◆旅は道連れなんとやら(6)
街に入ればきっと涼しい――なんてアスールに言われたが、カイからすれば街中のほうがよほど暑かった。高い人口密度に、舗装された道に照り返す強い日差し。街道を歩いてきたときはそれなりに涼しい風が吹いていたのに、街に入ってそれがぱったり止んだのだ。
さすがオスト街道の中継地点というべきか――サディの街はヒトも物資も豊富だった。建物は殆どが木造だ。鉄資源が豊富なのになんでわざわざ木材なのかとふと思ったのだが、考えてみれば当然か。この暑さで鋼鉄の建物など、熱くて住んでいられないだろう。
それにしてもじめじめと暑い街だ。聞けばすぐ東側に海があるそうで、湿った空気が入り込んでいるのだという。
「暑ぅい……ねえ、ちょっと休んで何か飲もうよ」
一番最初にそれを言うのが自分だということが少々情けなくもないが、そんなことも言っていられない。案の定、アスールが困ったように振り返った。
「お前、魔術で氷を出して首にでも当てていれば涼しいのではないのか?」
「さも妙案みたいに言わないでよ。労力のほうが上回るよ、それ」
思うのだが、女性陣とカイへの対応に温度差がありすぎではないだろうか。しかもそれを隠そうともしないとは、紳士が聞いて呆れる。
こういう時に助け舟を出してくれるのはイリーネだ。
「歩き通しでしたし、少し休みませんか?」
「そうね。あたしも疲れちゃったわ」
チェリンもぱたぱたと掌で顔を煽いでいるが、まともな風など届いていないだろう。アスールはにっこりと微笑んだ。
「姫君たちがそう言うなら、喜んで」
「……」
その台詞を聞いて、少しだけカイの暑さは引いた。
決まったはいいが、アスールが「ここでもない、あそこでもない」とぶつぶつ言いながら市街を練り歩いているので、チェリンが首を傾げた。
「って、何探してるのよ?」
「サディで有名な喫茶店があったんだがな、はて久々に来たものだから道が怪しい」
「……その辺のベンチに座って、ジューススタンドの飲み物で十分なんだけど」
先程から何度もジュース売りを素通りしているので、カイがげんなりと呟く。と、アスールが嘆かわしそうに両手を広げた。
「折角来たというのに、たかだか五十ギル程度で済ませるつもりか?」
「五十ギルを笑う者は五十ギルに泣くよ」
「そこまでいくと倹約を通り越してただのケチだぞ。――む」
……アスールの気配が変わった。そう思って顔を上げると、アスールは道の先を見やって何か緊張した雰囲気を漂わせている。何かよくないものを見つけた――そんな顔だ。
何がいるのか。そう思ってアスールと同じ方向を見ても、カイの目には人々が買い物を楽しんでいる市場の様子しか見えない。
「あ、アスール。喫茶店ってあれじゃないですか?」
イリーネの声でアスールは振り返る。イリーネが指差す先には広場があって、そこに面している店が一軒。店の外には人が行列を作っていた。
「ああ、あれだ。……しかしだいぶ混雑しているな」
「どうします?」
「そうだな、少し待ち時間を聞いて来よう。一緒に行かないか、イリーネ姫?」
誘われたイリーネが快く頷き、アスールはカイとチェリンに待つよう告げて店へと歩いて行った。ごく自然な流れだったが、逃げたということがカイにはすぐに分かる。
何か、来る――?
その時、市場でわっと歓声が起こった。驚いてそちらを見やると、大勢の人間たちが歩いて来ていた。買い物を楽しんでいた人々は道の両端にはけ、開いた道を進んでくる並々ならぬ一団。カイとチェリンも思わず端へどいてしまう。
「なに、あれ?」
「さあ?」
カイとチェリンでは大した話ができるわけがない。だがアスールがこの一団を恐れて身を隠したのは間違いないだろう。
アスールが見られてはまずい人々――つまり、アスールと面識があるのか?
すると隣に立っていた露天商の男性が、興奮した様子で口を挟んできた。
「あんたたち、知らないのかい?」
「俺たち外国人だからね」
「そうか、どうりで色白な兄ちゃんだと思ったよ!」
「よく言われる。で、あれは誰なの?」
聞く順番がいろいろ違うと思ったのだが、男性はそんなことも気づかないほど気分が良いらしい。
「我らが国王、ファルシェ様だよ!」
「……イーヴァン国王?」
カイは眉をひそめて、改めて進んでくる一団に視線を向けた。先頭を歩いているのは、褐色の肌に色素の薄い金の髪の若い男――おそらく二十歳前後、もしかしたらまだ十代かもしれない。王族らしいマントやら装飾品は一切なく、身につけているのは肩当やらガントレットやら、王というより戦士の出で立ちだ。けれども大勢の人間を背後に従えて歩いていること、歓声を浴びせてくれる民衆に堂々と笑顔で手を振っていることが、紛れもなく貴人の表れだ。
なるほど――アスールが会えるわけがない。
「なんでこんなところに国王がいるの?」
「ついこの間、フローレンツで首脳会議があったろう。その帰り道で、陛下はあちこちの街を視察して回ってくださっているんだ」
「へえ……」
物好きだなぁ、とは口に出さないでおく。フローレンツでの首脳会議は、丁度カイたちがペルシエにいたころに行われていたのだ。それからかなりの日数が経っているというのに、イーヴァン国王はまだ王都に戻っていないという。これを物好きと言わずなんという。
「ていうか、それならニムも通ったでしょ? チェリー、なんで知らないの?」
「きょ、興味がないことは目に入らないのよっ」
チェリンは顔をわずかに赤くして目を逸らした。
「でも国王のことなら知ってるわよ。三年前に十六歳で即位した『青年王』でしょ」
すると露天商は笑顔で頷いた。
「ああ、まだ十九歳なのにあの威厳だ。それに、ただの王さまじゃないぞ」
「それはどういう――」
カイが尋ねかけたその時、再び歓声が上がった。何事かと思えば、国王の行列を阻むようにふたりの男が道に立ったのだ。
国王ファルシェはにやりと笑い、足を止める。カイが「まさか」と目を見張るが、そのまさかだった。片方の男が鹿の姿に化身したのだ。トライブ・【ディアー】だ。
「ちょっと、何して……っ!?」
チェリンが真っ青になって飛び出そうとするのを、カイが止める。
「行け、今日こそ!」
男の指示のもと、鹿が一目散に王へ向けて駆け出す。逃げも隠れもしない青年王は、すっと右腕を前に差し出す。その合図に応じて進み出たのは、ひとりの女性だ。てっきり王の側近だかボディーガードの一人だかと思っていた女は、なんと化身族だった。
現れたのは巨大な虎だ。屈強でいて、どこか優美なその虎は、向かってきた鹿を一撃で振り払った。呆気なく倒された鹿は化身を解き、地面に倒れ込む。
「これ、どういうこと……?」
周りが大歓声を上げている中で、チェリンが眉をしかめる。国王ファルシェは倒れた化身族を起こしてやっていて、化身族のほうも笑顔を浮かべている。
命を狙ったというより――単純な一騎打ちか。
「陛下は、即位される前は一流のハンターだったんだ! なんたって、契約しているのは【光虎ヒューティア】だからな!」
「【光虎ヒューティア】……賞金ランキング第六位、イーヴァン最強の化身族、トライブ・【タイガー】……最近名前を聞かないと思ったら、契約していたのか」
カイはぽつりと呟いた。世界各国に、それぞれ『最強』と呼ばれる化身族が存在する。フローレンツ最強と呼ばれたのは【氷撃のカイ・フィリード】であり、イーヴァン最強は目の前にいる彼女だ。賞金ランキングはカイの一つ下、九〇〇〇万ギル。八〇〇万ギルの差など、もはやあってないようなものだ。女性だからと侮ってはいけない、虎は豹より大柄で強いのだ。
「なに落ち着いて納得してるのよ! 往来のど真ん中で国王にデュエルを挑むって、どういう神経なわけ!?」
「普通の神経じゃないよ、どっちも」
ハンターのほうは、本気でヒューティアの契約具を獲りにいっているはずだ。他の国ならばとっくに死罪にされている。喧嘩じゃあるまいに、周りが「やったれやったれ」と囃し立てるのもおかしいだろう。
一昔前は、未契約の化身族にのみ賞金をかけて狩っていたというのに――賞金首たちは狩られないように必死で身を隠したというのに。本当に最近は、妙だ。来るもの拒まず、逃げも隠れもしないというスタンスのあのふたりは、おかしすぎる。
「陛下はいつもああだよ。どこで挑まれようが必ず応じるんだ。ハンターたちはもはや、陛下に顔を覚えていただきたくて挑んでいるようなもんさ!」
「ああ、そう……?」
誇らしげに露天商が語るが、何がそんなに誇らしいのかカイにはさっぱり分からない。とにかくイーヴァン国王ファルシェは変わり者で、かなりの人気と支持率を持っているということだけは分かった。
まあ、若くて顔の良い君主のほうが見栄えはするよね――なんて思っていると、丁度カイの目の前まで進んできたファルシェとばっちり目が合ってしまった。精気に溢れた青年王の瞳が驚きで見開かれ、次いで嬉しそうな笑みに変わるまで、僅か五秒。
(まずい、ばれた)
カイがじりっと後退する。しかしファルシェは逆にカイの前まで進み出てくるではないか。チェリンも驚いてカイと同じように身を退いた。
「お前は……フローレンツの【氷撃のカイ・フィリード】だな!?」
その言葉に周りの視線が釘付けになる。先程まで親しげに話していた露天商の男性も、悲鳴のような声をあげて飛び上がった。まさかそんな有名人が隣でぼんやり突っ立っていたとは思わなかったのだろう。
「人違いじゃないかなあ」
カイはしらばっくれるが、ファルシェには通じなかった。
「ヒューが言うんだ、間違いない。まさかこんなところで会えるとはな……!」
ヒューとは、相棒のヒューティアのことだろう。いまだ化身を解かない彼女は切れ長の目でじっとカイを凝視している。【光虎】というからには、光の魔術を使うはずだ。光属性は闇や神属性に次いで珍しい属性だ――束の間そんなことを考えていたカイは、ファルシェの口角が持ち上がったことを見逃さなかった。カイは横にいるチェリンに叫んだ。
「チェリー、跳べ!」
「ええっ!?」
その瞬間、ヒューティアが放った光の魔術が、カイとチェリンの足元で炸裂した。咄嗟のことではあったが、チェリンも化身族だ。素早くカイと共に飛び退り、難を逃れる。
危うく殺されかけたふたりは、傍の商店の塀の上に飛び乗った。無事なふたりを見て、ファルシェが残念そうに腕を組む。
「外したか、むう」
「なっ、何考えてるのよッ!? あんたそれでも国王かッ」
チェリンが怒鳴る。至極もっともな意見だ。ヒューティアの魔術によって近くの屋台が倒れ、地面が穿たれてしまっている。国王が民衆の生活を破壊したのだ。なんたる暴挙だろう。
けれども民衆たちはこの騒ぎに大歓迎のようだ。浴びせられる歓声に気さくに答えながら、ファルシェは笑う。
「国王になってからというもの、城での政務ばかりで飽きていたんだよ。それにこうしてデュエルすると、最も近い場所で民を感じられるから最適だ。だから少し、俺の道楽に付き合え」
「っ……もう少し、違う形のストレス発散方法を探したほうが、良いと思うよっ」
ファルシェの言葉の最中にも、ヒューティアは次々と光弾をカイに向けて撃ってくる。カイはそれをすべて避けながらチェリンを遠ざけ、民衆も遠ざけられるような位置を探す。結局それは、道のど真ん中でヒューティアと向き合うしかない。傷一つないカイを見てファルシェはくつくつと笑う。
「強者を見ると挑みたくなるのは戦士の性ってものだろう。……契約主は、今いないのか?」
「答える義理はないね」
そう言った途端、頬のすぐ横を光弾が掠める。避けたつもりが、躱しきれなかった。うっすらと頬に血の筋ができる。
覚悟を決めてカイは化身した。現れた白銀の豹に、見物人はうっとりとした声を漏らす。チェリンはやれやれと呆れて頭を振った。
「やっとやる気を出してくれたか」
嬉しそうなファルシェの言葉と同時に、大量の光弾が撃ちだされる。それらをすべて“凍てつきし盾”で防ぐ。
確かに彼女はこれまでにない雄敵であるが、さすがに街中だ、本気には程遠い。――やるからには勝たないと、気が済まない。
“氷結”。一瞬のうちに道がすべて凍結した。突然のことにみな驚いているが、さすがにヒューティアは動じていないし、動きも鈍っていない。それでも多少は、足場が悪くなっているはず。
飛来する光弾を相殺するのは、“凍てつきし礫”。ヒューティアの光弾と違って、カイの礫は路上の石ころを凍結させたものだ。打ち払ったところで消滅はしないし、それなりに痛い。
距離を詰めると、ヒューティアの攻撃も変化した。光弾だけでなく接近戦を織り交ぜてきたのだ。自分より大柄な相手ではあるが、カイが怖気づくはずもない。それに彼女は、カイの戦法のすべてを理解しているわけではないのだ。お互いに、戦いながら相手の次の手を探っている。
ここで隙を見せれば、きっとヒューティアは罠だと悟るだろう。それでも付け込んでくるかどうか。
カイが見せた隙は、一瞬だけ横腹ががら空きになるというものだった。彼女が見逃すはずもない。そして――彼女は罠と知ったうえで、あえて踏み込んできた。
予想通り。彼女からは、ファビオと同じような猪突猛進の匂いがした――なんてことを告げたら、おそらく彼女もファビオも怒りそうだ。
ヒューティアの鋭い爪が脇腹を掠める。その超密着した瞬間、それまで温存してきた“凍てつきし息吹”を発動させた。至近距離で冷気の波動を浴びたヒューティアの巨体が吹き飛ばされ、ファルシェのすぐ傍に着地する。意表を突くことはできただろうが、傷には至らないか――さて次はどうしようと思案を巡らせかけたとき、ファルシェが片手を上げた。
「……ヒューを吹き飛ばしたのは、お前が初めてだ。さすがだな、【氷撃のカイ・フィリード】」
その言葉と同時に、ヒューティアが化身を解いた。チェリンと並べるほどスタイルが良い美人の彼女は、チェリンより愛嬌があった。主人に叱られたかのように、小さく肩をすくめてカイに微笑んで見せる。ああ、この女も主人と一緒で手合せが趣味なのか。急速に冷めた闘気を収めながら、カイも化身を解く。
「満足した?」
「ああ、すっかり。時間を取らせて悪かったな」
ファルシェはにっこりと微笑んで頷いた。すると、それまで傍観していた老人がおずおずと後ろから声をかけた。臣下の一人だろう。
「……陛下、お戯れはこのあたりで」
「何を言うんだ、遊びに命を懸けられるか。俺はいつだって本気だ」
「もっと性質が悪うございます! まったく、また市街地を壊して。ますます王都に戻るのが遅くなるではありませんか」
「ははは、悪かったって。おーい、片付けは俺がやる、騒ぎを起こしてすまなかったなー!」
飛ばされた商品や倒れかかったテントを直そうとしている住民に、王は大きく手を振った。そちらへ駆けだしながら振り向いたファルシェは、最後ににっと笑う。
「じゃあまたな、【氷撃】。いつか本気で手合せできるのを楽しみにしてるぜ」
そう言って駆けだしたファルシェの後を追おうとしたヒューティアも、ちらりと振り返った。そして恥ずかしそうに微笑んで、小さく手を振る。
「またね」
化身した際の獰猛な見目や大人びた容姿とは対照的に、どうやら中身は純粋な少女らしい――気が抜けてしまったカイが路上に突っ立っていると、横合いからチェリンがカイの腕を引っ張って人混みの中に連れ込んだ。
「ったくもう、思いっきり目立ってるじゃないの! 変態紳士と一緒にイリーネがいなかったのがせめてのもの救いね。こんなに視線を浴びたらあの子、緊張で目を回しちゃうわよ」
「……ふふ、そうだね」
ああそうか、だからアスールはイリーネと一緒に姿を消したのか――カイはそう察して、ひとり苦笑する。
そのあとで合流したイリーネがカイの頬の傷や脇腹の裂けた服を見て血相を変えたのは、言うまでもないことである。




