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氷撃のカイ・フィリード  作者: 狼花
1章 【北の果て フローレンツ】
9/202

◇最果ての地で出会いしは(8)

 カイの祈りが通じたのか、夕方になって見つけた休憩所には誰もおらず、夜になっても人が現れることはなかった。ヘベティカとエフラの間の人や物資の往来は少ないそうなので、昼間のように鉢合わせる方が稀なのだそうだ。


 悠々と休憩所の小屋を使って食事をとり、睡眠をとる。携帯食料はもっぱらクラッカーなどで、本当に『何か食べる』という一点だけに焦点を当てたようなものだ。お菓子として食べるものではないので、美味しくはないが文句は言えない。

 けれどカイは何か袋詰めされた携帯食料を持っていた。温めると、それは具材もしっかり入ったスープだった。


 もっぱらの移動手段が徒歩であるこの大陸では、街道の随所に休憩所の設置が義務付けられている。ここには鍋などの調理器具や、水汲み井戸が完備されている。誰でもそれらを使うことができるのである。カイがヘベティカの街で調理器具を購入せず、マグカップをふたつだけ買ったのにはきちんとした意味があったのだ。


 荒野のど真ん中で温かいスープを飲めるのは、イリーネにとって至福だった。それと一緒にクラッカーを飲みこめば、そんなに悪い食事でもないように思えてくる。


 眠るときはマントを身体に巻き付けた。調理器具の入った棚がある以外に家具のない家屋だけれど、横になるのを躊躇わないくらいには清潔感があった。カイは入り口脇の壁に背を預けて座り、イリーネは奥まったところで眠る。

 結局その日もカイはあまり寝なかったのか、朝も早い時間に起きだしていた。いつか寝不足や疲労で倒れないだろうか、この人は。


 朝食も昨夜と同じものだ。カイにばかり任せられないので、せめて外で薪に火をつけることくらいしようと思ったのだが、火打石で火をつけることができなかった。カイは一度石と金属の板を打ち合わせるだけで簡単に火をつけているというのに。

 結局イリーネがしたのは、使い終えた鍋やマグカップを洗っただけだ。いつか火打石で火をつけてやる、と内心で意気込んでいる。



 今日も外は気持ちのいい晴天だ。マントを羽織って出かけようとしたとき、カイがふと声をかけてきた。


「イリーネ」

「はい?」

「ここは馬車の中継地点になってる。そろそろ朝一の便が来るだろうから、それに乗ろう」


 昨日は『節約だ』なんて言っていたカイが、そんなことを言ってきた。気遣ってくれたようだ。決してそんなつもりで言ったわけではなかったのだが、カイの中でそれは決定事項になっていたようなのでイリーネは黙ってうなずいた。


 カイの言った通り、しばらく休憩所の外で待っているとヘベティカ方面から馬車がやってきた。休憩所で馬車は止まり、車内から客が数名降りてくる。

 カイは御者の下へ近づき、乗せてくれるように頼んだ。御者は特に怪しむこともなく了解してくれて、ふたり合わせて六十ギルの運賃を払って馬車に乗ることができた。馬車内にはベンチが向き合う形で設置されており、十五、六人くらいは乗ることができるスペースがあった。幸いなことに利用客は少ないらしく、ふたりが乗っても余裕がある。


 隣に座っていたのは品の良さそうな老夫婦で、イリーネは彼らと他愛無い世間話をして、カイは始終視線を車窓の外へ送っていた。広がっているのは変わり映えのない荒野であるが、馬車がかなりの速度で走っていることは一目で分かる。その割に揺れや振動がないので、よほど整備された道で良い馬車なのだろう。



 最初こそ何ともなかったが、異常が起こったのは馬車が動き出して二十分ほどしたころだ。


(……なんだろう、頭痛い……)


 突如として襲ってきたのは、言いようのない不快感だった。後頭部がずきずきと痛み、自然と身体も前屈みになっていく。向かい側の席で、窓の縁に頬杖をついて外を眺めていたカイがそれにすぐ気付いた。


「もしかして、酔った?」

「い、いえ……」


 カイの声で自分が身体を折っていたことを自覚し、イリーネが顔をあげる。するとカイは立ち上がり、イリーネのすぐ傍に膝をついた。


「……顔色が悪いよ。どうした?」

「急に、息苦しくなって……頭も痛くって、それで……っう!?」


 一際強烈な痛みが頭を貫いた。耳元でイリーネを呼ぶカイの声と、心配する老夫婦の声がしたが、それらは一瞬で意識からはじき出された。



 ――あの日も(・・・・)こうやって(・・・・・)馬車に揺られて(・・・・・・・)――。



「イリーネ」


 超至近距離から、カイの声がする。


 耳元で一番強く聞こえるのは、規則正しい拍動。心臓の、鼓動の音だ。

 その音でイリーネは現実に引き戻された。


 我に返る。カイはイリーネを自分の胸元に強く引き寄せていた。まるで暴れ出したのを抑えるかのように。そうやって抱き寄せられていたからこそ、カイの心臓の音が聞こえたのだ。焦っている様子が微塵も感じられない、ゆっくりと頼もしい心臓の音だった。


 呼吸が荒い。全力疾走したあとのようだ。激しい動悸と、尋常でない冷や汗。自分の身に何が起こっているのだろう。


 カイはぽんぽんと二回イリーネの背中を軽く叩いた。いつの間に椅子から下りてしまったのか床にへたり込んでいるイリーネを座席に座らせ、すぐ横にある御者席の窓を叩く。顔を出した御者に、カイは告げた。


「ごめん、ちょっと止まってほしい。連れの具合が悪いんだ」


 ようやく周囲を見る余裕の出てきたイリーネは、そこで初めて馬車内のすべての視線が自分に向いていることに気付いたのだった。



 街道のど真ん中で、イリーネはカイに支えてもらって外に出た。心配そうな御者が声をかける。


「お嬢ちゃん、大丈夫かい?」

「は、はい……すいません、迷惑かけて」


 いくらか気分も良くなって、イリーネは無理矢理微笑んで見せた。窓からはあの老夫婦もこちらを見ている。カイは御者を見上げた。


「俺たちはやっぱり歩いてエフラまで行くよ」

「そうかい? あ、運賃返すよ、兄さん」

「いい、詫びでとっておいて」


 馬車が再び駆け出して街道の向こうへ見えなくなっていくのを、イリーネは黙って見送っていた。それから急激にイリーネの気分はどん底に突き落とされた。せっかくカイが気を遣ってくれたのに、三十分もせずに降りてしまった。これでは乗っても乗らなくても同じである。


「か、カイ……ごめんなさい」


 きゅっとマントの裾を掴んで呟くと、カイは首を振った。


「……そんなことより、気分は平気?」

「もうだいぶ楽になりました」

「なら良いよ。世の中には密閉された空間が嫌いな人もいるし、やっぱり歩くのが一番だ」


 ずっと肩を支えてくれていたカイは、そう言って何事もなかったかのように歩き出す。イリーネが気にしないように――だろうか。

 イリーネもそのあとを追って歩きながら、視線を地面に落とした。


 さっきの気分の悪さは、乗り物酔いしたとか閉所恐怖症とか、そういうものではないと思う。確かに何かの映像が脳裏をよぎったのだ。

 もしかしてあれは記憶だろうか。

 以前、馬車に乗ってどこかへ行ったということか――?


「下向いて歩いていると、危ないよ」

「え……って、わっ」


 顔を上げた瞬間、イリーネの顔面が何かにぶつかった。そこまで痛くはなかったのだが鼻をさすって後ずさると、それはカイの背中だった。

 ……わざと立ち止まったのか。


「ほら、どーんってね」

「か、カイ!」

「夜までにつけるといいね、エフラに」

「そ、そうですね……」


 奇妙な言動だけれど、それがカイなりの励ましだということをイリーネは理解していた。不器用なカイに苦笑しつつ、イリーネも歩き出した。

 胸の中にあった不快感は、なくなっていた。





★☆





 夕方近くになって、荒野の景色に変化があった。巨大な川に差し掛かったのである。


 フローレンツの南には、南北にそびえるトラバスという山がある。そこから流れ出ているのが、この国最大の水源であるシャルム川だ。そのシャルム川の支流が、下流でエフラの街を囲むように流れている。必然的に周辺には橋が多く、エフラは別名『橋の街』とも呼ばれていた。いくつかの地区を橋で行き来し、豊富な水を得ることができる。シャルム川の水は王都ペルシエの水源にもなっていた。しかも水質がいいことから、酒の名産地にもなっている。


 五十メートルはあるのではないかという、長い石橋を渡る。欄干から水面を見下ろしてみると、夕焼けが反射して非常に美しい。イリーネは瞳を輝かせてそれを見つめ、小走りに橋を渡っていくカイを追いかける。


 橋を渡りきると、また次の橋を渡る。そうしてふたりは、橋の街エフラに到着した。


 今でこそシャルム川は穏やかな川だが、昔はかなり氾濫することがあったらしい。そのためエフラには高い堤防が積まれ、一種の城壁のようになっている。


 王都ペルシエ直前の街ということで、エフラはヘベティカと比べものにならないほど人の往来が多かった。街の様子に目を奪われるイリーネは、気を緩めるとカイとはぐれてしまいそうなほどである。カイが「ヘベティカは賑やかという規模じゃない」と言っていたが、ようやくその意味が分かった。

 大規模展開される商店街。川だけでなく海も近いために、水産物が多い印象がある。

 ここには旅客も多いようだから、旅装のカイとイリーネが市街を歩いていても不審の目を向けられることはなかった。


「ここには宿もいくつかあるだろうし、とりあえず泊まるところ決めようか」


 カイの言葉に頷いたイリーネは、広場の端っこに街の案内地図が設置されていることに気付いた。現在地はエフラ北門前広場。ここから西にある橋を渡った先の地区に、いくつか宿と食事処が密集しているようだ。


 大通りを歩きながらも、すぐ横を馬車が通過していく。街中でも馬車が運行しているとは、かなりの規模の街のようだ。


「うーん、焼き魚の匂いがする。お腹空いた」


 ぼんやりとカイはそう呟く。確かに香ばしく焼けた魚の匂いがどこからか漂ってくる。魚の身はカイも好きらしい。今日の夕ご飯は魚だろうか。


「……あ、イリーネ止まって」

「え?」


 くいっと腕を掴まれてイリーネは足を止める。カイの視線の先、大通り沿いに建つ一軒の家屋。他の住宅と比べると一際目立った建築物で、木造が多い街の中で鉄筋を使った重厚な造りになっている。

 その建物の玄関の前に、数人の男たちがいる。猟銃を肩に担いだ、物々しい集団だ。イリーネもそれを見て気付く。


「ハンター……ですよね」

「あの建物はハンターの集まる『狩人(かりゅうど)協会』の支部なんだよ」


 狩人協会。化身族を狩るハンターという名前そのままだ。


 カイは悠々と建物の傍を通り抜けていく。イリーネもなるべく挙動不審にならないように、前だけを見すえた。幸いにも見とがめられることはなく協会を通過できた。


「支部ってことは、本部もあるんですよね?」

「ああ、協会の運営はステルファット連邦だから、そこにあるよ」

「ステルファット連邦?」

「大陸の西にある島々のことだよ。小さな国ではあるけど、ステルファットが大陸諸国に対する権力は相当なものだ。ハンターは全員連邦の協会所属で、各支部に散らばっている」

「ということは、狩った化身族の契約具はステルファット連邦の持ち物になるってこと……ですか?」


 なかなか鋭いね、なんて言いながらもカイは首を振った。


「ステルファットは、化身族を狩ることを『推進』して『支援』しているに過ぎない。フローレンツ支部所属のハンターが狩った化身族なら、その契約具はフローレンツの預かりとなる」


 つまり、狩っただけ強大な戦力が自国のものとなる――。

 競争なのだろう。イリーネは漠然とながらそう感じた。どこの国の誰が真っ先に獣を手に入れるかという、熾烈な戦いだ。


 けれどもなぜ、ステルファット連邦という国は化身族の捕獲を推進するのか――そこになんの目的があるのだろう。


 宿が密集する地区は、中央に円形の広場を持ち、その広場をぐるっと取り囲むように一面が宿だった。激戦区らしい。カイは「なんとなく目に入った」という真正面の宿に入り、さっさと宿泊手続きを済ませてしまった。彼の本能というか目利きはかなり正確だった。ヘラーのいた『宿り木』のようにアットホームな雰囲気はないが、落ち着いた内装や丁寧な受付がイリーネには好印象だ。


 荷物を部屋に置いてすぐ、二人は再び夕闇の市街へ出た。宿には食堂がなく、食事は各自自炊するなり外食するなりというシステムだった。おかげで破格の宿泊料だったわけである。

 もちろん自炊したほうが安く上がるのだが、せっかくだからとカイは外食を選んだ。イリーネはそのあとを追いかけながら、ずっと気になっていたことを聞く。


「あの……気前よくお金使ってますが、大丈夫なんですか……?」

「まあ、使えばそのうちなくなるよね」

「……ええっと、それは結構まずいってことですよね」

「大丈夫だよ、なんとかなるから。王都に着くまでの余裕はあるし、何か職を探すにしてもペルシエのほうが何かと都合がいいし」


 考えはあるらしい。少しほっとしてイリーネは頷いた。


 あちこちにある食事処を回ったが、入ったのは酒場である。フローレンツは北国、どこにいっても酒がついてまわる。少々柄の悪そうなハンターたちも店内にはいたが、どこにいってもハンターだらけの世の中、彼らを避けては通れない。


 店内にはカウンター席とテーブル席があり、カイとイリーネは壁際の丸テーブルの席についた。すぐにウェイターがメニューと水の入ったグラスを持って来てくれる。


「んー……何が良いかなぁ……あ、サラダパスタある」

「サラダパスタどれだけ好きなんですか。お肉系も食べないと栄養が偏ります」

「お肉食べなくても生きていけるんだけどなぁ。じゃあこれ、白身魚のフライ」


 急にがっつりなメニューを選んだカイに呆気にとられつつ、イリーネも同じ白身魚を使ったクリーム煮を注文した。同時にこれまたウォッカを勧められたカイだったが、即座に却下していた。


「お酒苦手なんですか?」


 尋ねてみると、カイは首を振った。


「そんなこともないけど、飲むと多少は頭が回らなくなるからね。安全な場所でないと飲まないよ」


 安全な場所なんて。そう言おうとしたイリーネは口を開きかけて閉じる。ハンターに狙われるカイにとって、人間の住む街など敵地の真っ只中だ。確かに、安全な場所など街の中には存在しないのかもしれない。


 待っている間に、酒場は混雑してきた。先程までは食器のぶつかる音が聞こえていたはずなのに、今では喧騒で聞こえなくなっている。カウンター席を陣取ったハンターたちが、酒を飲んで騒いでいるようだ。カイはちらりともそちらを見ずに冷や水を飲み、イリーネも視線を逸らす。


「落ち着いて食事もできないね。ごめん」


 カイが急にそんなことを言うので、イリーネは慌てて首を振った。そんなことはない――そう告げようとしたその時、視界の端でカウンターに座っていたひとりのハンターが立ち上がったのが見えた。

 こちらへやってくる。イリーネは言葉を失ったが、カウンターに背を向けているカイは悠々としたものだ。


 そしてその男は――肩に担いでいた猟銃を、カイに突きつけたのだ。


「な、なにするんですっ」


 イリーネが抗議の声をあげても、カイもハンターも何も言わない。酒場の中が一気にどよめいた。

 銃口は真っ直ぐ、カイのこめかみを狙っている。


「貴様……特級(とっきゅう)クラスのケモノだな?」


 屈強なその男は、脅すような声でそうカイに確認する。ケモノ(・・・)という単語には、強い蔑みと悪意を感じた。カイは水のグラスを軽く揺らし、氷がぶつかる音を楽しんでいるようにすら見える。この状況でその余裕は信じられない。対面席に座るイリーネが真っ青な顔をしているというのに。


 とん、と軽く音を立ててグラスをテーブルに置いたカイは、男の方は一切見ずに口を開く。


「食事中なんだ。あとでいいかな」

「分かった、とでも言うと思うか。貴様を狩れば、俺たちぁ一生食べるのに困らねぇんだよ。だったら食事前に手に入れたいじゃないか」


 舌なめずりをするかのようなそのハンターの表情に、イリーネは嫌悪感すら覚える。


 カイはおもむろに銃身を掴んだ。片手で軽く掴んでいるようにしか見えなかったが、ハンターの男が銃を引き抜こうにもできないほど、カイの握力というのは強いらしい。


 相変わらず胡乱気な眼差しのカイであるが――その紫色の瞳の奥にくすぶった炎がちらついている。


「お、お客様」


 小さい声ながらもきっぱりと割り込んできたのは、この店のウェイターだった。彼は出入り口をの方を示す。


「デュエルでしたら、どうか店の外でお願いします。店内では他のお客様の迷惑になりますので……」


 デュエル。

 それは――決闘。


「行こうか」

「え、あ、あのっ……」


 カイはすっと立ち上がり、イリーネの手を取って店の外へ歩いていく。なすがままにイリーネも外へ出る。振り返ると、カウンターを陣取っていた大勢のハンターたちもぞろぞろとついてくるではないか。


 嫌な予感がした。

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