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氷撃のカイ・フィリード  作者: 狼花
2章 【青き嶮山 イーヴァン】
56/202

◆黒翼王と吟遊詩人(3)

「身分明かしちゃって良かったの?」

「あそこではぐらかしたら、明らかにおかしいだろう。前にも言ったが、いつかは告げるつもりだったのだ。たいした問題じゃない」


 アスールはけろっとした顔で笑っている。それを見てカイも「そう」と頷いた。


 イリーネとチェリンが作ってくれた大量のコロッケ――ジャガイモのみのものと、牛肉のコロッケ――は、クレイザとニキータが食卓に加わったことであっさりとなくなってしまった。クレイザは食が細かったが、対照的にニキータの胃袋が凄まじかったのである。

 食事の片づけを終えて、女性陣は自分たちの部屋へ引き取った。当分は王都に留まるのだからそんなに早く休まなくても、と思わないでもなかったが、なんだかんだこれまで規則正しい生活を送ってきたのだ。すっかり夜行性がなりを潜めたカイも、そろそろ欠伸が出てくる。


 ちなみに、まだクレイザとニキータは入り浸っている。アスールとクレイザ、カイとニキータがそれぞれ会うのは久しぶりなのだ。旧交を温めたいというのが双方の言い分であるが、別にカイはニキータと思い出話などしたくない。


「あの、さっきはすみません。まさかアスールさんが身分を伏せていたとは思わなくて……」

「いいんですよ。むしろ、正体を明かす良いきっかけになりました」


 アスールはそう言ってクレイザを励ますが、クレイザはしょんぼりしたままだ。……なんとなく天然っぽい。それより幾つなのか。二十年前の戦争時にクレイザはハーヴェル公爵の代理として降伏の調印を行ったのだから、物心はついていたはず。となれば二十代後半で、アスールよりいくつか年上になるはずだが――どうしたものか、少年にしか見えない。せいぜい十代後半だ。


 サレイユ王国の第一王子アスールと、ヘルカイヤ公国の次期公爵のクレイザ。幼いころから面識があって当然だ。ついでにいえば、アスールがイーヴァン国王ファルシェと面識があるのも当然。だから数日前、サディの街でアスールはファルシェから逃げたのだ。

 けれども、お互い内心は複雑だろう。――リーゼロッテ神国とサレイユ王国は古くから盟友の関係。リーゼロッテがヘルカイヤと戦争したとき、サレイユは神国の援軍として兵を出した。クレイザからすればサレイユも神国同様に憎いはずだし、アスールも負い目がある。争った当事者ではないのだから関係ないだろうとカイは思うが、気にしてしまうのが人間というものだろう。ふたりとも、再会した時からどこか静かだ。


 ニキータが組んでいた腕を下ろした。


「それよりも、あの嬢ちゃんは何なんだ?」

「ひどい言い草だな。イリーネはイリーネだよ」


 むっとしてカイが反論するが、クレイザも控えめに口を開いた。


「イリーネさんって……神国のイリーネさんですよね?」

「だから……」


 声を荒げかけたカイの後ろ襟を、不意にアスールが掴んだ。ぎょっとしてカイが振り返るより前に、服の中にアスールが何かを放り込んだ。途端、カイが悲鳴を上げて飛び上がる。


「ちょっ、この変態紳士……!」

「少し落ち着きたまえよ。お前はイリーネのこととなると血が昇って仕方ないな」


 カイが背中に入っていたものを取り出す。氷の欠片だ。冷たさや寒さに強いカイでも、さすがに不意打ちは驚く。

 代わってアスールが手短に事情を説明した。といっても「記憶喪失なんです」の一言なので、本当に短い説明で終わってしまった。


「道理で。僕、何度もイリーネさんと会ったことがあるのに、目の前に立っても無反応だったから結構ショックだったんですよね」


 ポジティブなのかそうでないのか知らないが、クレイザは深刻ぶることもなくほっとした様子だ。イリーネらと食卓を囲んでいる最中、うっかりクレイザがイリーネに声をかけないか心配だったのだが、彼も異常な雰囲気は感じていたらしく危険は回避されていた。


「お前さんが身分伏せてまで同行してたのは、お嬢ちゃんを守るためかい」


 ニキータに問われ、アスールは微笑んだ。


「カイがいますから、その必要はなさそうですけれどね」

「まあ、お前さんは心配で仕方なかろうな」


 コップになみなみと注がれていた水を、ニキータは一気に飲み干す。いつこの親父に「おい、酒持ってこい」と言われるか内心構えていたのだが、どうやら水で我慢してくれるらしい。見た感じ金には余裕がなさそうだし、酒なんて贅沢品には手を伸ばさないのかもしれない。


首脳会議(・・・・)は突然の欠席、以来病気で療養中(・・・・・・)ってのがもっぱらの噂だ。まさかこんなところで、記憶を失ってピンピンしているお嬢ちゃん本人に会えるとは思わなかったぜ」

「……詳しいね」


 カイが指摘すると、ニキータがにっと笑う。


「俺ぁ、元々索敵と諜報が仕事だからな。普段から情報収集は怠らないのさ」


 ニキータはトライブ・【クロウ()】だ。黒翼王という名は見た通りである。翼を広げれば化身したカイ以上に大柄で、正直カイはこの男に勝てる気がしない。性格通り嫌味な戦い方をしそうだし、単純に力が及びそうにないのだ。

 ヘルカイヤ公国が滅ぶ前は、公爵家の【目】として各国を飛び回っていたそうだ。だから、化身の範囲を限定してしまう契約という行為を、ニキータは誰とも行ったことがない。平時は大陸中の情報を収集し、有事があればすぐさま国に戻り、戦時は最前線で公国軍を引っ張って戦う。契約してもいないのに長いこと忠義を尽くした――いや、今現在もクレイザのために動く――ニキータは、化身族でもかなり異質な存在だろう。


「何があった?」


 ニキータの視線を受けたカイは、なんとはなしに話をややずらした。


「随分気になるんだね」

「誤魔化さねえでさっさと答える」


 強い眼差しは、真剣そのもの。誤魔化すこともはぐらかすことも許さぬ目だ。

 ニキータの行動理念は今も昔も変わらない。ヘルカイヤの民を守るため、だ。それをはっきり本人の口から聞いたことはないが、見ていれば分かる。でなければ、こんな真剣な眼差しになるものか。


 カイは観念して口を開いた。


「……俺は十五年間イリーネと音信不通だったんだ。だからその辺はこっちに聞いて」


 前置きと共に指差した先に、佇むアスール。


「ペルシエで首脳会議が始まったころ、オスヴィンの俺の隠れ家に人間が大きな箱を捨てに来た。その時はハンターか何かかと思っていたけど、今思えばどこかの兵士だったかもしれない。で、箱の中にいたのはイリーネだった」


 うーん、とクレイザが腕を組む。


「護衛に就いていた兵士でしょうか。彼らのやり取りとか聞きました?」

「自分たちが運んでいるのが人間の女の子だっていうのは知ってたみたいだけど、それがイリーネとまで知っていたかは分からない。下っ端みたいだったからね」

「各国首脳が集まったどさくさで何者かに連れ去られたって説も考えられるけど、その割に表立ってリーゼロッテがイリーネさんを捜索している様子はないんですよね。だとすれば、やはりリーゼロッテが……」


 この公子、天然なだけではない。能天気そうに見えて、頭の回転は速いようだ。さすが、一度は幼くして国を預かり、いまもニキータを従える男か――。


「昔からリーゼロッテはキナ臭ぇなぁ。今回の会議だって、国王が急用でドタキャン、王太子が療養中でアウト、それでしゃしゃり出てきたのがあの第二王子だ。この時点でおかしいだろ」


『王太子はともかく、なんだ国王の急用って』、とニキータが毒づく。アスールが眉をしかめた。


「イリーネも出席すると聞いていたのに、会議の場に現れたのは第二王子だけだった。おかしいと思ってメイナードを問い詰めても、知らぬ存ぜぬを決め込まれたが……知らぬはずがない。間違いなく、あの男の仕業だ。イリーネのことだけでなく、国王の急きょ欠席も、王太子の病も……」


 それくらいの小細工はしそうな人間だった。

 リーゼロッテ第二王子、メイナード。カイは数えるほどしか会ったことがないし、十五年前の彼は勿論少年だった。

 けれども――幼いイリーネをいじめる奴だったから、カイにとっては敵なのだ。


 混血種(まざりもの)と呼ばれてイリーネが泣くのを分かっていて、それを連呼した男。

 何度アスールが諌めても、王太子カーシェルが諌めても、時にイリーネ本人が怒っても、悪びれることがなかった。

 そうだ――あの時、噛みついてやれば良かったのだ。子供だからと、少年特有の悪戯だろうと、躊躇した自分が愚かだった。噛み殺して(・・・・・)しまえば、こんなことには。


「……カイ。お前、また背中に氷入れられたいのか?」


 アスールの声がして、カイは我に返った。勢いよく首を横に振る。アスールの言葉を否定するための首振りだが、自分の思考を晴らすためのものでもあった。

 アスールに伝わるほどの形相と殺気だったのか。カイはいささか反省して自分の眉間をもみほぐした。


「まあ事情は分かった。それで? 捨てたはずのお嬢ちゃんがうろうろしているのが犯人にばれたらまずいってのは、お前らも分かってるだろ。にもかかわらず、物見遊山しているのはどういうわけだ?」


 詰問調のニキータの声に、年甲斐もなく叱られている気分になる。横にいるアスールも同じなのか、旗色悪そうだ。黒づくめで隻眼、緋色の目、長身でがっしり体型、さらに低い声。どれをとってもこの男は悪い組織の頭目にしか見えない。これで顎鬚があって葉巻でも咥えていたらそれっぽいのだが。


「イリーネが、昔言ったんだ。大きくなったら世界中旅したいって。いい機会だから……って言ったら不謹慎だけど。俺はその願いを叶えてやりたい。……そのために、不安にさせるようなことは言いたくないんだ」


 素直にそう白状すると、隣でアスールは小さく息を吐き出した。


「危険は承知。それでもイリーネにとってはかけがえのない経験だ。……それに、我々が手を放したところで、今の彼女には戻れる場所がないのですよ」


 その言葉は、カイと気持ちは同じということだ。

 ニキータがやれやれと肩をすくめた。


「説得するだけ無駄か。あーあ、面白そうだからついていってみてぇところだが、サレイユ第一王子と【氷撃】がいるってだけで目立つのに、俺とクレイザが加わっちゃあ『見つけてください』って言っているようなもんだな」

「まったくだよ。嫌だよ大所帯は」

「王都にはしばらく留まるんですよね? その間だけでもちょくちょく絡みに行ってもいいですか?」


 にっこり笑ってクレイザが言う。絡むって言うのはつまり、街中でばったり(・・・・)出くわしたり、成り行きで(・・・・・)食事を共にしたり、そういうことだろう。


「あんたたちふたりは、これからどうするの?」


 問いかけると、ニキータとクレイザは顔を見合わせた。ぼりぼりと脇腹を掻いたニキータが口を開く。


「どうするって、クレイザが演奏の仕事している間に、俺は空の見回りだ」

「なにちょっとカッコつけてるの、ただの散歩でしょ。……なんか気楽だな」

「そうなんです、毎日気楽で楽しいですよ」


 カイの発言に怒りこそすれ、まさかクレイザに同意されるとは思っていなかったので、カイも毒気を抜かれて溜息をついた。


「歌を歌うのも、竪琴を弾くのも好きですから。好きなことを仕事にできるのは、幸せですよ」


 実感のこもったクレイザの言葉に、カイは沈黙する。さっきから散々能天気だの天然だのと感じてきたが、思えばクレイザも大変な目に遭ってきたのだろう。好きなことをやっていられるのは、確かに幸せだろうな――とカイはぼんやり思う。

 すると「あっ」とクレイザが何か思いついたようにこちらを向いた。


「そういえば、今度ファルシェに会うんですよ」

「……ファルシェって、イーヴァン国王?」

「そうですよ」

「なんで会うの?」

「僕の歌を気に入ってくれて。王都にいる間、何回か王宮にお呼ばれするんです」


 そりゃ正体ばれるだろ、とカイは危惧したものだが、案外そうでもないらしい。そもそもヘルカイヤ公国が併合されてから、クレイザは一般人の前から姿を消したそうだ。つまりそのころすでにニキータとふたり放浪の旅に出ていたわけで、大部分の人間が覚えているクレイザは少年の姿なのだ。今目の前にいる青年を見て、クレイザとは思わないのだとか。せいぜいイーヴァン王宮でも、「ファルシェが気に入っている旅の楽士」くらいの認識だそうだ。


「どうしても首脳会議とか顔を出さなきゃいけない時があるんですけど、そのときファルシェと仲良くなりまして。……イリーネさんのこと、お話してみましょうか? 彼なら後見になってくれますよ」


 カイはアスールを見やった。王族同士の関係など、カイが知るはずもない。アスールならば、ファルシェという青年王を信用できるか判断できるだろう。


「確かにファルシェなら味方になってくれるだろうし、援助も有難いのだが……あいつは面白そうなことと見ればすぐ首を突っ込みたがるからな。あまり王族連中と関わり合いになりたくないものだ」


 渋っているアスールの表情からは、ファルシェが相当厄介な性格をしていることが伝わってくる。結局アスールは「少し考えさせてくれ」という回答をするにとどめた。さすがにイリーネたちに言わないままではまずいだろう。


「はい。それじゃニキータ、そろそろお暇しようか。ずいぶん長居しちゃったし」

「そうだなぁ。どっこいせっと」


 ずっと座っていた椅子から掛け声とともに立ち上がったニキータは、やれやれと腰を叩く。どこの親父だ。


「俺たちはひとつ向こうの路地の宿に泊まってるから。なんかあったら、遠慮なく来いよ」

「ん、ありがと」


 素直に礼を言って見送ると、ニキータはにやにや笑いながらカイの頭を叩いた。カイはそれを振り払って、それきり彼らのほうを見なかった。

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