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氷撃のカイ・フィリード  作者: 狼花
2章 【青き嶮山 イーヴァン】
51/202

◇旅は道連れなんとやら(8)

 右手に見えるのは、国内で二番目の高峰テルメニー山。

 左手に見えるのは、断崖絶壁と青い大海原。


 山と海、ふたつの絶景を一度に見ることができるのが、オスト街道中継点エルニーの街の魅力だった。


 サディの街を出てオスト街道を進むこと二日半。エルニーに到着してすぐアスールに促されるまま街の高台に登ると、その光景が目に飛び込んできたのだ。女性陣は主に海を見て感動の声をあげ、カイはといえば「涼しい」と呟いてベンチに座っている。確かに街中よりも、海からの涼しい風が吹き付けていた。


「見事だろう? テルメニー越えをしては絶対に見られなかった光景だ」


 アスールの言葉にイリーネは頷いた。山はここまでよく目にしてきたが、海を見るのは初めてだ。フローレンツのシャルム川も海と見紛うほど広かったが、それでも川は川。やはり本物の海を見ると、格の違いを思い知る。


「エルニーはオスト盆地の入り口だ。ここから街道は内陸に向かって伸びて、北のテルメニー山と南のハリマ山に囲まれて海洋と遮断される。海を見ることができるのはここが最初で最後なのだ」


 つまりここからは平地が続いて歩くには楽になるが、風が届かず暑くなるということだ。カイは聞かなかったことにして海を眺めつづけている。その姿に苦笑して、イリーネが提案する。


「まだ早い時間ですけど、今日はここに宿を取りませんか?」

「ふふ、無論そのつもりさ。高台に海の見える宿があってな。……で、ものは相談なのだが」


 意外なアスールの言葉にイリーネだけでなく、カイとチェリンも目を丸くして彼を見た。アスールが『相談』などをしてくるのは珍しいと、出会って間もないけれどもイリーネには分かる。しかしカイとチェリンは純粋な驚きだけでなく、「どうせ厄介な頼み事だろう」と怪しんでいる雰囲気だ。


 不審そうな二対の眼差しに苦笑したアスールは「たいしたことではない」と前置きしてこう切り出した。


「少し仕事を頼まれていてな。明日一日時間がほしいのだ」

「お仕事……ですか?」

「うむ。先を急ぐようなら、出発してくれても構わない。あとで追いつくから」

「お仕事終わるまで街で待ってますよ。ですよね?」


 後ろを振り返ると、化身族のふたりも異論はないのか頷いている。ただの同行者だったはずのアスールがなぜいつの間にか旅の仲間になっているのか、実はそのあたりチェリンは疑問であったのだが、イリーネに笑顔で念を押されては頷かざるを得ないのである。

 しかしカイはベンチから立ち上がってこう言う。


「むしろ、ついて行っちゃえば?」

「……え?」


 あまりに個性のないその声はアスールのものである。カイの提案がまったく想定外のものだったのか、ぎくりと硬直しているのが見て取れる。カイはこういう時ばかり涼しい顔だ。


「見られて困るような仕事なの、トレジャーハンターってのは」

「……いや、そんなことはないぞ? ただ少々足場が悪く危険だから、巻き込まぬほうが良いと思っただけだ」


 アスールはどこか歯切れが悪い。チェリンが首を傾げた。


「トレジャーハンター?」

「この人、未発掘の遺跡とか神殿で見つけた遺物をお金に換えているんだってよ」


 カイの簡単な説明に女性陣は顔を見合わせた。そして出た次の台詞は、見事にふたり重なっていた。


『それって盗掘なんじゃ』

「ああもう、誰も彼もが同じ反応をする! 盗掘ではない、断じて否だ! カイ、お前の説明は言葉が足りなさすぎる!」

「え、俺のせい?」


 とばっちりをくらった顔でカイが頭を掻く。イリーネが尋ねる。


「ハンターってことは、狩人協会の?」

「厳密には少し違うが、協会傘下というのは事実だ。ただし管轄が違うから、トレジャーハンターの仕事を一般のハンターが受けることは原則不可能なのだよ」


 原則ということは、どうにかして仕事を請け負うことは可能なのだろう。そう思いつつも、いまはアスールの説明に口を挟まずにおく。


「我々は協会から仕事の依頼を受ける。大体は遺跡の調査任務だ。各地に残る遺跡は、発見されてはいるものの、崩落や太古の防護魔術の危険があって発掘が遅れているものが大半だ。そこでトレジャーハンターを派遣して、安全性を確かめるというわけだ」

「つまり相当危険……ってことね」

「場合によってはな。それでもついて来るのかな?」


 問いかけられたイリーネは、すぐさま頷いた。


「危険なら尚更、ひとりで行かせられません」

「……感謝するよ、イリーネ姫」


 アスールは微笑んで許可してくれた。だがくるりと踵を返した彼はカイの目前まで行くと、脅しかけるような低い声でぼそりと呟いた。


「恨むぞ、カイ」

「いつまでも隠し事しようとするから悪い。どうせこのことがあったから、強硬にテルメニー山の迂回を主張したんでしょ」


 カイはアスールの威圧にも堪えた様子がない。それどころか更にアスールの秘め事が暴露され、青髪の貴公子は憮然としている。


「そんなことはともかく、早く宿取ろうよ。暑い」

「あんたは入国してからそればっかりね……」


 チェリンは呆れたように呟き、少し離れた場所にある小高い丘に視線を送った。丘の上に一軒の宿がある。あれがアスールの言っていた見晴らしのいい宿だろう。





★☆





 海が一望できる豪華な部屋で一夜を明かし、翌朝早くに宿を出発した。大陸東部、しかも夏季ということもあって、イーヴァンの日の出は早い。早朝でも既に太陽は顔を見せており、気温も高かった。

 先頭を行くアスールは地図を片手に歩いている。残る三人も黙々と歩を進めるアスールを無言で追いかけていたが、いつの間にやらエルニーの街を出て、ひたすら海へ向かっていることに気付き、さすがに首を捻った。


「アスール、どこへ向かっているんです? こっちにはもう海しか……」


 アスールは肩越しに振り返って微笑んだ。


「その海に用があるのだ」


 そこでぴたりとアスールは足を止めた。眼下に広がる大海原――昨日高台から見たよりも近く、そして大きい。波の高さや飛沫、何より音を間近に感じることができる。

 アスールが立っているのは、その海に至る淵――ここは断崖絶壁であった。落ちれば波に飲み込まれ、まず助からない。高所恐怖症でもなんでもないが、イリーネの足はすくんでしまう。


 潮風に髪の毛をそよがされながらアスールは地図を懐にしまった。


「イーヴァンの海岸線は大体がこんなものでな。王都周辺には海水浴のための浜辺や、漁業船や旅客船のための港が整備されているが、地方の海といえば断崖絶壁と岩場だらけ。特にここは、昔から身投げが絶えない場所だ」

「み、身投げ……」


 チェリンがさあっと青褪めた。アスールは神妙に頷く。カイはその横で、ひょいと崖下を覗き込んでいる。高さも、身投げスポットということも何ら気にしていないようだ。


「まさかと思いますけど、ここ降りるの?」


 カイの問いかけに、イリーネとチェリンがぎょっとする。対称的にアスールは良い笑顔だ。


「察しが良いな。ほら、ロープだ」


 アスールが肩に引っかけていた鞄から出てきたのは、何の変哲もない一本のロープだ。それを差し出されたカイは何となく受け取ってしまいつつも、「『ほら』って言われてもねえ」と肩を竦めている。


「この地面の下にどうやら太古の遺跡があるらしい。崖の途中にぽっかりと穴が開いていて、そこが入口だそうだ。……本当に大丈夫か、姫君たち?」


 視線を向けられたイリーネは我に返り、大きく頷いた。


「だ、大丈夫です!」

「無理しなくてもいいよ? 俺と街に戻る?」


 カイの優しい気遣い――もしくは行きたくないという願望――は嬉しかったが、実は『古代の遺跡』とやらを少し見てみたいという気持ちがイリーネにはあった。カイが語って聞かせてくれた、女神エラディーナの時代。もしかしたらそれを、この目で見ることができるかもしれない。

 だから首を振ると、アスールは次に視線をチェリンに向けた。


「チェリン姫は?」

「あたしは問題ないわよ。化身族が高さを怖がるわけないでしょ」

「そいつは頼もしい。ではみなで行くとするか」


 言うや否や、アスールはロープの先端を傍の端に括り付けた。大きく引っ張っても結び目が解けないことを確認して、颯爽と崖下に身を躍らせた。躊躇も恐れもない跳躍に唖然としたのも束の間、イリーネは慌てて崖下を覗き込んだ。

 足で崖を蹴ってスピードを殺しながら、するするとアスールは下降を続けていく。やがて崖の中程で下降をやめ、ひょいと崖の内側に飛び込んで姿が見えなくなった。あそこが入口だろう。


 カイはくいっとロープを引っ張り、イリーネのもとへ歩いてきた。カイは「ちょっと失礼」と声をかけてからロープをイリーネの腰に巻き付けた。三周ほど巻いて命綱の代わりにしたのだ。アスールはそんなことをしないで飛び降りたが、手を放してしまえば一貫の終わり。身体にロープを巻いたくらいでは心許ないが、ないよりマシだ。


「ロープは俺が握ってるし、下に降りればアスールが受け止めてくれる。しっかり握って、ゆっくり降りて。大丈夫、頑張れ」

「はい!」


 自分でも驚くほど張り切った返事が口から出た。カイからロープを受け取って、後ろ向きに崖に立つ。最初の一歩目を慎重に踏み出したが、重力というものは恐ろしい。がくんと滑り落ちそうになって、慌てて崖に足をつけた。上から引っ張られる感覚があるのは、カイが軽く引き上げてくれているからだ。

 一瞬の焦りを収め、イリーネは改めてロープを強く掴む。アスールのように颯爽とは降りられない。地道に壁に足をつきながら、じりじりと下降する。手にロープが擦れて少し痛いが、離すことは許されない。できるだけ迅速に、イリーネは移動を続けた。


 すると目の前にぽっかりと空洞が現れた。はっとして視線を下げると、そこは奥へと続く洞窟のようだった。その縁に立って、アスールが手を差し伸べている。


「壁を蹴って飛び移るんだ」


 アスールの指示に従い、イリーネは勢いよく壁を蹴った。それと同時に下降して洞窟内に飛び込むと、勢い余ったイリーネの身体をアスールが抱き留めた。地面に下ろしてもらって身体に巻き付けたロープを解いてもらうと、アスールは笑った。


「なかなかの度胸だ。たいしたものだよ」

「ちょっと、楽しかったかも……です」


 そう本音を告げると、さも承知していたかのようにアスールは頷く。ロープを洞窟の外に戻してからしばらくして、チェリン、カイと連続で降りてくる。さすがふたりとも見事な身のこなしだ。


「さて、では奥に行ってみようか」


 アスールは携帯ランプに火を灯し、意気揚々と暗い洞窟の奥へ進んでいく。楽しそうで軽い足取りだ。なんだか妙に生き生きしているなあと思いつつ、イリーネらもそのあとを追った。



 しばらく洞窟を歩いたが、まったく周囲の景色が変わらない。入り口からイリーネがずっと手を当てている岩の壁はひんやりとしたまま、薄暗く僅かに下りの道を延々と歩き続ける。しかしながらこの道も、アスールに言わせれば歴史価値の塊だそうだ。


「これは自然の洞窟ではないな。この壁といい道といい、明らかに人の手が入っている」

「そうなんですか?」

「うむ。見てごらん、壁に模様が描かれている。潮風のせいで保存状態はよくないが、まさしく古代の壁画だ」


 壁にランプを近づけてくれたのでじっと凝視してみる。すると確かに、僅かながら赤や黄色という色が見て取れる。ひどく抽象的に見えるが、何か意味のある絵なのだろうか。

 チェリンは同じ壁を見ながら呟いた。洞窟内だと音が反響して、小さな声でもよく通る。


「けど、なんでこんな断崖絶壁の途中に?」

「逆だよ、チェリン姫。年月が経つにつれて、ここは断崖絶壁になったのだ」


 無言で首をひねるチェリンにアスールが説明する。


「そもそもこの世界は、数万年単位で『温暖期』と『寒冷期』が入れ替わっている。『温暖期』だと流氷が融けて海の水面は上昇し、『寒冷期』だと水位が下がる。おそらくこの遺跡が造られた当時というのは、いまよりずっと暖かい世界だったのだ。水面もこの洞窟のあたりまであった。つまり、ここが地上だったのだよ」

「で、気温が下がるにつれて水位が下がって、ここは断崖絶壁の途中にぽっかり造られたようになってしまった……か」


 カイの言葉にアスールが頷いた。


「まあそれを除いても、こんな海の傍に遺跡があるというのは珍しいことではあるがな……おそらくこの遺跡、神暦以前のものだ。神暦に入ってから、世界の平均気温は減少傾向にあるからな」


 では少なくとも、四千年近く前の遺跡なのだ。四千年前、確かにここにヒトが存在して建設作業をしていた。同じ場所を歩いたのだ。それを考えるとゾクゾクしてくる。フローレンツの王都ペルシエの戦渦の痕を見てもなんとも思わなかったはずなのだが、今はとても楽しい。


「今歩いている道は遺跡に至る回廊だ。もうすぐ広い場所に出るぞ」


 アスールの言う通り、低い天井と狭い道幅だった回廊の出口が現れた。


 ふわっと涼しい風が通り抜ける。


 回廊の先にあった空間に、イリーネたちは言葉を失った。

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