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氷撃のカイ・フィリード  作者: 狼花
2章 【青き嶮山 イーヴァン】
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◆山岳を越えて(7)

 アスールとの連携はいっそ気持ちのいいくらいだった。カイの背中を襲おうとする者はアスールが残らず打ち倒し、援護に徹してくれた。おかげでカイは好きに戦うことができたのだ。もともと古馴染みであるという信頼感はあったのだが、それでもここまで戦いやすい援護をもらえるのは想定外だ。今まで常に単独で戦ってきたカイには新鮮ですらある。


 ――本当に、何があったのだろう。


 カイがアスールと出会ったのは十五年前。当時のアスールは十歳になったかならないかという年齢で、ほんの少年だった。歳の割に賢いとは思っていたが本当にその程度で、剣技を習っているのも知ってはいたがここまで成熟するとは驚きだ。

 人間の十五年とは、確かに長い年月だろう。子供だったアスールは立派な成人男性となり、こうして何ら変わらぬ姿のカイの目の前に現れた。鋭い牙も強靭な爪も持たない人間族は、鉄の武器を装備して強くなる。アスールは、それがより顕著だ。


 束の間アスールを見ていると、彼はこちらを振り返った。アスールは余裕の笑みを見せる。高地だというのに息を切らせた素振りもない。


「どうかしたか? ……ふむ、なるほど。私の成長ぶりに感激していたのだな?」


 半分は図星なのだが、認めるのは癪なので無視しておいた。どのみち化身を解くわけにはいかないので答える気はない。


「……ま、私の周りもごたごたしていたものでな。自分の身は自分で守るしかなかったのだ。嫌でも剣は上達したさ」


(人間のごたごたなんて、俺が分かるはずもない)


 アスールの声を背中に聞きながらカイは思う。野望、策略、陰謀――それらを巡らせて、人間は短い生を必死で駆け抜ける。化身族など簡単だ。気に入らないことがあれば武力に頼り、勝利したものが正義とされる。人間同士の間でそれは不可能だと分かっていても、どうしても不思議に思ってしまう。


 ただ――普通ならば守られるべき立場にいるアスールが、自分の身は自分で守らなければいけなかった状況は、何かおかしい。


「お前の十五年はどうだったのだ、ミルク? 良ければいずれ聞かせてもらいたいのだが」


(だから、ミルクって名前はやめろとあれほど……!)


 不快感を全身にみなぎらせたのが分かったのか、アスールはくすくすと笑う。


「いや、すまない、つい癖で。カイだったな。どうも言い慣れないものだ」


(絶対わざとだろ)


 憮然としてカイは歩を進め、行く手を遮るように現れた山賊に当て身を食らわせた。倒れ込んだその男に剣の峰を叩きこんで、アスールが昏倒させる。


「いま思えば不思議なものだな。お前はどう見ても犬ではないのに、私たちは犬と信じ込んだわけだ。ふふふ……」


(ひとりでやっててよ、もう……)


 楽しそうに思い出を口にするアスールにカイは溜息をつきたい気分だ。思い出は――いまは必要ないのだ。人間は、すぐ思い出に浸りたがる。

 歩調を上げると、アスールもついてくる。自然体で話しながら、その実、アスールの足取りに隙は一切ない。


「確かめたいことがあった。……お前は約束を覚えているのだな? だから今イリーネと共にいる……そう思っていいのか?」

「……」

「その沈黙は、肯定と受け取るぞ」


 喋ることができないのを知っていながら、アスールは強引に話を進めた。


 ああ、なんだかんだでこの男もイリーネが心配なのだ。それはそうか――本当ならば、カイなどに頼らず自分がイリーネの傍にいてやりたいと思っているはずだ。カイよりも、イリーネとの付き合いは長いのだから。

 カイがイリーネと離れていた十五年間も、この男はイリーネの傍にいることができた。


 ――別に、羨ましいと思う訳ではない。彼女から離れようと思ったのは自分だ。会いに行こうと思えばできたかもしれないが、そうしなかったのは他ならぬ自分だ。

 けれどもイリーネは、彼女の意思でなくとも自分からカイの下へ転がり込んできた。カイが遠慮する必要は、ない。



 そのとき、一か所に留まっていたイリーネの気配が移動を始めた。上の階だ。どうにかして脱出したのか、それとも連れ出されたのか。

 考えてみて、すぐにカイは気付く。イリーネの気配に感情の揺らぎはない。おそらく、脱出したほうだろう。チェリンという、あの女と一緒に。


 獣の匂いがする。やはり彼女は、化身族だったのか。それならまあ、イリーネの身は安全か。


 一階の山賊をあらかた片づけたところで、二階へ上がる階段を見つけた。カイは迷わずそれを昇りはじめたが、その頃には状況が変化したことに気付いていた。

 何が変わったって、アスールがいつの間にか姿を消していたのだ。


 イリーネと会うつもりはないと最初から言っていたアスールだ。どこか適当な場所で姿をくらませるのだろうとは思っていたが、まさかカイにすら何も言わずに消えるとは。しかもカイがそのことに数分間気付かなかったくらい、気配を消してさりげなく。心臓に悪い男だ。


 せめて礼くらい言わせてくれてもいいのにな――なんて柄でもないことを思いつつ、カイは階段を駆け上る。出口に扉がある、丁寧に開けるつもりはない。そのまま体当たりでぶち破ったその目の前に、探していた人物がいるではないか。


「カイ!」


 すぐに化身を解こうとしたのだが、それよりも先にイリーネがカイの首元に抱き着いてくるものだからそれが叶わなかった。カイの反応速度を上回ったイリーネにはやや驚きだ。

 イリーネの気が済むのを待って化身を解く。ぱっと見たところイリーネに怪我はないようだ。


「ご無事で何より」


 そう言ってイリーネの頭を撫でると、彼女は嬉しそうに微笑んで頷いた。


「チェリンが助けてくれましたから」


 イリーネの後ろに立っているチェリンに視線を送ると、彼女は居心地悪そうだった。そういえばなんだかカイに対してつっけんどんだし、よく思われていないのかもしれない。

 彼女がトライブ・【ラビット()】だということは独特の歩調や匂い、何より遠方から洩れ聞こえた山賊たちの声から分かっていた。可愛らしく思われがちな兎だが、化身族の兎たちは完全なる獣だ。大きさも力も、侮れない。


 とにかく合流は果たした。あとは来た道を戻って外へ出るだけだ。階下の敵は去り際にアスールが全部片付けて行ってくれたらしく、気配はない。


 前をカイ、後方をチェリンが固めて階段を下りる。何やら妙に鋭い視線をチェリンがカイの背中に注いでいるような気がするが、恨まれる覚えはないので無視するに限る。

 一階まで降りたところで、急にイリーネが辺りを見回しはじめた。カイが振り返って尋ねる。


「どうしたの?」

「あの……なんだか焦げ臭くないですか?」

「焦げ……? まさか」


 人の姿の時はカイも常人並みの嗅覚しかない。イリーネのほうが敏感だったようだ。神経を集中させてみれば、確かに焦げ臭い気もするし、煙っぽい気もする。


「この家ごと、あたしたちを焼き殺す気!?」


 チェリンの言葉にイリーネも真っ青になる。カイは深く溜息をついた。


「だから……消火するこっちの身にもなってよ、もう」


 ニムの市街でもそうだったが、とりあえず放火すればいいとでも思っているのだろうか。とんでもない浅慮だ。

 それにしてもアスールには、やるなら徹底的にやれと文句を言いたい。なんだって放火する元気のある人間を自由にさせておいたのだ。


「煙吸いこむといけないから、布で鼻と口を覆って。行くよ」


 カイはふたりにそう指示を出し、イリーネの手を掴んで走り出した。さすがにこんなところで焼け死ぬのは御免だ。イリーネとチェリンは服の袖口で鼻を覆いながらついてくる。

 屋敷の見取は覚えていたので、煙で少々視界の利かなくなった室内でも迷わずに移動できた。正面玄関の扉を押してみたが、外側から押さえつけられているのかびくともしない。カイは三歩ほど後方に下がり、助走をつけて跳躍しながら扉に蹴りを叩きこんだ。扉は外へ吹き飛び、押さえに置いてあった鉄製の巨大なドラム缶が転がっていく。


 外には山賊たちがおり、難なく脱出してきたカイを見て恐れおののいた。だがそんな彼らに目もくれず、カイは振り向きざまに“氷結(フリージング)”を発動させる。炎に包まれていた屋敷が一瞬で凍りつき、氷像と化した。見ようによれば非常に美しい芸術品だ。先程まで火の粉だったものが凍りつき、ぱらぱらと地上に降り注いでくる。


 大胆すぎる消火活動を終えて振り返ると、山賊たちは真っ青になって今にも卒倒しそうな雰囲気だった。

 さすがにこれは、一言言ってやろうか――そう思って口を開きかけた、その瞬間。


「あんたたちッ、なんてことしてくれてんのよッ!」


 真横で超高音の罵声が響き、キンと脳髄にまで響く。思わず頭痛を覚えて頭を押さえたカイを無視して、チェリンが憤怒の形相で山賊たちの前に仁王立ちした。

 その背中を見て思う――この子は、怒らせたら一番駄目なタイプだ、と。





「ここで火なんて点けたらどうなるか分かるでしょう!? 周りは木ばっかりなのよ、木材なのよ木材! 燃えるに決まってるでしょうが! 毎年どっかの山で山火事が起きて何か月も鎮火できないとかいう話を聞いたことがないの!? 大体ねぇ、火事が起きたらあんたたちだって死ぬわよ! そんなことも分からないって」


「イリーネ、怪我してない? 大丈夫?」

「は、はい、なんともないです」


 山賊相手に滾々と説教をしているチェリンの背後で、カイとイリーネはどこ吹く風で話をしている。もっとも、気にしていないのはカイだけであるが。

 言いたいことを三倍以上の語調でチェリンに言われてしまったので、カイは満足なのだ。チェリンは山で暮らす人間として火の恐ろしさを知っているし、彼女でなくとも山中での火が危険なことは分かるだろう。腰に手を当てて仁王立ちするチェリンの前に整列して項垂れている山賊たちが少し惨めに見えるが、これくらいで済んでいるだけ有難いだろう。


「……とにかく! 今すぐ山を下りて盗賊稼業から足を洗いなさい。そんで二度とニムに来るな!」


 そう説教を締めくくったチェリンは息切れして肩で息を吐いている。山賊たちはすっかり縮こまっていて、チェリンの言葉にも頷くだけになっていた。元々自分たちより弱いニムの住民を脅してきた彼らは、大きな権力と強さには滅法弱いのである。


 すごすごと列をなして山を下り始めた山賊の後姿を見送りながら、カイはチェリンに視線を送った。


「気が済んだ?」

「……え、ええ、まあ」


 チェリンはぱっと顔を背けた。そんな彼女の正面に回り込んで、イリーネが笑顔で頭を下げた。


「有難う御座いました、チェリン。ずっと助けてくれて」

「そんなに改まらなくていいわよ……当然でしょ?」


 イリーネの肩に手を置いて、チェリンも少し笑った。先程の憤怒の形相からは想像もつかない優しい笑みだったので、別人にすら見えてしまうのが恐ろしい。


「それに、あたしだってこいつに助けられちゃったし」


 ちらりとこちらを見てくる、チェリンの漆黒の目。どうして何もしてないのにチェリンから『こいつ』呼ばわりされているのだろう。


「君たち自力で脱出しちゃってたから、あんまり助けた感ないんだけどね。ま、大したことなくて良かった良かった」


 アスールはまだ近くにいるのだろうか――なんてことを頭の片隅で考えながら、カイは視線を彷徨わせた。来るときはイリーネの気配を追ってひたすら駆けてきたため、ニムがどちらの方向か咄嗟に判別がつかなかったのである。

 見かねたチェリンが「こっちよ」と先導してくれる。足場の悪い斜面を、イリーネに手を貸しながら下り始めたその時――。



「――ぎゃあああぁッ……!」



 男の絶叫だった。


 チェリンがはっとして顔をあげる。


「何、今の?」

「もしかして、さっきの人たち……?」


 イリーネのぽつりと呟く。声がしてきたのは、山賊たちが山を下りて行った方向だ。その可能性は高いだろう。

 何が起こったのか気になるし、自分の目で確かめないと不安だし、何より放っておけない。イリーネの目がそう語っていたので、カイはいま降りたばかりの斜面を駆け上がった。イリーネとチェリンも戻ってくる。


 屋敷の氷は急速に溶け、元の姿を取り戻しつつあった。若干焦げ臭いその建物の脇を抜け、山賊たちが通った道を辿る。

 そしてカイの鼻についた、強烈な血の匂い。


 カイはぴたりと足を止めると、腕を広げてイリーネを制した。そしてゆっくりと後ろへ下がる。


 そこにはもう、人の姿を留めていない山賊たちの死体があった。切断――いや、噛み千切られた(・・・・・・・)腕や足を見て、辛うじて人間だったと分かる肉塊。顔など、潰されてもう誰が誰だか分からない。


 後ろでチェリンが息をのんだ。こんな光景をイリーネに見せるわけにはいかないという意識はカイと共通なのか、チェリンはイリーネの視線を遮るように前に出る。


「……お前は、チェリン!?」


 急に横合いから声が聞こえて、そちらを振り向く。木々の間から現れたのは、山の中にいるにはいささか簡素すぎる衣服を身につけた若者だった。均整の取れた長身と、引き締まった体躯。日に焼けた褐色の肌に、琥珀色の瞳。

 その男も驚いていたが、チェリンもまた同じように動揺していた。明らかに顔色を失って、声も掠れている。


「ファビオ……なんで、あんたが。あんたがこの人たちを……!?」


 ファビオ。聞き覚えのある名だ。よくよく見てみれば、古い記憶と重なる人物がいる――。


「こいつらは我々の領域に足を踏み入れただけでなく、山を焼いた。罰して当然だ」

「だからって、こんな惨いことを!」


 確かにとんでもないことをしでかしてくれた山賊たちだったが、殺そうなどカイもチェリンも考えていなかった。チェリンの憤りはもっともだ。


 そう言えばこの辺りは、彼らの縄張りだったか。それにしても、侵入者を殺すなど。カイの記憶では、無差別にそんなことをするような者たちではなかったはずなのに。

 イリーネが不安げにこちらに身を寄せてくる。その細い肩を軽く叩いてやると、彼女は表情を引き締めた。恐怖し、怯えるだけではない。彼女は現状を見極めようと、神経を張り巡らせている。


 だが、それならば――知らないとはいえ領域に足を踏み入れたカイたちは、どうなる?


「侵入者は残らず追討する。それがいまの里の掟だ。それにお前は一族の裏切り者。ただで済むと思うなよ」


 ファビオはチェリンに冷酷な言葉を投げつける。そっと辺りの気配を探ってみると、カイらを取り囲むように幾人かの気配がする。隠しきれない、獣の気配だ。

 チェリンが身構えつつも後退する。これは、カイの出番か。


「ごめんね、イリーネ」

「え……?」


 小声で謝して、イリーネの返事も聞かずにカイは前に進み出る。多分イリーネは状況がまったく把握できていないだろう。説明してやりたいが、それはあとだ。

 ファビオと真正面から向き合い、カイは口を開いた。


「その理屈で言えば……俺も、裏切り者?」


 ファビオはじっとカイを見つめた。銀色の髪、紫色の瞳、背丈、声――それらを一通り確認して、やがてファビオは大きく目を見張った。


「あ、貴方は……!」

「話なら俺が聞くから、この子たちは見逃してやってくれないかな。入りたくてここに入ったわけでもないし、火をつけたのは俺たちじゃない」

「そういうわけにはいきません。掟は絶対です。それに、我々は貴方の所在をずっと探していた……! 共に来ていただきます!」


 どうやらカイが出張ったのは逆効果だったようだ。周囲の獣たちの気配がこちらへ近づいてくる。

 下手に反撃すれば、カイだけでなくチェリンやイリーネの身に危険が及ぶ。これはデュエルではないから、契約主に手出しはしないなんて決まりはない。彼らは人を殺すことに躊躇などしない――あの山賊たちを、惨たらしく殺したように。


 次第に包囲されていく。カイはイリーネの手を掴み、安心させるようにうなずいた。不安はぬぐいきれないだろうが、イリーネも小さく頷く。チェリンも苦い顔だ。


 一難去ってまた一難。今日は随分と大変な一日になりそうだ。

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