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氷撃のカイ・フィリード  作者: 狼花
4章 【水と夜光の絢爛 サレイユ】
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◆王子ふたり(3)

 夜が更けてきた。


 さすが水と夜光の国。王都の中でも高台にあるグレイドル宮殿の部屋の窓からは、明るい市街地がよく見える。王宮の方にも煌々と明かりが灯っていて、まだ中枢は機能しているのだろう。光に照らされた噴水なんて、美的センスの欠片もないカイが思わずため息を吐くほど綺麗だ。

 美しい眺めだけれど、『サレイユの夜景は残業の灯りでできている』なんて言葉もあるくらいだ。労働条件が悪いというほどではないだろうが、人口が多ければ仕事も増える。複雑な仕事が多ければ、夜遅くまでもつれこんでも仕方ない。


 窓枠に腰かけていたカイは、ふと室内に視線を転じた。灯りはつけていないから、室内は薄暗い。その程度で済んでいるのは、全開の窓から月光が差し込んでいるからだ。

 全力で走り回れるくらいの部屋に、大きなベッドやテーブルがぽつんと置かれている。殺風景、ひどく殺風景だ。別に生活感がある部屋が好きという訳ではないけれど、ここまで清潔すぎるのもどうだろう。


 ああ、そうか――こんな広い部屋にひとりでいるから、なんだか落ち着かないのだ。

 おかしい。オスヴィンにいたころは、ひとりでいることが気楽だった。誰もいない広大な大地を好きに使えて、あれはあれで楽しかったのに。いつの間に誰かと群れることに慣れてしまったのか。

 だからといってイリーネやチェリンと同室にしてくれとは、口が裂けても言えないし。あのふたりは、この部屋を広すぎるとは思わないのだろうか。……思わないか。女の子は豪華な部屋に喜ぶものだ。今頃はもう寝ているだろう。


 俺も寝るか、と思って窓を閉めたところで、扉がノックされた音がした。控えめな、本当に入りたいのかと疑う程度の音。カイの鋭敏な耳だから聞き取れたほどだ。

 ここを訪れる者などたかが知れている。それほど警戒はしていないが、用心しろと口を酸っぱくしてアスールに言われたばかりだ。とりあえず誰何する。


「だれ?」

『私だ。入っても?』

「アスールか。鍵は開いてるよ」


 許可に応じて、ランプを持ったアスールが部屋に入ってきた。入ってくるなり部屋の暗さに驚いたアスールが、持っていたランプの灯を部屋の燭台に移す。ぼんやりと室内が明るくなった。


「お前、いくら夜目が利くからといっても、暗い場所にずっといたら目が悪くなるぞ」

「読み書きしていたわけじゃないし、平気だよ。っていうか、どうしたの? こんな時間に」

「この部屋の窓が開いていたのが見えてな。そのくせ明かりもついていないから、不用心だと思って立ち寄っただけだ。起きていたのならいいのだ、杞憂だった」


 神経質だなあ、と思わないでもないが、アスールはいまピリピリの緊張状態なのだ。些細な失敗も許されない、極限の状況。少々口うるさくなるのは仕方ない。


「そっちはやっと今日のお仕事終わったの?」

「ああ、とりあえず解放してもらえたよ」

「今日はもう休んだほうがいいんじゃない? 疲れが全身から滲み出てる」


 扉のすぐ横の壁に寄りかかったアスールは、ランプを傍の棚の上に置いた。


「そうしようと思うのだが、どうも眠れそうになくてな」

「疲れって、ピークを過ぎると感じにくくなるもんだしね」

「かもしれん」

「……添い寝、してあげよっか?」

「結構だ」


 いや、頼むと言われても困ったのだが。カイは再び窓枠に腰かけた。

 丁度いい。どうせカイも眠れそうになかったし、話でもしていれば気も紛れるだろう、お互いに。


「うわあ、即答。前はよく、俺を湯たんぽ代わりにしてお昼寝してたじゃない」

「だから、十五年も前のことだろう。そんな昔のことを」

「俺にとっては、ついこの間のことだよ」


 何もかも鮮明に覚えている。忍び込んだところをイリーネに見つかったときのこと。一年間過ごしたリーゼロッテ王城の裏庭の景色。子どものころのアスールやカーシェルの姿も、すべて。

 そう呟くと、アスールも今更そのことに気付いたように顔を上げた。


「……そうか。カイは既に私の二倍の年月を生きているのだものな」

「そうだよ。アスールよりだいぶお兄さん」

「もはや父親の年齢だな」

「ちょっと、そういうこと言わないでよ。割とへこむ」


 アスールが笑う。無理をして笑っているようには見えない。それなら大丈夫だろう。


「――説得はうまく行きそう?」


 問いかけると、アスールはあっさりと頷いた。


「おそらく大丈夫だ。もはやサレイユに残された道はひとつ、イリーネを匿うしかない。もう退くに退けないさ」

「そっか」

「それに、相手はあのダグラスだ。あいつの舌鋒に反論できる者など、そういない」

「王位継承権の問題にも、かたがつくのかね?」


 そこまで深く追及する。いつもだったらのらりくらりと答えをはぐらかすだろうが、残念なことにアスールの目の前にはカイしかいない。ごまかしは効かないことを、アスールも分かっていた。


「ついてしまうかもしれないな」

「順当に行けばアスールだよね、第一王子なんだし」

「そうだな。だが、私もダグラスも王になる気など更々なかった。お互いに押し付け合って、ここまできてしまったのだ」


 アスールは壁に寄りかかったまま腕を組む。


「私は騎士として生きる方が性に合っていたから、王にはダグラスがなればいいと思っていた。旅も好きだし、各地を回ってみたいと思っていたのも本当だ。一方のダグラスは、あくまでも外交官として交渉事の最前線に立って、国政に関わりたいと思っているらしい。……今でもやはり、ダグラスのほうが王に向いていると思うよ」

「でも、そうもできない」

「ああ。あんな形で暴動が起きてしまっては、な」


 アスールの死亡説を用いて挑発し、アスールの名誉を傷つけたクレールの監察官たち――そしてそれに激怒し、剣を抜いた巡視監たち。彼らは自らの利益のためではなく、主君アスールのために軍規を破って剣を抜き、血を流した。これまでアスールが自分の信頼を失墜させようと画策してきた放浪癖など、彼らには何の意味もなかったのだ。

 そうまでしてアスールを信奉する臣下たちがいる。――主君としては、もう逃げるわけにはいかない。王はダグラスでいい、などと言うことはできないのだ。それでは示しがつかないから。


「もう逃げるのはやめだ。王になりたくないなどという弱音は吐かない。正々堂々、ダグラスに対してやるさ。自分が王になるという気概で」

「……そうだね。それでこそアスールだ」


 グレイアースに到着してから妙にしおらしかったアスールだが、やっと調子が戻ってきたようだ。後ろ向きなのは、この男には似合わない。


「安心したよ、滅入ってはいないみたいで。昼間はあまり元気なかったように見えたから」

「はは、すまない、もう大丈夫だ。……確かにお前は、ごく稀に兄のように見えるから不思議なものだ」

「ごく稀って。俺は常日頃からみんなを温かく見守っているつもりなのにな」

「ああ、そうだな。少々異論はあるが、概ねそうだったかもな」


 まさか同意されるとは思っていなかっただけに、カイは口ごもった。アスールはそんなカイの様子を笑みを湛えて見ている。髪の毛を掻き回したカイは強引に話題を変えた。


「交渉が成功したとして、アスールはどうなるの? これまでみたいに、また一緒に旅をするってわけにはいかなくなるんじゃない? カーシェルを助け出すっていうなら、尚更危険だし」

「それでも共に行くさ。反対されようが、こればかりは譲れない」

「……聞くまでもないことだったね」

「そうとも。――ところで、私からも質問がある。いつか聞こうと思っていたのだが」

「なに?」


 改まった問いかけに、カイが顔をあげる。窓枠に座るカイと、壁に寄りかかるアスールは、距離は離れているが真正面にいる。必然的に、顔をあげればアスールと目が合ってしまう。


「お前、イリーネのことが好きなのか?」

「……は?」


 言葉は聞こえた。意味が理解できない。

 好き? カイが、イリーネを?


「えっと……どういう意味?」

「言った通りの意味だが」

「俺は、人間が好きだよ。見ているのも、一緒に話すのも。うん」

「そうではない、恋愛感情について聞いているんだ」

「な、なんでそんなこと……」


 柄にもなく動揺したカイに、アスールはにやにやと笑っている。

 なんだ。どこからそういう話になったんだ。というかなんでいまそんなことを。


「どうなんだ?」

「……俺は化身族で、イリーネは人間だ。っていうか、その前にイリーネは神国のお姫様なんだ。恋愛感情なんて……」

「ほう、種族や身分など気にしないと思っていたのだがね」

「気にせざるを得ないでしょ」


 カイは既に五十年を生きているが、何事もなければあと百年近く生きることができる。イリーネはそうではない。どうしたって、イリーネがカイより長く生きることはできないのだ。彼女を見送るなど、カイはしたくない。

 それに、周りがカイとイリーネの恋愛を許すわけがない。神国の女神教は異種族恋愛を認めない。それを振り切ってでも恋をしたいとは、カイはまったく思わなかった。


 ――まあ、完全にイリーネに対して恋愛感情を持っていると認めてしまっているのだが。


「俺は、いま見守ることができればそれでいい。それ以上はいらない。一緒にいることで、イリーネを困らせたくないからね」

「つまり、事が落ちついたら姿を消すと? また、昔と同じようにするのか?」

「……」


 何が言いたいのだろう、この男は。カイがイリーネに恋愛感情を持っていたら、アスールが一番困るはずだ。

 だって、アスールは――。



「そうしないと困るのは、婚約者(・・・)のアスールでしょ」



 ……そうだ。アスールとイリーネはずっと昔から婚約状態だった。十五年前にアスールがリーゼロッテに留学したのは、その前段階のようなものだったと聞いている。

 今でこそ神姫という崇拝の対象だが、任期が終了すればイリーネは元通りの王女に戻る。それを待って、イリーネはサレイユに嫁ぐはずだったのだ。同盟を強めるための政略結婚は、昔から多く行われていた。イリーネとアスールのそれも政略的なものだが、ふたりは幼いころから親しかったし、辛い結婚にはならなかっただろう。


「――そうだな。以前までだったら、困ったかもしれない」

「以前まで……?」

「イリーネが記憶を失うまでは、だ」


 記憶を失わなかったら、何の問題もなかっただろう。というかこんな面倒臭く大陸中を歩き回ったりはしなかった。最初からサレイユを頼るなり、メイナードを討つなり――取れる手段はいくらでもあった。


「記憶を失ったイリーネが一番頼りにしているのはお前だよ、カイ。私でもチェリンでもなく、お前だ」

「まあ、最初に出会ったしね……」

「イリーネがお前に好意を抱いているのは明白。そんな状況で、私が婚約者だなどと伝えたくはない。責任感の強い彼女は、無理をするに決まっている。……だから、記憶がこのまま戻らないなら、永遠に伝えぬ」

「……でも、記憶が戻ったらどうか分からないよ?」


 カイの知らない十五年間に何があったかは分からない。けれども婚約しているならそれなりに意識することも多かっただろう。それを思い出せば、イリーネだってアスールに心を寄せるはずだ。

 しかしアスールは首を振る。


「カイ、イリーネが昔の記憶を取り戻したら、お前たちと旅をした記憶は消えるのだろうか?」

「そんなことはないだろうけど……」

「なら、変わらないさ。それだけ特別なんだよ、イリーネにとって。お前と話す時の彼女の嬉しそうな顔を、残念ながら私は他に見たことがないのだ」

「……結局何が言いたいの?」


 結論を急ぐと、アスールは真っ直ぐにカイを見据える。先程までと立場が逆転していた。


「消えるな、と言っているんだ。種族も身分も関係ない、イリーネの傍にいてやってくれ。情けないのだが、私では彼女を支えられないのだよ」


 ああ、そういうこと――十五年前の再来を防ぎたいということか。


 けれど、支えられないとはどういうことだ。未来の旦那なら、その程度努力しろと言いたいのだが。

 そう思ってから、ふと脳裏にある考えが浮かんだ。怪訝にアスールに視線を送る。


 ジョルジュの真似をしていたと本人に告げた時、あの騎士は大笑いしていなかったか。生真面目で、恋愛もろくにしたことがないアスールが――と。


「……あんたは、イリーネにそういう気持ちがないんだね」


 鎌をかけるつもりでそう言ってみると、アスールは苦笑を浮かべた。


「ひどい男だろう?」

「……うわー」

「イリーネは、親友の妹だ。私にとっても、妹だよ」

「ひっどい。最低。詐欺師だ。そんなので結婚しようとしてたのか。男としてどうなの。俺の遠慮返して」

「ああ、お返しする。だからイリーネを頼むよ。この先何かあったら、彼女を攫ってやってくれ。そして必ず守り抜け。それはお前の役目だ」


 真剣な言葉。本気なのだろう。本気で、カイにイリーネを盗めと言っているのだ。そうなればカイは今以上のお尋ね者になるし、その追っ手はサレイユやリーゼロッテがかけると分かっていながら、苦難の道に放り込もうとしている。

 ひどい奴だ。


「……当然」


 そんなことになったら、命を懸けてでも。


 そう答えると、アスールはほっとしたように頷いた。その表情は、妹の行く末を案じる兄の顔。

 もしかしたら――イリーネにとってアスールも、二人目の兄という感じだったのだろうか。それはそれでうまくやれたかもしれないが、夫婦となると難しいのだろうか。


 まあ、そんなことはいまどうでもいいのだ。

 これから待ち受ける脅威――メイナードやその配下たちを敵に回して、戦いにならないことなどあり得ないだろう。まずはそれらの戦いを乗り越え、カーシェルを救い出す。勿論、イリーネには怪我ひとつさせない。

 いま誓うまでもない。オスヴィンで契約したときから――いや、十五年前に出逢った小さなお姫様に、もう誓っていたことだ。

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