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氷撃のカイ・フィリード  作者: 狼花
4章 【水と夜光の絢爛 サレイユ】
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◇王子ふたり(4)

 グレイドル宮殿での生活を始めて、あっという間に五日ほどが経過した。

 これといってすることはなかったが、暇を持て余したわけでもない。そこそこ充実した時間の使い方ができた。まずグレイドル宮殿の西棟を歩いてみるだけで一日を費やした。庭、厨房、浴室、喫茶室、サロン、診療所、書庫――生活に必要なものもそうでないものも、一通りこの棟だけで揃っている。わざわざ街に出かける必要というのも殆どなさそうだ。広い庭園にある花壇や植え込みなどを見ているのも楽しかったし、書庫から借りてきた本を読むのも面白い。アスールの家臣たちが食事の世話も焼いてくれるから、困ったことは何もなかった。


 それでも少し飽きがきたころ、知ってから知らずかジョルジュが朗報を持って来てくれた。宮殿から出られないと覚悟していたというのに、なんと城下街に出かけても良いと許可をもらったのだ。アスールやダグラスがなんとか努力して配慮してくれたのだろう。同時に、国の意見がひとつにまとまりつつあるというのも感じられた。

 街に出て普通に買い物をしても、イリーネに気付く者はいなかった。カイの方も特徴的な銀髪を隠しさえしてしまえば、目立つことはない。アスールが被っていた黒い鍔付きの帽子を不本意ながら被り、カイは女性陣の買い物に付き合ってくれた。「なるべく全員行動を共にするように」と忠告を受けていたためである。


 宮殿の部屋では、大体三人とも同じ部屋に集まって思い思いに過ごしている。まとまった時間は、古語や魔術を学ぶには絶好の機会。久々に魔術書を開いて、イリーネはカイに教えを乞う。そのうちチェリンも参加して、カイによる魔術講座になるのだった。


「……そう、それでエラディーナは神属性の魔術を使った。これが“速き世界(アクセル)”。施した者の動きを速める術だ。これで大騎将ヘイズリーは、即死級の火炎魔術を難なく躱すことができたというわけ。補助中の補助だね」


 カイはそう言って、白紙に古語を書いていく。“速き世界(アクセル)”の言葉だ。


 時は神暦十九年。一年にも及んだ皇帝カーレリアスの遠征が失敗に終わり、唯一生き残った騎将ヘイズリーが帝都へ帰還したその年。ア・ルーナ帝国の帝都リーゼルハイトまでレイグラン同盟軍は迫り、ついに帝都を戦場にして戦が始まった。【竜王】自らが仕切るレイグラン軍の勢いに帝国軍は圧され、抵抗虚しく帝都は陥落。帝都の留守を預かり、陣頭指揮を執っていた第三皇子ザーフィルも、ここで戦死した。

 その直前、ザーフィルは城内にいる姉や妹、弟たちに、城外への脱出を指示していた。騎将ヘイズリーを護衛につけて脱出を試みた第三皇女エラディーナたちであったが、そこへレイグランの誇る【赤狼(せきろう)ネルー】が追いつく。強力な炎魔術を扱う狼の化身族を相手に、迎え撃つのはヘイズリーとエラディーナ。エラディーナの神属性魔術の援護を受けたヘイズリーは強敵ネルーを討ち、ついに彼女たちは城の外へ脱出することができたのだ。


「で、勿論速める術があるなら遅くする術もあるわけで……そっちは“遅き世界(スロウ)”っていう。相手が自分より魔力量で格上だと効かない場合もある。けど物体に対しては等しく有効だから、まあ飛来物を避けたい時とかに便利だよね。戦場でも、矢を避けるときなんかに使われたらしい」


 “速き世界(アクセル)”の隣に、“遅き世界(スロウ)”の文字も書きこんでいく。


 しかしながら、城の外で待ち構えていたのは【竜王ヴェストル】そのヒトだった。魔術を使えないただの人間としては、ヘイズリーは世界最強だったかもしれない。そんな後の大騎将でも、【竜王】に一太刀たりとも浴びせることはできなかった。エラディーナたちは死を覚悟したが、意外なことに【竜王】は彼女たちを殺しはしなかった。ただ、類稀な魔術の才能を持つエラディーナに恐れたのか、それとも魅了されたのか――【竜王】は、彼女の身柄と引き換えに、ヘイズリーと他の皇子皇女を見逃すと告げたのだ。

 エラディーナはこの要求を受け入れた。信頼するヘイズリーに姉弟のことを頼み、彼女は【竜王】のもとへ残ったのだ。そしてヘイズリーは皇女たちを守って身を隠し、虎視眈々と姫の奪還と反撃の機会を狙ったのである――。


「味方を補助するか、敵を不利にするか、場合によって使い分けると良いよ。攻撃を仕掛けられたときなんかは、咄嗟に使うことができれば余裕で逃げられる」

「はい」

「神属性って、本当に補助系の魔術なのね」


 チェリンが呟くと、カイは苦笑を浮かべた。


「時を操る魔術だからね。攻撃系じゃないのは確かだよ」

「っていうことは、もしかしていずれは時間を止める、なんてこともできるのかしらね? 霊峰ヴェルンみたいに」

「できるんじゃない?」


 あっさりと肯定され、チェリンはぽかんとしている。「とはいえ」とカイは顎をつまんだ。


「ヴェルンほどの魔術は無理だろうけどね。でも少しの間、小規模であれば時間を止めるくらいはできると思う。……ただ、負担が大きそうだからあんまりやってほしくはないけど」

「へえ、すごいんですね」


 他人事のように言ってしまったが、いつか自分がそんな魔術を操れるなんて想像もつかない。まだ治癒術だってぎこちない手つきでしか使えないのに。


「……ねえ、あのさ」


 チェリンが思い切ったように口を開く。


「あたしも魔術……使えるようにならないかな?」

「どうしたの、急に。それじゃ、チェリーも賞金首になっちゃうよ」

「今だって賞金首の仲間よ、変わりないじゃない」

「そりゃごもっともで」

「あたしだって、普通に旅している分には魔術なんて必要ないって思ってたわ。でも、どんどんきな臭くなっていってるじゃない。敵の化身族が魔術を使わないなんてこと、もう滅多にないでしょ。魔術使い相手じゃ、あたしは何もできないのよ。リーチも手数も足りなくて、互角にすらならない。それが悔しいの」


 急に思ったのではない。多分、チェリンはずっと考えていた。足手まといを嫌う彼女は、カイたちには及ばなくても足を引っ張りたくはないのだ。その気持ちは、イリーネも痛いほどよく分かる。


「だから、そういう素質が少しでもあるならいいなって思って」

「チェリー、ヴェルンじゃなんともなかったよね?」

「う……そ、そうね、なんともなかったわ」


 魔力を持っていれば持っているほど、あの山では動きにくかった。凄まじい魔力量を誇るカイは倒れ、そこまでではないもののニキータも不調だった。だからこそ他の面々はぴんぴんとしていて、助かったのだが。あそこでチェリンがなんともなかったのは、魔力がないからに他ならない。


「魔術を使えるようにする方法は、あるにはあるよ。誰かの魔力を分けてもらえばいいんだ」

「そんなことができるんですか?」


 驚いて問うと、カイは頷いた。チェリンは眉をしかめた。


「カイの魔力を、あたしが分けてもらえるってこと? でも、そんなことしたら……」

「俺の魔力は半減。ついでに、チェリーは氷魔術しか使えない。それもチェリーの体質と合わなければ、無駄になるだけだね。結構な賭けだ。試す?」

「い、いい! あんたの力を殺いじゃ意味ないのよ」


 やっぱり諦めるしかないかなぁ、とチェリンは息を吐く。だがカイの方を見ると、何か考え込んでいるような表情だ。どうしたのか声をかけると、カイは顔を上げた。


「これから魔力が覚醒する可能性も、ないわけじゃないよ」

「覚醒?」

「そう。それまで魔力なんて一片も感じなかったのに、何かの拍子でそれが発現するんだ。だからチェリーの魔力も、本当は栓がしてあって見えないだけかもしれない」


 落胆気味だったチェリンが、また身を乗り出す。カイは魔術書を閉じ、テーブルの端に置いてあったコーヒーカップを引き寄せた。そういつもいつも冷たいフルーツジュースを飲んでいるわけではないらしい。


「どうしたらその栓は抜けるの!?」

「さあ……ヒトそれぞれかなぁ。そういうのはニキータに聞くと良いんじゃない? あのヒトもそうだったらしいから」

「ニキータが? あのヒト、最初から魔術使えたわけじゃないの?」

「何か誤解しているようだけど、魔術はそれなりに時間をかけて訓練しないと使えないよ。ニキータは、それまではただの諜報員だったけど、あるとき敵に包囲されて殺されかけたそうでね。そこで“黒羽の矢(ヴォルト・アロー)”が使えるようになったんだって。要は火事場の馬鹿力だ」


 あの油断も隙もないニキータでも、殺されかけるような事態に陥ったことがあるのだ。今でこそ強いニキータやカイが、最初から強かったわけではないと気付いたのはその時だった。彼らにだって子ども時代はあって、修業時代もあったはず。それは当たり前なことだ。

 だとしたらチェリンも。彼女はまだ二十四歳だ。まだまだ伸びしろはある。


「だからそう、焦ることはないよ。ニキータでさえ、魔術を使えるようになるまでに五、六十年かかったんだ。チェリーはまだまだこれから、だよ」

「――そうよね。分かったわ、ありがとう」


 チェリンは照れたように微笑んだ。見込みがないわけじゃないというのが分かって嬉しそうだ。


 するとその時、扉がノックされた。チェリンが応対すると、現れたのはアスールとジョルジュだった。ジョルジュはアスールの指示や現状を伝えるために頻繁に会っていたが、アスール本人と会うのは実に五日ぶりである。久しぶりというほど日数が経ったわけではないが、これまで毎日一緒に生活していただけにご無沙汰感は否めない。


「アスール! どうしたんですか?」

「いや……少々面倒なことになってな。突然で申し訳ないのだが……」


 言いにくそうなアスールの様子に、イリーネは緊張を奔らせる。面倒なこととは、まさか情報が漏れたとかそういう類のことであろうか。

 しかし、アスールが口にしたのはまったく別のことだった。


「このあと、お茶会でもどうかね?」

「……は?」





★☆





 時刻は午後三時。天気は晴れ、雲は薄い。微風で寒くもなく暑くもない。優雅なティータイムにぴったりである。


 サレイユ貴族の間では、この時間にお茶会を開くのが習慣らしい。ちなみにこの場合の飲み物は、コーヒーではなくて紅茶である。あまり紅茶を飲んだことがないので、味の良し悪しが分かるかどうか少し心配だ。

 イリーネはチェリンと共に、アスールの案内で西棟を歩いている。カイはどういうわけか、ジョルジュと部屋で留守番だ。なんでもこのお茶会は男子禁制、「女性の聖域」なのだという。だとすればアスール開催のお茶会でもない。一体誰がイリーネらと茶をしてくれるのだろう。


「本当にすまない。まったく、言い出したら聞かない方々でな……落ち着くまで待ってくれと何度も言ったのに、あのヒトたちは」


 案内するアスールは、詫びなのか言い訳なのか愚痴なのか、よく分からないことをぶつぶつと呟いている。どこか独り言じみていることもあって、イリーネらは返す言葉を見つけることができない。

 アスールはそのうち、西棟と宮廷を繋ぐ渡り廊下までやってきた。西棟を出ることを禁じられていたイリーネたちからすれば、未知の領域である。いいのだろうかと思いつつそのままアスールを追うと、彼は渡り廊下の途中にあった小さな門を開けた。その先には広々とした庭園へ繋がる道がある。


「え、ええっと、本当にどこに行くんですか?」

「この先にテラスがあってな、お茶会をする時の特等席なのだ」

「けどいいの、あたしたちを外に出して?」


 チェリンが問うと、アスールは苦笑した。


「言っただろう、この先は『女性の聖域』なのだ。国王でさえおいそれと入ることはできない。私も案内が終わったら戻るよ」

「ええ!? アスール、いなくなっちゃうんですか?」


 チェリンと二人、誰とも知れないヒトと茶を飲めと言うのか。それでは何かあったとき、どうすればいいのだろう。


「だ、大丈夫、取って食われたりはせぬよ。そのあたりはきちんと言い聞かせてある。……おそらく」

「何よ『おそらく』って。いい加減教えなさいよ、相手が誰なのか」

「ううむ……それがなぁ……」


 本気で困惑した顔のアスールの向こうに、木製のテラスが見えてきた。屋根までついている。大きな噴水と美しい花壇に囲まれた、静かで雰囲気の良い場所だ。……それにしても、この王宮の敷地内にはいくつの庭園があるのだろう。

 そのテラスで、こちらに背を向けて立っている青年がいる。あの後ろ姿はアスールと似ている――ダグラスだ。


 近づいてくるアスールたちに気付いたダグラスが振り返り、こちらも困り果てたような表情に苦笑を浮かべた。


「来てくれたか、イリーネ姫、チェリン嬢。わざわざすまな――」


『イリーネちゃんッ!』


 突如、甲高い女性の声が響いた。どうも二人分の声が重なっているらしい。自分の名を呼ばれたのだとイリーネが気付いたのは、二人いると気付いたあとだ。

 ダグラスの背で見えなかったが、テラスの席にふたりの女性が座っていた。綺麗なドレスを着た、若々しい女性たち――三十代か四十代か、判別がつきにくい。ひとりは薄紅のドレスを着て、もうひとりは鮮やかな黄色のドレスを着ている。

 両者とも満面の笑みでテラスから駆け下り、イリーネの前までとことこと走ってきた。そして嬉しそうに、イリーネの両手を握る。


「久しぶりね! 行方不明になったって聞いてから、私たち気が気でなかったのよ」

「無事でよかったわぁ。あら、ちょっと大人っぽくなったわねぇ」

「それはそうだわ、もうイリーネちゃんも二十歳だものね」

「あらぁ、月日が経つのは早いものねぇ。この間まで小さなお姫様だったのにぃ」


 何やら興奮した様子で話しているふたりの女性を、イリーネは目を丸くして見ていることしかできない。そこへダグラスが割って入った。


「ちょっ、さっきの話を聞いていなかったんですか!? イリーネ姫は記憶を失っておられるのだから、いつものノリ(・・)で話しかけるなとあれほど……!」

「だってねぇ、私たちがイリーネちゃんと会うのは三年ぶりなのよぉ?」

「僕だって三年ぶりでしたよ!」


 ダグラスが女性たちの相手をしている隙に、アスールがイリーネとチェリンを離れさせた。


「……お、驚かせてしまったな」

「いえ、はは……」


 事実だけに、イリーネは曖昧に笑っておく。

 女性たちはダグラスに向けて何か文句を言っているようだ。今の今までダグラスの方から説教を始めていたのに、あっさりと形勢が逆転している。よく見てみればふたりの女性はアスールとダグラスに面差しが似ていた。


「もしかして、この方たちは……」


 そうアスールを見上げると、アスールは察したように頷いた。


「その通り。私の母、ローディオン家のソレンヌと……」


 薄紅のドレスを着た女性が、笑顔でイリーネたちに向けて手を振ってくる。長い栗色の髪の毛をひとつに結って、肩から前へ流している。上品な女性だ。


 続けてダグラスも、咳払いしながら紹介した。


「ミュラトール家のレティシア。僕の母だ」

「よろしくねぇ」


 黄色のドレスの女性はそう微笑んだ。緩く癖のついた黄金色の髪は、ふわふわと背の半ばほどにまで達している。おっとりした雰囲気が滲み出ていた。


 アスールたちの母親――ということはつまり、このふたりは従姉妹同士。双子かと思うほどに似ているアスールたちを産んだにしては、当人たちはあまり似ていなかった。多分、王子たちは父親である国王の血が濃いのだ。

 それにしてもこの歓迎ぶりはちょっと驚きだ。


「……とにかく母上、くれぐれもイリーネ姫とチェリン嬢に迷惑をかけないでくださいよ」

「分かってるわよぉ、ダグラス」

「じゃ、戻るよアスール。イリーネ姫、母上たちをよろしく」


 ダグラスはアスールにそう声をかけて、テラスから去っていく。アスールも頷いてから、イリーネとチェリンに向き直った。


「会議の途中だったのだ、悪いがこれで失礼する。イリーネのフォローは任せるよ、チェリン」

「ええ、分かってるわ」

「お仕事がんばってくださいね」

「ふふ、その言葉だけで俄然やる気が出るよ。ではな」


 アスールは微笑んで踵を返した。王子たちを見送っていると、後ろでダグラスの母レティシアがすねたような声を出した。


「どうして私たちのほうがよろしくされるのかしらねぇ……」

「まったくね。困った子たちだわ」


 そう同意するソレンヌの声は笑みに満ちていた。


「さあイリーネちゃん、それからチェリンちゃん。あんな男たちは放っておいて、お茶にしましょう? 美味しいお菓子もあるのよ」


 ほらほら、とソレンヌとレティシアに引っ張られる。こうして王妃ふたりによるお茶会が強引に開かれることとなったのだった。

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