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氷撃のカイ・フィリード  作者: 狼花
2章 【青き嶮山 イーヴァン】
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◇旅は道連れなんとやら(1)

「おー、街だ街だ。やったぁ」

「その棒読みじゃまったく嬉しそうに聞こえないんですけど……」


 感情の一片さえ感じられない歓喜の声をもらしたカイの横で、イリーネが苦笑する。彼らの眼下には遠く、しかし確かに集落が存在していた。

 汗ひとつかいていない涼しげな顔で、アスールが頷いた。


「あれこそイーヴァンの玄関口、ハサンの街だ」


 国境のニム大山脈に足を踏み入れて、実に五日。紆余曲折はあったものの、カイとイリーネは無事に山を越えてイーヴァン王国への入国を果たした。


 イーヴァン王国は山岳国家、さらにいえば火山の国だ。豊かな水や作物、鉱石などはすべて山の恵みで、いまなお火山活動が活発な場所は多い。ニムもかつては頻繁に噴火を繰り返していたそうだ。

 国境のニムは越えたが、国土の大半の地形は海面からかなり高い場所にあり、加えて平地も少ない。ヒトが集落を造る場所は限られるため、手つかずの自然は多い。状況はフローレンツに似ているが、フローレンツよりも緑豊かなために明るく開放的なイメージだ。


 そしてハサンの街は、ニムの裾野に広がる牧畜の街だった。広大な草原で草を食んでいる羊や牛を見ていると、時間の流れが途端にゆっくりになる。そんな光景を横手に、一行は丘陵地帯を抜けた。そしてようやく、麓の街に到着したのである。


 時刻は昼過ぎ。身体は疲れているが、山を越えたという達成感ゆえか割とイリーネは元気だ。久々に賑やかな喧騒が嬉しくて周りに目線を向けていたのだが、隣を歩くチェリンが何やら挙動不審なことに気付く。そういえば彼女は、ニムを初めて出たのだ。まるで見知らぬ世界だろう。


「大丈夫ですか、チェリン?」


 声をかけると、チェリンは引き攣った笑みを見せた。


「人が多くて驚いた。ニムとは比べ物にならないわね、やっぱり……」

「ハサンはイーヴァンでも田舎の街だ。この程度では人が多いとは言わないだろうよ」


 どこかでカイから聞いたような台詞を口にしたのは、先を行くアスールだ。カイと肩を並べて歩きながら、ひょいとぶつかりそうになった男性を避ける。


 するとカイがアスールを横目で見やった。


「同行はここまでだったよね、アスール。それじゃお世話になりました」

「一分でも一秒でも早く私から離れたいといった態度だな」

「え、ちょっと待ってよ」


 肩をすくめたアスールの援護に入ったのは、意外なことにチェリンだった。


「まだチェリーケーキ奢ってもらってないわ」

「食べたかったんですか、ケーキ」


 イリーネの鋭い指摘に、チェリンは照れもせず「うん」と頷く。これにはさすがのカイとアスールも苦笑し、アスールは大きく頷いた。


「ああ、いくらでも奢らせて頂こうではないか。とりあえずまずは宿を取って少し身体を休めよう。そのあとで、夕食も兼ねて出かけるということでいかがかな?」

「せっかくアスールを追い払えると思ったのになぁ」

「そこ、ぶつぶつうるさいぞ」


 仲が良いのか悪いのか分からないふたりをなだめつつ、イリーネは街の案内図を発見して宿の場所を確認した。牧草地のすぐ傍に建てられた大きな三階建ての宿で、非常に雰囲気が良い。ニムへの登山口ということで、やはり登山前後のヒトが多いようだ。

 部屋は空いていたようなので、二人部屋をふたつ取った。受付を済ませる横で部屋の鍵を受け取ったアスールが、一本をイリーネに渡してくれる。そうして案内されたのが二階の向かい合った部屋だ。


 扉の前の廊下で、イリーネが時間を確認してアスールたちに告げる。


「えっと、それじゃ一時間後にロビーで合流してご飯に行きましょうか」

「ああ、了解した」


 アスールが快諾してくれたのに微笑んで、くるりとイリーネは部屋の扉に向き直る。鍵を開けて室内に入るイリーネの後を、とことことカイがついていく。



 ――……。



「……って、ちょっと待ったぁっ!?」

「わっ」


 突如、チェリンの大喝が背後で響いてイリーネが飛び上がる。振り返ると、チェリンが鬼の形相でカイの後ろ襟首を引っ掴んで掴まえていた。


「あまりにスムーズすぎて危うく見逃すとこだったけど、あんた、何普通にイリーネと同室になろうとしてるわけ……?」

「何って、今までだってそうだったから。お金なかったし、一部屋ずつ取るのもなんかねぇ」


 カイはのんびりとそう説明する。チェリンはカイの襟首を掴んだまま前後に思いきり揺さぶった。


「あ、あんたねぇ! たとえ今まで貧乏だったからって、それはないでしょ!? 女の子なのよ! 大体、そこが一緒になっちゃったらあたしはこの変態紳士と同じ部屋になっちゃうじゃない! 嫌よ!」


 チェリンが指差した先にアスール。アスールは意味ありげな笑みを見せる。


「ふふふ……どうだね、今宵はふたりで」


 そこまで言ったところで、アスールの右足をチェリンが思い切り踏みつけた。避けられなかったのか避けなかったのか、とにかくまともに踏まれたアスールもさすがに痛かったらしい。しゃがみこみこそしなかったが、笑みが引き攣る。

 チェリンはカイをアスールのほうへとぶん投げた。いや、本当に宙を舞ったわけではないが勢い的にはそのくらいの気迫があった。


「とにかく! 男どもはそっちの部屋をどうぞ! 行くわよイリーネ」

「は、はい」


 ずんずん部屋へ入っていくチェリンの後を慌ててイリーネが追いかける。眼前で閉じられた扉を見て、カイとアスールは顔を見合わせた。どちらともなく苦笑する。


「……いやはや、どの時代も女性には敵わぬものだな」

「ほんとにね……」





 室内のベッドに荷物を下ろしたチェリンが、盛大に溜息をつく。


「まったく、油断も隙もありゃしない」


 同じように隣のベッドに座ったイリーネが苦笑を漏らす。その様子を見てチェリンが身を乗り出した。


「あんたもあんたよ、イリーネ。これまでカイと同室でなんとも思わなかったの?」

「最初は驚きましたけど、特には……」


 というより、ひとりが嫌だったイリーネとしてはカイとの同室は安心できたのだが。

 さすがにそこまで言うとチェリンにもっと呆れられそうだったので、イリーネは口をつぐんだ。そうしている間にもチェリンは荷物を解いている。


「年頃の女の子なんだから、もっと気をつけなさい。男なんてろくなもんじゃないわよ」


 手厳しくこき下ろすチェリンだが、そういう彼女も年頃の女の子じゃないのかなぁ――なんて思ったりもする。


 イリーネにとってカイは、唯一にして誰よりも信頼できるパートナーだった。縋っていたといっても過言ではない。カイがいなければどうなっていたかなど、想像もできないのだ。

 だからこうして引き離されるなど考えたこともなかったのだが、不思議とチェリンに叱られて悪い気はしない。頼もしい姉ができたような、そんな気分だ。

 カイに相談できないことがあっても、チェリンには相談できるかもしれない。きっとカイとは違った優しさで、話を聞いてくれるだろう。


「――チェリン、ご飯の前にお風呂行きません?」

「いいね、行こ行こ。汗で気持ち悪いのよねぇ」

「あとでお洗濯もしなきゃですね」

「夜の間に部屋で干してれば、明日にはなんとかなるんじゃない? ロープ持ってるから、部屋に吊るしましょ」

「ロープなんて持ってたんですか!?」

「何かに使えるかと思ってね」


 男がいてはできないような話をしながら洗面用具を出して、落ちつく暇もなくふたりはまた廊下へ出た。鍵をかけるイリーネの後ろで、ちらりとチェリンは向かいの男子部屋の扉を見やる。さすがに普通に喋るだけでは音漏れなどしないので、カイとアスールの部屋も静まり返っているように感じる。

 肩を並べて浴場へ向かって歩きながら、チェリンが軽く眉をしかめた。


「……ねえ、あのふたりって何なの?」

「カイとアスールですか? 古いお友達みたいですけど……」

「なんか妙なのよねぇ、あいつらの関係。久々に会った友達って感じじゃあない。何かこう、共通の隠し事をしているみたいな」

「そうですか? 私にはとても仲良しに見えますよ」


 通常ヒトのことを『君』と呼ぶカイが、アスールに対してだけは『あんた』と呼ぶ。アスールもカイには歯の浮くような台詞は吐かず、反論もする。それはとても特別なことで、それだけ親しいことの証だと思うのだ。


「ま、あたしの考えすぎかもね。とにかく確かなのは、あの変態紳士は気に食わないってことだけよ」

「チェリンとアスールも、傍目には仲良しに見えますけど」

「んなわけないでしょ!」


 チェリンに軽く小突かれたイリーネはくすくすと笑う。同性の友達っていいな。いまこのとき、それを強く感じていた。





★☆





 入浴して、洗濯をしてそれを干して、ということをチェリンと喋りながらやっていると、一時間などあっという間だった。

 心も体もリフレッシュしてロビーへ降りると、もう既にカイとアスールが待っていた。ふたりも汗を流したのか、軽い服装に変わっている。


 ソファに座っていた二人が立ち上がる。イリーネが小走りに駆け寄った。


「お待たせしました」

「うん、結構待った」


 カイが生真面目に答え、チェリンが後ろで片手を腰に当てた。


「今のは待ち合わせの合言葉みたいなもんでしょうよ、なんで正直に答えるのかしらね」

「でもこの状況で『今来たところ』とは言えないし」


 ソファとセットになっているテーブルをカイが指差す。そこには空のコップが置かれていた。コップ一杯が空になるくらいは、このロビーにいたのだろう。


「部屋にいてもすることなかったから」

「女性と待ち合わせをするとき、男は三十分前に集合場所で待っているべきものなのだよ」

「……とかなんとか、こいつが言うから」

「でもそれって、種明かししちゃ意味ないんじゃ……?」


 イリーネがちらりとアスールを見やると、アスールは嘆かわしげに溜息をついた。


「まったく、紳士じゃない男はこれだから」

「さ、頭のおかしい奴は置いておいて、さっさとご飯食べに行きましょ」


 チェリンがイリーネの背を押して宿の出口へと向かう。カイもそれに続き、アスールが笑う。


「はっはっは、いいのかな、私が奢らなくても?」


 それに無言で応えたのはカイだ。カイは小さな巾着袋を手に提げていた。ぎっしりと詰まったそれは音からして財布だ。だがカイとイリーネものではない。

 その財布を見て目を見張ったのはアスールだ。


「なっ、お前、いつの間に私の財布を!?」

「まだまだひよっ子だねぇ、アスールくん。精進しなさい」


 楽しそうに言って、カイは財布をアスールへ放り投げる。受け取ったアスールが落胆の息を吐いた。さすがカイ――と言っていいのか、アスールの財布を盗むとは。だがアスールにもそういう隙があるのだと思うと、少し安心できるというものだ。


 外は良い感じに黄昏て、まさに日没の時刻だった。ちょうど進行方向に西日があり、それがゆっくりと遠くの尾根の向こうへ沈んでいく。絶景だった。


「綺麗ですね」


 イリーネが呟くと、隣を歩くカイが頷いた。


「ここは見晴らしが良いから、よく見えるね」


 更にその隣のアスールは、感慨深げに眼を細めて夕日を眺める。


「黄昏時というのは、妙に感傷的になってしまうな。いらぬことまで思い出す」

「どんなことよ?」


 イリーネの隣を歩くチェリンが首を傾げる。アスールは顎をつまんだ。


「そうだな……例えば、どこぞの腹を空かせた豹を憐れんで食事を恵んでやったら、肉は食べれないと突き返されたこととか」

「それってどう考えても、カイ……」


 ちらりとカイを見やると、彼は知らん顔でそっぽを向いていた。アスールはそれを見て愉快そうに笑う。先程の返礼らしい。


「肉の食べれない肉食獣など、前代未聞だぞ」

「そっちこそ、キノコをちゃんと食べろとかって怒られてなかったっけ」

「一体いつの話をしているのだ」


 また舌戦が交わされ始めたカイとアスールを見て、チェリンが呆れたように肩をすくめる。


「なんの暴露大会よ、これは」

「でも楽しそう。羨ましいです、思い出話って」


 自分には、語るべき思い出がないから――不意にそんなことを思って卑屈になりかけたイリーネだったが、その肩をカイが叩く。耳ざとく聞いていたようだ。いや、この至近距離なら鮮明に聞こえていただろう。


「思い出なんて、もうたくさんあるじゃない。今日のことも、明日になれば立派な思い出だ」

「カイ……!」

「イリーネ姫の記憶に残るよう、美味い店を紹介させて頂こうではないか」


 アスールも頼もしげに胸を叩く。チェリンはそれを見てにやりと笑った。


「ああ言ってることだし、ここぞとばかりに高い料理を頼んじゃいましょ。良い思い出になるわよ」

「……はい。ありがとうございます」


 軽やかな足取りで先を行くチェリンとイリーネの後姿を見て、カイがアスールを振り返る。


「出費、結構覚悟した方がいいんじゃない?」

「美しい女性がこれしきのことで喜んでくれるのなら、いくらでも」

「はぁ、やっぱりお金持ちは言うことが違うね」


 カイはそう言ってさっさと歩を進める。飲食店が軒を連ねる市街の大通りが見えてきて、食欲をそそる芳香が辺りには漂い始めていた。

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