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氷撃のカイ・フィリード  作者: 狼花
2章 【青き嶮山 イーヴァン】
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ある兎娘の独白

 イリーネを看ていると申し出たのはいいものの、実のところあたしは暇を持て余していた。部屋は豪華なことには豪華だが、ベッドとテーブルと椅子があるだけの小ぢんまりとした空間だ。イリーネはぐっすりと寝てしまって起きる気配もないし、病気ではないのだから別段することもない。ただひたすら、椅子に座ってぼんやりと時間を潰しているしかないのだ。


 結局、カイと変態紳士が戻ってきたのは日付が変わったころだ。それまでうとうとしかけていたあたしは、僅かに聞こえた二対の足音で慌てて目を覚ました。しょぼしょぼする目をこすって顔を上げたところで、部屋の扉がノックされる。


「ごめんチェリー、遅くなっちゃって」


 入るなりカイがそう言った。話し疲れたのか眠そうな顔をしている。遅れて現れた変態紳士のほうも、なんだか神妙な面持ちだ。


「大丈夫よ。イリーネは相変わらずよく寝てるし」

「そっか。ところで、これからのことなんだけど」


 カイが話し出そうとしたところで、あたしは手を振ってそれを止めた。冗談じゃない、こんな遅くから込み入った話は勘弁だ。


「それは明日にしましょうよ。今日はもう休んだほうがいいわ、色々あったんだから」


 そりゃそうか、とカイは頷いた。この男は本当に、切羽詰ると色々気が回らなくなるきらいがある。普通ならあたしより先にそれを変態紳士が指摘するはずなのに――どうも、こちらも精彩を欠いている。何があったか知らないが、睡眠に勝る回復はないというものだ。

 ファルシェ王があたしたちのために部屋を用意してくれたのだが、カイはイリーネの傍で一夜明かすつもりのようだ。どうせそんなことだろうと思ってはいたが、とりあえず声はかけておく。


「あんたも、少しは休みなさいよ」

「ん。そっちもね」


 イリーネとカイを残して、あたしと変態紳士が廊下に出る。扉を閉めて振り返ると、変態紳士は何やら考え事をしているのかずっと黙ったままだ。


「……ちょっと。どうしたのよ、さっきから。何かあった?」

「ん、ああ……いや、なんでも」

「嘘ね。あたしに隠し事は通用しないわよ」


 カイから最初に聞いたときは半信半疑だったが、こうして実際に契約してみると分かる。契約主の心の動きが、まるで自分のものかのように――いまこの男がかなり動揺し、深刻な気分だというのが伝わる。なるほど、こんな気分のまま戦えばこちらの動きも鈍るというものだ。


「……ふふ、そうか。これで私と君は名実ともに一心同体というわけだな」

「気味悪いからやめて」


 この男らしい台詞だったが、あまりに感情がこもってなさすぎる声だ。あたしは歯の浮く台詞を聞くより余程むずむずして、少しパサついた黒髪を掻き上げた。


「前言撤回するわ。ファルシェ王たちとなんの話をしてきたのか、教えて」

「しかしお疲れではないのか、チェリン姫」

「今更よ。こんなモヤモヤした気持ち抱えたまま休めないし」


 変態紳士は少し笑って、廊下を歩きはじめた。そのままついていくと、賓館の突き当りにあった扉を開け、その先にあったテラスへと出た。夜風は随分と冷たい。

 テラスの手すりに身体を預けた変態紳士が、あたしに向き直る。あたしはそいつと向き合う形で、傍にあったベンチに腰を下ろした。


「先程の襲撃は、どうもリーゼロッテ神国の手の者の仕業らしい。リーゼロッテに対し反抗的な態度を取ってきたファルシェへの報復措置であろうと言うのが、我々の見解だ」

「ふうん。で?」

「リーゼロッテでは王と王太子が行方不明になったり、第二王子が権力を振るったりと、なかなか難しい状況だ。ファルシェの下にいる我々――カイやイリーネ姫、私、さらには【黒翼王】殿とクレイザ。みな、第二王子にすれば厄介な存在なのだ。私たちは、行方不明の王太子を慕っていたからな」

「それってつまり、その第二王子が王太子たちを幽閉なり殺すなりして国を乗っ取ったってこと?」


 あたしの指摘に、渋い顔で変態紳士は頷く。「可能性はある」と呟いて、何か考え込むように黙ってしまった。


「あんた、その王太子を探しに行きたいんじゃないの?」

「……本当にチェリン姫に隠し事はできないな」


 苦笑して、変態紳士は言う。


「そうしたかったのだが、ファルシェに止められた。顔の知れている私たちが神国に近づくのは危険だから、あの国の内情を探るのは自分に任せろ、とな」

「それじゃ、あたしたちは?」

「クレイザと【黒翼王】殿とともに、イーヴァンを離れる。ギヘナ大草原を通って、サレイユへ行けとのことだ」


 さらっと説明された内容に、あたしはぽかんとする。いかにフィリードの里から出たことのなかったあたしでも、ギヘナ大草原がどういう場所かは知っている。街は皆無で見渡す限りが大草原。野生の獣がうじゃうじゃいて、生きるか死ぬかの修羅場。そんなところへ行けというのか。


 しかしこれで分かった。なにがこの男を悩ませているのか――クレイザの同行と、目的地がサレイユだということか。


「あんたが国に戻れば、大騒ぎなんでしょうね」

「生きた心地がしないのは確かだな。イリーネ姫のこともあるし、できれば避けたかったところだが……」


 そこで口を切った変態紳士は、あたしのほうをじっと見つめてきた。急に黙るから、あたしは眉をしかめる。


「何?」

「……ずっと聞きたかったのだが。チェリン姫は、イリーネ姫が何者かを知っているのか?」

「知らないわ」


 カイと変態紳士が大切にしている女の子――きっとリーゼロッテと関わりがあって、身分の高い子。あたしに分かっているのはその程度だ。


「実は、彼女はな――」

「あ、いい。ストップ、話さないで」

「は?」

「あの子が知らないことを、あの子のいない場所で聞きたくない。別にあの子が何者でも、あたしは構わないのよ」


 あたしを外の世界に連れ出してくれた子。あたしの初めての人間の友達。あのふわふわな性格も、意外と芯の強いところも、全部ひっくるめてイリーネは可愛らしい妹のように思っている。カイと変態紳士がどれだけイリーネを大切にしているかは知らないが、あたしにとってももう大切な子だ。それ以外の理由なんて必要ない。


「君を信頼しているよ、チェリン姫。ただこれだけは知っておいてくれ――おそらく神国にとってイリーネの生存は想定外のことだと思う。生きていることがばれれば襲われる可能性があるし、もしかしたら既に追っ手がかかっているかもしれない」

「何があっても戦うわよ。ずっと味方でいる」

「……ありがとう」


 ほっとしたその表情――いつものこの男らしくない。それであたしは気付いた。そうか、カイと話す時のこの男は、こんな感じなのだろう――変態要素も変人要素も消え失せた、気品ある王子の姿。これが、本物なのだろうか。それだけ、あたしはこの男に対等に扱われているということだろうか。


「あんたにとって、イリーネはそんなに大事なのね」

「そうだな。幼馴染で、親友の妹だ。友が不在の今、私とカイでイリーネを守ってやらねばならないのだよ」


 気付いていないのか。いつも「イリーネ姫」と呼ぶこの男が、この場でイリーネを呼び捨てている。しかしあたしは変わらず「チェリン姫」。壁を作られているようで、気に食わない。


「明日になってイリーネの意思を確認しなければならないが、本当にギヘナ大草原に行くとしたら……何が起きてもおかしくはない。私もカイも【黒翼王】殿もいるが、どうかイリーネのことをよろしく頼むよ」

「あんたはあたしの契約主でしょ。いちいち頼まなくても、言われた通りにするわ」

「それは私が嫌だ。私は君を従えているなんて思っていない。だから仲間として、君というヒトに頼みたいのだ」


 頑ななその態度に、あたしは押し黙った。仲間として扱ってくれるのはすごく嬉しい、が……今更そんなことを言われると、むず痒くて仕方ない。


「……じゃあ、条件がある」

「なんだ?」

「『姫』って呼ぶのやめてよ。柄じゃないし、人前で呼ばれると恥ずかしいから」


 もっと早く訂正しておけばよかったのだが、この男は「変態紳士」であると信じ切っていたから、不用意に関わるまいと放置していた。だけどこうした素顔を見ると、姫と呼ばれるのは違和感しかない。本当はこんなに、――真面目な男なのに。


 変態紳士はふっと笑った。


「君が嫌ならやめよう。代わりと言っては何だが、君もそろそろ私を名で呼んでくれないか」

「な……っ!」

「『あんた』も『変態紳士』も、だいぶ耳に馴染んできた。こういうときに不意打ちで『アスール』と呼ばれると、それはそれでグッとくる」

「やっぱり変態じゃないのっ」

「ははは」


 手すりから身体を離した変態紳士は、おもむろにベンチに座るあたしの前に跪いた。ぎょっとする間もなく、あたしと変態紳士の目線が同じ高さになる。その顔に、つい今しがたまであったはずの笑みはない。ただ、真剣な眼差しだ。夜闇の中でも、この男の顔も瞳も綺麗な青色をしていた。


「チェリン」

「……な、なに」

「もし……もしもだ。私が何者かに敗れ、君から預かった契約具を奪われた時は……相手に従ってくれ。君の命が最優先だ。契約具を砕かれそうになったその時は……遠慮なく、私に向かってこい」


 思わぬ言葉に、あたしは目を見張った。そんなこと、できるはずがない。あたしは化身族だ、あたしの契約主は目の前にいるこの男だ。裏切るなんて、できない。たとえそれで、自分が死んでも。

 けれどこの男は不敵だった。口元に笑みを浮かべて、こう付け加える。


「隙を見て、君の契約具を取り戻す。一時だけのことだ、辛抱してくれ」


 不覚にも――。

 不覚にも、その顔を見て少しどきりとしてしまったのは、何かの間違いだと思っておく。



「……あんたは負けないわよ。あたしが出会ったアスール(・・・・)って男は、人間にしておくには惜しいくらい、強いんだから」


 やや赤くなった頬を隠すために顔を背けて言うと、アスールが笑った気配がした。


 そう、そんなことにはならない。たとえこれから行く先が、無法地帯ギヘナ大草原でも、決して。

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