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氷撃のカイ・フィリード  作者: 狼花
2章 【青き嶮山 イーヴァン】
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◇黒翼王と吟遊詩人(2)

 弾き語りが終了する。見物客たちは拍手と共に、傍に置いてあった箱の中におひねりを放り込んだ。堂々とした演奏姿から一変した青年が、ぺこぺこしながら礼を言っている。

 次第に人だかりの輪が崩れて行ったところで、ニックという黒づくめの男は青年の下へずかずかと歩いて行った。イリーネらはその場で立ちすくんでしまう。


 青年はニックに気付くと、銅貨の大量に入った箱を抱えて微笑んだ。


「ニック、お帰り。宿は取れた?」

「ああ、なんとかな。お前の噂を知ってた宿の女将が特別にまけてくれたんだよ」

「そうだったの? それは有難いなぁ」


 嬉しそうな青年は、その場に佇んでいる四人に気が付いた。そして軽く会釈をしてくる。幾つだろう――争い事と縁遠そうな、優しげな物腰だ。


「聞いてくださってありがとうございます」

「あ、いえっ! 素敵でした」


 咄嗟にイリーネが笑顔でそう返す。実はニックの登場で殆ど演奏を聞けなかったので申し訳なかったと思いつつ、こう答えるしかない。

 すると、目の合った青年がぽかんとした表情になった。


「……貴方は……」

「え?」


 イリーネが首を傾げたとき、後ろからアスールが進み出た。カイが引き止めるように名を呼ぶが、アスールはそれを無視する。

 青年ははっきりと驚きの表情を浮かべた。慌てて箱を下ろして頭を下げる。……誰に? アスール(・・・・)に、だ。


 アスールは手をあげてそれを制した。苦笑を浮かべて、青年に顔を上げさせる。


「どうか顔を上げてください。……お久しぶりです、クレイザ」

「アスールさん、まさかこんなところでお会いするなんて……」


 どうやら知り合いらしい。カイもニックと面識があるようだし、つくづく人脈の広いヒトたちだ。

 それにしてもアスールが敬語を使うクレイザという青年は何者なのだ。さっぱり事情の呑み込めないイリーネとチェリンは、顔を見合わせて首を傾げる。


「まあまあ、まずは場所を変えようや。……お互い、安易に名乗れない素性なんだからよ」


 ニックがそう言って、なぜかイリーネに向けてウインクをしてくる。それを見たカイが鋭くニックを睨み付けたが、その言い分には賛成らしい。ニックとクレイザを連れ、宿に戻ることになった。





 先程と同じように男子部屋に全員が集まる。男性陣はベッドやら椅子やらにそれぞれ腰を下ろし、チェリンとイリーネは室内にある簡易調理台で夕食の準備に取り掛かった。一応、彼らの話を聞きながら作業は出来る。

 イリーネらが名乗った後、窓辺のベッドに腰を下ろしたクレイザが、申し訳なさそうに肩を縮めた。


「すみません、勝手に押しかけておきながらお夕飯まで……」

「いいのよ、どうせ多めに作るつもりだったし。……はい、じゃあイリーネ、これ潰してね」

「はい」


 ボウルに入った茹でたてのジャガイモを受け取ったイリーネは、大きめのスプーンでそれを潰しはじめた。ボウル越しでも伝わる熱と大量の湯気に最初のうちは苦戦したが、徐々にそれにも慣れる。

 チェリンは一時手を休めて男性陣を見やる。


「それで? どこの誰なの、そっちのふたりは」


 その誰何にまず答えたのはクレイザだ。


「クレイザといいます。こちらは化身族のニック」

「ってのは偽名だけどな」

「ちょっと!?」


 クレイザがぎょっとしてニックを振り返る。窓にもたれて立っていた黒づくめの大男はにやにやと笑っている。


「別にいいじゃねぇか、どうせ男どもにはばれてるんだ」

「それは、そうだけど……」


 渋るクレイザを差し置いて、ニックはイリーネとチェリンに視線を移した。一発目に偽名を名乗られたことにあまり気分が良くないチェリンは胡散臭い目をしている。


「悪いな、ニックってのは渾名だ。本名はニキータってんだ」

「ニキータ? どこかで聞いたような……」


 ぽつっと呟いたイリーネは、一瞬の後にその正体を悟った。チェリンも唖然としている。


 カイが溜息をついた。


「……そ。賞金ランキング第四位、【黒翼王(こくよくおう)ニキータ】だ」

「ええッ!? な、なんでそんなヒトがここに……!?」

「おいおい、そんな驚くことないだろ。目の前に【氷撃のカイ・フィリード】がいるってのに」


 それはそうだけど。ちらりとカイを見やると、カイはベッドの上で胡坐をかいて座っている。ちょっぴり猫背ぎみだ。

 カイは――いつも当たり前のようにそこにいるし、普段はぼやっとしていることが多いから、賞金ランキング第五位とか【氷撃】とかいうようには見えないのだ。


 チェリンが驚きを収めて、クレイザに視線を送る。


「じゃ、じゃあ、あんたが契約主?」

「いえ、僕たちは契約していないんです。ニキータにとって契約は枷になることが多いですからね」


 小さく微笑んだクレイザは立ち上がると、静かに頭を下げた。軽いお辞儀なんて代物ではない。足の爪先から手の指先まで気を配った、正式な一礼だ。顔を上げたクレイザが名乗る。


「クレイザ・H(ヘルカイヤ)・ハーヴェルと申します」

「……ヘルカイヤって、ま、まさか……」

「世が世であれば、ハーヴェル公爵の地位に就いて一国を治めていた方だな」


 これはアスールの説明だ。じんわり嫌な汗をかいているチェリンだったが、イリーネにとって『ヘルカイヤ』とは「どこかで聞いた覚えがある」という認識でしかない。話について行けず、しかし問いかけることもできずに立ち尽くしていると、カイがすすっと傍に寄ってきて耳打ちしてくれた。


「二十年くらい前に、リーゼロッテ神国が滅ぼした国があるって言ったでしょ。そこがヘルカイヤ公国。ハーヴェル公爵が治める小さな国で、あのヒトは公爵の長男だった」


 ヘルカイヤ公国。大陸最南東にかつて存在した、公爵の治める小さな国家。大陸と陸続きではあったものの、突き出た半島の態を成していたヘルカイヤ地方は、周りを海に囲まれた豊かな国だった。今の時勢には珍しく、人間と化身族が友好的に共存していた国家でもあった。

 その豊富な漁場を狙ったのか、それとも別の目的があったのか。二十年ほど前にリーゼロッテ神国は大挙してこの小国へ攻め込んだ。表向きの理由は「平等の女神エラディーナの名のもと、化身族を虐待する公国民を断罪する」というものだったが、誰もがそれを否定する。虐待どころか、ヘルカイヤは世界で最も種族平等の思想が発展した国であったはずだ。けれども防戦虚しく、国家元首であるハーヴェル公爵は戦死。まだ幼かった公爵の嫡男クレイザは降伏の道を選び、ヘルカイヤ公国はリーゼロッテ神国に併合され、今では神国の一地方となっている。


「ニキータは、百五十年近くハーヴェル公爵家とのみ契約していた化身族でね。あのヒトの存在にはリーゼロッテも相当手を焼いたって話だよ。それで賞金額が跳ね上がったらしい」

「へっ。百五十年公爵家に仕えて、賞金額は一億ギルだ。たった三十年ぽっちで九八〇〇万ギルまで額を上げたお前は、一体何をやらかしたんだろうなぁ?」


 にやにやと笑いながらニキータがカイをからかう。カイはまた不機嫌そうにニキータを睨み付け、そして無視する。

 チェリンは持っていた菜箸を、いささか行儀悪くニキータとクレイザに突きつける。強さを至上とする化身族の彼女にとってニキータは畏怖の存在だろうが、表面上まったく怖気づいた様子はない。


「じゃあなんだって亡国の小公爵さまと特級手配者が、竪琴片手にこんな場所にいるのよ?」

「吟遊詩人として諸国漫遊中なんです」

「は?」

「有体に言えば、国を追い出されたわけだ」


 にべもないニキータの説明に、クレイザが苦笑いを浮かべる。これまで沈黙を保ってきたアスールが腕を組んだ。


「公国の民の、ハーヴェル公爵一族への忠誠心は非常に篤いものだったと聞く。その嫡子がヘルカイヤに留まっているとなれば、クレイザを旗印に反乱が起きかねない――だから追放されたのだ、神国側から」

「そっちはよく分かってるじゃねぇか」

「僕としては性に合っているので、むしろ楽しいくらいなんですけどね」


 悲壮感もまるで感じないクレイザの言葉に、「そんなものなのか」と思う。潰したジャガイモをチェリンに渡して、イリーネは次の作業に移った。


「カイとニキータさんはお知り合いなんですね?」

「イリーネ、こんなおっさんは呼び捨てで良いよ、呼び捨てで」


 カイにおっさん呼ばわりされた隻眼の黒翼王は、器が広いのかけらけらと笑っている。見た目は確かに三十代半ばほど。すでにカイの寿命以上の百五十年を生きているらしいが、この分だとまだ長生きできそうだ。


「三十年前、フィリードを出てすぐに出会ったんだ」

「こいつ、あの時買い物の仕方すら知らない世間知らずだったからなぁ。無一文で街をふらふらしてるのを見かけて、何日か養ってやったのさ」

「その節はどうもありがとうゴザイマシタ」

「おーおー、棒読みかこの野郎」


 引き攣った笑みを浮かべてカイの頭に拳骨を振り落したニキータは、まさにそう――『おじさん』。

 つい先程「百五十年公爵家に仕えて」と言っていたが、仕える(・・・)なんて殊勝なことができたのかが極めて怪しい気がしてくる。


「……とまあ、そんなわけで。俺とクレイザがここにいるのはまるっきりの偶然だ。クレイザが仕事している間に今晩の宿を決めて、戻ってみたら懐かしい顔を見つけたから声かけたってわけ」


 イリーネが形を整えたコロッケに、チェリンが衣をつけて油の中へ滑り落とす。見事な流れ作業だ。


「それよりも俺は、なんだってここにお前さんがいるのかが気になるんだけどな?」


 ニキータが視線を向けた先に――先程自分で淹れたコーヒーを涼しい顔で啜る、青髪の貴公子。この暑いのによく温かいコーヒー飲むね、なんてカイに茶化されていた。

 アスールはカップをテーブルに置いてにっこり微笑んだ。


「なんのことで……」

「あっ、そうですよアスールさん! フローレンツでの首脳会議(・・・・)はとっくに終わったっていうのに、どうして国に戻ってないんですか?」


 ……誤魔化そうとしたアスールの行動は、見事にクレイザの発言で打ち砕かれてしまった。



「――……え?」



 イリーネが目を瞬く。手を止めるわけにいかないチェリンは、ちらりとアスールに目を向けながらも意識は火のほうに集中していた。


 首脳会議。フローレンツで行われていたそれは、ここまで何度も小耳にはさんできた。

 各国の国王や首長が集まり話し合う、年に一度の会談の場。


 アスールが、それに関係あるというのか。


「あー……これにはちょっと事情があって」

「良い、カイ。もういいのだ」


 何か弁護しようとしたカイをアスールが押しのける。どうやらカイはすべての事情を知っているようだ。イリーネらにそれを伝えなかったのは、必要がなかったからか、害があるからか。

 真っ直ぐにイリーネを見つめてくるアスールの青い瞳。いつもは透き通った青空の色をしているのに、このときばかりは底知れぬ深い海の色に見えた。思うのは恐怖と、ほんの少しの懐かしさ――。


「イリーネ姫、チェリン姫。今まで黙っていて申し訳なかった」


 改まったその物言いに、イリーネは次の言葉を固唾をのんで待つ。



「私の本名はアスール・S(サレイユ)・ローディオン。サレイユ王国の第一王子だ」



 室内に響くのは、コロッケが揚がる油の跳ねる音のみ。


 イリーネはにわかに視線をカイに向け、首を傾げた。


「……カイ、本当ですか?」

「ぷっ」


 聞いただけなのに、カイが珍しくも笑いを吹き出した。見ればアスールも愕然と項垂れている。


「あっはは。ほんと、ほんと。正真正銘の王子様だよ、このヒトは」

「おおう……日々の行いの大切さを痛感したよ。重大な秘密を明かしてこの白け具合とは……!」

「今の会話だけでお前らの上下関係が見えたな」


 ニキータが呆れたように肩をすくめる。隣にいるクレイザはきょとんと目を丸くしていた。彼からしてみれば、アスールが仲間内で身分を伏せていたとは考えもしなかったのだろう。

 カイの保証が得られたところで、ようやくイリーネも事の重大さに気づいた。そう、確かフローレンツ王都ペルシエで、サレイユとイーヴァンどちらに行こうか迷っていると受付嬢アネッサに告げたとき。彼女は「サレイユの第一王子が行方不明で」とか言っていなかったか。


「じゃあ、アスールが噂の変わり者の王子……!?」

「変わり者には違いない。放浪王子と呼ばれることも多いがな」

「な、何しているんですか!? ここにいて平気なんですか……!?」

「大丈夫だとも。私の役目は首脳会議に出席した時点で終了しているし、こうして放浪していることに国の者も慣れっこなのだ。その証拠に、今まで追っ手など一度もなかっただろう?」


 それはそうかもしれないけれど、とイリーネが真っ青になっている後ろで、チェリンが盛大に溜息をついた。


「どうせそんなことだろうと思ってたわよ。お忍びで放浪なんていい趣味だわ」

「……チェリン姫、何を言いつくろっても仕方ないのは分かっている。契約具をお返ししたほうがいいだろうか?」

「悪いけどそれはもうあたしのものじゃない。いらないなら、あんたがどこかに捨てて頂戴」

「分かった。ではこれは私が預からせてもらうよ」


 部屋中の視線を浴びていることに気付いたアスールは、小さく微笑んだ。どこか晴々とした表情で、そこにいるのはどう見ても青の貴公子であり変態紳士こと、アスールでしかなかった。


「まあ……あれだな。これからも変わらずに頼むよ」

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