を物色したくらいだ。
「ねぇ、そこの貴女、カーテンを閉めて」
それでも、シュリーロッドは無駄に侍女を呼び付ける。自分が従えている、という快感を得るためだ。その心中には、独りになりたくない、という思いが隠れていたけれど。
「あ、そうだわ。今夜はセドリックと約束があるの。肌の手入れは念入りにお願いね」
シュリーロッドは、セドリックとつい先日結婚式を挙げた。ずっと憧れ続けていたセドリックをようやく手に入れたのだ。
セドリックにふさわしくあるために、シュリーロッドはいつまでも美しい女性でいなければならない。シュリーロッドの夫であるセドリックは、いつも眩しく輝いている王子様なのだから。
「今日も綺麗だね、シュリー」
セドリックがうっとりと言葉を紡ぎ、シュリーロッドの額に口づける。シュリーロッドの頬は赤く染まり、あなたもよ、と小声で返す。しかし、セドリックはその呟きを聞いてはいなかった。今日の夜食会には、大臣や貴族が数十人出席している。だからこそ、セドリックはシュリーロッドを愛しているような態度をとる。仮面夫婦を演じている、そのことに気付きたくなくて、シュリーロッドは女王として微笑む。
「本当に、女王陛下とセドリック様はお似合いですな」
シュリーロッドの祖父である、エイザック侯爵が破顔する。シュリーロッドがセドリックのことを愛し、夫にしたいという願いを後押ししてくれたのは祖父だ。クリスティアンの亡骸を条件に出してはいたが、セドリックが逃げないとも限らない。だから、シュリーロッドは外堀を埋めることにしたのだ。
そのおかげか、今セドリックはシュリーロッドの隣で微笑んでいる。
「ありがとうございます。ですが、シュリーがいつも忙しく国のために働いているのを、見守っていることしかできない自分が不甲斐ないです。夫として、王族として、妻の力になれるよう努力したいですね」
セドリックは、完璧な夫だ。しかし、夫としての立場を望んだから、彼はシュリーロッドの国政に何も口を出さない。いくら無茶を言っても、反対することも賛成することもなく、ただ静観している。それでも、側にいてくれているだけでいい。きっとそのうち、自分を愛してくれるようになる。そう、シュリーロッドは信じていた。
「まあ、セドリックったら。あなたがいてくれるだけで、わたくしは頑張れるわ」
国のために働いたことなどない。すべてを、自分の思い通りに動かしたかった。自分を選ばなかった者たちに自分の存在を思い知らせてやりたかった。
女王として何もしていない自分に対して、大臣たちは白々しくも拍手を送る。
最高級の食事を口にしていても、シュリーロッドの心は満たされない。
夜食会が終わり、シュリーロッドはセドリックと夫婦の寝室にやってきた。
「それじゃあ、僕は戻るね」
セドリックが、シュリーロッドと共に寝ることはほとんどない。
「待って」
今日も、シュリーロッドの身体はセドリックのために美しく保たれている。夫婦なのに、セドリックとは交わったことがない。だから、シュリーロッドは今日のドレスは自分で選んでいた。前側のリボンをほどき、ボタンを外せば簡単に脱げるドレス。
「わたくしに触れて」
ドレスを脱ぎ、シュリーロッドはセドリックの背に抱きついた。
「シュリー、そんな格好では風邪を引いてしまうよ」
優しく、セドリックはシュリーロッドを引き離す。宥めるように微笑んで、セドリックは自分のジャケットを裸同然のシュリーロッドの身体にかけた。
「おやすみ、愛するシュリー」
「……えぇ、おやすみなさい」
なかったことにされたのだ。そして、セドリックは今日もクリスティアンの亡骸と共に眠るのだろう。
「どうして、どうして……っ!」
生きて、側にいるのは自分なのに、セドリックは死人である妹を選ぶ。大切にされているように感じても、それは義務的なもの。それに気づかないほど馬鹿ではない。しかし、気付きたくないから、シュリーロッドは馬鹿な女になりたい。現実を見る目なんて、いらない。セドリックにただ愛されている女だと思い込みたい。
荒れた心のままに、シュリーロッドは叫び、暴れた。クッションを投げ、花瓶を割り、しかしセドリックのジャケットだけは乱暴に扱うことができなかった。
暴れ疲れ、シュリーロッドはくたりと座り込む。
その時、視界に入って来たのは古い絵本。
思わず手に取り、シュリーロッドは絵本を開いた。
「わたくしの王子様は……わたくしを見てくれないのよ」
こぼれた涙が、絵本のページに染みをつくる。
みんなに愛されているお姫様が、王子様と幸せそうに微笑んでいる場面。二人はいつまでも幸せに暮らすのだ。シュリーロッドも、セドリックと幸せな日々を過ごせると思っていた。
すべてを奪った妹から、すべてを奪い返したはずなのに、どうして今自分は泣いているのだろう。
にっこりと幸せそうに微笑むお姫様が、だんだん憎らしく思えて、シュリーロッドはページをびりびりに破った。
「ふ、ふはは……クリスティアンはもういないの。すべては、わたくしの思いのまま。ねぇ、そうよね? わたくしの悪魔」
問いかければ、眼鏡をかけたチャドが現れた。呼んで、すぐに来てくれるのはこの悪魔だけだ。
「えぇ、その通り。この国はあなたのものですよ、女王陛下」
悪魔の言葉に満足して、シュリーロッドは眠りにつく。
自分はこの国に君臨する女王なのだ。すべては、自分に従っている。そう自分に言い聞かせ、シュリーロッドは時々現れる弱い心を消していった。
――そうして、彼女は〈悪魔の女王〉と呼ばれるようになった。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
楽しんでいただけたでしょうか……?
作者的には、素直になれずに孤独を恐れるシュリーが一番人間らしいな、と久しぶりに彼女を書いて思いました。
癖のあるキャラクターですが、好きになっていただけたら嬉しいな、なんて思っております。
本当にありがとうございました。
奏 舞音