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氷撃のカイ・フィリード  作者: 狼花
2章 【青き嶮山 イーヴァン】
41/202

◇山岳を越えて(12)

 その廃墟からニムはそれほど離れていなかったようで、十分も山を下れば住宅が見えてきた。山賊の被害はカイのおかげで収まり、街は落ち着きを取り戻している。放火した山賊たちはまとめて麓へ送還するそうだが、彼らの仲間の大部分はファビオによって殺されている。少々哀れな気もするが、生き残ることができただけましだろう。


 イリーネとチェリンが山賊に連れ去られたというのは知れ渡っていたようで、宿に帰るなりふたりは女将に抱きつかれていた。フィリードのほうまで行ってしまったために帰りが遅くなって、心配させてしまったのだ。


 もうすぐ日が暮れる。山の上に建てられた家屋の窓から眺める夕日は大層綺麗で、どこか物悲しい。山賊に誘拐されたりカイの故郷に引きずられていかれたりと忙しい一日だったが、実はほんの数時間のことでしかない。めまぐるしいものだ。


 宿の部屋を出て食堂に降りると、室内ではチェリンが何事もなかったかのように夕食の支度をしていた。手際よく炒め物をこしらえながら、チェリンは視線を上げた。


「丁度いいところに。もうすぐ夕食が出来上がるから呼びに行こうと思ってたのよ」

「わあ、美味しそうです」

「……って、あんたひとり? 他の男どもは?」


 イリーネがカイとアスールを伴っていないことに遅れて気付いたチェリンが首を傾げる。イリーネは苦笑した。


「カイは疲れたからって、もう寝ちゃってます。アスールも探したんですけど、どこにもいなくって」

「ったく、自由気ままな男たちね」

「チェリンは大丈夫なんですか?」

「あたし? あたしはたいしたことしてないから、見ての通りぴんぴんしてるわよ」


 イリーネを守って大立ち回りしていた気もするのだが――あの程度、チェリンにはたいしたことではないらしい。頼もしいその様子に、イリーネは微笑みながら席に着く。

 チェリンは二人分の食事を配膳する。彼女もいっしょに食事を摂るらしい。いいのかと尋ねると、「いま宿泊客はイリーネとカイしかいないから別にいい」とのことだ。何にせよ、ひとりで食事を摂るのは寂しいのでこれは嬉しい。


「まあ、そりゃカイは疲れたわよね。長とやりあって、よく無事でいられたわ」

「長は、そんなに強いんですね」

「長の強さはもはや伝説よ。実際に戦った姿は見たことがないけど、とんでもなく強いらしいって昔からの噂。本当のことだったみたいね」


 サラダをフォークでつつきながら、チェリンが息を吐く。


「イリーネがすぐに傷を治してなかったら、カイのあの怪我は致命的だったでしょうね」


 その言葉にイリーネはどきりとした。恐る恐る顔を上げると、チェリンは悠々と葉野菜を口に運んでいる。

 イリーネがフォークを手にしたまま微動だにしないことに気付いたチェリンが、少し首を傾げた。


「どうしたの? 食欲ない?」

「……あ、あの……チェリンは、何とも思わなかったんですか?」

「何が?」


 きょとんとしたその顔は、本当にイリーネの質問の意図が分かっていない顔だ。


「私が……人間の私が、魔術を使えるってこと」


 そこまで言って、初めてチェリンは納得したようにうなずいた。


「ああ、それ。混血種(まざりもの)とか呼ばれるんだっけ。酷いもんよね、好きで混血に生まれた訳じゃないだろうに」


 あまりにさばさばしたその口調は、チェリンらしいというかなんというか。悩んでいるのが馬鹿らしくなってくるではないか。


「気味が悪かったり、しませんか」

「しないわよ」


 チェリンはきっぱりと首を振る。


「混血児は圧倒的に少数だろうけど、少数であることが悪になるわけじゃないわ。あたしはそんな、理不尽な理由でヒトを差別しない」

「チェリン……!」

「治癒の術を持ちながら、あの場でそれを使わないなんて……あんたらしくないと思う。あたしが死ぬほど使いたいと願っても、絶対に使えない力よ。あんたはそれをもっと誇っていい」


 そう言い切って顔を上げたチェリンは、イリーネの顔を見てぎょっとした。イリーネはぽろぽろと涙を流していたのだ。慌ててタオルを差し出しながら、動揺したように挙動不審になる。


「ちょっ、なんで泣いてるのよ!?」

「う、嬉しくて……! みんな、変な顔するんだろうなって思ってたから……」

「ったくもう、あんたは……」


 困ったように笑って、チェリンはまた席に着く。タオルで目元を拭ったイリーネの肩を、少し身を乗り出して叩く。


「大丈夫よ。あんたに優しくしてくれる人なんて、この世にはたくさんいるんだろうからね」

「――そう、例えば私のように!」


 突如背後から声がして、イリーネは驚きで飛び上がった。チェリンも椅子を大きく引いてのけ反る。

 振り返ってみれば、腕を組んで感慨深げにするアスールがいるではないか。


「女同士の友情。美しきものだなあ……」

「あっ、あんた、どこから湧いて出たのよッ!?」


 チェリンのその言い方も失礼だったが――化身族のチェリンが、目の前に立たれて気が付かなかったのだ。アスールは気配を消すことに長けているようだが、それだけで納得できないほど不自然な強さだ。


「ふふふ、美しき女性あるところに私あり。ごく自然なことではないかね」

「黙れ変態」

「その罵倒は嫌ではないが、私はあくまでも紳士。もう少しそれらしい呼び名をくれないかね」

「変態紳士」

「よし、それでいい」

「いいんですか!?」


 アスールの満足する基準が分からず、イリーネが思わず突っ込む。『変態紳士』という異名を手に入れたアスールは悠々とイリーネの隣に腰を下ろす。それを見てチェリンが席を立って台所へ向かった。なんだかんだ言いつつ、食事の世話はしっかり見てくれるらしい。


「……まあ、というのは置いておいて。何かと心配されているようだが、私も姫のことを蔑んだり避けたりはせぬ。安心してもらっていい」


 打って変って静かに微笑むアスールは、別人かと思うほどだった。確かに彼は『紳士』で、おそらくその優しい笑みに大半の女性は目を奪われるのであろう。


「というのも、私は幼いころから混血の人々と多く接してきていてね。私にとって人間と化身族のハーフというのは、ごく当たり前に存在しているものなのだよ。だから今更、ハーフは珍しいものでもなんでもないのさ」

「そんなにたくさん、混血がいるんですか?」

「認知されていないだけでな。決して分かり合えないとされ、ある時は片方を服従させ、またある時はもう片方に隷属してきた。そんな人間族と化身族の関係は、いま少しずつ変わりつつある。混血というのは、そうした現状の象徴であり……両種族の架け橋となれる存在だ。少なくとも私はそう思うよ」


 ――ああ、実はアスールという男は、こういうヒトなのか。イリーネはなんとなくそれを悟った。ちゃらちゃらと軽い男を演じているのか、本当にそういう一面があるのかは知らないが、彼は思慮深く、優しく、気遣いのできるヒトなのだろう。第一印象とはだいぶ違う内面だ。


「まあ、なんにせよだ。沈んだ顔では料理も不味くなるし、何より姫に似合わない。ささ、どうぞ笑って」

「アスール……」


 イリーネは照れたように笑った。アスールも満足そうにうなずく。と、その瞬間、アスールの目の前に凄まじい音をたててスープの皿が置かれた。トマトベースのそのスープの汁が若干跳ねて、アスールの目に丁度良く入ってしまう。


「誰の料理が不味くなるって!?」


 そのアスールの対面上に、鬼の形相のチェリン。さすがにアスールも飄々とはしていられなくなったらしい、目を泳がせて弁解する。


「聞き捨てならないわねぇ、もう一回言って御覧なさい!」

「いまのは言葉のあやではないか……!」


 ――夫婦みたい。

 イリーネはそんなことを思い、さらに笑みを深くしたのだった。





 賑やかな食事を終えて宿の二階にある部屋に戻ると、カイはベッドに仰向けになったまま本を広げて読んでいた。扉を閉めながらイリーネが口を開く。


「起きてたんですね、カイ」

「うん、なんか……疲れてるんだけど、あんまり眠れなくて」


 カイは言いながらベッドに身体を起こす。読んでいた本は、神属性の魔術書だった。傍には紙とペンも置いてあるから、こんな時にまで勉強していたのだろう。


「傷は、平気なんですか?」

「痛くも痒くもないよ。ありがとね、イリーネ」


 イリーネは首を振って、隣のベッドに腰を下ろす。カイは小さく息を吐き出した。


「今思うと、生きているのが不思議なくらいだ。アスールが助けてくれなきゃ、間違いなく死んでたなあ」

「アスールって、やっぱり……普通じゃない強さですよね」


 カイは頷いた。


「あいつ、化身族をタイマンで打ち倒したんだ。信じられない」

「でも昔からの知り合いなんですよね?」

「最後に会ったのは十五年前。アスールはまだ十歳かそこらだった。さすがにその頃は、身軽な子供だとしか思ってなかったよ」


 カイにとっての十五年前はついこの間のことでも、アスールはその十五年であれだけ立派な大人になった。時間の感じ方はまったく違う。


「決して短い時間じゃない……それだけあれば、ヒトは変わるんだな。アスールのように」

「はい」

「俺も多少は変わっていたのかもしれない。イリーネに会うまでは……いや、会ってからもしばらく、ヒトの生き死にに何も興味はなかった。それなのに、あの山賊たちを無差別に殺した長やファビオが許せないんだ。イリーネと兎さんを殺そうとしたことも、今思ってもむかつく」


 むかつく――そんな感情を、今までにカイが見せたことがあっただろうか。


「長は余裕こいて俺を迎えていた。掟を捻じ曲げてまで、俺をフィリードの長にしようとするあいつが、ほんとに気に食わない。それより、あいつに対して冷静になれない自分が、もっと気に食わない」


 だから、戻りたくなかったんだ。

 独り言のようにカイが呟く。カイの言葉だけを聞けば、長はカイのことを大事にしていたように思えるが――そんな単純なことではないのだろう。

 カイと長の間に、どのような確執があったのか。長はどのような人物なのか。冷静でのんびり屋なカイが唯一激情を露わにする父親――少し、気になる。


「カイ、元気出してください」

「……え?」

「なんだか、落ち込んでいるような気がしたから」


 驚いたようにイリーネを見上げたカイは、それから少し微笑んだ。


「ありがとう。もう、大丈夫だよ」


 その笑みに憂いや迷いらしきものがないのを見て、イリーネもほっと息を吐いた。カイは魔術書を荷物の中へ戻して、視線を外に向ける。もう月が顔を出して、雲一つない星空が広がっている。


「明日には下りに入って、さっさと次の街に行かないとね。登りより下りのほうがきついから、気を引き締めないと」

「はい」


 頷いてから、思う――そうか、明日でチェリンやアスールとお別れなのだ。ずっと長いこと一緒にいたような錯覚にとらわれていたが、たった二日間の出来事だったのだ。

 ちゃんと、ふたりにお礼を言わなくては。助けてくれたことは勿論、イリーネを拒絶しないでくれたこと。あの言葉に、どれだけイリーネが救われたことか。


 明日は、笑って別れられるように。





★☆





「……あのさ。ちょっといい?」


 翌日、朝食を配膳してくれたチェリンが、改まってイリーネとカイに声をかけてきた。初めて会ったときと同じように指先で器用に盆を回して、おずおずと尋ねる。


「あんたたち、今日はもう山を下りるのよね?」

「あ、はい」


 答えたイリーネの向かい側の席で、カイはチェリン特製の野菜ジュースを飲んでいる。トマトやら人参やらと一緒にいくつかのフルーツを入れたものだが、「意外と美味しい」とカイは絶賛である。「意外は余計よ」とチェリンが突っ込んでおいて、彼女は咳払いをする。


「その……あ、あたしも一緒に連れて行ってくれない?」

「え!?」


 これはまったく予想していなかった言葉だ。イリーネが驚いて声をあげ、カイもちらりとチェリンに視線を送る。チェリンは慌てたように先を続けた。


「女将はね、最初から全部知ってたの。あたしが化身族ってことも、いつか山を下りて人間の世界に行きたいってことも。だから昨日、宿は良いからあんたたちと一緒に行けって言ってくれてね……」


 イリーネはカイを見やる。例のごとく選択はイリーネに一任するらしい。そうなれば、イリーネが断るはずもない。


「チェリンが一緒だと心強いです」

「そ、そう?」

「俺たち、当てもなくぶらぶら歩くだけの旅だけど、それでも?」


 カイの問いに、チェリンは大きく頷いた。


「むしろ、願ったり叶ったりよ」

「……ご飯食べ終わったらすぐ出るから、支度しておいで」

「分かった! 恩に着るわ」


 いつになく嬉しそうなチェリンは、さっと身を翻して食堂を飛び出していった。同じようににこにこしているイリーネを見て、カイも目元を和らげる。


「嬉しそうだね、イリーネ」

「はい! チェリンとお別れするの、寂しいなって思ってたから」


 事実嬉しいのだ。まるで姉のように優しくしてくれて、女性として頼りになるチェリンだ。同性として頼りにならないわけがない。


「……そういえば、今日はまだアスールを見てないね」


 カイが今更思い出したように呟く。アスールもこの宿に泊まっているのだが、確かに姿を見ていない。


「ちゃんとお礼言いたかったんですけど、先にニムを出てしまったんでしょうか」

「神出鬼没な奴だし、ひょっこり顔見せるって」


 神出鬼没なのは真実なので、とりあえずまずは朝食を平らげる。それから荷物を持ったチェリンと合流し、女将と涙の別れをする。チェリンなど五年間も娘のように養ってくれた人なのだ。彼女も少し目頭が熱くなったようだが、頑として涙は流さなかった。


 そうして女将と別れ、宿を出た瞬間に見えた、空色の髪の毛――。


「やあ、遅かったではないか」

「なんだアスール、まだいたの?」

「開口一番にご挨拶だな、カイ」


 アスールは苦々しくそう言ってから、視線をイリーネに向ける。そして仰々しく一礼して見せた。


「ご機嫌麗しゅう、イリーネ姫。今朝もまた一段と美しい。天空の太陽も霞むような輝きを放っておられる」

「お、おはようございます、アスール」

「さて、ここでひとつ頼みがある。少しの間、姫君らの旅に同行させて頂けないだろうか?」


 本日二人目の同行願いであるが、チェリンの時とカイの対応は百八十度も違うものだった。


「なんで?」

「どうせ山を下りる道はひとつしかないのだ。どうせだったら共に麓まで下りても、大差なかろう?」

「生憎と定員オーバーです」

「ははは、つれないことを言うな。旅は道連れというではないか」


 全く噛みあわない会話だが、今回噛みあってないのはアスールのほうだ。カイを軽くあしらうとはたいしたものである。


「げっ、あんたまで一緒に行くの?」


 チェリンが嫌そうな顔をしたが、アスールは肩をすくめる。


「兎の君よ、人のことを言えはしないと思うぞ」

「そ、そうだけど!」


 チェリンの時のようにすんなりとはいかないアスールの同行許可不許可の問題に、イリーネがまあまあと両者を制する。


「い、いいじゃありませんか、大勢いたほうが楽しいですし、みんなで助け合って山を下りましょう?」


 その言葉にカイもチェリンも反対できず――というより、最初からアスールの同行を本気で嫌がっていたわけではないだろうが――めでたく、アスールも旅の同行者となったのだ。

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