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氷撃のカイ・フィリード  作者: 狼花
3章 【躍動する生命 ギヘナ】
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ある亡国公子の独白

 その夜はイリヤ川の傍にテントを張って休むことになった。行けども行けども景色が変わらないのはいい加減慣れてきたが、それでもこう、精神にくる。アスールさんの話ではまだサレイユに入るには距離があるそうだから、気合いを入れなければならない。


 夕食も終えて、イリーネさんとチェリンさんは食器の片づけをしている。夜中に見張りを交代する予定のカイさんは、早々に仮眠を取るためにテントに入ってしまった。

 ニキータと話を終えた僕は、視界の端にアスールさんを見つけた。テントから離れて、川辺に立っている。何をしているのだろう――何もしているように見えない。佇んでいるだけのようだ。声をかけていいものなのか、散々迷った挙句に、僕はアスールさんの傍へ歩み寄った。


「どうしたんですか?」


 声をかけると、アスールさんは振り返る。アスールさんは僕よりひとつかふたつ年下のはずだけれど、僕よりよほど背も高くて大人びていた。コンプレックスというわけでもないけれど、童顔の僕には少し羨ましい。もっぱら僕は、二十歳を超えているとまず思われないから。


「少し考え事です」

「あ、僕お邪魔でしたか?」

「いえ、そんなことは」

「なら、ちょっとここにいてもいいですか?」


 頷くアスールさんの表情に戸惑いが見える。困っているのだろう。僕とふたりきりにならないように、無意識にアスールさんが避けていたのを僕は知っている。


 今夜は天気が良い。月が雲に隠れることもなく、川面に映っている。もう少しで満月だ。月見にはいい季節になってきた。

 しばらく黙ったままふたりで川面を見ていたけれど、僕はつい口を開いてしまった。


「月が綺麗ですね」

「そうですね」

「……あの、考え事の内容、聞いてもいいですか」


 半分くらいは、内容を予測しているのだけれど。掴みの話題が下手くそすぎる僕も、相当アスールさんと一対一の会話に緊張しているのだ。


「サレイユに入った後のことを考えていました。どこをどう通って王都へ行こうか、途中に美味しいものが食べられる場所はないか、色々ルートを考えていたんですよ」


 思った通り、そんな答えが返ってきた。けれど、多分それは事実の一部にすぎないんだろう。普通なら旅行プランを考えるのは楽しいはずなのに、あんな静かな表情で考えたりするものか。

 本当に考えていたのは、いまのサレイユの勢力図だろう。サレイユの王都グレイアース周辺の街以外は、すべて有力役人が王家からの指示を受けて統治している。その役人たちの間にも、中央の派閥争いは飛び火しているだろう。どこの街がアスールさんの味方で、どこの街がダグラスさんの味方なのか。それを見極めないと、今後に不利だ。アスールさんだけでなく、神姫として顔の知れているイリーネさんもいる。フローレンツやイーヴァンでは女神教はそこまで浸透していないから大丈夫だっただろうけど、リーゼロッテの影響を強く受けるサレイユではそうはいかない。敬虔な信者は、神国まで行ってイリーネさんに拝謁したはずだ。


 だとすれば――目立つヒトは、少ないほうがいい。


「……アスールさん。ニキータとさっき話していたんですけど」

「ええ」

「僕とニキータは、サレイユに入ったらそこでみなさんと別れようと思います」


 アスールさんが驚いて振り返る。ずっと肩を並べて立っていたけれど、このとき真正面から向かい合う形になった。


「なぜ? ……いや、もしかして私とイリーネのためですか」


 サレイユにとって、ヘルカイヤ公国は敵。そんな国の公子を第一王子が連れていたら、アスールさんの立場が危うくなる。それはイリーネさんにとっても同じだ。イーヴァンの山間部やギヘナという、ヒトのいないところを通ってきたから、僕はアスールさんたちの旅に同道することができたのだ。


 だけど――。


「違います」


 断言する。そこでまた意外そうに、というより困惑したようにアスールさんは黙り込む。


「僕自身のため、ですよ。地方役人は知らないでしょうが、王都に近づけば僕の顔を知る者もいるかもしれない。傍にアスールさんがいれば、さらに注目を浴びてしまう。僕は目立つことが苦手なんです。だからヒトの多いところで、集団で歩くことを避けたいなって」


 突き放す。悪く思わないでほしい、とは僕の自分勝手な願いだろう。

 サレイユ国内で身分がばれるのは、本当に避けたいところだった。だからこそ僕はこれまで、女神教の圧力の薄いフローレンツやイーヴァンに身を寄せていたのだ。ファルシェに見つかってしまったのは大誤算だったけど、今になってみれば彼の後ろ盾は心強かった。おかげでイーヴァン王都オストで好きに興行をしても、なんとも言われなかった。

 アスールさんの存在は心強いし、彼なら僕のために色々してくれるだろうけど、根本的なところがファルシェと違うのだ。ファルシェは国王で、アスールさんは第一王子だ。しかも派閥争いで、サレイユのすべてがアスールさんに協力してくれるわけではない。

 そんな危うい状態で、僕まで傍にいたら――今度こそ、アスールさんの居場所がなくなる。僕は「アスール王子の同行者」ではなく、ひとりの旅の吟遊詩人として、民衆に紛れたほうが都合が良いのだ。それは自分自身のために他ならない。


 アスールさんのため、だなんてお人好しなことは言えない。そんなことを言ったら、またアスールさんは委縮するんだから。


 でも、多分アスールさんは気付いている。僕がわざと突き放したことを。だからどのみち、申し訳ない顔をさせてしまうんだろう。


「サレイユは僕も知らない土地ではありませんから。ニキータもいますし、うまくやれますよ」

「……そうですか。分かりました」


 予想通りというかなんというか、本当に申し訳なさそうな顔をするから、思わず笑ってしまいそうになる。とりあえず微笑んで、アスールさんに問いかける。


「アスールさん、僕のこと嫌いですか?」

「は……!? そ、そんなことはないですよ。どうしてです?」

「いつも微妙な顔をしていますし、話すことも避けていたようですから」


 すみません、とアスールさんが俯く。僕としてはむしろ――どうしてそんなにアスールさんがヘルカイヤ滅亡の負い目を感じるのか、分からない。


「何度も言うようですけど、ヘルカイヤ滅亡は貴方のせいではありませんよ。というか、僕も貴方もイリーネさんも、何の関係もなかったではありませんか。親の罪を子が被る義務など、どこにもないんですよ」

「……貴方は当事者だった」

「僕がしたのは、ニキータに付き添われて最後の調印を行っただけです。何もしていないようなものでしょう。戦いはすべて僕の父がやったことですから」


 こんなにも精彩を欠くアスールさんを、他に見たことがあっただろうか。そう思うくらい、口が重くて歯切れが悪い。何か、強迫観念のような――そんな罪悪感だ。


「貴方の委縮した雰囲気は、イリーネさんにも伝染しているんです。彼女は何も覚えていないんですよ。自分が神姫だってことも神国の姫君だってことも、きっと彼女には今も実感がない。だというのに、その肩書きだけで僕への罪悪感を持つ――そんなこと、僕は望んでいません」

「……!」

「色々考えたんですよ。どうしたらアスールさんと仲良くなれるかって。でも駄目でした、何も思いつかなくて」

「な、仲良く……」


 せっかく同年代なのに、お互い遠慮してばかりで――友人の関係になりたいと、ずっと思っていたのだ。そのために色々考えた。けれど、普通にしてくれと頼んだところで、頼んだ時点でそれは本物ではない。


「だから僕、待つことにします」

「何をです?」

「貴方の中の、僕への罪悪感が消えてくれることを」

「消せる日など、来ないと思いますよ」

「消えますよ。ヒトの脳は忘れるようになっているんです。ずっと抱えていても、重いだけですから」


 僕が、神国やサレイユへの恨みを忘れたように。時の流れは残酷で、優しい。


「貴方はサレイユの王子で、僕はヘルカイヤの公子です。二十年前の戦争で、ヘルカイヤの民が傷つき殺されたように……サレイユの民も、ヘルカイヤ軍のせいで傷つき殺されたはずです。貴方はサレイユの民のことを第一に考えてあげてください。それが貴方の責任だ」


 ヘルカイヤの民の生活は、カーシェルさんやアスールさんのおかげで随分と良くなった。リーゼロッテの一地方となった今でも、みんなそれなりの平和を保って暮らしている。もう何も心配はいらない。アスールさんは、他人の心配ばかりしている暇はないだろう。


 アスールさんは急に、頭痛がするかのようにこめかみに手を当てた。そして呟く。


「……そういえば、クレイザはハーヴェル公爵でしたね」

「そうですよ――って、今まで誰と何を喋っていたつもりだったんです?」

「いつもは本当に、旅の吟遊詩人にしか見えなかったものですから」

「うう、どうせ僕には威厳なんてないですよ……」


 がっくりとうなだれると、アスールさんが声を出して笑った。僕の記憶では、僕と話していてそんな風に笑った覚えがないので、なんだか新鮮だ。


「はは、申し訳ない。ただ、今の貴方は王者の目をしていた。カーシェルやファルシェと同じ……ね」


 そう言われると、それはそれで恥ずかしい。カーシェルさんやファルシェは、本当に優れた為政者だ。毅然として、堂々として、民衆や臣下からの信頼厚く、統治の基盤は揺るぎそうにもない。たとえ今もヘルカイヤが国として存在していて、僕があのふたりのようになれるかと言われたら、まったく自信がない。カーシェルさんは同い年だし、ファルシェに至っては六歳近く年下なのだけれど。

 自分から振った話題を逸らすのも妙な話だが、とにかく僕は居たたまれなくて別の話題を出す。こんなだから、話題があちこち飛ぶとか脈絡がないとかニキータに言われるんだろう。


「そ、そういえば……! アスールさん、あの時はありがとうございました」

「あの時?」

「昨日、谷に落ちたときです。アスールさんとカイさんがいなかったら、僕もキョウさんも死んでいましたから。ちゃんとお礼を言っていなかったなって」

「いや、それはむしろ私が礼を言いたいくらいです。貴方がイリーネを咄嗟に突き飛ばしてくれたから、彼女まで巻き込まずに済んだ。……というか結局、私もカイに助けられてしまいましたし」

「そういえばそうでしたね」


 アスールさんは軽く咳払いをして、僕を見下ろした。……背が高いってずるいなぁ。


「私も、努力してみます」

「え?」

「貴方と友人になれるように」


 努力しないとなれない友人関係ってなんだろう。


 今度はこらえきれずに、笑ってしまう。アスールさんがぎょっとしたようにこちらを見ているけれど、僕は一度笑うと収まるまでが長い。目に浮かんだ涙を拭いつつ、呟くのがやっとだ。


「……ほんとに、生真面目で堅苦しいなぁ、アスールさんは」


 それがアスールさんの本質なんだろうけれど。

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