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氷撃のカイ・フィリード  作者: 狼花
2章 【青き嶮山 イーヴァン】
59/202

◇黒翼王と吟遊詩人(6)

 イーヴァンの夏は、朝から暑い。からっとした暑さならともかく、じめじめとまとわりつくタイプの暑さだ。

 起きて早々に一風呂浴びたチェリンは、濡れた髪を乾かしながら戻ってきた。


「あー……今日も暑いわねぇ」

「ほんとですね。あ、お水どうぞ」

「ありがと、イリーネ」


 イリーネが差し出したコップを受け取って、チェリンは水を飲み干す。そのまま窓に手をついて、眼下の大通りを見下ろした。正直言うと、風呂上りの薄着姿でそんなところに立ってほしくない。


「もう少し休んでいてくれても良かったんですよ? 昨日も仕事こなして疲れたでしょう」

「そんな大層な仕事じゃなかったから平気よ。あんたとカイみたいに、王都から出て遠出したわけでもないし」


 軽い気持ちで仕事を請けたらインデの街まで配達だった、というのは、その日の夜チェリンとアスールに盛大に笑われたのだ。よく見てみれば王都内で済むこまごまとした依頼はたくさんあり、事実チェリンたちは堅実に小さな仕事をこなしていた。イリーネとカイよりよほど勤労的だ。

 朝食を作るために色々と食材や器具を出していると、外を眺めていたチェリンがおもむろに振り返った。


「ね、今日って何かあるの?」

「何かって?」

「外が慌ただしいのよ」


 言われてイリーネも、窓から外を見下ろした。元々朝市などで早い時間から賑やかな商店街だが、今日はいつにも増して人が多かった。大きな屋台を建てたり、道の脇に花の鉢植えを置いたり、看板を取り付けたりと、忙しそうだ。


「あっ、そういえば。昨日ニキータさんから聞いたんですけど、今日からお祭りなんです」

「祭り?」

「はい。夜には花火も上がって、綺麗だそうですよ」

「それは……絶対あの変態紳士が遊びに行こうって言うわね」


 げんなりとチェリンが呟く。街ごとの特産や名物をしっかり記憶しているようなアスールだ、王都の祭りを知らないわけがない。十中八九、そうなるだろう。


「チェリン、お祭り行きたくないんですか?」

「へっ?」

「最近四人で一緒ってあんまりなかったし、お祭り楽しそうだなあって思ってたんですけど……」

「ち、違うわよ! 後であいつと顔合わせたら、開口一番それを言ってくる様が思い浮かんじゃっただけ。あたしだって、そもそも祭りとか初めてだから、見てみたいのよ。だから一緒に行くわ」


 なら良かった、とイリーネは微笑む。本当にここ最近、四人で顔を合わせるのは朝と夜だけだったのだ。今日くらいは、みんなでゆっくり見物でもしたい。そう思っていても、無理矢理引っ張っていくのは申し訳ない。そんなことを悩んでいただけに、チェリンの言葉にほっとしたのだ。





★☆






「祭りとは、昼、夕方、夜と、最低三回は出向くものだよ。時間帯ごとに違った雰囲気を味わえるからな」

「へえ、そうなんですね」

「そんなに出かけるの……?」

「いや、余程近所に住んでないとそんなことできないでしょ」


 自信満々のアスールの言葉に納得しかけたイリーネとチェリンだったが、ばっさりとカイが現実を突きつけてきた。先を行くカイは、イチゴシロップをかけたかき氷をしゃくしゃくと食べながら歩いている。カイにとって武器である氷を削って食べる、『かき氷』というものは画期的な代物だったらしく、今度自分も作ってみようかな、なんてことを呟いていた。


 昼過ぎから始まった、王都オストの夏祭り。祭り好きで知られる国王ファルシェのもと、この国では年に何度も祭りが開催されるが、この夏祭りが国内最大規模のものだ。観光客も各地から訪れ、この時期はどこの宿も満室になるのだそうだ。それを思えば、一番いい時期にイリーネたちはオストに滞在することができていた。

 祭りが始まると同時にアスールに促されて宿を出ると、大通りはかなりの盛り上がりを見せていた。道の両脇に並んだ露店では飲食物や土産物を売ったり、ゲームができたりする。イリーネにとっては見ているだけで楽しい光景だ。


「その『余程の近所』に、いま我々は滞在しているのではないか。楽しまないでどうする」


 この大通りに面した宿に宿泊しているのだから、それはそうだろう。嘆かわしげに溜息をついたアスールは、一転して微笑みを浮かべた。


「この祭りの本番は夜の花火。観光客もそれを目指して王都に来る。つまり夕方から夜が一番混雑するのだ。だから、比較的ヒトの少ない昼間が絶好の時間だ」


 確かに周りを見てみれば、すれ違うのは近所に住む子供たちの集団が多い。この祭りも今だけは『地元の祭り』として楽しめるのだろう。


「まあ、花火はどちらかといえば宿の窓からのほうが綺麗に見えるだろう。祭りを楽しむべき時はいま! さて、まず何から始めるか……」

「アスール、目が本気ですね……」

「ふふ、何せ時間と財布との勝負。いかに効率よく目当ての店を攻略するかが重要なのだよ、イリーネ姫」


 訂正しよう。目が本気なのではなく、アスールは完全に本気で屋台を攻略する戦術をたてていたのである。それを悟ったイリーネは、何も言わずに後をついて回ろうと決意していた。





「……あーっ、もう! また外れた!」

「チェリー、もっと右だよ、右。下手だなあ」

「そういうあんただって、さっきからひとつも景品取ってないじゃないの」

「射的って意外と難しいんだなあ。こんなに至近距離から当ててるのに、倒れない」


 銃を構えたカイは、台座からかなり身を乗り出して引き金を引いた。見るからに反則な気もするが、それでも銃弾は軽い音と共に弾かれてあらぬかたへ飛んで行ってしまう。隣のチェリンも似たようなものだ。普段猟銃を向けられる側のふたりが銃を構えているのは妙な光景である。


「こうなったら一個は絶対取ってやるわ……! おじさん、もう一回」

「頑張るねえ、お姉さん」


 チェリンが出した小銭と引き換えに、射的屋の男性が銃弾をいくつか差し出す。銃弾を装填するチェリンの姿は、どこぞの一流スナイパーのような貫禄だ。


 カイとチェリンが射的でムキになっている間、イリーネとアスールは少し離れたベンチに座って休憩していた。アスールの手にある紙皿には焼き鳥の串が乗っており、既に数本は串だけになっている。イリーネも少しおこぼれにあずかっていた。「これで酒があれば」とアスールは少々残念そうだ。酒を売っている店はあるのだが、どうも遠慮して買ってこないらしい。さすがにまだ真昼間だ。

 ふたりが座る位置からは、真正面にカイとチェリンの背中が見える。あと幾ら射的につぎ込むのだろう、と苦笑していると、アスールが口を開いた。


「祭りというのはやはりいいものだなぁ」

「アスール、本当にお祭りに慣れてるんですね」

「ふふ、私の故郷は観光業で成り立っている国だからな。街そのものが巨大な娯楽施設になっているようなところもあるから、毎日お祭り騒ぎだったよ」

「街そのものが? すごい」

「良ければいつか案内しよう。……といっても、もう街の様子も変わっているかもしれないか」


 懐かしそうに語る横顔は、長いこと故国と関わりを持っていないことを示している。イリーネはそんなアスールを見やり、持っていたお茶の紙コップをくるくると手の中で回した。


「アスールは、どうして放浪の旅をしているんです?」

「……そうだなぁ」


 打てば響くタイプのアスールが言葉に詰まったことはそうそうない。イリーネは軽く首を振った。


「言えない事情だったら、いいんです。ごめんなさい」

「いや、違うよ。……すまない、謝らないでくれ。どう説明したものかと、考えてしまって」


 アスールは微笑み、片手で顎をつまんだ。


「見識を広げるため……と言えば聞こえは良いが、実際は少々情けない事情でな。簡単に言ってしまえば、家族仲があまり良好ではないのだ」

「家族仲……って、サレイユ王家のヒトたち……?」

「ああ。だから、あれこれと理由をつけては逃げ出している。……私には兄がいてな。優秀な男だから、彼に任せておけば万事うまくいく」

「兄? あれ、アスールって第一王子ですよね?」


 そこが複雑なのだよ、とアスールは肩を落とす。


「現国王の正妻の子、それが私だ。兄は私よりほんの数日早く生まれた、第二夫人の子だ。……数日の差なら誤魔化しようがいくらでもある。立場的な問題から、私が先に生まれたことになっているのだ」

「……」

「まあ、そういうことでな。正妃派と第二夫人派でサレイユ王家は割れている。兄弟仲は非常に良好なのだが、取り巻きがうるさくてな。混乱を避けるためにあまり顔を合わせないようにしているのだ」


 複雑というより、非常に面倒臭い王家の内情に、イリーネは沈黙してしまう。アスールが王太子(・・・)ではなく第一王子(・・・・)という身分だということから分かるように、サレイユでは正式な王位継承者が決定していない状態なのだ。正妃には正妃のプライドがあるだろうし、第二夫人は王の子を少しでも早く産んだという事実がある。どちらも譲れないのは仕方がないのかもしれない。

 けれども、アスールは本当に『逃げ出して』いるのだろうか。この男に限って、逃げるなんてことがあるのだろうか。もっと別の理由で国を出ているのではないか――と、イリーネは勘ぐってしまう。


「すまない。つまらない話を聞かせたな」

「そんなことないです! アスールは、いつも自分一人でなんとかしちゃうヒトだから……話してくれて嬉しかったです」

「……ありがとう」


 アスールは微笑み、焼き鳥の串を手に持って口に運ぶ。イリーネもお茶の紙コップに口をつけた。しばらく二人の間に静寂が舞い降りる。

 遠くの方から祭りを盛り上げる楽器の音色が聞こえてくる。耳に覚えのある琴の音がしたので、咄嗟にクレイザの姿が脳裏に浮かんだ。彼もどこかで、祭りを楽しんでいるのだろうか。


「私も一つ聞きたいことがあるのだが、いいかな?」

「あ、はい?」


 沈黙を破ってアスールから声がかけられた。


「カイが記憶を失う前のイリーネ姫を知っているというのは、もう君もお分かりだろう。もしかしたら、私も君の知人かもしれない。……何も聞かなくて、いいのか?」


 ――それは分かっていた。今聞けば、アスールは答えてくれるかもしれない。いや今でなくとも、カイもアスールも、きちんと聞けば答えてくれたのかもしれない。それをしなかったのはイリーネ自身だ。カイたちが話さないのは、聞かないほうがいいから。――そう思うのは甘えだ。


「自分が何者か知りたいし、記憶も取り戻したいとは思うんですけど……多分、怖いんです、私」

「知ることが、か?」

「いま四人で旅しているの、すごく楽しいから。思い出したら、きっと同じようにはできない。……調子いいですよね、このままで良いわけないのに」


 何と言おうとアスールはサレイユ王家の人間、ずっと一緒になど無理だ。チェリンだって、アスールと契約しているからにはアスールの傍にいる必要がある。

 カイだって、いつ何が起こるか――。


「……心配はいらない。イリーネ姫と全く同じことを言っていた奴もいたからな」

「え?」


 アスールが無言で指さした先に、射的に興じるカイの後姿がある。


「口止めされてはいたが、カイも今のこの状況を楽しんでいるのだ。……あいつは、無理に記憶を取り戻す必要はないと言っていた。だがイリーネ姫が記憶を取り戻したいと願っているのなら、カイの頼みだろうが無視しようと決めていたのだが……」


 さらっと酷いことを暴露したアスールは、優しく微笑んだ。


「イリーネ姫もそのつもりなら、私は何も言わぬ」

「アスール……」

「大丈夫。何があろうと君の味方でいるヒトが、この世界には少なくとも四人はいる。私はそう断言できるよ」


 四人と言われ、イリーネは目を瞬いた。うぬぼれていいなら、きっとカイとアスール、チェリンを指してくれているのだろう。だとすれば、あとひとりは――?

 アスールはにっこりと笑い、明言は避けた。そしてあっと顔をあげる。


「ふたりが戻ってきたぞ。やっと勝負がついたのかね」


 イリーネも同じく顔をあげる。カイとチェリンが何やら言い争いながら戻ってきていた。カイの手には何か白いものが握られている。


「お帰りなさい。何か取れたんですか?」

「それがさ。こいつ、それ(・・)取ったらあっさり引き上げたのよ。あんなに粘ってたのが何だったのかってくらいよ」

「だって俺、最初からこれ(・・)狙いだったもん。他の景品だったらすぐ取れてたよ」

「それはひとつも取れなかったあたしへの嫌味かっ」


 チェリンが怒っているのを無視して、カイは持っているものを座っているイリーネに差し出した。訳が分からず受け取る。

 それは、掌に乗るサイズの小さなぬいぐるみだ。白くてふわふわの、仔犬のぬいぐるみ――。


「可愛いでしょ? イリーネにあげる」


 すまして言うカイの姿に、イリーネは微笑んだ。ぬいぐるみを抱きしめて頷く。

 さりげなさすぎて、事情を詳しく知らないアスールとチェリンには伝わらないだろう。カイがなぜ、白い仔犬のぬいぐるみ(・・・・・・・・・・)に執着していたのか。

 伝わらなくていい。イリーネが分かるのだから。


「ありがとう、カイ。……ずっと大事にします」

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