チョコレートと恋の予感
バレンタインネタ2はフランツのお話です。
楽しんでいただけますように!
仕えるべき君主、ティアレシアからバレンタインデーにチョコレートをもらってしまった。
明るい太陽の下、フランツは感激のあまり声を失った。何も言わないフランツを心配そうに見つめる紺色の瞳に、慌てて喉を働かせた。
「このフランツ、有り難き幸せ! 一生大切にしますっっっ!!」
目には涙が一滴。大声で宣言すれば、ティアレシアは呆れつつも「早めに食べて頂戴ね」と笑ってくれた。
ティアレシアが手作りチョコに挑戦するために城の厨房へ行ってしまってからも、フランツはただ呆然と手の中にある小さな甘い箱を見つめていた。
もったいなくて、開けられない。
しかしこのままでは腐ってしまう。
バレンタインデーという訳のわからないイベントではあるが、フランツにとって初めてのティアレシアからの贈り物である。
生菓子店の主から聞いたところによると、バレンタインデーのチョコには本命チョコと義理チョコと友チョコがあるらしい。
十中八九、この手元にあるチョコは義理チョコだ。
いつもありがとう、と言われて渡されたものだ。
ティアレシアの中で、大切な人、義理堅い人、という認識であることは嬉しい。本命チョコは夫であるルディのものだ。それも、分かりきっている。主君として仕えようと割りきっているはずなのに、きゅうっと胸が締め付けられるのは何故だろう。切ない、と感じてしまうのは何故だろう。
ティアレシアからもらったチョコレートを持ったまま、フランツはふらふらと城の中を歩いていた。ぼうっとしている王女の護衛騎士をみて、城の使用人や女官たちが驚いた顔をしている。しかし、今のフランツにはそんなことどうでもよかった。
このチョコレートを永久保存する方法を考えなければならないのだ!
どんっと突然身体に衝撃があった。何かにぶつかってしまったらしい。
鍛えているため、フランツはバランスを崩したりしていないが、心配なのはチョコレートだ。箱が無事な姿を見てホッと息を吐く。
そうしてぶつかったものを見ると、なんと女性だった。それも、かなり上質なドレスを身に纏っている。
「失礼いたしました。お怪我はありませんか?」
地面に転がってしまっている女性に手を伸ばす。目の前の女性はそこではじめて顔を上げた。
アメジストのような目はくりっとしていて、どこかあどけない。歳は十五、六歳ぐらいだろうか。ふわりと肩でゆれる赤茶色の髪には葉っぱがくっついている。小柄な彼女を包む深い紫色のドレスは、ところどころ枝で引っ掻けたのか破けている。その様子を見るに、ぼーっと歩いていたフランツに、走っていた彼女がぶつかったようだ。
「……も、申し訳ありませんっ! わたし、わたし、騎士さまになんてご迷惑をっ」
慌てて立ち上がったかと思うと、おもいきり頭を下げてくる。その必死な様子にくすりと笑みをこぼすと、彼女は頬を赤く染めた。
「わたし、変ですよね」
「いえいえ、とてもおかわいらしい」
遠き日のクリスティアンを思い出す。クリスティアンもまた、ただの大人しい娘ではなかった。どこか懐かしい気持ちで目の前の娘を見つめていると、彼女もまたフランツをじぃっと見つめていた。
「……素敵な人」
「ん?」
ぽつり、と彼女がこぼした言葉が聞き取れなくて、フランツは笑顔で聞き返した。
「わたし、ジェシカと言います! 騎士さまのお名前をお聞かせくださいっ」
目をきらきらさせて、ジェシカは名乗った。
その勢いに押され、フランツも名乗る。
すると、ジェシカが急にはうぅっと声にならない叫びを上げた。
「フランツさま。あなたこそ、私の運命の王子さまですわ!!」
この言葉は、フランツの耳にもしっかり届いた。
「え、王子さまって……? どういうこと」
「わたし、お父様に悪意のある縁談を強制されてますの。王族主催のパーティーで運命的な出会いを演出するとか言って無理矢理連れ出されたのですけれど、逃げてきましたの。だって、わたしの運命の人はきっとわたしが見つけなくてはならないと思いませんか? そして、逃げたわたしに優しく微笑んでくださったフランツさまこそ、わたしの王子さまだと直感いたしましたの!」
ジェシカは、興奮気味に勢いよく話す。くるくると変わる表情に、フランツはどうしても笑みがこぼれてしまう。
「わたし、まだフランツさまのこと何も知りませんけれど、あなたの笑顔が大好きですわ!」
そうは言っても、フランツは三十四歳でジェシカは十代だ。
この年の差は気にならないのだろうか。
それに、フランツは恋人をつくる余裕があるのならば少しでもティアレシアのため、国のために働きたい。無駄に過ごした年月を取り戻すためにも。
「ジェシカ様、大変嬉しいお言葉ですが、私はジェシカ様の運命の王子さまにはなれません」
きっぱりと断りの言葉を返すと、ジェシカはしゅんと項垂れた。しかし次の瞬間には、勢いよく顔を上げた。その瞳は死んでいない。
「それはもしかして、フランツさまが手に持っている箱が原因なのですか!! そういえば、バレンタインデーというものをティアレシア様が楽しんでいらしたわね……もしやその箱はフランツさまの恋人からの贈り物ですか?!」
バレンタインデーを実践中のティアレシアからもらった物だ。しかし、そのことを正直に言わずとも、これを使えばジェシカを諦めさせることができるかもしれない。
「そうなのです。私にはもう愛するの恋人がいて……」
「どんな方なのですか! 本当に愛していらっしゃいますか! フランツ様は幸せですか!?」
怒濤のごとく詰め寄られ、フランツは答えられずに口をぱくぱくしていた。
「フランツさまっ!!」
「は、はい! すみません!」
思わず、謝ってしまった。自分は一回りも年下の女性相手に一体何をしているのだろう。
「フランツ様、幸せですか?」
「ああ。幸せだよ」
クリスティアンは死んでしまったけれど、クリスティアンが望んでいた未来を叶えてくれる人に出会えたから。
「それならどうして、そんなに切なそうな顔をなさるの?」
ジェシカの問いに、息が詰まった。
その答えは、フランツ自身が知りたい。今が幸せなはずなのに、どうして自分の心はこんなにも寂しいと叫んでいるのか。
「……分からない。どうしてだろう」
誤魔化せばいいはずなのに、神秘的なアメジストの瞳の前で取り繕うことができなかった。
「わたしが、一緒にいてもいいですか? フランツ様の分からないこと、一緒に考えてもいいですか? わたしが分からないこと、一緒に考えてもらってもいいですか? 恋人がいる方にわたしったら……申し訳ありません」
そう言ったジェシカの顔は、泣きそうだった。
無意識に、フランツは彼女を泣かせたくないと思い、手の中にあった箱を開いて、甘いチョコレートを取り出した。
「はい、どうぞ」
え? という顔をしたジェシカの口に一口サイズのチョコレートを入れた。
「ふあぁ……あまーいっ」
みるみるうちに、ジェシカの顔には幸せそうな笑みが浮かんだ。
「それで、ジェシカ様はどこのパーティーから抜け出してきたのですか?」
「紋白蝶の茶会ですわ」
ジェシカがチョコレートを口のなかで溶かしながら言った。紋白蝶の茶会といえば、王族主催で年に2回開催しているもので、表向きは貴族同士の交流を深めるためのものだが、その実は貴族のお見合いパーティーだ。貴族の権力図がこれでまた変わってきたりする。そんな国の今後にも関わるような茶会に参加するとは、ジェシカは下位の貴族の出ではないのだろう。
「では、すぐに戻りましょう。きっと皆様心配しています」
フランツはジェシカの手を取った。しかし、ジェシカは嫌だと首をふる。
「ジェシカ様のパートナーか新しく見つかったことを皆様に紹介しなければいけないでしょう?」
「え、でも……恋人が」
「見栄を張ってしまいました。私にはそういう方はいません。ですから、ジェシカ様のパートナーとして、紋白蝶の茶会に参加することも可能ですよ?」
フランツがにっこりと微笑むと、しばらく考えてその意味を理解したらしいジェシカがきゃあっと飛び上がる。
「フランツさま、ありがとうございます!」
フランツとしては、この場をおさめるためのつもりだった。
無理矢理結婚させられるなんて可哀想だから、一時的に自分が偽恋人にでもなればいいか、と。ジェシカからすればフランツはおっさんだろうし、すぐに離れていくだろう、と。
しかし、ジェシカは本気でフランツに一目惚れをし、恋をしていた。
まだまだ子どもだったジェシカを、恋する乙女に変えたのは、フランツの手から口に含まれたほろ苦いチョコレート。
そして、切なそうに笑うフランツを見て、きゅうっと胸がときめいた。
この人の側にいたい! と強く思った。
とても優しくて、甘い。
まるでジェシカの口内でとろけたチョコレートのような人。
歳なんて関係なかった。
「フランツさまっ!」
いつからか、王女の護衛騎士フランツを追いかける若い令嬢の姿が王城内で見かけられるようになった。
一途にクリスティアン王女を想い続けてきたフランツのように、ジェシカという少女もまた、フランツだけを一途に想っていた。
いつフランツが折れるのか、いつジェシカが諦めるのか、それはもう周囲の話のネタになっていた。
当人たちはいざ知らず、互いの想いが重ならぬままに追いかけっこが続いていた。
しかし、この想いが重なる時もまた、近いのかもしれない。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
フランツにも、ようやく恋の予感!?と思いきや、かなりの年下です。
彼は年下に好かれるのでしょうか……。
新登場のジェシカちゃんはかなりの行動派で夢見がちな女の子です。だからか、騎士であるフランツにかなり夢を抱いてそうですね。そのうちフランツのヘタレな部分を見つけてしまうでしょうが、恋は盲目と言いますからね。ジェシカちゃんが意外としっかりしてるから大丈夫な気がする。この二人の今後の展開を、また番外編で書いていきたいですね。フランツを気にしてくれている人がいてくれたら嬉しいなと思います。
ありがとうございました!!
ハッピーバレンタイン♪
奏 舞音