◇王子ふたり(2)
「では、陛下や廷臣たちを説得できそうか?」
アスールは期待のこもった声で、僅かに身を乗り出す。個人的にダグラスとジョルジュが味方してくれるのは有難いが、やはり望みはサレイユという国家がバックアップについてくれること。そうすればサレイユとイーヴァンが連携して、リーゼロッテに対抗できるかもしれない。そうするためには、国王や取り巻きの臣下たちを納得させる必要があるのだ。
が、あっさりとダグラスは手を振った。
「それはまた別の話だよ。イリーネ姫を匿い、カーシェルを救い出すこと――それは同盟国リーゼロッテを疑い、裏切る行為。陛下や廷臣はそうあっさり決断できないだろう」
「……確かにな」
「けれど、決断せざるを得ない状況かもしれない」
ダグラスはそう言って一同を見渡す。
「つい先日のことだが、リーゼロッテから各国に向けて声明が出された。『神姫が何者かに拉致された、探し出せ』とね」
「拉致……? 病気療養中じゃなかったの?」
「それ以前に、イリーネをオスヴィンに放棄したのはリーゼロッテじゃないか。勝手なことばかり」
チェリンが驚いたように口を挟み、カイは極めて不機嫌そうに悪態をつく。イリーネの首脳会議欠席は、確かに病気療養が理由だったはずだ。神国は正式にイリーネの消息不明を認めたというのか。
「そう、ここにきて発表を変えたんだ。……で、イリーネ姫はいまサレイユにいる。そんな状況でこの国が取れる道はふたつ。イリーネ姫を匿うか、神国に差し出すか、だ」
「姫様がここにいらっしゃる時点で、サレイユに拉致の嫌疑がかかりますね。差し出したところで……」
ジョルジュの言葉に、にやりとダグラスは笑う。
「何をしようと神国からの報復があるに違いない。――だったら、黙っているしかないじゃないか」
「……」
場違いだが、このダグラスの言葉を聞いて「さすがアスールの兄」と思ってしまった。リーゼロッテの発表を逆手にとって、自国を動かそうというのだから、したたかな王子だ。
「内心では、国の皆も分かっているんだ。いまのリーゼロッテがおかしいということに……このまま神国に従っても良いものかという不安の声も出始めている。今なら頑固な廷臣たちも、こちらの話に耳を傾けるはずだよ」
喋りながら何か算段を考えている様子のダグラスは、妙に瞳も輝いて楽しげだった。このヒトはどんなふうに、反論する者たちを説き伏せるのだろう。
「サレイユは昔から、その時の世相を鑑みながら常に強いもの、正しいと信じるものへと味方してきた。それを思い出させてやろうじゃないか。僕の腕の見せ所だな」
「……解決しなくちゃいけない問題は、それだけじゃないんじゃない?」
おもむろにカイが口を出すと、ダグラスはぱっと楽しそうな表情を捨てた。
「文官と武官の対立を、どうにか収めないといけないね。これまでは表立っていなかったはずのそれが、今回市民を巻き込んだ暴動という最悪の形で発生してしまった。今後、地方で同じようなことが起こる可能性は十分あり得る」
一度火がついてしまえば、その火はあっという間に拡がっていく。クレールの街での暴動は、他の街へどのような影響をもたらすのか。絶対に良い影響ではない。下手をすれば、サレイユ国内で内紛まで発展する恐れがある。
「……けれどまあ、この問題には手っ取り早い解決法があるんだ」
「そうなの?」
「僕とアスール、どちらかが正式な王位継承者として指名されればいいのさ」
すっかり冷めきったコーヒーを口に運んだアスールの手元が僅かにぶれる。気を利かせた店主が熱いコーヒーを淹れに来てくれて、その間テーブルは沈黙に包まれた。店主が去っていったと同時に、再びダグラスが口を開く。
「文官と武官が対立するというのは、どこの国でもいつの時代でも起こりがちなことだ。でも、ここまで対立が深まったそもそものきっかけは、ミュラトール家とローディオン家の関係にある」
「……先程も言ったが、両家は元々ひとつの家。現当主である我々の祖父は、実の兄弟だ。何故分裂したかといえば、これがまたたいそう仲の悪い兄弟でな」
アスールは呆れたように笑っている。ダグラスも似たような表情だ。笑えるくらいの険悪さなのか。
「両家は常に点取り合戦をしていた。娘を王宮に入れたのはローディオン家が先。王子を産んだのはミュラトール家が先。しかし宮廷の思惑で、王子としての序列はローディオン家が上。……で、次に競っているのは『どちらが国王になるか』ということだ」
「ミュラトール家の当主は文官筆頭、国務大臣。ローディオン家の当主は武官筆頭、軍務大臣かつサレイユ王国軍顧問。要するに両派閥のトップだ。臣下たちは、この王位継承権争いに引きずられているに過ぎないんだよ。勿論、それなりの野望を持つ地方監察官とかはいるけどね」
派閥のトップ同士が争っているから、その部下たちも争わざるを得ない。縦社会の悲しいところかもしれない。サレイユでは身分や役職が細かく、そして厳格に決められているから、なおさら複雑化しているのだろう。
「国王様は、どうして立太子できなかったんですか?」
イリーネが控えめに問いかける。もっと早い段階で後継者を定めていれば、きっとこんなことにはならなかったはずなのに。
ダグラスはテーブルの上で指を組み、視線を空中に彷徨わせた。
「……優しすぎたんだな、多分。対立している家柄同士の子だ、順番をつけてしまえば一方が虐げられかねない。ミュラトールもローディオンもサレイユでは有力な貴族だし、その圧力もあったはずだ。……何より、成長するにつれて僕とアスールは、まったく正反対の才能を極端に開花させた。優柔不断になっているうちに、手遅れになってしまったんだよ」
国を動かす才能。軍を動かす才能。どちらも国王として必要な才能だ。ダグラスとアスールは、その一方だけに特化した才能の持ち主だ。どちらがより国王に相応しいのか、サレイユ王は見極めかねていたに違いない。それはそうだ、どちらも必要なのだから。
穏健で知られるサレイユ王のことだ。もしかしたらあえて決めずに、両者を協力させるという道を取らせたかったのかもしれない。二人が歩み寄ることによって文官と武官の対立をなくそうと――事実、ダグラスとアスールは協力してこれまでやってきたのだから。
けれど、もう手遅れなのだ。このまま王位継承権をどちらかに認めなければ、対立は激化する。かといってこの状況でどちらかを王太子にしてしまえば、もう一方からの反撃が始まる。均衡を保つべき二つの派閥のバランスが崩れれば、国家は崩壊の危機を迎えるだろう。
「だから、ミュラトールとローディオンが少しでも歩み寄れば、対立も少しは収まる。僕たちは陛下や廷臣たちの前に、実家を説得しなければいけない」
「でも、難しいんじゃ……」
「そう、そこで価値が出てくるのがイリーネ姫の存在だよ」
「私が?」
イリーネはきょとんとして目を丸くする。ダグラスは頷いた。
「国の大事の前に、個人の対立など些細なこと。共通の心配事があれば、手を結ばざるを得なくなるのさ。皮肉なことだけどね」
イリーネの存在を秘匿しなければ、サレイユは滅ぼされかねない。ミュラトールもローディオンも、自国の危機を放っておけるわけがない。不本意でも協力しあっていかなければならないのだ。政治のトップと軍のトップが協力すれば、できないことなどないに等しい。
いがみ合っているふたつの家が協力すれば、臣下たちもそれに従う。縦社会の所以だ。そうすれば派閥争いも、イリーネの問題も一気に解決できる。
ついでに、忌避していた王位継承権問題もしばらく遠ざけられる。ダグラスとアスールにとっては一石何鳥だろう。
「――まあ、そういうわけだ! 少し時間はかかるかもしれないけど、ここからは僕とアスールの問題だ。任せてくれ」
一転して明るい口調でダグラスはそう告げた。政治の話などイリーネにはできない。最初から任せるしかないのだ。「お願いします」とイリーネは深々頭を下げる。
「みなの身柄はアスールが預かる。状況が状況だけにあまり遠出はさせてあげられないかもしれないが、できるだけの便宜は図るから。化身族の方々も、安心してほしい」
カイとチェリンも頷く。ダグラスは微笑み、立ち上がった。
「それじゃあ、善は急げだな。三名様、グレイドル宮殿にご招待だ」
「……え?」
隠されなければならないイリーネたちを宮殿に招待していいのか。あそこには、大勢の政敵がいるのだろうに。
そんなことを尋ねる暇もなく、コートと杖を抱えてダグラスは店を出ていく。慌ててイリーネたちも追いかけると、既にダグラスは店の外に出ていた。イリーネがコーヒーの代金を払おうとしたところ、横合いからジョルジュが制止をかけてくる。結局お金はジョルジュが払ってくれた。
「うーん、良い天気だ。ちょっとこれじゃ暑いな」
コートを着こんだダグラスが、呑気にそんなことを言いながら空を見上げる。やはり杖はついておらず、手で持っているだけだ。
「さっきから思ってたんだけど、その杖は何? 貴族のオプション?」
カイがずばりと尋ねると、ダグラスはこちらを振り返った。
「ああ、儀礼のための杖だ」
「そんなもの持ち歩くなんて、貴族って大変――」
「でもないのさ、これが」
杖の半ばほどを両手でつかんだダグラスは、それぞれ逆の方向へ引っ張った。すると杖の真ん中が開き、中から銀色の鈍い光が現れる。
「! ……仕込み杖」
チェリンが息をのむ。ちらりとそれを見せただけでダグラスは杖を元に戻してしまう。切れ目などまったく見えないよう丁寧に施されている杖だ。中に刃が仕込まれていると分かっても、傍目にはそう見えない。
「なかなか厄介な世の中だからね。自衛手段くらい持っておかないと」
「……おっかないヒトだ……」
カイの呟きに、イリーネとチェリンは全く同意で頷いたのだった。
★☆
間近で見るグレイドル宮殿はとにかく巨大で、絢爛豪華の一言に尽きた。手入れの行き届いた庭、磨き抜かれた床、高い天井、美麗な装飾の家具――女の子なら一度は憧れる、夢の世界だ。
ダグラスとジョルジュは正門から堂々と帰ったが、アスールは彼らとは別の入り口へ回った。当然の措置だろうし、正門の方に人々の注目を向けさせたのだ。第二王子がただひとりの騎士を供にしただけで出かけたのだから、騒ぎになって当然だ。
ふたりを囮にして、イリーネたちは宮殿の裏手にある門から中に入った。
「ここは宮殿の西側に当たる別棟で、ローディオン家にあてがわれている場所だ。ここを使っているのは私と母、そしてジョルジュや信頼のおけるローディオン家の家臣たちだけ。話は私のほうから通しておくから、この棟や庭は好きに歩いてくれて構わないよ」
「それ以外の場所は?」
「それ以外は……」
カイの問いにアスールが口ごもった。イリーネが見かねて口を出す。
「これだけ広いんですもの、他のところを見る余裕なんてないですよ。迷子にならずに済むか心配です」
「そうよねぇ、どこもかしこも似たような景色だし。壁も床も白一色で眩しいわね」
白で統一された内装が目につくらしい、チェリンは本当に眩しそうに目を細めている。アスールはほっとしたように息を吐き、頷いた。
「実用性より統一性が命のようだからな。大丈夫、構造や部屋の並びなどすぐ覚えられる」
案内されたのは西棟の三階にある部屋だった。客室のようで、大きい天蓋付きのベッドにソファ、テーブル、本がぎっしり詰まった書架などが設置されていた。ひとりで使うには広すぎる部屋だ。
「ここと隣の部屋ふたつ、三人で自由に使ってくれ。私の部屋はこの真上だから、何かあれば遠慮なく訪ねてほしい」
「ありがとうございます、アスール。わあ、豪華なお部屋」
イリーネは無邪気に喜んでいたが、アスールは複雑な面持ちだ。
「……すまぬ。移動や生活を制限するなど、これでは軟禁そのものだ……そんな風にしかできぬ自分が、情けない」
カイとチェリンが、後ろで顔を見合わせている。この二人に限って、和ますためにからかいの言葉を投げかけるのも憚るほど、アスールの声は沈痛だったのだ。
イリーネはアスールの前まで歩み寄り、俯き加減のアスールを見上げた。
「本当に大変なのはアスールたちでしょう? 今の状況で無闇に出歩いたらまずいっていうのは、私もちゃんと分かっています。だから大丈夫です」
「イリーネ……」
「むしろ、私がいることで皆さんに迷惑がかかるんじゃないかって……」
「そんなことはない! むしろ我々は、イリーネの存在を利用しようとして……!」
「いいじゃないですか」
あっさり告げたイリーネに、今度こそアスールはぽかんとしてしまう。イリーネは微笑んだ。
「サレイユの体制を変えるために、アスールたちは私たちを利用する。私たちも、自分の身の安全のためにアスールたちの権力を利用する。そうやって考えると、気が楽になりません?」
「見返りを求めない善意って、ちょっと胡散臭いもんね。それが良いときもあるけど」
カイも同意を示してくれる。チェリンもまた頷いた。唖然としていたアスールはふっと笑い、困ったようにゆっくり頭を振った。
「君たちは本当に……感謝するよ」
「はい。私も感謝しています」
アスールが誰のためを思って安全な場所へ案内してくれたのか、分からないはずがない。その厚意を無にはしない。何か打開策が生まれるのなら、いくらでも協力する。不自由だと怒るなど、もってのほかだ。
「これから私とダグラスで、どうにかみなを説得させてみるよ。時間はかかるかもしれないし、こうして会うこともしばらくできないだろう。だが、必ずやり遂げる。必ずだ」
決意に満ちた言葉と表情に、イリーネも頷く。必ずと言ったら、本当に必ずやり遂げてくれるのがアスールだ。それはこの旅を通して分かっていたし、その前からイリーネは知っていた。あとはこの青の貴公子兄弟に、すべて委ねよう。




