◆旅は道連れなんとやら(2)
食事を終えて宿に戻ったのは、だいぶ夜も遅い時間だった。
廊下でイリーネとチェリンとは『おやすみ』の挨拶をして、それぞれの部屋へ引き取った。部屋に入るなりアスールは、彼女らの前で被っていた紳士の仮面を脱ぎ捨て、ベッドに座り込んだ。
「やれやれ、やっと帰ってきたな」
「かなりのんびり食べてたもんね」
「ああ、特にお前とチェリン姫がな。化身族というのは男女関係なくよく食べるのだなぁ」
「そりゃ肉体の維持に必要なエネルギーは人間より多いからね」
最初はチェリーケーキだけのはずだったのにな、とアスールが軽くなった財布を懐から出して鞄のほうへと放る。お言葉だが、だったらあんな高い店に連れていくなとカイは言いたい。一番安い料理だってそれなりの値段がして、それも食堂感覚で入っていい店などではなかったから、しっかり前菜からデザートまで出されたのだ。金がかからないはずがない。
本当に、お金持ちは違う。
「……そのお金、どこから出てるの? もしかして親の財産?」
「失敬な。きちんと私が稼いだものだ」
「どうやって?」
アスールは小さな瓶を取りだした。先程店からの帰りにふらっと立ち寄って買っているのをカイは見た。中身は酒だ。
飲むかと聞かれたので、ちょっとだけと答えておく。酒には強いが、ここで飲みすぎて明日イリーネらにばれるのも面倒だ。
グラスに少量注いでもらったものを受け取り、鼻を近づける。つんときついアルコール臭がした。強そうだ。
「いわゆる、トレジャーハントというやつでな」
「は?」
「宝物探しをするのさ。世界には古代の遺跡が多くあってな、そこにある遺物を狩人協会に持ち込むと、その場で鑑定と換金をしてくれる。これが結構儲かるのだ」
アスールは優雅にグラスを傾ける。この辺りで有名な蒸留酒でかなり度数が強そうだが、まるで水を飲んでいるかのようだ。
「……それって盗掘」
「何を言うか、むしろ逆だ。各地に存在する未発見の遺跡を、私が発見する。そして『こんなものがあったぞ』と協会を通して考古学者たちに遺物を引き渡す。そうすることで新しい発見が生まれるのだ」
「物は言いようですねぇ」
ひとりで遺跡に入り込むのは正気の沙汰ではない。古代の侵入者撃退魔術のようなものが生きている可能性も高く、古ければ古いほど崩落などの危険も出てくる。普通そういったことは、数人のパーティーを組んで行うべき作業のはず。それをひとりでやっているとは――。
儲かるはずだよなぁ、と酒に口をつけて思う。
「その口ぶりだと、イーヴァンも詳しいんだ?」
「イーヴァンだけでなく、世界各国ひとりで回った。行っていないのは中央のギヘナ大草原くらいだ、伊達に放浪者は名乗っておらぬ」
「――いつから、そんなことを?」
ちらりとアスールを見やると、ベッドに座って月を見上げながら、彼はこちらを振り返りもしない。ただ背中越しに、答えだけが返ってくる。
「いつ、だったかな……もう数年前からだ」
「なんで?」
「もともとそういう冒険心が強かったのさ」
「嘘つけ。……あんたはそんな奴じゃなかったし、それを許される立場ではないことも自覚していたでしょ」
アスールが小さく笑う。
「嘘などついておらぬよ。前にも言っただろう、人間の十五年は長いのだ。それだけあれば多かれ少なかれ、人は変わる」
吐息のような笑い声には、並々ならぬ感情があふれていた。諦め、嘆き、安堵、その他諸々の感情がごちゃ混ぜになった、そんな笑い方だ。
「わざと、か」
ぽつりと呟いたところでアスールがようやく振り返る。
「望んでやっているのさ」
「どうだか」
「信用してないな、お前」
「だって信用できないし、本心から言っているようには見えないし」
色々あるのさ、私にも。アスールはそう呟いてまたグラスを傾ける。カイは空になったグラスをテーブルに置いてベッドに仰向けに転がる。もう一杯どうだとアスールに聞かれたが無言で首を振った。寝酒にはこれくらいで十分だ。
「帰らないの? みんな血眼で探してるんじゃない?」
「はは、みな私の放浪癖には慣れたものでな。たいして心配などしていないだろう」
「じゃあこのままついてくるつもり?」
「さて、どうしようか……というところだな」
正直に言って、アスールがいるのは心強かった。カイはイーヴァンの地理に明るくないし、ヒトとしても戦力としても信用できる相手は、いま何ものにも代えがたい。共通の過去と共通の思い出を持っているからこそ、そうして信頼できるのだ。
だが彼はやんごとない事情を持つ人間で、ただでさえ賞金首として狙われているカイに加えて、アスールまで同行したらこの先どうなるか分からない。戦力としては信頼できるが、何分にもこの男は目立つのだ。……カイが言えたことではないが。
「ついて来る来ないは勝手にしたらいい。どうせ別れたところで、またどこかでひょっこり出てくるんだろうしね」
「よく分かってるじゃないか」
「ただひとつ条件がある」
その言葉にアスールは軽く目を見張った。
「なんだ?」
「イリーネの前で、あの子の過去の記憶を刺激するようなことは言わないで」
「……というと?」
「俺が昔ミルクって呼ばれてたとか、白いわんちゃんとか、その他諸々だよ」
口に出すだけでも嫌なので、早口でそう告げる。アスールは酒のグラスを同じテーブルに置き、カイに向き直った。
「それは、イリーネに記憶を取り戻してほしくない……ということか?」
「過去の記憶は、あの子にとって辛いものでしょ」
「だがすべてがそうではないだろう? 楽しかった思い出もあるはずだ。それこそ、お前と過ごした頃の――」
「……あの頃の俺を思い出してもらっても、何の意味もないんだよ!」
声を荒げてから、カイは我に返った。アスールも驚いたようにこちらを見ている。
まずい。何を言っているのだろう。――酒に酔ったのだろうか。
「嫌なんだ。何もできなかったあの頃の自分を、イリーネに思い出されるのは。格好悪くて、意気地なしで――」
「なんだ、案外格好つけなのだな。……お前はあのころから、イリーネをよく守ってくれてたよ」
苦笑していたアスールは、すっとその笑みを収めた。
「だがそれはお前の言い分だ。イリーネにはイリーネの言い分があり、私にも私の言い分がある。私は……あの頃のように、イリーネと私とお前、そしてカーシェルと四人で会いたいのだ」
懐かしい名前が出てきた。
カイは顔を上げた。
「カーシェルはいまどうしてるの?」
「……分からぬ」
「え?」
「何度も連絡を取ろうと試みているのだが、ここ最近はずっと接触できない。もはや生死さえ分からぬのだ」
何が起きているのだろう。
あまりに世情に疎い自分を、カイは殴り飛ばしたくなる。旧友のアスールが何を思って放浪者をしているのかも、同じく友人のカーシェルに何が起こっているのかも、カイは知らない。
――薄情なのだな、やはり自分は。
「カーシェルと連絡がつけば、色々と上手くいくのだがな……」
アスールは悔しげに言って、酒を飲み干す。
「今は考えても仕方がない。とにかくお前の言い分は了解した――確かに、わざとらしくイリーネの記憶の復活を煽ったところで、彼女が混乱するだけであるからな。自然に戻るのを、待つしかないか」
「うん」
「で、明日からの旅行プランは?」
旅行ってねぇ――と内心で突っ込みつつも、カイは地図を広げる。山間にぽつぽつと集落がするイーヴァンでは、ニムほどではないがどこも山道になる。唯一の平地は王都オスト周辺だ。国内東部のあのあたりは「オスト盆地」と呼ばれ、他の場所より低くて平らな大地が広がっている。そこに王都をはじめとするいくつかの街が造られ、栄えているのだ。
「とりあえず目指すは王都オストかな……」
「またお前はそうやって! どうして目的地を決めてそこへ一直線なのだ。寄り道は旅の醍醐味だろう」
「そう言われても、イーヴァンには詳しくないんだって」
カイはニムの山中とフローレンツ以外――いや、フローレンツも怪しいが――人を案内できるほど詳しくないのだ。とりあえず人の一番多そうなところ、国都を目指して進むしかない。その途中で何か見つければそれはそれでいいのだが、最初から娯楽や観光地を目指して進むことができない。
「……分かった。オストへの道すがら、寄れそうな場所を私が案内しようではないか」
「つまり当分同行する、と」
「勝手にしろと言ったのはお前だろう?」
「はいはい」
諦めてカイは地図をアスールに渡す。しかし大体の地形図は頭に入っているらしく、アスールはすぐに地図を畳んでしまった。そしてふと部屋の入口の方に視線を送る。
「姫君たちはもう休まれたかな」
「そうじゃない? さすがに疲れたでしょ」
「お前の耳なら話し声などは聞き取れるのではないか?」
「かもしれないけどやらないよ、そんなアスールみたいなこと」
「私だって女性のプライベートを盗み聞きする趣味はないぞ」
生まれつき聴覚の鋭いカイだが、音を遮断するために耳を閉じるということはできない。取るべき手段はといえば、それらすべて聞き流すこと。こうしている間にも、窓の外から聞こえてくる微かな声や物音が気になって仕方がないか、気にしなければなんともない。カイと人間たちでは、『静寂』の範囲が違いすぎるのだ。だからこそカイは、静寂を求めて北の果てオスヴィンを根城にしていたのだから。
逆に言えば、集中さえすれば扉二枚と廊下を隔てた先のイリーネとチェリンの会話も聞き取れるだろう。だが――そんなどこぞの変態紳士みたいなことはしない。
「俺たちももう寝ようよ。眠い」
「ほう、夜行性のお前が眠いとはな。先程声を荒げたことといい、やはり酒というものの力は大きいな」
「つべこべ言ってないで、火を消して」
「つれない奴め。突っ込みのないボケほど虚しいものはないのだぞ」
言いながらもアスールは酒瓶とグラスをさっさと片付け、ランプの灯を吹き消した。毛布の中に潜り込んだカイの鋭敏な耳に、隣のベッドに入り込んだアスールの気配が聞こえる。
お互い「おやすみ」など言わなかった。なぜかといえば、そんなことするには気持ち悪い間柄だからだ。




