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氷撃のカイ・フィリード  作者: 狼花
2章 【青き嶮山 イーヴァン】
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◇黒翼王と吟遊詩人(1)

 王都オストは近い。

 エルニーの街を出てオスト街道を南へ。着実にイリーネたちは目的地へ近づいていた。そうと分かるのは、街道のヒトの往来が激しくなってきたからだ。オストから地方へ向かう商人たち、逆にオストへ向かう観光客。旅人やハンター。すれ違う馬車はぶつかるすれすれで、見ているこっちがひやひやする。


 フローレンツに比べて徒歩の旅人が多いのは、起伏が多く馬車で通行できない場所の多いイーヴァンならではだ。温泉街タニスを出てから見かけなかった外国人たちもちらほら見ることができて、イリーネたちの肌の色もそう目立たなくなっている。


 煉瓦石で舗装された平坦な道。地面が平らであるというのはここまで素晴らしいのかとイリーネは感動した。オスト盆地に差し掛かって気温も高くなってきたが、そんなことは気にならない。


 しばらく歩けば、街道沿いに田畑が見えるようになってきた。日差しのきつい昼下がり、大勢の人々が夏野菜の収穫に追われている姿があった。点在する小さな家々――さらに遠方を見れば、田畑が減って民家が増えていく。


 王都周辺は、北のテルメニー山、南のハリマ山に囲まれている。山という天然の要害に守られた地域なのだ。そのため、フローレンツの王都ペルシエような城壁で街を守る必要もない。軍というものは山越えを嫌うし、強行しても脱落者が出るのは必至。余程の理由がなければオストを攻めようとしないし、山に慣れたイーヴァン軍以上にうまく立ち回れるわけがない。とんでもない奇策でも用いない限り、オスト攻略は難しいのだそうだ。

 そのようなアスールの解説を聞きながら街道を進むと、不意にチェリンがアスールの肩をうしろから掴んだ。意外な行動に驚いたのは当人だけではない。


「どうした、チェリン姫? もしや私に秘密の話でも……って、いたたた、そんなに肩を強く掴まないでくれ」


 ぎりぎりと音がするほど強い力で掴まれたようで、アスールも悲鳴を上げる。女性と言えど、さすが化身族というべきなのか。

 アスールを解放したチェリンは、何も言わずに歩を進める。苦く笑ったアスールがその隣に肩を並べたところで、チェリンが不機嫌そうに口を開いた。


「……あんたがハンターになるメリットってなに? 何を思って、あたしと契約してもいいなんて言ったのよ」

「ふふふ……理由が必要かね?」

「必要だから聞いてんの」

「アスール、真面目な話にはきちんと向き合わないと、愛想尽かされちゃうよ?」


 途端に『お前が言うな』というふたつの視線に晒されたカイが、気を落としたのかイリーネの背後に隠れてしまう。隠れているというよりまるで背後霊のようだ――などとイリーネが思っていたのは秘密だ。


 アスールは軽く咳ばらいをした。


「強いて言うなら、私も小金を稼ぎたくてな」

「金稼ぎ? でもあんた、がっぽり遺跡調査で稼いでいるじゃない」


 エルニーの街でアスールが手にした報酬は、通常ハンターが一度の依頼で手にする報酬の何倍もの大金だった。それを見る限り、アスールと『金欠』の二文字は縁のないことのように見えたものだ。

 しかしアスールは首を振る。


「普通に考えてみたまえ、一年のうちにそれほどざくざく新しい遺跡が発掘されると思うか? 年によっては一年間丸々新発見がないこともあるし、あったとしても私個人に任務が来ることなどそうない。今回仕事が来たというのが、稀に見る幸運なのだよ」

「でもアスール、未発掘の遺跡から遺物を持ち出して換金しているって言ってなかった?」


 カイの問いに、アスールが肩をすくめる。


「そいつは金に困った時の最後の手段だ」

「……盗掘って認めたよこのヒト」


 うわー、とカイが白い目をアスールに向ける。だが鉄の心を持つ変態紳士は、カイの蔑みなど屁でもない。


「エルニーでもらった報酬金でどれだけ生活できると? 倹約を重ねてせいぜい三、四か月だろう。それで一年仕事がないと来れば……」

「無一文、ってわけね」

「その通り。宿に泊まる金がなくて広場のベンチで寝たり、数日間食事にありつけなかったりしたこともあったよ」

「今からは想像もできない光景だわ……」


 チェリンは顔をひきつらせて呟く。イリーネも、アスールがそのような目に遭っている姿は想像もできない。金欠と縁遠いはずの貴公子が、一番悲惨な生活をしていたというのか。


「前に言った通り、一般のハンターとトレジャーハンターは管轄が違う。しかし職の両立は可能。ゆえにできることなら、そこそこ安定した収入源がほしい……そのパートナーには、なるべく気心の知れた相手がいいなと思っただけだ」


 アスールはそう言って微笑んだ。


「それに、そうなればカイたちとパーティーも組めるからな。安心と言えば安心だ」

「前に言ってましたね。『パーティー』ってなんです?」


 イリーネが首を捻ると、アスールは肩越しに振り返った。


「ハンター数組のまとまりのことだ。最低基準は二組四人のパーティーから。狩人協会にパーティー申請すれば、この四人でひとつの依頼をこなすことが可能になる。そのため、一般のハンターには荷の重い、危険な依頼を請け負うこともできる」


 勿論報酬も弾むがね、とアスールは楽しそうだ。さっきからお金の話ばかりしているような気がするが、おそらく気のせいではない。実はアスールってお金にがめついのか――?


「それにパーティーを組んでいると、デュエルにも有利でな」

「というと?」

「デュエルは一対一が原則。例えば今の状況でカイが何者かに挑まれ、仮に負けたとする。そうなっても、私やチェリン姫はデュエルに割り込むことができない」


 しかし、パーティーを組んでいると違う。


「パーティーを組んでいれば、カイが敗れたとしてもチェリン姫が第二回戦を行うことができるというわけさ」

「カイが負けるような相手にあたしが勝てるとは思えないけど」

「まあまあ、そこは気にするな。ともかく、この問題児はこれからも色々と厄介ごとを持ち込んでくるだろう。そうなった時、多少なり我らもその厄介を分けてもらえるのだ」


 問題児と指差されたカイは髪の毛を軽く掻き回した。彼の方から喧嘩を売ったことは一度もないのだが、厄介ごとがカイに引き寄せられているようには見える。それは自覚しているのか、カイはぐうの音も出ないようだ。

 けれど、もしチェリンとアスールが合法的に手を貸してくれるのなら――それはとても心強い。


「……分かったわ」


 チェリンは頷き、何かを無造作にアスールへ放った。思わず受け取ってしまったアスールが、掌の中にあるそれ(・・)に視線を落とす。そしてぎょっとしたように顔を上げた。


「ちょっ、チェリン姫!?」

「あたしの契約具よ、せいぜい大事にしてよね」


 化身族の身体の一部を使って作られる契約具――チェリンのそれは、黒い鉱石を埋め込んだ指輪だった。そんな大切なものを放り投げて契約を成立させたチェリンに、一同唖然としている。

 最初に自失から立ち戻ったのはカイだ。困り顔のアスールの肩を叩く。


「受け取ってあげなよ。あれでもだいぶ考え込んでたんだよ、あの子」

「……そうか」


 その言葉で満足そうにうなずいたアスールは、その指輪を指に嵌めた。それを見てイリーネも無意識に右耳に手を伸ばした。カイの契約具。今では耳飾りをしていることがごく自然なことになっていた。紛れもなく、カイとの契約の証だ。

 契約を交わしたといっても、人間側にはなんら変化がない。気持ち的にそれを重要視するのは化身族たちだ。相手を主と認める覚悟――チェリンは、アスールから提案を持ちかけられたあの日から数日、考え抜いたのだろう。そのうえでの決断だ。けれどもチェリンは、そんな真面目な姿を見せない。そう思えば、契約具を投げ渡すというのは彼女らしい。


 あとで協会に申請しなければなあ、と微笑むアスールの姿は、さながら結婚の申し出に成功したかのようだ。チェリンはと言えば颯爽と市街へ向けて大股に歩いている。その後ろ姿はやはり、格好いい――イリーネは惚れ惚れとチェリンの背中を見つめたのだった。





 次第にオスト街道は市場の大通りとなった。国境のニム大山脈から続くオスト街道の終着点は、王都の大市場だ。どこか寒々しかったフローレンツのペルシエより活気があるように見えるのは、じりじりと照り付ける太陽のせいか。日に焼けたイーヴァンの人々は非常に元気が良い。暑さも気にならないのか、子供たちは駆けまわっているし大人たちも買い物に勤しんでいる。そんな汗だくの姿は活力に満ちていてイリーネは羨ましく思うが、カイやチェリンは「暑苦しい」とげんなりしている。


「少々湿気が多いというのも、イーヴァンの特徴だ。ただでさえジメジメしているのに、気分まで暗いと負の連鎖だからな。この国の人々は元気に笑ったり大声をあげたりして、暑さを紛らわせる」

「それが暑苦しいって言ってるのに……」

「なに、暑苦しいのは国王ファルシェを見たときから分かっていただろう?」


 一行は、オスト街道に面していた一軒の宿に部屋をふたつ取った。ここでまたカイが休憩を要求したため、四人は男子部屋のほうに集まってジュースで一服することになった。

 涼しい部屋で冷たい飲み物を飲んでいるというのに、カイはアスールの説明にまだ暑そうだ。


 イリーネは窓から下を見下ろす。二階のこの部屋からは、オスト街道の往来が見下ろせる。きっと夜でもこの道は賑やかなのだろう――そう思っていると、背後で展開されている話題はまた別のものになっていた。


「今日の夕飯どうする? 外食?」

「ではそうだな、お勧めの店は――」

「ちょっと、また外食する気!? このままじゃ栄養偏るじゃないの」


 これだからこいつらは、とチェリンが頭を抱える。


「まだ早い時間だし、今日はあたしが夕食作るわよ。あとで買い物行くんだから荷物持ちやってよね、男ども」


 カイとアスールは従順に頷いた。すっかり主導権を握ったチェリンの姿は「お母さん」のようで、最近それが顕著な気がする。なんにせよチェリンの手料理は久々だ。街にいれば外食で、野宿の時は携帯食料を食べていたので、今は温かみのある料理が何より嬉しい。


「それじゃあ、もう少し涼しくなったら買い出しに行きましょうか」

「そうね、そうしましょ。夕方になれば涼しくなるわよね」


 言いながらチェリンは残りの食材を確認する。早速時間ができて暇になった男性陣ふたりは、カードを取り出してテーブルゲームを始めた。ここ数日嵌っているようで、しょっちゅうふたりはそうやって遊んでいる。それを見ると兄弟のようにしか見えないからおかしなものだ。本来はお金を賭けるゲームらしいが、健全なことにせいぜいお菓子くらいしか賭けていないらしい。


「ふふふ。カイ、右袖に隠しているカードを出したまえ」

「そっちこそ手で隠している余分なカードを出しなよね」


(……)


 いかさまが横行するきわめて不健全なものであったが。





★☆





 太陽がやや西寄りになってきたところで、四人は買い物へ出かけた。大通りは主婦たちであふれ、みな同じように夕食の買い出しをしている。チェリンもあちらこちらへ鋭い視線を向けて、できるだけ安い食材を手に入れようと奮闘していた。


「ったく、この時間でも日差しきっついわね……あ、イリーネ、そこの店で黒豆確保!」

「はいっ」

「ねぇねぇ、あそこのコロッケ美味しそうじゃない? ジャガイモ百パーセントだって」

「私はそれより、牛肉コロッケのほうが……」

「分かったわよ今日はコロッケにするわよ。だから惣菜もの(完成品)を見るな!」


 イリーネが豆を購入している間に、今日の夕食はコロッケに決まったらしい。イリーネが三人に合流すると、すぐにチェリンはコロッケの材料集めに進路を転換する。カイにジャガイモを、アスールに肉を買うよう指示しておいて、チェリン本人は青果店で野菜を手に取り選んでいる。


「チェリン、今日もお夕飯の支度、手伝わせてくださいね」


 そう声をかけると、チェリンは笑顔で「勿論」と頷いた。


「助かるわ。イリーネにはジャガイモでも潰してもらおうかな。日々のストレス解消になるわよぉ」

「ストレス解消? だったら、チェリンがやったほうが」

「なんで?」

「私よりよほど鬱憤が溜まっているんじゃないかと」

「あんたも言うようになったわね」

「ふふ」


 ただの買い出しがこんなに楽しいのは、なぜなのだろう。



 お使いに行っていたカイとアスールは、そのまま荷物持ちとなった。ここぞとばかりに容赦なく買いだめをするチェリンの弊害が彼らに出たわけだ。イリーネの分まで持ってもらって申し訳ないのだが、カイは平然としているし、「荷物持ちは古来から男の義務だ」などとアスールも言うものだから、つい甘えてしまった。

 買い物も一通り済んで、宿へ戻ろうと踵を返しかけたとき――。


「……あれ、何か聞こえませんか?」


 イリーネがぴたりと足を止めた。それを聞いたアスールが首をひねり、じっと何かを聞き取ろうとする。しかしイリーネが聞き取れたほどの音ならば、チェリンとカイがとっくに拾えているものだ。現にカイはあっさりと口を開く。


「どの音? 市場の喧騒とか全部ごっちゃになってるから、イリーネがどれを聞いたのか」

「えっと、楽器の音……です。弦楽器かな」

「それなら少し前から、あっちで誰かが演奏してるっぽい」


 塞がった両手の代わりに、目線でカイが方向を指し示す。ちょうどイリーネの真後ろだ。アスールが頷く。


「これだけ大きな街だからな、楽士や大道芸人などは集まりやすい」

「へえ、面白そう。ちょっと見に行ってみましょ」


 チェリンがそういったことに興味を示すのは珍しい。音を頼りに市場を進み、少し開けた広場に出たところで、広場の一角に人だかりができているのを見つけた。近寄ってみるが、あまりの人の多さに、人だかりの中心で何が行われているのかよく見えない。

 ただ、楽器の音だけが聞こえる――やはり弦楽器。ぽろん、ぽろんと、ひどくゆっくり爪弾かれているような音色。それと同時に聞こえてきたのは、歌。


 若い男の人の、語りかけるような歌声だ。


「吟遊詩人だ」


 アスールが小声で呟く。背の高い彼には、歌と音色の主が見えているのだろう。


「神話や歴史、人物を讃える詩を作り、それを曲にのせて語って聞かせる者たちのことだ。よく聞いてごらん、女神エラディーナを讃える詩だよ」


 人々の間をアスールが指差す。そこを覗いてみると、ちょうどよく詩人の姿を見ることができた。折り畳み式の椅子に座り、片足をもう片方の膝に乗せている青年。さらにその上に竪琴を乗せ、ぽろんぽろんと弾きながら小さく何か口ずさんでいる。明るい金髪と白い肌は、イーヴァンの民ではない。各国を放浪する吟遊詩人だろうか。

 少し俯き加減だった青年が顔をあげる。優しげな緑の瞳だ――そう思った瞬間、後ろにいるアスールが息をのんだ気配がした。驚いて振り返ると、彼は眉間に皺を寄せて難しい顔をしている。


 何事だと口を開こうとすると、カイがイリーネの腕を掴んだ。


「……ちょっと、訳ありだから。あとで説明するよ」

「は、はい」


 その場を離れるために踵を返す。と――カイが、真後ろにいた誰かと接触した。これだけの人混みであればぶつかっても何もおかしくないのだが、相手はカイだ。後ろにいた人物との距離感を見誤ったというのか。イリーネはそんな姿を見たことがない。



「――まあまあ、ゆっくり見て行けや。うちの坊やの弾き語りはそれなりだぜ?」



 がっしりとカイの肩を掴んで離さない男。髪も服もすべて黒一色。背は非常に高く、長身のはずのカイを見下ろす位置に顔がある。何より目立つのは瞳だ。彼は隻眼だった。眼帯に隠されていない左目は赤というよりも、更に濃い『緋』。その瞳を笑みの形に和ませてはいたが、どうにも胡散臭い。


 カイは驚かなかった。あるいは予想していたのか。


「……なんで」

「おっと、待て。ここじゃ俺は『ニック』で通ってる。軽々しく名前呼んでもらっちゃ困るぜ」


 自称ニックは、そうしてにやりと笑った。


「久しぶりじゃねぇか、カイ(ぼう)

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