◇黒翼王と吟遊詩人(7)
一度宿に戻ってからアスールの「格言」に従い、夕方近くになって再び街に出てみると、昼間とは段違いの混雑ぶりにイリーネは唖然としてしまった。昼でも混雑していると思ったのに、まだまだ序の口だったようだ。子供たちが露店ではしゃいでいた大通りはヒトで埋め尽くされ、流れに任せて歩くしかない状況にある。気をつけないと簡単にはぐれてしまいそうだ。
「……あ、クレイザがいる」
人混みの中でカイがぽつりと呟いたのだが、残念ながらイリーネの視界にはその姿が入らなかった。カイよりいくらか長身のアスールが、カイの肩に手を置いて背伸びをする。
「まさか迷子ではなかろうな?」
「迷子って、子供じゃあるまいし……」
チェリンが呆れたように溜息をつく。カイが大通りの先を指差した。
「あの子……えっと、エルケの契約主の子が一緒」
「アーヴィンが?」
エルケはようやく覚えたらしいが、まだアーヴィンの名を覚えることができないらしい。そんなカイに苦笑しつつも、イリーネは首を捻った。アーヴィンとはイーヴァン国内で会ったし、別にこの祭りにいること自体にそれほどの驚きはない。せいぜい「よく会いますね」という程度だ。問題は、なぜクレイザと一緒なのかということである。
人混みを掻き分けて進んでみると、確かにそこにいたのはクレイザとアーヴィンだ。水槽に浮いている小型人形を、小さな釣竿で釣り上げるというゲームをしていたのだ。もっとも、遊んでいたのはクレイザだけで、隣にしゃがんでいるアーヴィンは「もういいから早く行こう」というようなことを訴え続けている。
先に気付いたのはアーヴィンだ。ぱっと立ち上がった彼の表情は、恥ずかしいのか赤くなっている。
「な! お、お前たち、どうして……!?」
「いや、それこっちの台詞」
その時になってクレイザもカイたちに気付いたようだ。釣竿を返し、既に釣っていた三つほどの人形を袋に入れてもらって、クレイザがやっと立ち上がる。
「これは皆さんお揃いで。というか、アーヴィンと知り合いだったんですか?」
「はい、何度か旅の途中で会ったので」
イリーネが答えると、はたとクレイザは腕を組んだ。そしておもむろに、傍で縮こまっているアーヴィンを見下ろす。……クレイザも男性にしては小柄なのだが、アーヴィンは輪をかけて小さい。
「……まさかアーヴィン、君が付け狙ってたのって、カイさんとイリーネさん……?」
「いっ、いや、それは、そのっ……!」
アーヴィンの異常な慌てぶりと対照的に、クレイザは嘆かわしそうに溜息をついた。そしてカイとイリーネに視線を移す。
「すみません、おふたりとも。アーヴィンが迷惑をかけたようで」
「いや、さっぱり話が見えないんだけど?」
「あ、そうですね……ちょっと場所を移しましょう」
クレイザは踵を返し、ぷらぷらと袋をぶら下げて歩いて行った。訳も分からずそのあとを追うと、いつの間にか大通りを抜け、広場に入っていた。そこはイリーネたちが王都に到着した日、クレイザが演奏をしていた場所だ。そこは比較的ヒトも少なく、話をするにも丁度いい。
「で、どういう関係? 兄弟です、なんてオチじゃないでしょうね?」
チェリンに問われ、クレイザは笑って首を振った。
「兄弟ではありませんが、まあ似たようなものかな。ねえ?」
「兄弟なんて、そんなのは……おこがましい、です」
ぼそぼそと告げるアーヴィンの様子からは、おそらくクレイザを『ヘルカイヤ公子』として敬っているということが伝わってくる。
クレイザはアーヴィンの肩に手を置く。
「アーヴィンは、ハーヴェル公爵家に仕えていた家柄の出なんです。その繋がりで、いまも僕の傍にいてくれます。鷹のエルケは、代々アーヴィンの家と契約を交わしている……まあ、僕にとってのニキータみたいなものですね」
「ハーヴェル公爵家の家臣……ということですか」
アスールがやや驚いたようにアーヴィンを見やり、そして苦笑する。
「……それにしては、いささか幼いような気もするが」
「お、幼いとか言うな!」
アーヴィンはむきになったように一歩踏み出した。
「いいか、よく聞け! ヘルカイヤ公国建国のその時から百五十年、ハーヴェル公爵家にのみお仕えした忠臣中の忠臣! それがエスタール家であり、僕の一族だ!」
「アーヴィンが幼いのは当然ですよ。まだ十六歳ですし」
「く、クレイザ様ッ……!」
名乗り口上を一撃で粉砕したクレイザに、アーヴィンががっくりと肩を落とす。そんなことにクレイザが気付くはずもない。
アスールが難しい顔で口を開く。
「エスタール家の名は、私も聞いたことがある。戦時中は最前線で戦い抜いた豪傑。戦後は散り散りになった臣下を集め、クレイザを追放した神国政府に対し撤回を求める抗議活動を続けた……」
「――そして、大規模反乱になる前に鎮圧されたんだ」
沈鬱なその言葉は、アーヴィンの口から出たものだった。俯き加減で顔は見えないが、両の拳は固く握りしめられ、声は僅かに震えていた。
「僕は父上から、祖国再興の願いを託された。そうしなければならないと、母上に毎日言い聞かされた。だから母上が亡くなった時、エルケと一緒にクレイザ様にお仕えすることにしたんだ。これが祖国再興の第一歩だと信じて」
「……アーヴィン。エルケが幼い君を僕たちのもとへ連れてきたのは、そんなことのためじゃない。賞金首のエルケがひとりで君を育てるのは危険だからと……」
「エルケがどんな考えだったかは関係ないんです! クレイザ様に、ヘルカイヤに戻ってきてほしい。僕たちの願いは、それだけなんです」
目の前で始まった深刻な口論に、さすがにイリーネらが口を挟むことはできなかった。アーヴィンはクレイザを見上げる。決して泣くまいと、上を向いているようにすら見えた。
「ヘルカイヤには二十年ずっとクレイザ様の帰りを待っている者が多いんです。不意を突かれた二十年前とは違う、きっともう一度……!」
「アーヴィン」
クレイザのいくらかきつい口調に、アーヴィンが押し黙る。クレイザは溜息をつき、アーヴィンの頭を撫でた。
「ごめん。小さい時から、ずっと苦労をかけているね」
「……苦労、なんて」
「でもね、何度も言っているけど、僕はヘルカイヤに戻れないよ」
「戻らない、の間違いじゃないんですか」
アーヴィンのむくれた言葉に、クレイザは苦笑するにとどめる。
「……僕の存在は『再興の旗印』じゃなくて、『凶悪な戦争の火種』だ。間違いなく大規模戦争、二十年前の再現となるだろう」
「それは、むしろ本望――」
「駄目だ。僕は誓ったんだ、二度とヘルカイヤの地を戦場にしない。争いで失われる命や流される血を、できるだけ少なくすると」
先程までの、ぽやぽやした好青年はどこへ行ってしまったのだろう。そう思うほどの変化だった。クレイザの眼差しも声も、力に満ちた強いもの。あれだけ喋り倒していたアーヴィンも、気圧されて何も言えない。
「君の父上が抵抗運動を始めたとき、僕はヘルカイヤに戻るべきだったんだろう。でも僕はそうしなかった。いや、降伏を受け入れたときから、君のお父上は僕を恨んでいたかもしれない。考え直せと何度も言われたのを覚えている」
「そんなこと……」
「だけどね、それが僕の選んだ道だ。だからその道から外れるようなことはしない。まだ戦えると訴える者たちの言葉を却下し、敵の降伏勧告を受け入れ、従わせ……それ以上の血が流れない道を選ぶ。その結果なんと蔑まれようと、命を散らせるよりマシなんだ」
建国云百年の歴史も、誇りも。生きる上では命に勝るものではない――クレイザはそう断言した。
「これが、死んでいったみんなへの、僕のけじめだから」
正攻法でなくとも、周りに何と言われようと、クレイザはクレイザのやり方で国の民たちを守っている。
カイとニキータが評したように――クレイザは、とんでもない傑物なのかもしれない。道行く人の多くが武器を携帯している世界で、一切の武器を手放す。それはどれだけの覚悟だろうか。
クレイザとアーヴィン、両者ともに沈黙する。それを見て、カイが頭を掻いた。
「ふたりの事情は分かったけど……」
「あ、ああ、すみません。内輪揉めしてしまって」
「いや、いいんだけどさ。それで、今の話のどこから、俺がアーヴィンに狙われたことに繋がるの?」
ぎくっとアーヴィンが身を硬直させる。だがクレイザはあっさりと暴露するではないか。
「ここ最近、強くなりたい強くなりたいっていうのがアーヴィンの口癖で。そうしたらなんか『憧れのヒトができた』とかなんとかで――」
「わーッ! 駄目だ聞くなばかばかぁッ!」
アーヴィンがぽかぽかとカイを殴りつけた。たいした力じゃないのか、カイはびくともしない。怒るのはカイよりクレイザに対してが筋のような気もするが、アーヴィンがクレイザを殴るなんて万に一つもないだろう。
「つまり、最初からあんたはカイを狩る気なんてこれっぽっちもなかったわけね」
チェリンの言葉に、イリーネは微笑んだ。
「でも、そのほうがいいです。アーヴィンと会うたびに戦うの、嫌ですし」
「……そ、そうなの?」
「はい」
アーヴィンはしばらく赤面して沈黙していたが、脳内で何を考えていたのか、頭を抱えて蹲る。それを見てカイが腕を組んだ。
「ちょっと、妙なこと考えてるんじゃないだろうね」
「な、何も考えてないっ! い……いいか、僕たちとお前たちはライバルなんだ。絶対また、戦ってもらうからな……!」
「はいはい、いつでもどうぞ。でもさしあたって今日は休戦日でしょ? 一緒に屋台でも見て回りましょうや」
カイにしては珍しく、アーヴィンの腕を掴んでぐいぐいと引きずっていく。突然のことにアーヴィンは目を丸くした。
「ちょっ、【氷撃】! 話を聞いていなかったのか、僕は……!」
「アーヴィンも一緒にお店回れるんですか!?」
「……ちょ、ちょっとだけ、だからな!」
大通りへ戻ろうとするカイ、イリーネ、アーヴィンの後姿を見送る残りの三人は、それぞれ苦笑して顔を見合わせた。
「つくづくイリーネ姫に弱いのだな、彼は」
「惚れっぽいのもそうだけど、無自覚のイリーネも凶悪よね」
「純粋なんですよ、どちらも。ふふ」
辺りは薄暗くなってきている。このまま夜になれば、上空に花火があがるだろう。それはみんなで宿の部屋で見るとして、花火と酒のつまみになるものを探すというのが、男性陣の目的らしかった。日が落ちれば目が利かなくなるニキータやエルケも戻ってくる。アーヴィンも加えて、八人分だ。いつにない大所帯に、イリーネは嬉しくて仕方がない。
「なんかあっちに人だかりができてるね」
それを発見したのは、やはり目ざといカイだ。カイの視線の先を見ると、大通りの入り口あたりが何やら騒がしい。歓声が上がっているようだが、誰かいるのか。
「ファルシェじゃないでしょうか。夕方くらいから街に降りるって言っていましたし」
さも友人のように――いや、実際友人なのだろうが――クレイザが一国の王を呼び捨てる。話に聞けば随分と若く庶民的だそうだし、国王の登場は驚くほどでもないのかもしれない。見事な人気ぶりだ。
「また見つけられても困るし、場所変えましょうよ」
チェリンが心底面倒臭そうに提案する。カイと【光虎ヒューティア】のデュエルに巻き込まれた彼女からすれば、もうこりごりなのだろう。そうしようと返事をして歩き出そうとした、その時だった。
イリーネのすぐ傍を、ひとりの男が全速力で駆け出して行った。花火の打ち上げの時間が近くなってさらに人が多いこの大通りを、全力で走っているのだ。道行く人たちに何度もぶつかり、押し倒しながらも、男は走るのをやめない。一直線に、見物に来ている国王ファルシェへと向かっていくのだ。
「こんな時までデュエルか? 風情がないな」
アスールがぽつりと呟いて見送り――すれ違いざま、その男の妙な様子に気付いた。
カイはもっと早くに気付いていた。男の鬼気迫るその雰囲気は尋常ではない。手を伸ばして男を捕まえようとしたが、カイともあろう者が取り逃がした。それだけの勢いだ。
「! まずい……ッ」
人混みの中にいたファルシェは、自分に向かってくる男に気付いた。傍にいるヒューティアがすぐさま化身して迎え撃つ。カイはそれを見て叫んだ。
「駄目だ、みんな伏せろッ!」
――その言葉とほぼ同時に、大通りを爆炎が襲った。




