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氷撃のカイ・フィリード  作者: 狼花
2章 【青き嶮山 イーヴァン】
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◇霊峰ヴェルン(8)

 火にかけられた鍋をおたまで掻き回している、その老人。腰が曲がっているせいかひどく小柄に見える。柔和な笑みは、客人の来訪を心から喜んでいるようだ。

 室内を見てみる。ベッド、テーブル、クローゼット、炊事場。必要な家具は一通り揃えられていて、住み心地は悪くなさそうだ。間違いなく、この老人はここに住んでいる。


「ここまでたどり着いたハンターは久々じゃ。疲れたろう、早く入りなされ」


 こちらが怪しんでいる気配を察することもなく、老人はにこにこと告げてちょいちょいと手招きをする。チェリンがその言葉に応じて、戸を閉める。

 よっこらせ、と鍋を火から下ろす老人を見ながら、ニキータが口を開く。やや拍子抜けした様子だ。


「じいさん、あんたここで何をしているんだ」

「何って、昼飯の準備じゃよ」

「はあ、昼間っから大掛かりな料理ご苦労様だな――って、そうじゃねぇよ」

「はっはっは、良いノリツッコミじゃ」


 会話が面倒臭くなったのか、ニキータが頭をぼりぼりと掻いた。それを見て老人はもう一度笑う。


「おぬしらが言いたいことは分かっておる。わしが何者か、あの暗鬼たちが何なのか、この山は何なのか、そのあたりじゃろ」

「分かってるなら教えてくれよ。こっちはいつ襲われるかでひやひやしているんだ」

「せっかちじゃのう、まあ落ち着け。ところでどうだ、シチュー食べんか? わしの自信作なんじゃが」


 ニキータの顔には「謹んでお断りしたい」とはっきり書かれていたのだが、どうにも食べなければ話が進みそうにない。仕方なく、ニキータは席に着くようみなを促した。

 とはいえ椅子は四つしかない。イリーネとチェリン、それからニキータが椅子を使い、残りの面々は床に胡坐をかいた。少々行儀が悪いが、仕方がない。本当はカイに椅子を使わせようとしたのだが、地面にそのまま座る方が楽だと言われればイリーネも引き下がらざるを得ない。


 老人一人暮らしのようなので、器は数がない。イリーネらはそれぞれ自前の椀を使うことになった。老人は受け取ったお椀にシチューをよそって、イリーネの前に置く。具は――イリーネが普段目にしているものと変わらない。もちろんそれらの食材は、霊峰ヴェルンの中にはない。この枯れ山の中で野菜を育てることも、獣の肉を調達することも不可能だ。だとすればこの食材は、老人が外から持ち込んだものということになる。

 あるいはこの老人も、時が止まった霊峰ヴェルンの住人――つまり、数千年前のヒトかもしれない。何らかの原因でヴェルンの時の流れが停止したとき、一緒になって取り残されてしまったのか。


 そんなことをイリーネが考えている間に、老人は次のお椀をチェリンに渡す。と、そこで老人はおたまを手放した。


「よぅし、それじゃ男どもは自分でよそってくれぃ」

「分かりやすい野郎差別だな、おい」

「レディ・ファーストじゃよ」


 悪びれた様子もなく、老人はイリーネとチェリンに笑いかける。イリーネはなんとか笑みを返し、チェリンは居心地悪そうに目を背けた。

 舌打ちしつつニキータが全員分をよそい、ようやく食事が始まった。アスールが試しに一口食べ、目配せで特に味の異常がないことを伝えてくれる。イリーネもシチューをスプーンですくって口に運ぶ。――普通に、美味しい。久々に身も心も温まる味だ。


「どうじゃ? 美味いか?」


 にこにこと老人に問いかけられ、イリーネは頷いた。チェリンもしぶしぶといった様子で同意した。その反応を見て、さらに老人は機嫌を良くした。どうやら若い女に目がないようだ。

 あっという間に空になった椀をテーブルの端に押しやって、ニキータが口を開く。


「一人であの量のシチュー食うつもりだったのか? 随分大喰らいなんだな」


 そう言われて気付く。イリーネら六人と老人、合わせて七人が椀いっぱいによそってもおかわりができるほどの量のシチューだった。考えてみればおかしな話だ。

 だが老人は陽気に笑う。


「料理が趣味でなぁ。ついいつも多く作ってしまうんじゃ。おぬしらのおかげで、余らせずに済んだよ」

「そうかい、そりゃ何よりだ。で、本題だけどよ。じいさん、あんた何者だ? ここで何をしている?」


 直球なニキータの問いに、老人は焦るでもなく悠々と茶を啜った。


「わしの名はツィオ。しがない歴史学者じゃよ」

「歴史学者ぁ?」


 その肩書きは想定外で、胡散臭げにニキータが声の調子をあげる。ツィオという老人は頷いた。


「女神教について研究していてな。この小屋は、各地にあるわしの研究所のひとつなんじゃよ」

「なんだってこんな山の中に?」

「人が近寄らなくて快適なんじゃ。数か月分の食料を持ち込めば、山に籠るのも苦ではないわい。近くの泉から水も確保できることじゃしな」


 奇特なヒトもいたものだ。するとアスールが口を挟んだ。


「暗鬼がうろついている山道を、たったおひとりで?」

「そうじゃよ。勘違いしておるようじゃが、暗鬼は魔力のない者を襲わん。こちらから攻撃しない限りはな」

「……つまり、狙われていたのはカイと【黒翼王】殿だけだったということか」


 本来対象外だったアスールが暗鬼を斬ったせいで、アスールまで標的になったということだ。知らなかったとはいえ、余計なことをしてしまったのかもしれない。しかし、カイとニキータが狙われていながらアスールらが何もしないというのは無理なことだ。


 そこでようやく、イリーネらも名乗った。賞金首のカイやニキータ、王族であるアスールの名を聞いてもツィオは無反応だったので、世俗には疎いようだ。


「あんたは、俺たちと同じ時代を生きているんだよな?」

「同じ時間軸じゃよ。数千年前の歴史学者が女神教について研究しているわけないじゃろ」

「そりゃそうか。ところで、さっき『ここまで来たハンターは久々だ』って言ったよな? 俺ら以外のハンターにも会ったんだな?」


 ツィオは頷いた。


「イーヴァン政府がこの山にハンターを派遣していることは知っておるよ。……じゃが、大半のハンターはここまでたどり着かずに山中で力尽きてしまってのぅ。わしにできるのは、彼らの墓を作ってやることだけだったのじゃ」


 ちらりと老翁は窓へと目を向ける。何気なくクレイザがその窓から外を見て、あっと声をあげる。その窓の向こう、小屋の裏側にはいくつかの墓標が立っていたのだ。あれが、消息を絶ったハンターたちの墓。やはりみな、亡くなってしまったのだ。


「そこの青年も、随分と弱っておるようじゃな。辛かったら横になってもいいんじゃぞ」


 視線を向けられたカイは首を振る。いつもあれだけ疲れただの寝たいだのと言う割に、こういう時は随分と強情だ。ここに来て安心できたのか、少し表情は和らいでいた。


「平気。それより話を続けて――イーヴァンがこの山を調査したがっているのを知っていたなら、情報提供するってことは考えなかったの?」

「そんなことをしたら、この山が開拓されてしまうじゃろう。嫌じゃよ、せっかくのわしの隠れ家が」

「……」


 カイはすっかり閉口した。だが、静かな隠れ家を失いたくないという気持ちは、カイが誰より分かっているのではないだろうか。オスヴィン半島に引きこもっていたのは、あそこが静かで心地よかったからなのだから。


「あの、それじゃせめて私たちにだけでも教えていただけませんか? この山のことや、暗鬼のことを」


 イリーネが丁寧に問いかけると、にっこりとツィオは頷いた。


「イリーネちゃんになら、なんでも教えてやるぞい」

「あ、ありがとうございます」


 ニキータから、目線で『任せた』という合図が飛んでくる。丸投げされたようだ。


「えっと、それじゃ……この山には強い神属性の魔力が満ちているんですよね?」

「そのようじゃ。わしには魔力なんぞ分からんが、時の流れを止める術は神属性じゃからの」


 ツィオはあっさりと認めた。そこでやや声の調子が変化する。


「歴史書にはこんな記述がある。――時は神暦二十四年、当時【竜王】ヴェストル率いるレイグラン同盟軍は、このヴェルン山のあたりにまで勢力を伸ばしておった。それより以前からエラディーナ率いるア・ルーナ帝国軍とは何度も衝突したようじゃが、その年、このヴェルン山を舞台に大規模な戦が始まった。これが『ヴェルン山の戦い』じゃ」


 神暦二十四年。

 カイがイリーネに聞かせてくれた、大騎将ヘイズリーにまつわる歴史は、神暦十九年に起こった戦いの一部分である。それから五年――その間に大陸を二分していた大国の力関係は変化していた。皇帝や主だった将校を失った人間族の国家『ア・ルーナ帝国』は、化身族の国家『レイグラン同盟』に圧され、多くの領土を失っていた。それを何とかしようと立ち上がったのが第三皇女エラディーナその人だ。


 エラディーナが二十四歳のその時。この山で、ふたつの軍がぶつかりあった。


「片や無尽蔵の体力を誇る化身族の軍勢。片や地形や武器を使いこなし戦略を練る人間族の軍勢。今の時代でもそうじゃが、山間での戦いは厳しいものじゃった。次第に兵士たちは倒れ、いつしか【竜王】とエラディーナの一騎打ちになってしまったという」

「エラディーナって女は、竜相手にひとりで渡り合えるほどの魔力の持ち主だったのか。恐ろしいもんだな」


 背筋が寒くなったようにニキータが身震いする。竜の強大さはイリーネにはよく分からないが、ニキータやカイが恐れるその様子から、とんでもない相手だとは分かる。おそらく、今ここにいる全員でかかっても倒せないほどの相手だ。


「そりゃあ、ひとりで九属性の魔術を操るような御仁じゃ。並大抵の人間ではなかろうて。……激しい攻防が数時間続いたが、ついに決着の時が訪れた。両者ともに、持てる最大の魔力を撃ちだして――競り勝ったのはエラディーナじゃった。その威力は、山の一部を消し飛ばすほどだったそうじゃよ」


 人間が竜に勝利する。最強の種族であるトライブ・【ドラゴン()】に、ただの人間の若い女が。


「とはいえ相手は竜族、その長じゃ。深手は負ったが致命傷ではなかった。じゃが、この敗北を受けて【竜王】はギヘナのあたりにまで撤退したのじゃ」

「すごいですね」

「じゃろ? で、本題はここからじゃ。エラディーナの放った神属性の魔術と、【竜王】の放った闇属性の魔術――このふたつが混ざりあって、ヴェルン山に留まってしまった。これが、おぬしらを苦しめる神属性の魔力と暗鬼の正体じゃよ」


 明かされた真実に、ニキータが感心したように腕を組んだ。


「成程な。それじゃあカイが魔力に酔うのも、暗鬼があれだけ強いのも納得だ」


 何せ【竜王】ヴェストルの生み出した闇の傀儡だ。カイたちが知っている暗鬼より何倍も強く、知らない技を使うのは当然かもしれない。


「あの暗鬼たちはちと特殊でな、他人の魔力を糧として活動しているらしい。普通なら時間経過で魔力は回復するが、時を止める神属性の魔力が満ちているもんじゃから、そのせいで魔力は枯渇したままになるということじゃ。まあ、下山すれば元通りになるはずじゃよ」

「ここからギヘナ大草原は近いんですか?」

「すぐそこじゃ。小屋の裏手に洞窟があってな、そこを抜ければもうギヘナじゃよ」


 もう何日も山中をさまよっている気分だったのだが、霊峰ヴェルンはイーヴァンの他の山と比べるまでもなく小規模だった。もうすぐ下山できる。カイとニキータも調子を取り戻せるだろうし、この鬱屈とした気分ともお別れできるのだ。それが分かっただけで、イリーネの心は軽くなる。


「そうか、もうすぐそこなのか。だったら話は早い、じいさん世話になったな」


 ニキータが話を切り上げてそそくさと席を立とうとしたが、その腕を素早くツィオが掴んだ。


「これこれ、おぬしは本当にせっかちじゃな」

「まだ何かあるのかよ?」

「こうしてヒトと会うのは久々なのじゃ、もうしばらく老人の道楽に付き合え」

「何させようって言うんだ……?」


 嫌な予感しかしない。ツィオはにっこり笑い、そして告げた。


「水が少なくなってきてのぅ。すまんが泉から汲んできてくれんか」

「……って、思い切り雑用じゃねぇかよ」

「あと薪も足りなくなってきたのじゃ」

「おいこら」


 どうやら、まだまだ解放してくれるつもりはなさそうだった。

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