嵐の夜は
びゅうびゅうと強い風が吹き、大粒の雨は凶器のように窓ガラスに突き刺さる。大嵐の夜というものは、心の不安をも強く荒らす。雨風が壁に叩きつけられる度、ベッドで震えているのは、六歳のティアレシアだ。ルディは、ティアレシアの死角になる位置で彼女を見守っていた。つまり、まだ幼いティアレシアは一人で今嵐の夜を過ごしている。
「……っきゃあ!」
雷が落ちた音に驚き、小さな身体を飛び上がらせる。そして、バランスを崩したティアレシアは、広いベッドにも関わらず、きれいに転がり落ちた。
「ふ、うぅ……」
唇を引き結び、大泣きしたいのを堪えている姿は、ルディの嗜虐心を刺激した。しかし、このままだと本当に号泣してしまいそうだったので、ルディは仕方なくティアレシアの側へ姿を現す。
「お嬢様、どうかしましたか」
魂はクリスティアンのものだが、ティアレシアの精神年齢はまだ六歳だ。いつもはこういった嵐の夜は父であるジェームスと共に過ごしているというのに、この日は運悪く城に泊まり込んでいて留守だ。六歳とはいえ、人の目があるところでは大人ぶっていたティアレシアは、心配するキャシーに大丈夫だと笑っていた。
その結果が、これである。
少しからかってやろう。ルディはそう思い、わざとらしく慇懃な礼をとって尋ねた。
しかし、ティアレシアは予想外の反応を返してきた。
「うぅぅ……ルディっ!」
小さな腕が、すがるようにルディに抱きついて来たのだ。目に涙を溜めた、大きな紺色の瞳に見つめられ、ルディは何も言えなくなってしまった。
(なんだ、この生き物は……)
ルディのことを悪魔であると頭のどこかでは理解しているはずなのに、ティアレシアはルディに必死で縋っている。ルディを離すまいとしている小さな手は、震えていた。その手を振り払うことが、ルディにはどうしてもできなかった。
「そんなに嵐が怖いのか」
ティアレシアを抱きかかえながら、ルディは聞いた。
「怖くなんか、ないわ……でも、もしかしたら、この強い嵐が、私のしあわせをすべて吹き飛ばしてしまうんじゃないかと思うの……」
強がっていても、ティアレシアの身体は震えているし、その手はルディの服をしっかりと掴んでいた。
(小せぇなぁ……)
少しでも力を入れたら、すぐにでもこの少女の命はなくなるだろう。自分なら、あっという間にその魂を奪うことができる。それなのに、ルディはティアレシアの頭を優しく撫で、その震える身体を抱き締めている。か弱くて、小さな存在が、どうしてここまでルディの行動を制御できるのか、謎である。
「大丈夫だ、嵐はもうすぐ過ぎる。そうすりゃ、大好きなお父様も帰ってくるさ」
「ほんとう?」
「もし本当にこの嵐がお前の幸せを吹き飛ばしたとしても、飛ばされた幸せは俺が取り返してやる」
自信満々に笑ってみせると、ティアレシアはようやく頬を緩めた。
その笑顔を見て、ルディは腹を決めた。
このか弱い存在は、その魂が復讐を終えるまで、絶対に自分が守ってやろう、と。
◇◇◇
「ひどい嵐ね」
ガタガタと揺れる窓から、外の様子を見てティアレシアが言った。六歳ではなく、成長した十六歳のティアレシアである。
王都でのあわただしい日々が終わり、ようやくジェロンブルクの屋敷に戻ってきたばかりなのに、天気はあいにくの嵐である。
「覚えてるか。お前、小さい頃に嵐に脅えて泣いたこと」
「覚えてないわ」
白々しくも、ティアレシアはそっぽを向いた。
「本当はまだ、嵐が怖いんじゃねぇの?」
憶測、というよりも確信を持って、ルディは問うた。ティアレシアがそんな訳ないじゃない、と言いかけた時、大きな雷鳴の音が響いた。その瞬間、ティアレシアはルディに飛びついて来た。
「……へぇ、これでも怖くねぇと」
「お、驚いただけよ!」
「身体が震えていますよ、お嬢様?」
「……~っ!」
言い返せずに、ルディの腕の中で顔を真っ赤にするティアレシアが面白くて、ルディはさらに追い打ちをかける。
「本当に、怖くないのか? なら、俺が今から部屋を出て、お前を一人にしてもいいんだな?」
そう言って、ルディはティアレシアの身体をそっと引き離す。不安そうな眼差しを感じながらも、ティアレシアがいつまで強がっていられるかを試すためにルディは彼女に背を向ける。扉まで、ルディの長い脚では約十歩といったところだろうか。
一歩、二歩、三歩……もう目の前は扉、という時になってティアレシアがようやく動いた。
「……ま、待ちなさいよっ!」
振り返ると、今にも泣き出しそうなティアレシアの顔が目の前にあった。
「私が、悪かったわ。嵐がおさまるまで、側にいて頂戴」
その言葉を聞いて、ルディは思わずティアレシアに口づけていた。
「本当にお前は素直じゃねぇな……だがどうして、お前はこんなにも可愛いんだ」
ティアレシアほど、扱いにくい女をルディは知らない。
しかし、もうティアレシアだけにしか興味がない。
あの日のようにかわいく縋ってくれるようになるまで、ルディはいつまで待てばいいのだろうか。
しかし、いつでもいい。ティアレシアが腕を伸ばしてこないなら、腕を伸ばすように仕向ければいいし、それでもだめなら力づくで奪うまでだ。
どうしたって、ティアレシアはルディを愛するようになる。
そうさせるつもりだ。
「嵐が過ぎ去っても、俺はお前の側にいる」
もう一度、キスを落とす。瞼に、頬に、唇に。そのすべてにルディを覚えさせるように。
――俺なしでは生きられないようにしてやる。
愛おしい娘を腕に抱き、悪魔は極上の笑みを浮かべた。