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氷撃のカイ・フィリード  作者: 狼花
2章 【青き嶮山 イーヴァン】
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◇旅は道連れなんとやら(3)

「ところでイリーネ姫は、このイーヴァンという国の山の多くが火山であることをご存知かな?」


 唐突に朝食の席でアスールにそう尋ねられ、イリーネは質問された内容を理解するのに時間を要した。四人がけの円卓で、イリーネの向かいに座るカイが「また始まったよ」と呆れた顔をし、左隣のチェリンが「何言ってんのこいつ」という顔になる。実にふたりとも分かりやすい。


「は、はい。今もまだ活動中の火山なんですよね」

「その通り。ニム大山脈をはじめ、王都の北に広がるテルメニー山、さらには西の国境となる霊峰ヴェルン……ま、他にもたくさんあるのだがそれはいいとして」


 宿の中に併設された、安さと量の多さで勝負しているような食堂なのだが、どうしてかアスールがこの場でナイフとフォークを使っていると高級料理店に見えてきてしまう。そんな錯覚を覚えつつ、イリーネはパンをちぎった。


「噴火は恐ろしいものだが、火山は人々の生活に豊かな資源を与えてくれる。水や作物、鉱物などがそうだ。で、もうひとつ忘れてはならないのが『温泉』だ」

「温泉……?」


 聞き慣れない響きの言葉で、イリーネはオウム返しをするだけだった。アスールは誇らしげに説明する。


「イーヴァンでは地下から湯が出るのだ。それを浴槽に溜めてみなで浸かる。それが温泉だ」

「えっと、つまりお風呂ですか?」

「うむ。だが侮るなかれ、天然温泉には身体の調子を整えたり、美肌効果があったりと色々効能があるのさ」


 地下から湧くお湯にはそんな効果があるのか。それは素直にすごいと思ったのだが、先のアスールの言の『浴槽』と『みなで』という言葉が引っかかる。いつも湯は桶で掬って身体にかけるだけで、浸かったことなどない。さらに『みなで』とはなんだ。公衆の面前で裸になれというのだろうか。それはさすがに――たとえ湯に浸かっていても恥ずかしい。


「みな同じ目的で温泉に来るのだ、そう恥ずかしがることはない。古来から『裸の付き合い』という言葉があってな、本来は心を許し合った友のことを指すが、そういう言葉が生まれるほどに風呂というのは素晴らしいものなのさ」

「あんた、よく朝っぱらからそんなこと口に出せるわね……」


 チェリンが冷ややかな目をアスールに向けるが、逆にアスールは爽やかな笑みを返す。


「チェリン姫は興味ないかね?」

「……そりゃ、多少はあるけど。ここらじゃ温泉は有名だものね」


 強がっているが、実は彼女も興味津々なのはイリーネもカイも分かっている。

 イリーネがカイを見ると、カイは小さく首を傾げた。


「温泉って話には聞いていたけど、実際に見たことはないんだよね、俺」

「え?」

「ちょっと行ってみない? 面白そう」


 カイからそんなふうに提案を受けたのは、初めてのような気がした。いつだってカイは選択をイリーネに任せきりで、「ここに行ってみないか」なんて誘いはしなかったのだ。自己主張が極端に少なくて、機械的に行き先を決めていたカイが口にした、初めての要望――。


「……はい! 私も、温泉見てみたい」


 そう答えるとカイは少し微笑んで頷いた。


「決まりだな。ここから少し南に、タニスという街がある。そこが有名温泉地の一つだ。タニスの温泉の傍には巨大間欠泉もあって、良い行楽地だよ」


 てきぱきと話を進めるアスールは、おそらくこうなることが最初から分かっていたのだろう。もうルートまで完璧に設定してあるらしい。

 チェリンが訝しげにアスールを見やる。


「……っていうか、麓の街までの同行って話じゃなかったかしら?」

「ふふ、旅は道連れなんとやらと言うではないか。あてがないのは私も同じ、どうせだからもう少しついていかせてはくれないかね」


 イリーネがあっさり頷いてしまったので、チェリンは溜息をついた。そしてイリーネに向き直る。


「気をつけなさいよ。あいつのことだから、女湯覗きくらいは軽くやってのけるわ」

「え、ええっ?」


 ちらりとアスールを見ると、アスールは綺麗な青の髪を掻き上げて笑った。


「ふふふ……案ずるに及ばぬ。私は入浴中の女性よりも、湯上り美人のほうが好きなのだ」

「それはそれで危ないわよ!」


 チェリンの怒号とともに、カイが腕を振り下ろした。パコン、と軽い音がアスールの後頭部で発生する。テーブルに置いてあった伝票でカイがはたいたのだ。

 イリーネは思わず吹き出してしまう。笑いが止まらなくて、ずっとくすくすと笑っていた。それを見たカイとチェリンも肩をすくめて苦笑する。出会って数日だが、ここ最近で妙に四人の息があっていることは間違いなかった。





★☆





 ハサンから温泉で有名なタニスまでには、クローツという街がある。そこもハサンと変わらず山間の小さな集落だそうで、そこに行くまで再び高低差の激しい道を歩くのだ。

 しかしニム大山脈と違い、それはせいぜい『坂』という程度のものである。しかもきちんと舗装されていて、フローレンツ国内のどの街道よりもしっかりした道だった。


「土砂崩れや川の氾濫という自然災害が起こりやすいからな。舗装はしっかりされているのだ」


 アスールの説明を聞きながら、木々に囲まれた山道を歩く。まるでアーチのように樹木が生い茂って影を作り、その隙間から日光が差し込んでくる。高地だから景色もよく、最高の眺めだ。

 ニムを見た後では山とすら呼べないようなものであったが、ハサンの南にあるこの山をひとつ越えればすぐにクローツだという。いまイリーネらが歩む道はイーヴァン政府によって整えられた『オスト街道』だ。いくつかの街を経由しつつこの街道を進めば王都につくが、クローツでオスト街道から少し逸れてタニスの街に行く予定である。ちょっとした寄り道だが、それだけで不思議とわくわくしてくる。


 イーヴァン最大にして最長の街道であるから、もちろん人通りが多い。ニムでは見られなかった馬車も、ちらほらと見られるようになってきた。フローレンツのように移動を馬車には頼らず、徒歩の旅をする人のほうが多いようだ。

 すれ違うヒトの大半は、褐色の肌を持つ人々だ。この地に住む者たちは人間族、化身族関係なく肌が日に焼けるのだ。


「おう、嬢ちゃんたち外国の人か。足壊さないようにな」


 街道ですれ違いざまに、何人かの人がそう声をかけてくれた。「足を壊さないように」というのは、起伏の激しいこの国では無事を祈る挨拶になっているそうだ。

 褐色の肌を持つのはイーヴァン人だけなので、白い肌のイリーネらはすぐ外国人だと分かっただろう。


「そういえば、アスールはどこの国の出身なんですか?」


 先を行くイリーネが、道の中程でくるりと振り返る。イリーネらと変わらぬ肌を持つアスールは、イーヴァンの民でないことは明らかだ。

 後ろにいたアスールはにっこりと微笑む。


「私は放浪者だからな、世界各地に故郷と呼べる場所が」

「真面目に答えなさいよ」


 チェリンに先回りされて遮られ、アスールは肩をすくめる。


「ちょっとした冗談ではないか。私はサレイユの生まれだよ、イリーネ姫」

「サレイユ。フローレンツの西の国ですね」

「うむ。大陸最大の湖ラーリアを持つ、水の都。娯楽都市とも呼ばれる。年中涼しいから、暮らしやすい場所ではあるな」


 故郷のことを語るアスールは、いつもの饒舌さはどこへいったのか酷く淡泊だった。

 話したくないのか。そう直感したイリーネが引き下がろうとしたとき、カイが口を開いた。


「サレイユ行ったことないから、今度案内してよ」

「そう言われてもな……」

「いいじゃん……涼しい国最高だよ」


 どこか呂律の回らないカイの様子に、イリーネが目を見張る。最後尾をよたよたとついてくるカイの額には、尋常ではない量の汗が浮かんでいた。ぎょっとしてその傍に駆け寄り、カイの身体を支える。


「ど、どうしたんですか、カイ!?」

「あー……うん」

「どこか具合悪いんですか?」

「いや、暑くてさ……」


 カイは額の汗を拭って、その場にしゃがみこんだ。拭っても拭ってもカイの汗は止まらない。


「暑い。ほんと暑い。山ひとつ越えただけでなんだこの温度差……」

「そんなに変わったかしら?」


 チェリンが空を見上げた。確かに季節は夏だし、高地ということで暑いことは暑い。だがここまで汗だくになるほどの暑さではないはずだ。ニム大山脈ではあれだけ涼しげな顔をしていたカイが、どうしたことだろう。


「まあ、お前は雪豹だからな。本来は寒冷地に生きる種族だ」


 アスールが苦笑しながら道端に腰を下ろす。どうせだからと休憩するつもりらしい。イリーネはタオルと水筒を出してカイに渡す。チェリンも大きく宙へ向けて腕を伸ばした。


「この辺りは風とニム大山脈の関係が密接でな、山の向こうとこちらでは気温差が激しいのだ。冷たい風がイーヴァン側に来ない代わりに、こちらの熱気も麓に留まってしまう」


 水を飲んで一息ついたカイだったが、だいぶ気怠そうだ。


「大丈夫ですか? オスト盆地はすごく暑いって聞きましたけど……」

「多分、大丈夫。死にはしないよ」


 確かに、死にはしないだろう。だがカイがこれだけ弱っているのは初めてなので、イリーネも動揺してしまう。

 カイは苦笑して、そんなイリーネの頭に手を置いた。


「そんな顔しないでよ、ただみんなより暑がりなだけだから。ほら、さっさと行きましょ」


 気怠そうでも、そこはカイ。基本的な体力はイリーネなどより遥かにあるため、まだまだ頑張れるようだ。歩き出したカイの後姿を見て、アスールが笑みを浮かべた。


「意外な弱点があったものだな」

「もしハンターとかに襲われたら、カイ大丈夫なんでしょうか」

「おそらくこの先、ハンターに襲われることはあまりないと思うよ」

「そうなんですか?」


 断言したアスールは、イリーネの言葉に頷く。


「賞金九八〇〇万ギルの【氷撃のカイ・フィリード】だ。見つけたからといって準備もなしに挑んで勝てる相手ではないし、襲撃者は残らず殺すことで有名だったのだ。その強さは数字が明らかに証明している。望んで命を落としに来る輩はそういないだろう」

「でも、フローレンツではしょっちゅう……」

「フローレンツにいたハンターたちは、カイを狩ることを最初から目的としていた者たちだ。この国にはこの国最強と謳われる化身族がいて、イーヴァンのハンターたちはそれを狩ろうとしている。フローレンツ以外では、カイはまったく標的外なわけだよ」


 ここに至るまで、カイが【氷撃】だとばれなかったわけではない。分かる人には分かっただろうが、しかし手を出しては来なかったのだ。理由はひとつ、敵わないと分かっているから。それを知って尚カイを狩ろうとする者は、とっくにフローレンツに向かっていたはずだ。

 フローレンツ国内では落ち着いて食事を摂れたことがあまりなかったが、ニムに入ってからは非常に穏やかだ。それはアスールの言ったような事情があったからだろう。


「けど、カイがイーヴァンに移動したことを知って、追いかけてくる奴らもいるんじゃないの?」


 チェリンが鋭く指摘する。そういえば、【大鷹エルケ】と契約主アーヴィンは、執念深くいまもカイを追っている。そういうことがあってもおかしくはない。


「そうかもしれぬな。だがまあ、いざとなればカイもしっかり戦うだろう。それでもだめなら、私が打ち払ってやるから、安心したまえ」


 アスールはぽんとイリーネとチェリンの肩を叩いて微笑んだ。


「今はめいっぱい楽しむとしようじゃないか。早く行こう、カイがひとりで行ってしまう」

「あ、はい」


 相変わらずふらふらしているカイは、イリーネたちを置いてけぼりにしていることにも気づかずに歩き続けている。その時点で彼がかなり弱っているのは明白だ。アスールがにやにや笑いながらカイの腕を掴んで支えて何か言った途端、凄まじい速さでカイがアスールの腕を振り払う。仲間内でアスールへのきつい当たりがなくなることがあるのか――


(……ううん、このままのほうが面白いかも)


 アスールが打ちのめされる姿を遠くから見ているのは、割と楽しい――と、最近イリーネは思いはじめていたのだった。

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