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氷撃のカイ・フィリード  作者: 狼花
2章 【青き嶮山 イーヴァン】
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◇霊峰ヴェルン(7)

 化身という動作は魔力を消費しないらしく、ニキータもチェリンも通常通り化身できた。ニキータが空から元の山道を見つけてくれて、そこへ誘導してもらう。通常はニキータが動けないカイを担いで進んだが、さすがにずっとという訳にもいかない。そこで名乗りをあげたのは、意外なことにチェリンだ。化身すると巨大な黒兎姿になる彼女の背中は、ヒトがひとり乗れる程度にはなる。そこにカイを乗せて進むことにしたのだ。普段のカイなら絶対に拒否しただろうが、こればかりは仕方がない。


 カイは眠ったり眠らなかったりを繰り返しており、終始うつらうつらしている。自分がチェリンの背中に乗っていることにカイが気付いたのは、だいぶ後になってからだ。


「うわー……チェリーだよね? ごめん……」


 返事のできない黒兎姿のチェリンは、気にするなというように首を振る。


 空を見上げると、木々の隙間から上空を旋回している黒い鳥が見える。鴉姿のニキータだ。もうかれこれ一時間近く、イリーネたちは上空のニキータの誘導を頼りにヴェルンを進んでいた。暗鬼たちから逃げたとき、山道とは真逆の方面へ逃げてしまったのだ。混乱の中だったから仕方ないとはいえ、大きく道を外れてしまったのは痛手であった。


「チェリー、俺大丈夫だから。下ろしていいよ」


 カイがそう言うのだが、まったく説得力がない。いつも以上に声に張りがなくて、身体を起こすことさえ億劫そうなのだ。当然チェリンが言うことを聞くはずもなく、黙々と道なき斜面を登っていく。

 そこまで弱ったカイを見たのが初めてなものだから――イリーネは心配で仕方がなかった。あと何日すれば霊峰ヴェルンという魔の地帯から抜けるのかすら分からないまま、ひたすら足を進めるしかない。先の見えない道程ほど怖いものはないのである。


「……あ、道が見えてきましたよ!」


 先を行くクレイザが、少し弾んだ声でそう告げた。密集していた枯れ木で覆われていた視界が開け、元々進んでいた山道に戻ってきたのだ。

 だが、ほっと安堵する暇もなかった。最後尾にいたアスールが何かに反応して後ろを振り返る。そして彼は一瞬で抜剣した。


「まずい、暗鬼だ。三人とも、走れ!」

「休憩しようと思うとこれなんだから……!」


 珍しく恨みがましい呟きを残して、クレイザがイリーネの手を取って駆け出す。そのあとを、カイを背に乗せたチェリンが軽やかに続いた。今度は道から逸れないよう、山道を一直線だ。


 幼子の姿をした暗鬼たちは、若干浮遊しているのか滑るように近付いてくる。しかもただ追いかけてくるだけでなく、横手からじりじりと包囲しつつあった。ニキータは、死者の怨念の塊、それが具現化したものが暗鬼だと言っていた。ヒトの持つ暗い感情は、形にするとこうも恐ろしく、執念深いということか。しかし暗鬼が子供の姿をしているのはなぜなのか。身につけている古びた服も意匠が凝っていたり生地が良かったりと、妙に現実味を帯びている。顔つきもひとりひとり違う。ただの怨念の塊というには、個性がありすぎた。

 なんにせよ、闇属性の魔術は好きになれそうにない。カイのような美しさも、ニキータのような強さもない。まるでじわじわと呪い殺すような魔術だ。


 数は多いが、暗鬼たちの移動速度は遅い。このまま走っていけば撒けるのではないか――そう思ったが、実際はそう甘くなかった。

 最後尾を走るアスールが、突如剣を一閃させた。武人の本能がそうさせたのだ。背後から飛んできた『何か』が、アスールの剣に弾かれて地面に落ちる。驚いたようにアスールは振り返り、落ちたものを見た。


 それは道端の小石だった。何の変哲もない、ただの()だ。それだけならアスールもいちいち驚いたりはしなかった。暗鬼が小石を投じたのだろうというそれだけだ。だが今の攻撃は何かが違った。見覚えのある攻撃手段ではなかっただろうか。

 視線をあげる。少し離れた場所に暗鬼の群れがいる。その周囲に、何かが浮いていた。


 氷の礫(・・・)だ。


「カイの魔術か……!?」


 アスールがじりじりと後退する。紛れもなく、それはカイの“凍てつきし礫(フローズン・ショット)”だった。なぜ闇属性の暗鬼が氷属性の魔術を操っているのか。なぜカイとまったく同じ術を使えるのか。もう訳が分からない。


 身体を起こしたカイがそれを見て、眉をしかめた。


「“習得(ラーニング)”だ……」

「“習得(ラーニング)”? あの暗鬼たち、カイの魔術を真似したってことですか?」

「術を真似しただけじゃない。俺の魔力ごと取り込んで、完全に自分のものにしている。……確かに“習得(ラーニング)”も闇属性魔術だけど、こんなの、ただの暗鬼にできる業じゃないよ」


 一度魔術を使っただけでカイがここまで衰弱したのは、この山中に強大な魔力が渦巻いていたからだけではなかった。暗鬼たちがカイの魔力を吸い取っていたのだ。だから時間が経っても、カイの具合はよくならない。極度に魔力が枯渇した状態が続いているということだ。

 おそらくここでカイやニキータが別の魔術を使えば、暗鬼はそれを自らの術として習得し、さらに強くなる。迂闊な手は取れなかった。


「まさかカイの術を受けることになるとはな」


 アスールの口元に笑みが浮かぶが、余裕のある笑みではなかった。カイが操る氷の礫の変幻自在さや威力は、嫌というほど傍で見てきたのだ。あれを自分が食らうことになると思うと、一切の気が抜けない。


「私が時間を稼ぐ、その隙にカイを連れて先に!」

「けど、それではアスールさんが……!」


 クレイザが引き止める。しかしアスールは首を振った。


「余力がある者が引き受けるのは当然のことですよ。それよりも、イリーネのことを頼みます」


 満足に戦えるのは、アスールただひとりだ。イリーネもクレイザも、戦う術は一切持たない。不甲斐ないが、アスールの邪魔をすることだけは避けねばならない。クレイザは頷き、身を翻した。イリーネと共にカイを支えながら、山道を進んでいく。


 さて、とアスールが剣を構え直した。距離があれば“凍てつきし礫(フローズン・ショット)”の餌食だ。足止めのためにも、距離を詰めて懐に潜り込まねばならない。

 一息で間合いを詰め、暗鬼を二体まとめて薙ぎ払う。横手から撃たれた氷礫を跳躍して躱し、落下の勢いを利用してさらに一体を斬り裂いた。斬っても復活するのは分かっているが、すぐにではないというのも分かっていた。少しの時間で良いから敵を減らし、逃げる時間を稼がねばならない。


 と、上空から黒い物体が急降下してきた。ニキータである。驚いてアスールが飛び退くと、ニキータは嘴に三体の暗鬼をまとめて摘んでいた。それを無造作に放り棄てると、暗鬼は煙と化す。巨大な翼のはためきによって複数が吹き飛ばされ、消えていく。

 自分で言っていた通り、確かにニキータは肉弾戦専門だった。カイと遜色ないほどに身軽であり、カイ以上の膂力がある。さらに飛行できるということが、彼の強さの最大の理由だった。地面から離れられない暗鬼は、空に逃げるニキータを追撃できないのだ。


 “凍てつきし礫(フローズン・ショット)”と暗鬼の吐き出す黒煙を振り払い、アスールは残っていた敵を消し去った。その時すでに、最初に斬った暗鬼は再構築されつつある。黒い煙が一か所に集まり、形を成そうとしていた。

 ニキータがアスールの傍、地面すれすれで滞空する。咄嗟に、ニキータがアスールに背中に乗るよう指示していると察した。それは武人同士の以心伝心であったかもしれない。


 躊躇いがなかったわけではないが、躊躇っている場合ではない。ニキータの背中に飛び乗ると、すぐに飛び立つ。一回翼をはばたかせるたびに、ぐんと暗鬼を後方に置き去りにする。ものの数十秒で、先行していたイリーネたちに追いついてしまった。


「アスール、ニキータさん、大丈夫ですか?」

「ああ、だがゆっくり休む暇はなさそうだ」


 アスールは剣を収めながら背後を確認する。そうしている間にもニキータはカイを担ぎ上げ、すたこらと走り出す。身軽になったチェリンも続き、イリーネらもあとを追って山道を駆けだした。


 しかし永遠に走り続けることは、いかなニキータと言えど不可能である。きつい傾斜を登りきったところで、ニキータは足を止めた。チェリンが化身を解き、肩で息をしながらうずくまる。


「あー……しんどかった……」

「チェリン、しっかり」


 ふらふらするチェリンをイリーネが慌てて支える。カイもまたニキータの背から下りて、深く息を吐き出した。


「チェリー、ごめんね。ありがとう」

「いいのよ。あたしがあんたにしてやれることなんて、他にたいしてないんだし」


 いくら化身していたとはいえ成人男性を背負って全力で駆けたのだ。疲れて当然だった。しかしこれから先、いつ襲われるかもしれない恐怖と闘いながら進まねばならない。休息も満足にとれていない。なるほど、これならハンターたちが次々力尽きてもおかしくないではないか。


「カイ坊、ちょっくら空でも飛ぶか? 上空は魔力が薄いから少しは気分良くなるぞ」


 ニキータがそう問いかける。カイがいつになく弱っているからか、鳥肌が立つほどニキータは親切だった。完全なる善意からの提案。それはカイにも分かったのか、素直な返答をした。


「うん、でもいい。一度楽になっちゃうと、そのあと辛そうだから」

「そうか、じゃあ頑張れ――って、おい。ありゃなんだ?」


 ニキータが突然足を止めた。視線は前方に向けられている。その先に目を送って、イリーネはあっと声を上げた。

 山道の先、枯れ木の隙間から見えているあれは――。


「小屋、みたいだね」


 クレイザが一言呟く。そう、そこにあったのは小屋だ。木造の、ログハウスと呼ぶべき小ぢんまりとしたものだった。枯れ山の中にあって、その小屋の材質は古びているのに新しく見える。異質にすら見えるからおかしなものだ。

 アスールが腕を組む。


「休憩所のようなものだろうか。見たところ倒壊もしていない……少しは休めるかもしれないな」


 その言葉で、一行はその小屋を目指して進むことになった。といっても小屋は山道沿いに建てられていたので、道なりに進むだけですぐ到着してしまった。

 近づいてよく見てみるが、やはり朽ちている様子はない。この山の中で時間が止まっているなら、この小屋も当時のままなのだろう。つくづく不思議なものだ。まるでいまも誰かが住んでいるかのようで――。


 ……住んでいるかのようで?


「あの……なんか、小屋の中、灯りついてないですか……?」


 恐る恐るイリーネが問いかけると、チェリンも頷いた。


いるわね(・・・・)だれか(・・・)


 窓から漏れる温かな光。煙突から出ている細い煙。周囲に漂う、炊事の匂い。

 明らかにこの小屋の中に誰かいて、食事の支度をしているのだ。


 あまりに予想外なことで、イリーネらはたたらを踏んだ。ヴェルンに足を踏み入れてからというもの良い思い出のない彼女たちは、何事にも疑心暗鬼になっていたのである。これも暗鬼が見せる罠ではないか――そう思うと、一気にこの小屋へ近づいてはいけないのではないかという気になってくる。

 しかし、そんなことをおかまいなしに動くのがニキータである。


「邪魔するぜ」


 何の躊躇もなく、ニキータは小屋の扉を押し開けた。ぎょっとしたアスールが、剣の柄に手を置いて警戒しながら小屋に近づく。

 食欲をそそる匂いが、さらに強くなった。ああ、今日はシチューか――と、そんなことを考えている場合ではない。


 小屋の奥、炊事場で食事の準備をしていたのは――。



「あれまあ。こんなところにお客さんとは、珍しいねぇ」



 ――腰の曲がった、ひとりの老翁であった。

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