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氷撃のカイ・フィリード  作者: 狼花
1章 【北の果て フローレンツ】
7/202

◆最果ての地で出会いしは(6)

 灯りを消してベッドに潜ってもしばらくは寝付けなかったらしいが、それでも比較的早くイリーネは寝付いたようだ。やはり疲れがたまっていたのか。それはそうだろう、あれだけ歩きにくそうな服と靴で長時間歩いたのだ。足が痛いとかは一度も言わなかったが、大丈夫だったのだろうか。


 豹は夜行性の生き物だ。獣の姿の時ほど顕著ではないが、人の姿の時もその名残はある。日が暮れるにつれて頭が冴えて来てしまったので、今から眠るというのもカイには難しい。しかし昨日も一晩寝ていないことだし、これからはイリーネと共に昼間旅をし、夜に休憩をしなければならない。眠る習慣をつけなければ。

 とはいっても急には無理だ。目を閉じても睡魔がやってくる気配はない。毛布を被らず布団の上に仰向けに寝ているだけで、そもそも寝る態勢に入っていないのだが。


 もう一度カーテンを少し開ける。青白い月がそこに見えた。炎なんかよりずっと優しい光、生まれたときから見慣れた色だ。


 隣のベッドを見ると、イリーネは小さく手足を縮めて丸まって眠っていた。そういえば昨夜もそうやって眠っていたか。少し膨らんだ毛布が、呼吸に合わせてゆっくり上下に動いている。


 彼女はこの世界についての記憶をすべて失っているくせに、価値観などは失っていないらしい。柄の悪い男に嫌悪感を抱いたり、ヘラーと仲良く話をしたり、大したものだと思う。極めつけは死生観か。人が死ぬのは嫌だと、なぜかはっきり考えている。

 染みついた感性、なのだろうか。

 誰も気づかなかったようだけれど、イリーネのテーブルマナーや挨拶の仕方は相当仕込まれているものだと思う。あまりに染みつきすぎて、身体が覚えている記憶だ。やはりどこぞの裕福な娘なのかもしれない。服の感じから北部の娘には見えないから、大陸南部の出身か。


 イリーネに言ったことは本当だ。カイは人間だけでなく同族である化身族の生死にさえ興味がない。実際にイリーネをあの廃墟に連れてきたふたりの人間は殺した。それ以前にも、たくさんのヒトを殺してきた。罪悪感はないし、むやみやたらに殺したわけではない。カイを殺そうと迫ってきた奴らを、返り討ちにしただけだ。

 生きるか死ぬかの二択の世界。弱肉強食。強い者が勝つ、そんなことは当たり前。弱ければ、死ぬだけだ。



 この世界の仕組みは実に単純だ。人間族と化身族では、人間族の権威が強い。化身族は彼らに力を貸すが、それは建前で実際は奴隷になっているに過ぎない。

 そして化身族は、人間の『武器』となって他人を襲う。

 古来から、化身族は人間族に力を貸してきた。己の身体の一部で作ったなんらかの契約具を人間に与え、『契約』を交わす。カイがイリーネに渡した耳飾りも、カイの牙で作られた契約具だ。


 契約の掟はひとつ。『契約具を持つ者を主と認める』ということ。

 だから化身族は、ただひとり主と決めた相手に契約具を渡し、それを守護する。

 しかし逆に言ってしまえば、契約具を持ってさえいれば化身族は誰であろうと従うのだ。そこに意思は関係ない。主の手から別の人間の手に契約具が渡れば、化身族も主を切り替える。そうならないように、自分で選んだ『最初の主』は、どの化身族も命がけで守ろうとするのである。


 一方、人間族の中に『ハンター』という肩書を持つ者がいる。彼らは自分に従う化身族を使って、世界に存在する未契約(フリー)の化身族から契約具を奪うことを目的にしている。


 そもそも化身族が人間族と契約を交わす大きな理由は、人間が支配する世界で化身族は生きていけないからだ。いくら人の姿をとっていようと、ばれてしまえば終わりだ。化身族は長命な種であるから、長期間ひとところに住むわけにもいかない。だから開き直って人間に力を貸し、この世界で生きる糧を得る。

 しかし化身族の中でも特に強力な獣たちは、人の手など借りずに生きる。誰とも契約を交わさず、同族の群れを束ねているのだ。人間はそんな強い者たちをなんとか従えようと、『ハンター』という職を創り出した。


 要するに、ターゲットの化身族に賞金をかけたのである。強大な獣を殺さず、なんとか契約具だけ奪う。それは並大抵のことではないから、賞金額も莫大だ。人間の使う鉄器と、そんな人間と契約を交わした化身族によって、これまでに多くの強者が捕えられてきた。



 そしてカイも、賞金をかけられたターゲットのひとり。



 化身族が化身族を狩る。非人道的かもしれないが、獣に人道を説いてどうする。元々冷めているカイだけでなく、大体の化身族がそのことに無頓着なのが現状だ。


 カイがこれまで契約を誰とも結ばなかったことに、特に理由はない。強いて言えば相手探しが面倒臭く、人間の助けなどなくともカイは立派に生きていけたからだ。

 ただそれでも、気に食わない相手に従わなければいけないのは癪だから――カイはこれまで、契約具である耳飾りを奪おうとしてきたハンターを、何組も殺害してきた。


 武の種族である化身族にとって『恩を返す』ということは、相手のために戦うという意味になる。だからカイもイリーネと契約をした。したからには必ず彼女を守るつもりであるが、果たしてそれが正しかったのかが疑問だ。現にカイは賞金首なわけで、カイを狙って戦いを挑んでくるハンターは大勢いるだろう。そうなれば、イリーネを守るつもりで彼女を巻き込んでしまう。もしイリーネを見つけたのがカイではなく普通の人間族だったら、きっと平穏無事な旅ができただろうに。



(まあ、今更……か)


 カイはそう開き直った。一緒に旅をすることになってしまったのだから仕方がない。何かあれば戦うのが自分の役目。まずはイリーネの『探し物』――彼女の記憶を探すとしよう。


 ようやくベッドに潜り込んだカイは、長く息を吐き出した。ランプはサイドボードの上に置く。蝋がゆっくりと溶けていくのが分かった。それだけ見て目を閉じた。


 明日からどこへ向かおう。ヘベティカからは南に二本の街道が伸びており、南西にはエフラ、南東にはルウィンという街がある。どちらもこのヘベティカと大差ない寒村だ。

 だがエフラの街を通過した先には、このフローレンツ王国の王都ペルシエがある。大陸の中で最も発展の遅れた国とはいえ、曲がりなりにも一国の国都だ。人も多いし、ここらの街より治安もいいはず。記憶を探すには、イリーネを知る人物を探すのが手っ取り早い。ならば人の多いところへ行くのが定石というものだ。


 進路は南西か――そう思ったとき、脳裏をよぎる映像がある。

 夕方に見た、イリーネの涙。自分に乱暴をする男を厭い、カイの姿を見て安堵したあの表情。


 瞼の裏に焼き付いたその絵がフラッシュバックし、カイはぱっと目を開けた。見えるのは木の天井、聞こえるのはどこか遠くの方から聞こえてくる犬の鳴き声だけ。隣のベッドのイリーネの寝息さえ、小さくて聞き取れない。


 あの時は――ヘラーに空き室を確認してもらっているとき、聞こえた(・・・・)のだ。カイと名を呼ぶイリーネの声が。

 契約具は、化身族と主を結びつけるものだという。以前は信じていなかったが、今日のことで確信した。確かにカイはイリーネに呼ばれたのだ。

 だから外に出た。イリーネは店の前にいなくて、物音がした路地へ入るとそこに、口を塞がれ壁に押し付けられた彼女がいたのだ。


 もちろんイリーネとその男が知り合いだとか、そういう考えはない。ただ穏便に済まそうと思っていたのだが――。

 イリーネの目に浮かんでいた涙を見た瞬間、カイの中の『獣』が鎌首をもたげた。

 そうなってしまえばもう誰の声も届かない。その気持ちの高ぶりは今まで何度も経験してきたもので、どんなに温厚な化身族と仲間内で認識されている者ですら別人のようになる。元々血の気の多いカイはなおさらのことだ。

 しかし静寂の中で、契約具を通してイリーネの制止の声が聞こえた。その言葉は一気にカイの中の熱を冷やし、沈静化させてしまったのだ。それが契約の力なのか、イリーネの声質の問題なのかは分からないが――彼女がいれば、暴走することはなさそうだ。



 ランプを吹き消そうと思って、ふと思い留まる。人間は暗闇を恐れるという。確かにイリーネは室内の暗さを気にしていたようだし、ひとつくらいランプはつけたままでもいいか。


 多分、一晩の見張りは必要ないだろう――ヘラーがいてくれるし、もし窓が破られてもカイがすぐ反応することができる。ヘラーに敵意はない、という大前提の話ではあったが。

 仰向けだった身体を窓側にくるりと向ける。カーテンの隙間からまた青い月が見える。色々物思いにふけっていたが、そんなに時間は経っていないらしい。

 諦めて目を閉じ、睡魔が来るのを待つだけだが――。


 眠くなくても目を閉じていればそのうち眠れる、というのは嘘だと思った。

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