悩める騎士
ノリと勢いで書いた番外編です。
どうか楽しんでいただけますように。
ぽつり、ぽつりと落ちるのは、どこにぶつけることもできない言葉。
「ずっと、大好きでした……」
冷たい風が頬に当たり、フランツの茶色の髪がふわりと揺れた。これでもかというぐらい綺麗に磨き上げた墓石は、フランツの言葉の意味など知らずにその場に立っている。
「クリスティアン様」
毎朝、毎朝、フランツはクリスティアンの墓を参っていた。クリスティアンが好きだった、ピンクの可愛らしい花束を持って。
(この場所で、俺はティアレシア様にすべてを捧げると誓った……それでも)
クリスティアンが眠る墓の前に来れば、側にいきたいと思ってしまう。しかし、フランツはどうあってもクリスティアンの側にはいけないだとうとも思っていた。クリスティアンは、きっと天国にいるだろう。だが、フランツはどうだ。十六年間、主君を失って何をすることもできず、逃げ続け、屍のように過ごしていた。
そんなフランツを生者に変えたのは、今の主君ティアレシアだ。フランツに生きろと言ってくれた。クリスティアンが生きていた頃のような生活に戻してくれた。感謝してもしきれない。
ティアレシアの側にいるだけで、かつてのクリスティアンとの日々を思い出す。ただ懐かしむだけならばよかった。
しかし、一回りも年下の彼女に、どういう訳かクリスティアンに抱いていたものと同じような感情を抱いていることに、フランツは戸惑っている。とは言え、これまた婚約者がいたクリスティアンの時と同じような状況で、ティアレシアは結婚している。それも、ルディという非常に気にくわない男と。
フランツに見せつけるかのようなティアレシアとのスキンシップ、甘い台詞、俺様発言……そのどれも、フランツの冷静さを欠くには十分なものだった。
そのため、よくティアレシアに怒られるようになってしまった。
「クリスティアン様、俺はどうすればいいのでしょうか。ティアレシア様の幸せを望んでいるはずなのに、あの男の顔を見ただけで苛々してしまうんです。きっと、お優しいクリスティアン様には理解できない感情なのでしょうね」
フランツが毎朝、クリスティアンの墓参りに来るのは、誰にも言うことができない愚痴を吐くためでもあった。
「わかってはいるんです。あのティアレシア様が惚れた男なのだから、頼れる人物だということは。しかし、得体の知れない何かを感じるんです。男でありながら、人外の美しさも持っていますし……あ、いえ、もちろん俺の中ではクリスティアン様が一番美しい方だと思っていますよ!」
フランツの言葉を聞き流すだけの墓石に言い訳をし、頬を染めている。フランツの独り言はかなり重症だった。
そんな彼の様子を、物陰から見つめ、溜息を吐いている人物が一人。
銀色の髪が美しい、ティアレシア・バートロム。クリスティアンだった昔もティアレシアである今も、フランツのことを友人のように気にかけているのだが、彼の恋心にはまったく気付かなかった鈍感な娘でもある。
「騎士団の面々がフランツの様子がどんどんおかしくなっているという相談を受けたけれど、本当だったようね……クリスティアンの墓の前で百面相しているわ」
フランツの部下たちから相談を受け、ティアレシア自身も気になっていたため、こうして朝早くから彼の行動をチェックしようと思ったのだが。朝からもうすでに行動がおかしい。ティアレシアが頭を抱えていると、後ろから押し殺した笑い声が聞こえてきた。
「ちょっと、ルディ! 笑いごとじゃないわよ」
振り返ると、夫であるルディが声を押し殺して大爆笑していた。何かとフランツと張り合いたがっていたルディだから、フランツの弱点を見つけて喜んでいるのかもしれない。さすがは、本物の悪魔だ。ティアレシアを愛した珍しい悪魔は、人間の感情についてもかなり理解し、心を持つようになってきたのだが、やはり悪魔は悪魔である。人の不幸や失敗、弱点が好きなのだ。少しむっとしてルディを睨むと、彼は美し過ぎる漆黒の瞳でティアレシアを見つめ返してきた。
「俺としては、妻が他の男を付け回してることを怒らないだけでも十分だと思うがな」
「つ、付け回すって何よ……! 私はただフランツが心配で」
「いや~、これは浮気だろ」
「う、浮気っ⁉ 馬鹿なこと言わないで!」
「人間の心は移ろいやすいと聞くからな」
そこで、にやりとルディが笑った。必死で反論していたティアレシアだが、どうにも何かに誘導されているような気がしてきた。ルディの思い通りの答えを返すのは癪だ。
「私が浮気するなんて思ってもいないくせに。それに、ルディの方だって、きれいな女官に馴れ馴れしく声をかけているところ、私見たことあるわよ。あれだって、浮気になるのではないかしら?」
王女としての公務が忙しく、時々ルディとはすれ違いの生活になる。そんな時、ルディが暇つぶしに美人の女官たちをからかっていることをティアレシアは知っていた。しかし、それがどれもティアレシアへの惚気だったから、怒るに怒れなかったのだ。ルディが女官たちに話していた内容を知らぬふりをして、ティアレシアは詰問する。
たまにはルディを動揺させてみたい。しかしそんなティアレシアの思いは、ルディの余裕の笑みで一蹴された。
「……ふ、可愛いな。妬いてんのか?」
あ、と思った時にはもうティアレシアの身体はルディの腕の中に包み込まれていた。そして、止めを刺すようにルディの低く甘い声が耳に響く。
「俺にはお前だけいればいい」
たったその一言の囁きで、ティアレシアは腰が砕けるかと思った。ルディに触れられているところが熱を持ち、心臓を高鳴らせる。夫婦になった今でも、ルディに慣れることがない。何度触れられても、何度甘い言葉を囁かれても、いつも初めての時のようにどきどきしてしまう。それなのに、触れていないと不安で、声が聴きたくて仕方ない。
「わ、私も」
顔を真っ赤にしたティアレシアには、そう答えるのが精いっぱいだ。
「あのぉ~、朝っぱらから王女殿下御夫妻は何をしていらっしゃるんですか」
朝からラブラブな二人に、完全に生気を奪われたフランツが近くに立っていた。
抱き合っているティアレシアとルディを直視できないのか、目線はあらぬ方向に向いている。
慌ててルディを突き飛ばし、ティアレシアはフランツに駆け寄った。
「おはよう、フランツ。えっと、偶然ね!」
「おはようございます。偶然クリスティアン様が眠る墓地で会えるなんて、嬉しいです」
嬉しい、と言いながら、フランツの顔はまったく嬉しそうではなかった。
こんなフランツははじめてだ。今まで、何か悩みがあったとしてもフランツはまったく表に出さなかったのに。
「あの、フランツ? 大丈夫? 何か悩んでいるなら、私が聞くわ」
今はもうフランツの前に現れないクリスティアンではなく、生まれ変わりであるティアレシアが。
本気で心配して、ティアレシアがフランツを見上げると、彼は力なく笑った。
「いえ。これは私自身の問題ですので」
「そんな……私はフランツが心配なの。なんでもいいから話てみて」
「ティアレシア様にそう言っていただけるだけで、悩みなんて吹っ飛びますよ」
そう言いつつも、フランツの目はどこか遠いところを見つめている。
「これ以上俺の妻に心配かけんなよ」
俺の妻、というところを強調して、ルディがフランツの前に立ちはだかった。
「あなたこそ、ティアレシア様という妻がありながら女官に鼻を伸ばしているとは最低ですね」
「おいおい、またその話かよ。鼻の下なんか伸ばしてねぇし」
ルディに対してだけは、フランツの目は何故か闘志に燃えていた。ルディの方は、先程ティアレシアにも疑われた話をぶり返されて、少し不機嫌になった。
「私はティアレシア様からお聞きしました。夫が別の女性と仲良さ気に話している光景は、やはり目の毒かと」
フランツがしれっと言った言葉に、ティアレシアは目を見張る。やばい。これはこちらまでルディの怒りを買いそうだ。そう直感した瞬間には、ルディの顔が目の前にあった。
「俺の愚痴を、フランツに言ってたのか?」
両頬をルディの掌に掴まれ、顔を反らせない。公務の時などは護衛であるフランツといる方が長い。ついつい、ルディの愚痴ばかりになることもあるのだが、まさかそれを目の前で暴露されるとは思わなかった。心の内でフランツを少しばかり恨む。嫉妬深い悪魔は、こうなると本当にしつこいのだ。
「俺のことで怒っているお前も、嫉妬しているお前も、悩んでいるお前も、全部俺のものだ。他の男の前でそんな顔を見せるな」
有無を言わさぬ圧力をもって紡がれた言葉に、ティアレシアは内心呆れていた。無茶苦茶だ。そう思うのに、どこかで嬉しいと感じる自分もいるのだ。
「じゃあ、ルディも約束しなさいよ。私以外の女性に、甘い顔は見せないって」
「いいだろう」
その了承の返事をもって、二人はぷっと吹き出した。
完全に、二人の世界だ。
心配されていたはずなのに何故か放置されてしまったフランツは、その様子を見て心からの叫びを口にした。
「いや、本当にあなたたち何しに来たんですかっ!」
目の前でいちゃつかれて、フランツの悩みの種は増えるばかりであった。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
今回はフランツを幸せに……あれ? 幸せにしてあげようと思って筆をとったはずなのに、何故かさらに不憫になっている!?
後半は完全にティアレシアとルディにもっていかれましたね。どんまいフランツ! 次回こそは幸せにね(次回があればいいのだけれど)
ということで、フランツの目に涙が浮かんだ番外編でした。作中では泣いてませんでしたが、最後のセリフは絶対涙目ですよ。ティアレシア、察してあげてほしいです。
フランツがただただ不憫な番外編になりましたが、楽しんでいただけてたら幸いです。
ありがとうございました!
奏 舞音