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氷撃のカイ・フィリード  作者: 狼花
2章 【青き嶮山 イーヴァン】
53/202

◆旅は道連れなんとやら(10)

 昼間の海より、夜の海のほうが好きだ。


 街の展望台から遠くに見える海を見つめて、カイはそう思う。あれだけ透き通って綺麗だった海も今は黒々としていて、三日月とも半月とも言い難い月が海面にぼんやり映っている。波の音が聞こえるくらい傍に行ってみたいという欲が生まれたが、それ以上に歩くのが面倒という怠惰な気持ちが勝った。だから、宿の傍にあるこの展望台で我慢だ。

 エルニーの街で夜を越すのは二回目。昨日到着したときに立ち寄ったこの展望台が、カイは気に入った。人もいないし、静かだ。だから昨日も今日も、夜はひとりでここに来る。


 と、足音が聞こえた。この展望台は木製、どんなに気を付けても足音は聞こえてしまう。カイの聴力ならなおさらだ。下の階段を登って、ここまで上がってくる。

 この歩調と匂いは、チェリーだな――そう思いつつも振り返らずにいると、足音が自分の後ろでぴたりと停止する。しばらく黙っていると、小さな溜息が聞こえた。


「……いつまでも黙ってないで、なんか言ってよ」

「俺は君が何か言うのを待ってたんだけど」


 やっと振り返ってみれば、やっぱりチェリンだ。「また明日」と言ってそれぞれ部屋に引き取ってだいぶ時間が経ったというのに、彼女はまだ入浴すらしていないらしい。服が旅装のままだ。


「どうしたの、こんな時間に。あんまり部屋を空けていると、イリーネが心配するよ」

「あの子にはちゃんと言って来たから大丈夫よ。っていうか、心配されるのはあんたも同じでしょ」


 イリーネは寂しがり屋だから――口が滑りそうになって、カイは自制する。別にチェリンとイリーネの話をするつもりはないのだ。

 チェリンは傍にあるベンチに座る。カイは展望台の手すりに寄りかかって、彼女と向き合った。


「ちょっと、あんたに相談がある」

「へえ、珍しい? そういえばチェリーとふたりで話したこと、まともにないよね」


 だからと言って、何とも思わなかったのだが――。


 相談があると言ったきり口をつぐんだチェリンを、やれやれと見下ろす。この様子では、カイに相談しに来るまでにも相当の勇気が要ったのではないだろうか。


「アスールとの契約のこと?」


 助け舟のつもりで尋ねると、チェリンは躊躇いがちに頷いた。やはりか。というより、これ以外でカイに相談してくる内容など思いつかない。


「アスールは大丈夫だよ。実は色々考えているし、一度言ったことは曲げない。俺より余程真面目だ」

「そんなに信用してるのね」

「俺たちは化身族だ。人間のように上辺の付き合いはしない、相手の本質を信じる。……でしょ?」


 人間は相手を見た目で測る。化身族は匂いで測る。人間より余程短期間で正確に相手を確かめられ、そして一度信じたら裏切らない。それが化身族の人付き合いだ。だからこそ分かる、イリーネもアスールもチェリンも信用に足ると。


「古い友達なんだっけ? あいつ、昔からあの変態紳士っぷりなの?」


 チェリンが不思議そうに尋ねてくる。不思議なのは当然か。自分とアスールの関係を女性陣に話したことはないし、傍から見ればよく分からない関係のはずだ。


「昔はあんなんじゃなかった」

「そう?」

「頭が良くて大人しくて人見知り。女の子とか大人と話すのが大の苦手で、おまけに気弱で涙脆かったな」


 間違っても『変態紳士』などと呼ばれる少年ではなかった。むしろその真逆にいて、あのような道化じみた物言いもしなかった。

 けれど変わらない。本来のアスールは少年のころのまま。賢しくて優しいままだ。相変わらずイリーネが大切な、彼女の幼馴染(・・・)――。


「まあ、だから大丈夫だよ。アスールとの契約は――」

「あ、ううん、そうじゃないの。というか、あいつが信用できるって言うのは、あたしも分かってる……つもり」


 その口調からは、アスールを認めたくないが認めざるを得ないという苦い感情が滲み出ている。なんだかんだでアスールとチェリンは仲良しだ。


「あたしが不安なのは、契約そのものなのよ」

「……というと?」

「契約なんてしたことないから、どうすればいいのか分からないの」


 カイは俯いているチェリンを見つめた。


「契約具を人間に手渡して――」

「んなことは分かってるわよ!」


 前触れなく放たれた怒声に、不意打ちを食らった気分でこめかみを抑える。カイの耳は、ちょっとした声でも金切り声のように聞こえてしまうのだ。

 同じ化身族としてそれは理解できたらしいチェリンが、「ごめん」と声を小さくしてくれる。価値観の違う人間たちには何度言っても通じないことだ。


「どういう、気分なの? 契約するって」


 普通の化身族は、親から子へ契約の仕組みを教えるものだ。しかしフィリードの民は、自分たちが人間と契約することなど念頭に置いていない。だから契約の仕方も満足に伝わらず、チェリンも詳しいことを知らない。

 とはいえ、カイもイリーネが初めての契約主だ。


「特に変わりはないけど」

「嘘でしょ、何か変化あるはずよ」

「あー……戦いのときは最初のうち違和感あったけど、日常生活を送る分には何もないよ」


 そう訂正すると、ほらやっぱりとばかりにチェリンが肩をすくめる。だが、いまになればその程度の違和感でしかないのだ。


「何がどうなるの?」

「まずは、契約主が傍にいないと化身が難しくなる」

「……不便そうね」


 化身族にとって『化身』とは、息をするのと同じくらい自然で簡単なことだ。それが、契約具を持った人間が傍にいないだけで困難になる。カイはそのもどかしさを、ニム大山脈でイリーネが誘拐された時に体験している。


「そうだね。でも、傍にいてくれるときは……普段以上の力が出せる」


 諸刃の剣のようなものだ。強敵と相対したときは、契約主の存在が何よりも心強くなる。


「あとは、普段から契約主がどこにいるか何となく分かるかな。相手の感情の揺れ動きも伝わる」

「今も?」

「うん」


 いま感じるイリーネは――だいぶ落ち着いているように感じる。部屋でのんびりしているのか、アスールと話しているのか。とりあえず安心だ。

 契約主の動揺は化身族の枷となる。その点、アスールはまったく問題ないだろう。あの男の動揺など見たくない。


 何か考え込むように沈黙したチェリンを見やり、カイは手すりから身体を離した。そのまますとんとチェリンの隣に座る。


「……でもさ、無理にハンターにならなくてもいいんじゃない?」

「どうして?」

「探してみればお金を稼ぐ方法なんていくらでもあると思うよ。日雇いの仕事とか」


 カイの言葉にチェリンは驚いたように目を見張る。本音を言えば「金のことなど気にするな」と言いたいのだが、それはチェリン本人が許せないのだろう。彼女はフィリードの集落を出て、金を得ることの大変さを知っている。


「俺にとって、イリーネは最初で最後の契約主だ。この先、ずっと傍にいると決めた。でも、チェリーはどう? あの放浪者とどこまで付き合っていける?」


 契約とは、ある意味束縛だ。首輪をつけて飼われているような錯覚に陥る。契約解消をしたければ契約具を返してもらえばいいが、カイは契約をそんな軽く考えていない。一度主人と決めた相手には、とことん付き合う覚悟が必要だと思っている。

 ――こんな堅苦しい考えは、今の世の中にはあまりないのかもしれない。現にころころと契約主を変える『軽い』化身族もいるようだ。けれどもカイは違う。


「無理矢理納得して誰かと契約するのは、ちょっと違うと思う」

「あんたにとって契約は、そんなに重いものなのね」


 笑みを含んだチェリンの言葉に、カイは素直に頷いた。チェリンは腕を大きく宙へ向けて伸ばす。ゆったりとしたその動作と裏腹に、彼女の口から出た言葉は非常に重いものだった。


「一度命預けるとなれば、とことん」

「……そっか」

「とはいえ、あの変態紳士はイリーネを第一に考えているみたいだし、なら利害は一致するってものよ」


 驚いてチェリンの横顔を振り返ると、彼女はふっと笑った。


「気付いていないとでも思った? あの男がイリーネを腫物みたいに扱ってるのはばればれよ」

「……」

「ついでにあんたもね。まあ、当のイリーネはなんかぽやぽやしているから、気にしていないみたいだけど」


 やはり鋭いチェリンは感じ取っていたらしい。傍目に見てもアスールのチェリンとイリーネへの対応には違いがあったし、仕方ないか。


「俺たちはそれとなく見守っているつもりなんだけどね」

「どこがよ。察するに、あんたたちふたりは記憶を失う前のイリーネと知り合いなんでしょ」

「そこまで分かっちゃいますか」

「……分かるわ」


 チェリンはぽつりと呟き、顔を背けた。その妙な反応に首を傾げたカイは沈黙する。

 途切れることなく会話していた二人の間に、初めて静寂が舞い降りた。耳元を通り過ぎた蚊を掴みとったカイは、掌を払いながらやっと口を開く。


「あのさ」

「何よ」

「俺、結構考えたつもりなんだけど」

「何を」

「チェリーがなんで急に落ち込んだのか、全然分かんない。どうしたの?」

「……は?」


 ぽかんと口を開けたチェリンは、間を置いて大笑いした。真面目に言ったはずなのに、なんだって腹を抱えて笑われているのか。

 チェリンは目元にたまった涙を指で拭ったが、やはり笑みは浮かんだままだ。


「真顔で何を言うかと思えば……!」

「そんなに笑わなくても。……で、どうしたの?」

「別に何も落ち込んじゃいないわよ。気のせい、気のせい」


 ベンチから立ち上がって、先程までカイが身体を預けていた手すりまでチェリンは歩み寄る。


「とりあえずありがと。あたしの相談はそれで終わりよ」

「うん」

「そろそろ戻りましょ。寒くなってきたし」


 そう言って展望台から下りる階段へ歩きはじめたチェリンを追って立ち上がりながら、カイは軽く髪の毛を掻き回した。そして思い切って呼びかける。


「チェリー」

「なに?」

「君がいてくれて助かってるよ」


 足を止めて振り返っていたチェリンが、ゆっくり顔を前に戻す。肩口で切りそろえられている黒髪が、夜風になびいた。


「俺もアスールも、どうやったって女の子の気持ちなんて分からないし。それ以前に俺は人の気持ちとか分からないし。でも君がいてくれるとイリーネも楽しそうで……って、いや、そうじゃなくて」


 もどかしい。言いたいことがまとまらない。


「君とアスールの痴話喧嘩みたいなの見るとか、結構面白くて気に入ってる。君がイリーネを楽しませようと思って買い物にしょっちゅう連れ出してくれることも、夕飯のメニュー必死で考えてくれてるのも知ってる。だからその、ありがとう」

「……何よそれ。それじゃまるであたし、母親みたいじゃない」

「いいじゃん、それ。なってよ、俺たち三人のお母さんに」

「はい?」


 チェリンがやっと振り返る。呆れた顔――多分、そんな顔をしているだろうと思っていた。


 どうも何かしら常識の抜けた面子の中で、最も良識的なのはチェリンだろう。彼女がいちいち話にツッコミを入れてくれるから、話がまとまっているようなものだ。お金の管理や食料の蓄えもチェリンに任せている。

 言いたいのは、『これからの旅に君は必要だ』という一言だけなのに――。


 チェリンが笑った。まんざらでもなさそうな笑みだ。


「そうねぇ。あんたたちの生活能力は皆無に等しいし、あたしが面倒みるしかないか」

「そうそう。よろしくお願いします」

「とりあえず、あんたはもう少し相手の気持ち考えて物言いなさい。そんな下手な口説き文句じゃ、いつかイリーネに逃げられちゃうわよ」


 思わぬ一撃を食らってカイは沈黙する。チェリンは再び階段を降りはじめた。


「まあ、どこまで行くかは分からないけどさ――楽しいといいわよね。旅」

「……そうだね」


 頷いて、カイも階段を降りはじめた。その耳に、風に乗って小さなチェリンの声が聞こえてくる。


「……嘘つきね。全然分かんないとか言っておきながら、全部知っているくせに」


 イリーネを特別視するカイとアスールの様子に、チェリンが疎外感を感じていたのではないか――そう思ったのはなんとなくで、それをチェリンに投げかけたのも賭けに近かった。結果的に的を射ていたようで、解決できたようだが――。

 女の子の気持ちって、よく分からない。カイはそう思って小さく息を吐き出した。

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