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氷撃のカイ・フィリード  作者: 狼花
4章 【水と夜光の絢爛 サレイユ】
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◇見せかけの安寧(3)

 アスールの説明通り、ミーリャの街に着いたのはその日の夜であった。夜の旅は、元々イリーネはあまり好みではない。暗いのは苦手だし、ランプを持っての移動は大変だ。だからこれまで、夜間の無理な移動はせず、日が暮れる前に野営地を定めて休んでいた。

 ところが、サレイユの夜間の移動は極めて楽だった。街道沿いの家屋から洩れる灯りと街灯の明るさのおかげで、携帯ランプいらずの視界が確保されていたのだ。しかもミーリャの街は昼間かと思うほど光に溢れており、夜でも出歩いている人々が多かった。


「うわあ、眩しい」


 カイが目をすぼめ、掌でひさしを作る。チェリンも似たようなものだ。カイは夜目が利くのだ。闇の中で煌々と明かりを灯されると目が痛むのだろう。


「ほ、本当にサレイユってすごい……」


 イリーネも呆然として、人通りの多い市街地を眺める。アスールが苦笑した。


「夜でも明るいのはサレイユの特徴だが、さすがにここまでの規模なのは王都と、観光地であるラーリア湖周辺の都市のみだ。他の都市は他国とそう変わらないよ」

「もしかして、ここが『街全体が娯楽施設』っていう場所ですか?」


 はっと思い出してイリーネが問うと、アスールは頷く。夜にヒトの表情が良く見えるなど、未知の体験だ。


「そうだよ。見ていてごらん、もうすぐ……」


 気付けば歩きながら、湖畔まで出てきていた。湖に面する大通り沿いには多くの宿があり、この展望が観光客に人気なのだそうだ。

 夜の湖は黒々として寂しい。そう思って眺めていると、アスールが湖を指差した。つられてそちらを見て、何もないではないかと顔をあげかけたとき――ぱっと、目の前が青く光った。

 驚いて目を見開く。イリーネが見たのは、湖に映った青い光である。慌てて顔をあげてみて、自然と表情がほころんだ。


「花火……!」


 青や赤、黄色、白、緑。様々な色の、様々な形の花火が夜空に打ち上がっていたのだ。市街の喧騒から離れて静かな通りで、光源も限られていただけに、夜空にその光は良く映えた。

 次々咲いては散っていく花火に、カイはいちいちびくついている。音が大きすぎるのだろう。もしかしたら花火を見るのは初めてなのかもしれない。――いや、イリーネとて記憶を失ってからは初めてだが、自分は花火を『綺麗』なものと認識できている。こういう記憶は忘れないものだ。


「今日は何かの祭りなの?」


 カイが尋ねると、ふっとアスールは笑う。


「ミーリャでは、毎日が祭りさ。……とはいえ、今晩散策するのはやめておこう。まずは宿を取って食事と休息だな」

「でも、宿取れるんですか? なんかこの通りの建物、どこも高級そうで……」


 年中ひっきりなしに観光客が訪れる娯楽都市ミーリャである。夜のこんな遅い時間になれば、空室はないのではないだろうか。何せ市街地の飲食店は、夕食を摂る人々でどこも満席だったのだ。今まで部屋を取れなかったことなどなかったので、こんな不安は初めてだ。

 しかしアスールは余裕の表情だ。


「まあまあ、私に任せてくれ」


 言いながら帽子を取って、アスールは一軒の宿の扉を開けた。見上げてみれば地上五階建て、豪華な中庭までついた、いかにも高級そうな宿である。アスールが高級志向なのは今に始まったことではないが、大丈夫なのだろうか。

 室内の照明は少し暗めだ。良い雰囲気を醸し出している。奥にあるカウンターには、姿勢の良い白髪の老紳士がひとり控えていた。その紳士はアスールの姿を見て驚いたように目を見張る。アスールのほうは親しげに片手を上げた。


「久しぶりだ」

「アスール様! これはこれは、本当にお久しぶりでございます」


 身分を黒いコートと帽子で隠してきたアスールが、自ら正体を明かした相手。信頼できる相手、気心の知れた相手ということか。

 ぽかんとしている仲間たちを差し置いて、さっさとアスールは話を進めた。


「急なことですまないのだが、部屋を用意できないか?」

「空室がございます。そちらへどうぞ」

「ありがとう」


 事情も聴かず、さっさと鍵を手にして案内を始めた紳士のあとを追う。そうして通されたのは最上階の一室だった。扉を開けてみてイリーネは唖然としてしまう。

 室内にあるベッドは四つ。広い部屋に水回りも完備され、ゆったり座れるソファや、食事を摂れるサイズのテーブルセットまで用意されている。これまで泊まってきたどの部屋より――そう、イーヴァンの王城の賓客室より、よほど豪華だ。


「なんで都合よくこんな部屋が空いているのよ……」


 チェリンが溜息交じりに呟くと、アスールはひらひらと手を振った。


「ここらの宿は貴族や高級官僚たちも利用するのだが、何分にも事前連絡なしに来ることが多いからな。それでいて普通の部屋だと文句を言う。空き室がないなど言語道断。そうならないために、どこの宿も不測の事態に備えて部屋をいくつか空けているものなのだ」

「そんな部屋を私たちが使っていいんですか?」

「イリーネ、忘れているみたいだけど、このヒトってサレイユの王子だよ」


 カイに指摘されて、そういえばそうだった、とイリーネは我に返る。アスールは微笑んで、宿の紳士を振り返る。


「四人分の食事を頼めるか」

「かしこまりました」

「肉嫌いがいるのでな、魚メインでよろしく」

「はい」


 その時すでに、チェリンは窓のカーテンを開けていた。途端、目の前に花火があがる。湖側に窓が開けているから、打ち上がる花火が真正面なのだ。


「めちゃくちゃ眺めいいわねぇ」

「俺たち結局イーヴァンで花火見られなかったし、丁度いいんじゃない?」


 確かに、王都オストでの夏祭りはあの騒ぎで中止となってしまったのだ。カイはテーブルを窓辺に寄せる。花火を見ながらの食事――素敵だ。カイのことだから、「うるさい」とか「目がちかちかする」とか言ってカーテンを閉めてしまうものだと思っていたが、意外に風情ではないか。


 ほどなくして料理が運ばれてきて、テーブルの上は高級レストランのような賑わいになった。アスールが頼んだ通り、メインは魚料理だ。ラーリア湖で釣れた高級魚のムニエルや、魚介がたくさん煮込んであるスープ。この地方特産の野菜を使ったサラダに、口直しのシャーベット。これならカイも心置きなく食べることができる。ついでにサレイユはワインの産地でもあるらしく、これまた高級なワインが提供されたのだ。

 アスールがワイングラスを傾けている姿は似合うのだが、カイの似合わなさといったら。それでも酒は強いのか、無言でちびちび飲んでいる。以前カイは、酒は本当に安心できる場所でしか飲まないと言っていた。あの時はイリーネと二人旅で、色々な意味で危険なフローレンツ国内だったからそうしていたのだろうが、今は違う。アスールもチェリンもいて、たとえカイが気付かなくても彼らが危機に気付いてくれる。この状況こそ、カイが気を抜ける状況なのだ。


「ミーリャはあんたにとって『味方』の街なのね」


 ムニエルを切り分けながらチェリンが言うと、アスールは苦笑を浮かべる。


「サレイユ国内で敵も味方もない、……と言いたいところだが、事実だから仕方がないな。ここは私が幼いころからよく訪れていた街なのだ。その縁だよ」

「小さい時から遊び人だったんだね」


 カイの一言に、アスールは空咳を挟む。


「この街の統括をしている監察官とも親交がある。遠縁ではあるが私の母の一族に連なるヒトだから、私としては信頼がおけるのだ」


 政府から派遣された監察官なのだから、当然相手は文官で、対立している派閥のはずだ。だが文官の中にも、アスールに味方してくれるヒトがいるのだという。そのうちのひとりが、遠い血縁だというミーリャの監察官ということだ。

 これは勿論、第二王子ダグラスにも同じことが言える。武官の中にも、ダグラスについた者もいるだろう。


「……あのさあ、ずっと思ってたんだけど」


 カイがスプーンでスープをすくって、ぽつりと口を開いた。


「アスールが敵対派閥から命を狙われていたのはまあ分かる。でも、あんたの兄さんだか弟だかは無事だったの?」

「あ、それ私も思ってました。アスールは兄弟仲が良いって言ってましたから……アスールへ刺客を差し向けるの、お兄さんはやめさせなかったのかなって」


 生き延びるために、アスールは剣技を磨いたのだと聞いた。文官派がアスールを殺すために雇った化身族を、退けるために。

 だがダグラスは武芸はからきしなはずだ。もしアスールと同じ状況だったら、何度ダグラスは殺されているか知れない。ということはダグラスのほうに刺客は行っていないということだ。


 アスールはワイングラスを置いた。


「勿論ダグラスは、何度もやめるように指示してくれていた。だが、過激な者たちにダグラスの声は聞こえぬよ」

「そうか。あんたたちは派閥の旗印で、口実でしかないってことね」


 チェリンが鋭く指摘して、アスールは首肯する。


「武官派、文官派などと言っているが、実際は貴族の家同士の争いだ。私の母の一族であるローディオン家と、ダグラスの母の一族であるミュラトール家の対立。一族の者が国王になれば、貴族としての地位は不動のものとなるからな。どちらもそれが欲しいのだ」

「じゃあ、指示を出しているのはミュラトール家とやらの当主?」

「分からぬな。そうかもしれないし、功を焦る役人たちの独断かもしれない。まあ、どちらにせよミュラトール家がそれを黙認しているのは間違いない」


 アスールが実態を掴めないほど、サレイユ国内には敵味方が入り乱れているということか。派閥を明らかにしているならともかく、そんなヒトがどれだけいるだろう。お互いの腹を探りながら相手が何者かを確かめるのは、なんとも気疲れしそうだ。


「ローディオン家――当主である私の祖父は、ダグラスを消そうとまではしていない。ダグラスに武芸の心得がないのが分かっているからだ。祖父は武官として確立した地位を持っている――だから武官からの信頼が厚いのだ。ローディオン家としては、その誇りにかけて弱者を襲う真似はご法度なんだろうな」

「あれ、なんか他人事だね」

「誇りは大切だとは思うが、それだけでは食っていけない。拘りすぎるのもどうかと思うだけだ」


 ばっさりとアスールは一族の誇りを切り捨てる。あまりに現実的な言葉に、自然と沈黙が舞い降りる。イリーネはアスールとカイのワインを注ぎ足してやる。水音だけが小さく聞こえた。


 ――その瞬間、ほぼ真横で轟音とともに光が弾けた。急なことで全員驚いて飛び上がる。

 驚くまでもなく、それはラーリア湖畔で打ち上げられている花火だった。先程まで絶え間なく打ち上がっていたのだが、いつの間にか小休止していたらしい。花火ショーの前半が終わって、これから後半といったところか。アスールの話に聞き入って、気付かなかったのだ。


 そこでぱっとアスールは神妙な表情を捨てて微笑んだ。


「――ほらほら、みな手が止まっているぞ。せっかくの料理と眺めなのだ、重苦しい話は後にしようではないか」

「そ、そうですね。お料理冷めちゃいますし」


 イリーネも頷いて、置いていたナイフとフォークを手に取った。重苦しい話題を振った張本人であるカイは、いつの間にか自分の取り分をあらかた完食していた。アスールに話させておいてそれはないだろう。





 食事を終え、各々入浴も済ませたとき、時刻は日付が変わるところだった。花火も終了し、辺りは静かになっている。それでもやはり娯楽都市ミーリャはまだまだ眠らない。灯りも多く、出歩いているヒトも多いようだ。


 ベッドは二つずつ向き合うようにして、壁際に設置されている。入って右側がイリーネとチェリン、左側がカイとアスールだ。イリーネが浴室から戻ってきたとき、他の三人は思い思いにくつろいでいた。カイはふかふかのベッドに俯せで寝転がっていて、隣のアスールはベッドの上で胡坐をかいて広げた地図を眺めていた。チェリンは荷物の整理をしながら、時折アスールと言葉を交わしている。


 そんな光景を束の間眺めていると、チェリンがタオルを畳んでいた手を止めてこちらを見てきた。


「どうしたの、そんなところで? 冷えちゃうわよ」

「あ……はい」

「具合悪い?」


 寝ていたカイまでもが心配そうに眉をひそめ、アスールも振り返っている。イリーネは慌てて首を振った。


「大丈夫です。えっと、なんかこういうのいいなって思って」


 仲間が全員同じ部屋にいて、のんびりくつろいでいる。寒い風もうるさい虫もいない。特にイリーネは、アスールのゆったりした姿を見るのが初めてなのだ。ずっと同室だったカイは見慣れているだろうけど、いつもきっちりした格好のアスールがベッドの上で胡坐をかいている姿など早々お目にかかれない。

 するとアスールが微笑み、顎に手を当てた。


「なるほど。つまりイリーネは私と同室になって嬉しい、と」

「え?」

「そうならそうと早く教えてくれれば良かったのに。そうだ、今夜は私のベッドで共に――っと!?」


 アスールの丁度真反対にいたチェリンが、無言で何かを投じた。豪速で飛んだそれを、慌ててアスールが両手で受けとめる。驚いたことに、チェリンが投げたのはアスール用のマグカップだった。さすがにこれにはアスールも顔色を失う。


「ちぇ、チェリン……私だったから受け止められたようなものを、これは凶器だぞ」

「あんただったら受け止めるって信頼していたから投げたのよ」


 冷ややかなチェリンの言葉のあと、カイが立ち上がってアスールににじりよる。ベッドの上で逃げ場のないアスールは後退するしかない。


「良かったねアスール、チェリーに信頼されてるみたいだよ」

「そう言いながらお前が右手に持っているのはなんだ?」

「ナイフ」

「本気ではないか! 待て、落ちつけカイ。冗談に決まっているだろう」

「セクハラ変態紳士にはそろそろ灸を据えたほうがいいかと思って。大丈夫、痛くないから安心して」

「安心できるか!」


 普通なら真っ先に怒らなければならないはずのイリーネだが、三人のやりとりに思わず笑ってしまった。カイが拍子抜けした隙にアスールは態勢を立て直す。


「イリーネ、笑ってないで、あいつに平手打ちの一発くらい食らわせても文句言われないわよ?」


 チェリンが呆れたように言うが、イリーネは微笑んだまま首を振る。イリーネが意味を理解する前にチェリンとカイがアスールを叩きのめしていることが常だから、イリーネは言うことなしなのだ。それに妙にアスールが爽やかだから、嫌な感じがしないというのも事実である。


 ――こんなふうに、なんでもないことで笑っていられるのが一番楽しい。

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