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氷撃のカイ・フィリード  作者: 狼花
2章 【青き嶮山 イーヴァン】
52/202

◇旅は道連れなんとやら(9)

 明らかに異質な、磨き抜かれた大理石の床。

 頭上高くへ伸びる複数の太い柱。

 奥に小さく見える祭壇。

 壁に描かれた未だ鮮やかな絵と、そこにちりばめられた宝石の数々。


 まるで別世界かのように美しい空間が、そこにあった。


「すごいね。地面の下とは思えないよ」


 カイの小さな呟きも、反響してよく響く。アスールも感心したように腕を組んだ。


「近くを通った漁船が海から偶然この洞窟を発見したそうだが……よくもまあ、ここまで良い保存状態で今まで誰にも見つからずにいたものだな」


 感動もそこそこに奥の祭壇へ近づいたチェリンは、祭壇傍に安置されている石像へ目を向けた。錫杖のように見える杖を持つ女性の像だ。


「……女神エラディーナじゃないわね。本当に、神暦以前の神殿なんだ」

「おそらく大地母神だ。今も信者が多い、豊穣の神様だよ。当時は王というものが存在せず、神を頂点にたてて神官が国を統治していたから、あちこちに神殿があるのだ」

「ふうん」


 説明しながらアスールは広い空間をあちこち歩き回っている。丹念に壁や床、柱を調べ回っているアスールは妙に楽しそうだ。いつにも増して饒舌なことだし、きっと歴史が好きなのだろう。


 祭壇の裏側に回り込んだイリーネは、そこにある石板に何か彫り込まれているのを見つけた。よく目を凝らしてみると、それは細かい絵文字のようだ。

 傍に来たカイが屈んでそれを見る。


「これは古語だね」

「古語? けど、カイが教えてくれた古語にはこんな文字……」

「あ、ええとね、世界で最初に生み出された言語って言われているのが、ここに書いてある文字なんだ。でもこのままじゃ難しすぎて日常的に使えないからって簡略化されたのが、今に伝わる『古語』。古語を民衆語と呼ぶのに対して、こっちは神官とか司祭とかが使ったってことから神官語とかって呼ばれる」


 神官語を簡略した民衆語。民衆語を簡略化した現代語。なかなか複雑だが、つまり言語のルーツは目の前にある絵文字ということだ。自分にはともかく、カイには読めるのかもしれない。


 カイが石板の文字に手を伸ばし、指先が僅かに触れた瞬間――その石板は、一瞬で掻き消えた(・・・・・)


「えっ!?」


 イリーネが声をあげ、カイも手を引っ込める。石板がそれまで置かれていた場所の下には、なんとさらに下へ続く階段が現れたのだ。

 イリーネの声を聞きつけたアスールとチェリンが駆けつけてくる。カイは頭を掻いた。どことなく気まずそうな顔だ。


「ちょっと触ったら消えちゃったんだよね……弁償とか言われても困ります」

「そもそも素手で遺物に触れたところから物申したいが、消えてしまったものは仕方ない。そこには最初から何もなかったということだ」


 ちゃっかりなかったことにするアスールに、一同唖然とするばかりだ。アスールはふっと笑って見せる。


「神暦以前は魔術の盛んな時期――この先、何が起きても不思議ではないよ」

「上等よ、行きましょ」


 恐れ知らずのチェリンが真っ先に階段を下りた。苦笑しながらアスールが続き、最後尾をカイが固める。


 階段はほぼ垂直。ただでさえ暗かった神殿部分よりさらに闇は濃くなり、アスールの持つランプだけが頼りになる。先頭を進むチェリンの夜目が利くから、四人はまともに階段を下りることができた。

 数十段はあった長い階段を降り切ると、再び細い回廊が続いている。しばらく進むと、また階段。それを繰り返したところで、ぴたりとチェリンが足を止めた。アスールが後ろからランプを掲げると、目の前に大きな石の壁――いや、扉が鎮座していたのだ。


「ふむ、いかにもだな」


 アスールはランプをイリーネに渡し、チェリンと位置を入れ替えた。僅かにあった突起に指をかけ、力の限りで石の扉を押す。だがさすがに男一人の力ではどうにもならないらしく、見かねたカイが加勢して、ようやく扉は重苦しい音をあげながら動いた。人間の姿でもカイは馬鹿力のようだ。


 室内はやはり真っ暗だ。冷たい空気と妙な匂いだけを感じることができる。

 やがて室内にぼんやり灯りが灯った。壁に燭台があり、そこにアスールが火を移したのだ。


 目が慣れてやっと見えてきたのは、神殿と同じくらいの広さの空間。その床の上に、縦横何列にも渡って等間隔に置かれている、細長い石造りの箱――これは一体。


「――ッ! もしかして、棺……!?」


 イリーネが息をのむ。アスールは振り返り、小さく頷いた。


「どうやらそのようだ。神殿の地下の墓室……さしづめ、この神殿に仕えた神官たちの集団墓地といったところかな」


 その数、ゆうに三十以上。ここまで好奇心旺盛だったイリーネもさすがに墓所には怖気づく。

 しかしながら対称的にずんずん進んでいくのは、やはりカイである。そもそも何も思っていなかった彼は、墓所に遠慮することもない。


「大体こういうのって、副葬品がざくざく出てきたりするんだよね」

「さてどうだろうな……とうの昔に盗掘されている可能性もある」

「あ、カイ、むやみに触らないほうが……」


 棺に手を伸ばしたカイを見てイリーネが慌てて制するも遅い。触るどころから棺の蓋を開けようとカイが手をかけたその瞬間、何やら地面が揺れた。


「な、なに!?」

「地震……じゃないわよね」


 イリーネとチェリンが互いを支え合って踏みとどまる。この揺れの中でも平然と立っているアスールは、嘆かわしそうに溜息をついた。


「どうしてお前はそうお約束のことばかりするのかな、カイ」

「好奇心には逆らえなくてー」


 まるきり棒読みの答えと共に、そそくさとカイはイリーネらの元まで戻ってくる。


 前方の床に液体が滲みだしている。液状化かとも思ったが地盤は安定しているし、そもそも大理石で磨かれた床から水が滲みだすなどあり得ない。

 水は意思を持つかのように床の一点に集まり、どういうわけか宙に浮いた。何かの姿を取ろうと蠢く不気味な光景に、チェリンが悲鳴を上げた。


「ちょっと、な、何よあれ!? あんた何しでかしてくれたのよッ」

「うーん……多分この石室に仕掛けられていた、侵入者撃退魔術だろうね」

「何千年も前の魔術が生きているっていうの!?」

「昔のほうが技術は高かっただろうからね。術者が死んでも、魔術は残るみたいだ。こりゃすごい」


 カイが説明している間に、大量の水はひとつの像をつくりあげていた。丈は二メートルほどあり、右手に剣、左手に盾、身には甲冑――一昔前の傭兵のような格好をした、水でできた戦士。水であるから透明ではあるのだが、なぜだか嫌な予感しかしない。きっとあの剣が当たったら斬られる(・・・・)。そんな直感だ。


「俺は水と相性いいから、こんなもの」


 あらゆるものを凍らせる力を持つカイにしてみれば、たとえ動いていようが意思を持とうが水は水。凍結させればそれまで――そうして化身しようとしたカイを、制した者がいる。アスールだ。


「待った」

「なに?」

「ここでどんぱちやられると遺物に傷がつくし、柱の一本でも壊されたら生き埋めだ。ここはひとまず、退却」

「嘘でしょ」


 カイが呆れの言葉を投げかけている途中で、アスールは身を翻して走り出していた。呆然自失に囚われたイリーネとチェリンの背中を、カイは急かすように押す。それで我に返ったイリーネは、慌ててアスールの後を追って駆けだした。

 チェリンまでが石室を出て回廊に戻るのを待って、じりじりと後退していたカイも一気に走り出した。距離を詰めていた水の戦士も、猛然と追いかけてくる。


 ここに来るまで、長い回廊とほぼ垂直の階段が繰り返されていたのだ。アスールなどは二段飛ばして階段を駆け上がれるが、イリーネではそうはいかない。加えて追っ手は、疲れ知らずの非生物で、しかも自在に姿を変える水だ。ご丁寧に階段を上って追いかけてきてくれるはずもなく、飛ぶように追ってくる。まるで鉄砲水のように足に撥ねる水を器用に避けながら、カイが殿を務めてくれている。なるべくイリーネたちが遠くまで逃げられるように、追いつかれるぎりぎりの速度だ。


 なんとか元の祭壇まで戻る。あと五秒走ったら息が切れて死ぬ、と思った瞬間、チェリンがイリーネを後ろから抱きかかえるようにして横へ飛んだ。倒れ込んだふたりを支えてくれたのはアスールで、彼は柱の陰に身を潜める。

 水の戦士は三人を無視して直進した。そうして動きを止める。向かい合っているのは、最後尾を走っていたカイだ。


 カイはそのまま祭壇の間も走り抜け、つい先程入ってきた神殿の入り口部分まで逃げた。そしてついにあの断崖絶壁に辿りつき、逃げ場を失う。前も後ろも水だ。回廊の横幅も短い。回避もなかなか難しいところだ。

 しかしカイは落ち着き払っていた。水の戦士が振り下ろした剣を回避する。どうやってか。――戦士の頭上、天井すれすれを飛び越えたのである。

 勢い余って崖から落ちた戦士めがけ、カイは“氷結(フリージング)”を発動させた。空中で氷像と化した戦士は、そのまま海へ向かって落下する。カイが崖から見下ろすと、水飛沫が高々と上がった後は海面は沈黙を保っていた。どうやら海から這い上がってくることはなさそうだ。


 それを確認したところで、イリーネたち三人がカイと合流する。


「大丈夫でしたか?」

「うん。あんまり頭のいい番人じゃなくて助かったよ」


 おそらく現れた時点でカイが魔術を使えば一瞬で決着がついたのだろうが、アスールの指摘ももっともだった。結局入り口まで全力疾走することになって、誰もが汗だくだ。いくら洞窟内が涼しいと言っても、暑いものは暑い。


「あんたはもうやたらめったら怪しいものに触るな!」

「ごめんなさい」


 チェリンのお説教を受けてカイが素直に謝る。アスールは愉快そうに笑った。


「まあ、これで目的の番人退治もできたわけだし――」

目的の(・・・)?』


 チェリンとカイの声が見事に被った。イリーネがアスールを振り返ると、彼はしまったとばかりに頭を掻いた。


「おっと――いかん、口が滑った」

「あ、あ、あんた……最初からあの番人を退治しようとしていたってわけ……?」

「最初に言っただろう、私の仕事は研究者の遺跡突入の安全を確かめるものだと」

「これは『確かめる』じゃなくて『無理矢理安全にした』って言うのよ!」

「それも言っただろう、少々危険だって!」


 チェリンの右ストレートを躱したアスールは、そのまま崖の上からぶら下がっていたロープに飛び移った。そしてするするとロープを伝って上へあがってしまう。チェリンもすぐさまそれを追いかけた。取り残されたイリーネとカイは顔を見合わせ、どちらからともなく苦笑した。


「この暑いのによくやるよ」

「本当に……」


 微笑ましくはあるが、そういえば帰りにこの崖をロープ一本で登らなければいけないということを忘れていたイリーネは少々げんなりする。覚悟を決めてロープを身体に巻き付け、最初は腕の力だけで身体を引き上げ、足が崖に届くようになったら伝い歩きのようにして上がる。なんやかんやアスールとチェリンも上からロープを引っ張ってくれて、イリーネも無事崖上へ戻ることができた。

 カイが登り終えるころにはアスールとチェリンのじゃれあいも終了していた。もう日は高い。洞窟内にいた時間はそれほど長くはなかったが、エルニーの街からここまで来るのに時間がかかったのだ。今日中の出発はおそらく不可能で、アスールが言った通り一日作業だった。


「さて、それでは街へ戻ろうか。付き合ってくれたお礼に、また食事でも奢ろう」

「そうやってご飯を話題に出せば俺たちが釣れると思ってるんでしょ。今日は暑いから冷製パスタとかいいよね」

「カイ、カイ、思いっきり釣られてますよ」


 言動が矛盾しているカイにイリーネが苦笑する。しかしアスールは余裕の笑みを浮かべた。


「なに、今回の仕事で多額の報酬が出るからな。四人分の食事くらいどうということはない。……ところでイリーネ姫とカイがハンターの仕事をしているところをまだ見ていないのだが、そんなに懐が豊かなのか?」


 するとカイもまたしれっと答えた。


「初依頼の時、指名手配犯を捕まえるわ、珍しい花を換金したわで、がっぽり稼いでいたんだよね。まだ余裕あります」

「しかし永遠ではなかろう?」

「そりゃね。王都についたらまた考えるよ」


 ね、と同意を求められてイリーネも頷く。その様子を見ていたチェリンが、軽く咳払いをして小さく手をあげた。


「あのぉ」

「ん、どうしたチェリン姫?」

「あんたは黙ってろ」

「……普通に尋ねただけでこれとは」


 アスールががっくりと肩を落とす。今のは理不尽な気もしたが、チェリンはアスールを無視してカイとイリーネに向き直った。


「ここまでさ、あんたたちふたりの稼ぎで来ているわけじゃない?」

「そうだね」

「なんか、とっても居たたまれないから、あたしも何か手伝いたいんだけど……って」


 その言葉にふたりは顔を見合わせた。カイは上着のポケットに手を突っ込む。


「つまり、ハンターとして?」

「そうね、うん」

「それは難しいと思うぞ」


 めげずに口を挟んできたのはアスールだ。今度はチェリンもアスールを邪険にはせず、彼の言葉を真面目に聞く態勢ができている。


「ハンターは化身族と人間族、それぞれのペアで成り立つ職業だ。もしチェリン姫がハンターになりたいのなら人間族と手を組まねばならない。まあ、手っ取り早く私で済ませてくれても構わんが」

「あんたは放浪者でしょうが。いついなくなるか分からない人間と契約できるわけないじゃない」

「もし本当に契約するのなら、それなりの責任は取るさ。君が本気ならね」


 思わぬ誠実な言葉に、チェリンは目を丸くする。アスールは微笑む。


「それに、ハンター二組以上で『パーティー』を組むこともできるのだ。戦績如何で大きな仕事を直々に指名してもらったり、デュエル時に有利になったりして、なかなかおいしいぞ」


 もちろん稼げる、と付け加えられてチェリンは沈黙した。眉根を寄せて考え込んでいたが、やがてチェリンはぽつっと呟いた。


「……か、考えておく」


 いつもならば「ふざけんじゃないわよ」とでも怒鳴るチェリンのその返答に、どうやら彼女も本気らしいとイリーネは感じた。

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