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氷撃のカイ・フィリード  作者: 狼花
2章 【青き嶮山 イーヴァン】
73/202

◇霊峰ヴェルン(6)

「休むか、カイ坊」


 ニキータに問われたカイは、ふるふると首を振った。自力で立ち上がり、膝に張り付いた枯葉を払い落とす。


「平気……だよ」

「で、でも、そんなに調子悪そうなのに……!」


 ニキータの反対側から、イリーネがカイの腕を掴んで支える。そうでもしないと、またよろめいてしまいそうなのだ。

 だがカイは、また首を振る。


「大丈夫。休んでも良くならないし……それより、早くここを抜けたほうが良い」


 イリーネがアスールを見る。アスールは頷き、旅の続行を決めた。

 ひとりで歩く力は残っているらしい。カイはニキータとイリーネの支えを断って歩きはじめた。クレイザがカイの持っていた荷物を分けてもらって、少しでも負担を軽くしようとする。


「何がどうなってるの?」


 チェリンが眉をしかめて尋ねる。ニキータが肩をすくめた。


「魔力がない奴には分からないだろうが、この山全体にものすごい力が満ちているんだ。それに当てられたんだな」

「それじゃ、あんたも……」

「俺は並々ならない体力があるからな、そんな簡単にへばらねぇよ」


 暗に体力がないと指摘されたカイが白い目でニキータを見やるが、沈黙を通す。それからニキータは付け加えた。


「俺の魔力量はカイに遠く及ばないんだよ。より強い魔力を持つ者が影響を受ける、そういうこった」

「ニキータは肉弾戦専門だもんね」


 クレイザの言葉に、なぜか誇らしげにニキータは頷く。化身族たるもの、己の肉体のみで戦うというのがニキータの流儀らしい。

 カイはどちらかというと、魔術を駆使して戦うことが多かった。そう言われてみれば、ニキータよりカイのほうが魔術で勝っているというのは納得だ。


「イリーネ、大丈夫?」

「え?」


 カイが不意に尋ねてきた。


「君も魔術使えるんだから、具合悪くなるかもしれないよ。今は平気?」

「あ……はい、大丈夫です」


 自分のことはすっかり失念していた。体調の不具合は、今のところない。多少の魔術を使えるイリーネでもこれとは、カイはどれだけの力を秘めているのだろう。思えば、イリーネはしょっちゅう魔力の枯渇を起こすが、カイはそんな状況に陥ったことがない。


「カイこそ、本当に大丈夫なんですか?」

「軽い眩暈だよ。さっきは突然だったからよろめいただけ。心配しないで」


 眩暈が常時続くなど、普通なら耐えられるものではない。平衡感覚もあまりないはずなのに、しゃっきり立っているカイが信じられなかった。


 すると先を歩いていたアスールが急に声を発した。


「そうか、だからなのか」

「何が?」


 チェリンが訝しげに首を捻る。


「調査隊が消息を絶った理由だ。彼らは大半が賞金をかけられるほど強い化身族だった。賞金がかけられる最低条件は、魔術が使えることだ」

「……つまり、この山の中で化身族のほうが先にバテたってことね」

「ああ。頼りになる化身族に倒れられてしまえば、人間は成すすべがない。……問題はたったそれだけで全滅するかということだな。この辺りならまだトンガに引き返せるだろうし、魔力のない人間はなんら影響を受けないだろうに……」

「おい放浪王子さんよ、今はそんな推測するときじゃねぇぞ」


 ニキータに指摘されてアスールは苦笑を浮かべて黙った。ニキータの言ったことは至極当然だったが、アスールの疑問にもまた同意できる。カイが強い魔力に当てられたこの場所は、霊峰ヴェルンの山道に入っていくらも進んでいない場所だ。ここからならトンガへは数分で戻れる。カイほど影響を受けなかった者たちは、山越えを強行したのだろうか。だとしても、両者そろって行方をくらますというのは妙な話だ。

 この山には、まだ脅威がひそんでいるのだろうか――?






 道は壊れてはいなかった。落葉に埋もれてはいるが、整備された痕跡がある。つくづくおかしなものだ、この山には長くヒトが立ち入っていないというのに。アスールが以前してくれた話の通りなら、この霊峰ヴェルンには女神教の教徒が修行に籠っていたという。いま歩いているのは彼らが使った道だろう。他にも古びた燭台が道の脇に置かれていたり、目印らしき木の看板もたっている。まるで、時間が止まったようだ。


「止まっているんだと思うよ、実際」


 心の中での呟きだったはずのそれが、口に出ていたらしい。枯れた木の幹に背を預けて座っていたカイが、ぽつりと呟く。


「大昔に何かがこの山であって、魔力のバランスが崩れた。その時のまんま、この山の時間は止まっているんだと思う」

「魔力のバランス……?」

「空気中の成分のこと。砂漠だと火の魔力が強いし、雪山だと氷の魔力が強い。……要は、自然界のバランスっていうかな。魔力はどこにでもあるものなんだ」


 時間が止まっているという不気味な山でも、夜は巡ってきた。ただでさえ薄暗かった山中が一面闇に包まれ、火がなくては一歩も歩けない状況だ。それを見越して、アスールは早めに今日の登山を切り上げて寝床になりそうな場所を探した。

 そうして見つけたのが、崖の一部が少し内側にくぼんでいる空間だった。山道からは少し外れた林の中だ。奥行きはそれほどないから洞窟とは呼べないが、風は防げる。それに奥まっているから、入り口さえ警戒しておけば安全だった。


 食欲がないというカイは、一番奥まったところの地面に座って、壁によりかかったまま動かない。眠ってはいなかったので、夕食の支度の合間にイリーネは水をカイに持ってきたのだ。


 コップからちびちびと水を飲むカイは、いつになく気怠そうだ。


「時を止める魔術は、神属性だ。ここは神属性の魔力が強すぎる」

「神属性って、治癒術と同じ……」

「そうだね。だから、もしかしたらイリーネはこの場所と相性が良かったのかもしれない」


 神属性は、主に時を操る力だという。治癒術とて、患者の治癒力を『速める』術だ。神しか操れないはずの時を操る力、だから『神属性』。世界の土地は何かしらの魔力に偏っているというが、極端に神属性に偏る地はないはずだった。もしそんな場所があれば、他の場所より時の流れが速かったり遅かったりしてしまう。

 だが霊峰ヴェルンでは、そのあり得ない現象が起きている。時を操る力が満ちて、時間の流れが止まっているのだ。だから、木々は枯れたまま変化しない。古代の道も朽ちていない。


「何があったんでしょうね。昔、この山で」

「さあ……でも、多分エラディーナが生きていた頃のことだとは思うよ。一番古い記述が魔術書の中にあったから」


 話を聞いていたのだろう、少し離れた場所にどっかり座り込んでいたニキータが大袈裟に溜息をついた。


「なんですぐにお前たちは推理したがるかね」

「ロマンがあるじゃない」

「マロンってか?」

「うっわ、寒い。おっさん」

「マロンならともかく、ロマンなんざ食えねえじゃないかよ」

「そういうことを言うから、おっさん化が進むんだよ」

「俺をおっさん呼ばわりすんのはお前だけだよ、坊主」


 乾いた笑い声を微かにあげて、カイは黙る。本当は、喋ることも苦しいのではないか。ニキータも平気な顔をして、実は相当堪えているのかもしれない。ふたりともポーカーフェイスだから、よく分からなくて困ったものだ。

 山を越えてギヘナに到着するまで、あと何日かかるだろう。早くしなければ、カイとニキータが心配だ。


「カイ、【黒翼王】殿。今晩の見張りは私がする、ふたりは少しでも休んでおいてくれ」


 アスールのその言葉に、珍しく両者ともに異議を唱えずに従った。医者もいない、休む場所もないこの霊峰の中で体調を崩すことがどれほど危険か、ふたりとも分かっているのだ。なるべく身体を休め、体力を残すことが重要だ。カイとニキータを支えて歩けるようなヒトは、いないのだから。





★☆





「……みんな、起きろ!」


 突如としてアスールの声が頭の中に響いた。比較的深い眠りの中にいたイリーネは、その声に驚いて飛び起きた。目覚めとしては最悪なパターンである。

 しかしそんなことを言っていられる場合ではなかった。寝ずの番をしていたはずのアスールが剣を抜き放っていたのだ。洞窟の入り口を守るように立ち、何かを追い払うように時折剣を振るう。外はもう明るく、朝になっていた。


「アスール!?」


 他の仲間たちも、先程のアスールの声で飛び起きていたらしい。カイが眉をしかめた。


「何事?」

「敵襲だよ」

「敵襲? ……そんな近くに来るまで気づかないなんて、居眠りしていたんじゃないの?」

「馬鹿を言え。突然現れたのだ――煙のようにな」


 命の気配がまるでなかったこの山の中に、一体何がいたというのか。しかも、アスールともあろう者がぎりぎりまで接近に気付かなかった――これは何を意味するのだろう。


 イリーネはそっと、アスールの向こう側の景色を見ようと首を伸ばした。木の影かと思っていた『何か』が、ゆらゆらと蠢いている。その正体を見極めようと更に集中し、はっきりと姿が見えたとき――イリーネは思わず悲鳴をあげそうになった。

 背格好はヒトと変わりない。背丈は幼い子供くらいだ。古びて色も分かりにくいが、服を着ている。一見して浮浪児のようだ。そんな子供たちが十人ほどそこにいる。だというのに姿は異様だった。肌という肌が真っ黒なのだ。勿論泥や煤で汚れているとか、砂漠の国ケクラコクマに住む、生まれつき肌の黒い人々と訳が違う。絵の具を塗りたくったかのように真っ黒だった。

 そしてその黒い肌の中で、不気味に光る赤い目。ニキータの優しい緋色とは違う、血の色だった。生気のない顔の中で、目だけが爛々と輝いている。――生きものの気配ではない。しかし確かに動いている。こちらへ近づいてくる。時折口から黒い煙のようなものを吐き出しながら、意思なき操り人形のように。


「――暗鬼(あんき)か!」


 ニキータが舌打ちする。アスールがちらりと目線だけ送る。


「それは?」

「闇魔術で創りだされる人形だ。ヒトの姿をしてはいるが、実際は死者の怨念の塊みたいなもんでな。命ある存在を無差別に襲うんだ」

「成程。道理で先程から、斬っても斬っても煙となって消えてしまうわけだ。怨念ならば手ごたえがなくて当然か」

「ああ。しかもこいつら、とんでもなく強いぞ。何せ『闇の眷属』が『日の光の下』で活動しているんだからな。相当の術者が創った傀儡(くぐつ)に違いねぇ」


 もしかして――いや、ほぼ確実に、この山に入った調査隊はこの暗鬼によって斃されたのだ。頼みである化身族は、山の魔力によって憔悴している。人間族の操る鉄器は通じそうにない。アスールの剣戟ですら倒せない相手なら、他の誰が倒せるというのだ。時の流れが停止しているこの空間で、おそらく数千年前から活動し続けている暗鬼たちだ。当時の強力な術者が創ったのだろう。


「闇は光で相殺できる。相反する属性の魔術をぶつければ、倒せるはずだよ」


 カイがポツリとつぶやき、ニキータが顎をつまむ。


「ヒューティアか。確かにあいつの光の魔術があれば、派手に往生できそうだな」


 イリーネは彼女の魔術を実際に見たことはないが、【光虎】と呼ばれている化身族だ。彼女がいればどれだけ心強かっただろうか。


「だが、いない奴を当てにはできん。倒せはしないだろうが、俺たちでも足止めくらいはできるだろうよ。……で、問題なのはこの場所だな」


 ここは浅い洞窟の中。周りは木々が密集している。洞窟の入り口を守るアスールが剣を振るうのが精いっぱいで、カイとチェリンが化身して戦う場所も、ニキータが上空から奇襲を仕掛ける視界も確保できない。だからアスールも先程から守りに徹しているのだ。こうしている間にもアスールは、吐き出される黒い煙を避け、暗鬼を切り裂いていく。戦闘能力は高くないのか、暗鬼はあっという間に倒されて煙となる。しかし少しして、また同じように暗鬼が形成されていく。これではこちらの体力と精神力を削る一方だ。


「ニキータの魔術でどう? あれも光魔術みたいなもんでしょ」

「阿呆、雷は火に近いだろうが。それにお前みたいに、化身しないで乱発できるほどの力がねぇんだよ」


 ニキータの雷属性の魔術、“黒羽の矢(ヴォルト・アロー)”ならば一直線に正面の敵を殲滅できるだろう。だがヒトの姿の時には撃てないということは、普段から氷の魔術を連発しているカイはやはりすごいということか。


 銀髪を掻きまわしたカイは、アスールを後ろに下げて前に出た。その瞳が金色に輝いているのを見て、イリーネははっと息をのむ。


「俺が片付ける――チェリー、先鋒は任せる。イリーネ、クレイザ、俺が撃ったらすぐチェリーを追って。アスールとニキータは撃ちもらしたやつの牽制をお願い」

「はい!」


 そう言うと思って、脱出の準備は整っている。チェリンが横でごくりと生唾を呑みこんだのが分かった。行く先の安全を確かめるのは、勇気のいることだ。


 冷気が発生し、気温がぐんと下がった。気がするだけでなく、実際に洞窟内は夏だというのに冬のように冷えていた。カイを中心に彼の魔術、“氷結(フリージング)”が発動したのだ。音をたてて、地面や空気中の水分が凍りついていく。

 凍りついた小石がゆっくり浮遊する。そして一気に、氷の礫が群がる暗鬼に向けて豪速で飛んだ。久しぶりに見る、“凍てつきし礫(フローズン・ショット)”だ。


 弾丸よりも固く速い礫に撃ち抜かれた暗鬼は、その一撃で煙になった。アスールが斬った時と違うのは、その煙がすぐに形をまとって復活しないことだ。魔術には魔術で対処するしかないということか。

 大部分は礫によって撃ち抜かれたが、事前に言ってあった通り何体か撃ちもらしがあった。それらは素早くアスールが斬り裂き、ニキータが渾身の拳を繰り出した。ニキータが放つ右ストレートは、熊でも卒倒する威力である。


 そして三人がつくり出してくれた退路を、チェリンがイリーネの手を引っ張って駆け出した。クレイザがそれに続き、遅れて残りの三人も走り出す。振り返っても、煙はついてはこないようだった。


 木々が密集する山の中をチェリンの先導で進み、ある程度離れたところで足を止めた。イリーネはどこをどう走ったのかまったく分からない。山道からも離れてしまったことで、完全に現在置を見失ってしまった。

 それぞれ息を整えながら、クレイザが背後を振り返る。枯れた森は静寂を保っていた。


「追いかけてはこないみたいですね」

「ああ、だがこの山は奴らの庭みたいなもんだ。実体がないんだから、どこにいようが襲われるかもしれん。おちおち飯も食えねぇな」


 ニキータは言いながら、切なそうに腹をさする。そういえば朝になってすぐこの騒動だったので、食事を摂っていないのだ。


「ともかく、山道まで戻ろう。空から確認してくる」


 便利な翼を持つニキータは、そう言って化身しようとした。――まさにその時、最後尾にいたカイの姿がイリーネの視界から消えた。次いで、落葉の上にカイが倒れこむ。


「カイ!」


 真っ先に気付いたイリーネが駆け寄る。横倒しになったカイを抱き起そうとしても、自分では非力すぎて無理だった。カイの身体はずっしりと重い。代わりにアスールが支え起こしてくれたが、立ち上がるには至らないようだ。荒い呼吸を繰り返し、額には大量の汗が浮かんでいた。


「どうしたんですか!? どこか怪我を……」


 咄嗟にそう思ったが、カイに外傷はない。だとすれば、魔力に当てられた症状が悪化したのか。だがこれほどまで急激に悪化することなど――。


「……! まさか、魔術を使ったせい?」


 ニキータを見ると、彼もまた難しい表情でカイを見下ろしている。カイは既に朦朧としているのか、諦めたように目を閉じてから動かない。


「かもしれんな。この魔の山にゃあ、二重三重に罠がご用意されているわけだ。お客を飽きさせないねぇ」


 台詞は軽いが、状況は良くない。完全にカイは動けなくなってしまったのだ。これからまた暗鬼が来ても、倒すどころか逃げることすら危ういではないか。

 ニキータはカイを担ぎ上げた。大柄なニキータしか、カイを運ぶことはできない。彼自身もかなり疲労しているだろうに、タフなことだ。


「イリーネ、あんたもこれから先、何があろうと治癒術は使うなよ。こいつの二の舞になるかもしれん」

「は……はい」

「よし、行くぞ。早いところ、この山を越えちまおう」


 なんら動じた様子のないニキータの様子に、イリーネは思わず呆然としてしまう。そんなイリーネの肩を、軽くアスールが叩いた。大丈夫だと諭しているようでも、行こうと促しているようでもあった。


 通常人間族よりよほど体力のある化身族が、この山では力を殺がれる。普段通りに行動できるのは人間たちだけだ。足を止めて、彼らの足を引っ張るわけにはいかない。いつ暗鬼が再び襲ってくるかも知れない――一刻も早く、この場を離れて少しでも進む必要があった。

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