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氷撃のカイ・フィリード  作者: 狼花
2章 【青き嶮山 イーヴァン】
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◆黒翼王と吟遊詩人(13)

 余程疲れていたのだろう、横になってすぐイリーネはまた眠ってしまった。カイが最後に告げたカーシェルの説明も、耳に入っていたか定かではない。

 これで良かったのだろうか。できればもう少し、知らないままでいてほしかった――それはカイの勝手な言い分だ。分かってはいるが、どうしてもそう思ってしまう。


 リーゼロッテ神国の王太子カーシェルの妹。

 イリーネはれっきとした、お姫様だった。神姫という役職は数年交代制。代々王族の娘が務めており、ここ数年はイリーネが神姫だったと聞いている。神姫の仕事は、ただそこに在るだけ。日々祈りに来る信徒たちの話を聞き、頷き、微笑む。女神の代行人として平和の象徴となる。いずれ役目は終了し、またイリーネは王女殿下へ戻るはずだった。

 どこでそれが狂ったのか――一国の王女で、神姫という崇拝の対象でありながら、イリーネはオスヴィンで記憶を失って放置されていた。何か良からぬことがあったのだろう。


 すると控えめに部屋の扉がノックされた。応えて顔を出したのはアスールとチェリン。ファルシェとともに街で後始末を手伝っていたふたりがここにいるということは、大方片付いたということだ。


「イリーネ姫の具合は?」

「さっき少し起きてた。また寝ちゃったけど、大丈夫だと思うよ」

「そうか、ならいいのだが……カイ、ファルシェと【黒翼王】殿から話があるらしい。少し来てくれるか」

「えー、やだ」


 カイの即答に、さすがのアスールも呆気にとられたらしい。二度三度瞬きしてから、やっとアスールは口を開く。


「駄々をこねるでないよ。まさかふたりのほうから出向いてくれとは言えない」

「だって、イリーネがひとりになっちゃう」

「ああもう。あたしがイリーネを看てるから、あんたたちは行ってきなさいよ。静かにしないとイリーネが起きちゃうでしょ」


 見かねたチェリンの提案に、カイもアスールも異論を唱える暇もなく頷いた。確かに大きな声を出せばイリーネが起きてしまうし、チェリンの正論に逆らえるはずもないのだった。

 イリーネのことを彼女に頼んで、カイとアスールは廊下に出た。王城の離棟であるが通常は賓客を迎えるための部屋が並ぶ棟だそうで、通された部屋も廊下も清潔で豪華だ。踝が埋まるほど毛の長い絨毯など、カイは初めて踏んだ。


「街の様子はどうだった?」

「あれだけの騒ぎでありながら、死傷者はそれほど多くなかったようだ。……多くなかっただけ、だがな」


 多分、アスールの中では死人がひとりでも出れば失敗なのだろう。気持ちは分かるが、色々抱え込みすぎだ。

 廊下を歩きながら、カイは口を開いた。


「あのさ。イリーネ、俺たちのことちょっと思い出したみたいだよ」

「……というと?」

「木に引っ掛かったアスールのお母さんのハンカチをイリーネが取ろうとして、落ちたってことがあったじゃない? あれ、夢で見たんだって」

「それはまた、随分と懐かしい話だな」


 アスールは頭を掻いた。イリーネの記憶復活にそこまで驚いている様子はない。


「ということは、私のことも分かってしまったわけか」

「うん。……神姫のことについても聞かれた。適当なところで話を切ったけど、多分イリーネは分かったと思う。自分がリーゼロッテの神姫だってこと」

「……いつかは分かることだったさ」


 その言葉にカイは頷く。そこでアスールはゆっくり腕をおろし、少々控えめにカイを見やった。


「ところで……カイ、お前は私とイリーネの関係をなんと説明したのだ?」

「幼馴染って言っておいたけど、違うの?」

「いや、違わない、それでいい。……頼むから、それ以上は言わないでくれよ」

「あんたがそんなこと言うなんて、前とは逆だね」


 ぺらぺらとイリーネの過去を暴露しそうになっていたアスールに、控えるよう言ったのはカイだ。それが見事にいま立場が逆転している。


「今のイリーネに告げては、彼女の心の枷となろう。これこそ、思い出さなくていい事実だ」

「ふうん……ま、いいけど」


 中庭に面した渡り廊下を渡って本棟へ入り、いくつかの廊下の角を曲がって階段を上がる。さすがに親交の深いアスールでも『勝手知ったる他人の城』というわけにはいかないらしく、少々迷い気味だ。本当に、どこの国も王城は巨大な規模である。非公式とはいえサレイユ王国の王子が客として滞在しているのだから、ファルシェも案内人のひとりでもつけてくれればいいのに――などと思ったが、十中八九アスールが断ったのだろう。いまは騒動の後でみなが混乱している。客人の面倒など見させられない。

 到着したのは城内に数ある会議室のひとつだった。さっきまでいた賓館の一室に比べればかなり質素で、そこらの住宅の小部屋ほどの小ささだ。国王が出席する規模の会議ではまず使われないだろうが、あえてここを選んだのもまたファルシェらしい。上座も設けていない。真ん中に置かれた大テーブルを囲んで、ファルシェ、ヒューティア、クレイザ、ニキータが座っている。入室したふたりを見て、ファルシェは空いている椅子を示す。傷の手当てもされていて、ひとまず落ち着いているようだ。


「すまない、わざわざ呼び立てて。イリーネはどうだ?」

「チェリーが見ているから大丈夫」


 席に着くと給仕の女性がお茶を運んできて、すぐに退室する。国王ともなればお付きの人が部屋に控えていそうなものだが、どうやらファルシェはヒューティアだけを伴っただけのようだ。よほど臣下に信頼されているのか、ファルシェが鬱陶しがっているのか。両方ともかもしれない。


「アーヴィンとエルケは王城に入るのを頑なに拒否してな。いまは市街の警戒に当たってくれている」


 姿の見えないふたりについて、見透かしたようにファルシェが説明してくれる。アーヴィンという少年はどこまで真面目で働き者なのだろう。

 カイとアスールが落ちついたところで、ニキータが掌に握っていたものをテーブルの上に置いた。みなが一斉にそれを覗きこむ。色鮮やかな宝石のついた服飾品――の、割れたものだった。おそらく指輪やペンダントだったそれは、鋭い針のようなもので粉々に砕かれていた。


「さっき作業中に街で見つけたんだ。あの襲撃者たちの契約具らしい」

「誰かがあの時、あの場で砕いた……」


 アスールの呟きにニキータが頷く。


「おそらく、奴らには監視がついていたんだ。きちんと任務を達成するか、失敗した場合余計なことを喋らないか――だがあいつらは俺に事情を打ち明けようとしていた。だからあの場で口封じをされたんだろう」

「酷い話だね」


 クレイザの表情は沈鬱だ。ヒトの命をなんだと思っているのだろう。まるで使い捨ての駒のよう――いや、本当に彼らは『駒』でしかなかったということか。

 ファルシェは口の中を湿らせるかのように茶を口に含んだ。


「襲撃者は神国の手の者か……だとすれば狂信的な女神教教徒だろうな」

「そう断言できるのはなんで?」


 問いかけると、ファルシェはテーブルの上で指を組んだ。


「……実は、俺はここ最近、神国に密偵を放っていたんだ」

「密偵?」

「そう。国王陛下と王太子カーシェルが行方知れずになり、そして今また神姫までも姿をくらました。神国で何が起こっているのか、知りたくてな」


 イリーネは俺の目の前に現れてくれたが、と付け加えてからファルシェは話を先へ進める。


「多分、それが神国側にばれた。加えて俺は、クレイザとニキータを匿っているともとれる行動を取ってきた。……イーヴァンは神国の属国、と考える者が神国には多くてな。二十年前のヘルカイヤ侵攻に先々代国王、つまり俺の親父が兵を出さなかったことも、理由のひとつだろう」

「神国の女神教教徒にとって、ヘルカイヤ侵攻は『聖戦』だったからね。種族平等に反する者たちを断罪するという……出兵要請を拒否したということは、女神に背くことと同義に捉えられるし」


 淡々とクレイザが説明し、またアスールが苦い顔をする。クレイザはそんなアスールに優しく微笑みかけた。まるで、気にするなと言うように。

 ファルシェがクレイザの言に頷く。


「今回のことは反抗的態度を取ってきた俺への、報復であり警告だろうな。これ以上は探るな、と」


 リーゼロッテ神国とイーヴァン王国は、元々は同じ古代に存在したア・ルーナ帝国だった。そこから独立したイーヴァンと違い、リーゼロッテは帝国時代の慣習を多く引き継いでいる。だから神国はイーヴァンを格下に扱い、世界の覇者たらんとしているのだ。

 アスールが軽く身を乗り出した。


「密偵を使って分かったことはあるのか?」

「……あまり目ぼしいものはないな。そもそも、近年国王陛下は民衆の前に姿を現さなくなった。国王としての責務を放棄し、毎日教会に籠っているという噂があるくらいでな。実際に国政を取り仕切っていたのはカーシェル殿だ。で、そのカーシェル殿が公の場に最後に姿を現したのは三か月前のこと。丁度、首脳会議に出席するために神国を発つ直前といったところか。それ以来、俺のほうではあのヒトの行動を把握できていない」


 どうも影が薄いと思っていたら、国王はそんなことになっていたのか――カイは少々論点のずれたところで納得していた。仕事を放棄して教会に籠る。敬虔な聖職者として昔から有名だったから、あながちただの噂ではなさそうだ。そうしている間にもファルシェの話は続く。


「カーシェル殿に接触を試みようとしたが、病気療養中ということを理由に面会謝絶だった。が、どうも俺は納得がいかない。あのカーシェル殿がそれほどの難病に侵されるというのもそうだが、それでヒトに会うのを避けるような御仁ではないはずだ」


 それは確かに。カイが覚えているカーシェルは十五年前の少年時代でしかないが、ここにいる者たちの評価を聞けば、カーシェルはかなりの傑物に育ったようだ。正義感が強く、頭脳も明晰、非常に真っ直ぐな性格の少年だった。きっとそのまま成長したのだろう。


「カーシェル殿に代わって頭角を現し始めたのは第二王子のメイナードだ。あの男なら俺の命を狙うくらい平気でやってのけるだろう」


 第二王子メイナード。イリーネの、もうひとりの兄。

 けれどその態度は、カーシェルと真逆のものだった。


「国王が出席するはずだった首脳会議に出席したのはメイナードだ。そこには当代の神姫としてイリーネも出席することになっていた。……だが、イリーネは会議の場に出てこなかった」

「王都ペルシエから遠く離れたオスヴィン半島で、記憶を失って――」


 クレイザの視線を受けて、カイは頷く。ニキータが腕を組み、眼帯のしていない片目をすっと細くした。


「……何か知っちまったんじゃないのか、あのお嬢ちゃんは。メイナードの立場を揺るがすような、決定的な何かを」


 それを疎まれ、捨てられた。けれど、ではなぜ殺されなかったのか。神姫が死んだとなれば、リーゼロッテの国民が嘆き悲しむと思ったからか。もしくは、僅かな兄心なのか。


「――俺が仕入れられたのはこの程度、つまり何も分からん。お前はどうなんだ、アスール? お前も何か情報を手に入れていないか。お前はカーシェル殿と特に親しかっただろう」


 問われたアスールは、苦く微笑んで首を振った。この男にしては珍しい、やるせない表情だ。


「今の私には一兵を動かす権利もない。あったとしても、リーゼロッテに従順なサレイユは密偵など送り出さないのだよ」

「そうか……まあ、仕方ないだろうな」

「……というのは、『王子』である私の話だ。元々私が単独行動を開始したのは、行方知れずのイリーネとカーシェルの無事を確かめるため。イリーネと合流できた今、私は次にカーシェルを探し出さねばならない。何かの陰謀に巻き込まれているのなら、必ず救い出す」


 なるほど、この男にはそれなりの理由があって放浪者の真似ごとをしていたのか。カーシェルを救い出す――彼の幼馴染として当然のことで、アスールならやってのけるかもしれない。だがそれでも、相手はリーゼロッテ神国そのものだ。

 ファルシェは卓上に両肘をつき、組んだ指の上に顎を乗せた。それから対面に座るアスールをじっと見つめる。


「単独で行くつもりか?」

「それは、勿論……巻き込むわけには」

「いや、不可能だな。まずお前と契約した、あのチェリンというヒトは同行するだろう。」


 アスールの言葉を遮ってファルシェはそう断言した。


「そしてお前たちの離脱を、イリーネが黙って見送るだろうか? きっと同行したいと言うだろう。そうなったとき、カイがアスールの味方につくわけがない。お前も事情を話さざるを得なくなる。話したところで、イリーネが納得するか?」


 明確なその予想に、残念ながら誰も反論できない。そうなる未来が目に見えていたからだ。


「……では、どうしろと?」


 アスールでさえぐうの音も出ないのだ。ファルシェはふっと勝者の笑みを浮かべた。


「このまま物見遊山の旅をしていればいい」

「は?」

「お前もイリーネも、神国の民に顔が割れすぎている。今のこの状況で神国に入国するのはあまりに危険だ。だからまだ神国には近付くな。ついでにイーヴァンからも離れろ。あの国の内情を探るのは、もうしばらく俺に任せてくれ。とっておきの密偵を派遣して、カーシェル殿の居場所を突き止めてやろう」


 彼の言葉には一理あった。イリーネは自国の姫かつ教会の神姫。アスールは同盟国サレイユの王子。どちらもリーゼロッテ国内では有名人だった。


「それじゃフローレンツに戻る? せっかくここまで来たけど」


 イーヴァンが国境を接しているのは、北のフローレンツと南のリーゼロッテのみ。このままでは自然とリーゼロッテ入りすると思っていたが、それを避けるとなれば戻るしかなくなる。

 けれどもニキータがにやりと笑った。


「カイ坊、もう一か所忘れてねぇか?」

「……ギヘナ大草原のこと?」

「おう」

「正気?」


 大陸中央、どの国家にも属さない草原地帯、ギヘナ。野生の獣と化身族が闊歩する無法地帯。正直、そこに入るのは自殺行為だ。


「ギヘナを北西に真っ直ぐ突っ切れば、そこはサレイユだ。なあに、心配するな。俺はしょっちゅうあそこの上空を通るから、地理は分かっているぜ」

「ちょっと待って、あんたたちも行くの?」


 驚いてニキータとクレイザを見ると、クレイザがにっこり微笑んだ。


「僕たちはみんな、メイナード王子にとっては邪魔者でしょう。いつ狙われてもおかしくはない……ということで、どうせなら全員まとまっていたほうが安全じゃないですか?」

「そりゃ、そうだけどね」


 ちらりと横にいるアスールを見ると、こちらはまたなんともいえぬ表情だ。この場合、ニキータとクレイザの同行よりも、行く場所が故郷サレイユであることが問題なのだろう。


「お前さん、弟王子に助力を求めてみたらどうだ? あいつなら何かしら協力してくれるんじゃないか?」

()です」


 頑なにそれを主張するアスールにカイは苦笑した。数日だけ先に生まれた第二夫人の子よりも、数日後に生まれた正妻の子であるアスールがサレイユでは第一王子だ。アスールはそれをまったく認めない。見ていて滑稽なほどだが、彼には彼の譲れない思いがあるのだろう。


「……まあ、ともかく。ギヘナ経由でサレイユに行くことも、ニキータとクレイザの同行も、イリーネとチェリンに聞いてみるよ」


 本音で言えば、イリーネをあのギヘナになど連れて行きたくないのだが――フローレンツに戻るというのも気が滅入る。

 カイの言葉にみな頷いた。細かいことはまた明日にでもして――今日は、もう疲れたから休みたい。それは誰もが同じだったのか、早々に解散することになったのだった。

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