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氷撃のカイ・フィリード  作者: 狼花
2章 【青き嶮山 イーヴァン】
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◆山岳を越えて(5)

 部屋に荷物を置いて、また外へ出る――極めて簡単なことだったのだが、カイはそれを実現できなかった。というのも、ロビーに降りたところで宿の女将に捕まってしまったのだ。

 棚の一番上の引き出しの一番奥にあるものを取りたいとかで、通りがかったカイが呼び止められたわけである。椅子に乗っても届かないくらいの位置に物をしまわなければよかったのにと思わないでもないが、仕方なくカイはそれを引き受けた。


 食堂の椅子をロビーまで持って来て、それを台にして棚を見る。手前にも色々と詰め込まれていたのでそれらを一度すべて出し、目当てのものを出した後はまた荷物を収納し――などということをしていたら、思いの外時間がかかってしまった。


「ありがとうね、助かったわ」

「いえいえお気になさらずー」


 心こもってない口調だな、と自分でも悟ったのだが、女将はまったく気にならなかったらしい。


「あら、そういえばお連れさんはどうしたの? あのお嬢さん」

「チェリンって子と、裏の農園見に行ってるよ」

「そうだったの。仲良くしてもらってありがとうね」


 にこやかな女将の言葉に、カイは沈黙した。


 ずっと気になっていたことがある。あのチェリンという女から感じる、自然の匂い。太陽だとか風だとか、そんな綺麗なものの匂いではなくて。

 もっと泥臭く、葉そのもののような、――懐かしい匂い。


「……あのさ」


 彼女が、カイを見て異常な驚きをしたのは、まさか。


「あの子、もしかして――」



 その瞬間、名を呼ばれた。



 はっとして顔をあげる。カイの急な動きに女将は驚いたようだが、カイに気にするような余裕はない。


 実際に名を呼ばれたわけではない。だから声を鼓膜がとらえたわけではなく、とらえたのは『心』だ。

 契約具による契約という、たったそれだけの繋がりでありながら、主と化身族の絆は大きい。カイにはイリーネの心の挙動が手に取るように分かる。

 だから今、聞こえた。イリーネがカイを呼ぶ『想い』と、窮地に陥ったという『不安』を。


 ――そして、それらの気配は一瞬のうちにぷっつりと途絶えたのだ。


「……イリーネ」


 カイはぽつりと名を呼び、身を翻して駆け出して行った。女将は瞬きをして、思わずカイの後を追いかけてしまう。


 外に飛び出すと、あちらこちらから煙があがっていた。もちろん、煮炊きをしている煙ではない――家が燃えている。

 何をしているんだ。こんな山奥で火など使ったら、すぐ山火事になる。


 カイの肝が冷えたその時、宿の目の前にある広場に数名の男が現れた。猟銃を構えているからハンターかと思ったが、傍に化身族はいない。それに身なりもぼろぼろだ。適度に収入のあるハンターではこうはならない。山賊の類だろうか。

 そういえば昔から、山に棲みつく人間はいた。集落を作らず、略奪を主な収入源とする輩だ。


 カイの後を追いかけてきた女将が、広場にいる男たちを見て息をのんだ。


「あ、あいつら!」

「知ってるの?」

「何年か前にニムを襲いに来ていた山賊よ! しばらく見ないと思っていたけど、また戻ってきたのね」


 逃げ惑う人々がいるなかで、山賊の男は声を張り上げた。


「聞け、ニムの者ども! この街の女をふたり預からせてもらった! 返してほしければ、俺たちのために食料と金を出せ! さもないと、女を殺して街を焼き払うぞ!」


 人々がざわめく。女将がそれを聞いて、はっと周囲を見回す。


「チェリン……チェリンはどこ!?」


 そして、イリーネもいない。――宿の裏手にいたところを、捕まったのか。


 カイはそっと懐からナイフを取り出す。それに気づいた女将が慌ててカイの腕を引っ張る。


「待って、何をするつもり!? 下手なことをしたら、ふたりが殺されてしまうのよ!」

「数に頼むような奴らに、俺が負けるわけない」


 そう言うと女将は驚いたような顔をした。カイの瞳は、普段の紫から金色に代わっていたからだ。その隙をついて女将の手から逃れると、一気に駆け出した。


 手近にいた男の手から猟銃を蹴り飛ばし、身を屈めて足の腱を断った。絶叫する男を地面に沈めておいて、他の人間もほぼ一撃で打ち倒す。

 見ただけで分かった。この山賊たちは、銃を持っただけの素人だと。


 イリーネの気配が感じられない今、化身はできない。できるのだが、力が出ないのだ。契約した化身族にとって、主の動じない心が何よりの動力源となる。だからイリーネがカイを信用してくれればそれだけカイは動けるし、イリーネが不安な気持ちを抱えていたらカイの動きも鈍るのだ。

 けれども、そもそもイリーネがこの場にいないときは――化身してもしなくても同じようなもの。それにこの場で化身すれば、街の住人もパニックかもしれない。この山賊たちに正体がばれるというのもよろしくない。イリーネの契約具を奪われたらことだからだ。


 それにしてもイリーネとチェリンは、随分と遠くまで連れ去られてしまったようだ。せめて気配を感じるくらいの距離までは行きたいのだが。

 しかしこの速さ――女性の足では無理だ。眠らされて運ばれているのか。だとしたら、尚更イリーネが心配だ。今の彼女は、誰かに触れることを極端に嫌がる――。


 最後の一人を地面に俯せに押さえつけ、肩の部分に膝を乗せて拘束する。そしてその首元にナイフの切っ先を押し付けて、カイは静かに問いかけた。


「教えてほしいんだけどさ……」

「は、は、はいッ」


 男は恐怖で真っ青になっていた。カイの美しさと対照的な驚異の戦闘術を見て、恐れをなしたらしい。


「君たちが連れて行った女の子の居場所、どこ?」


 あっさり喋ってくれた山賊の首に手刀を叩きこんで昏倒させると、カイは立ち上がった。そして山の方へ向かおうとして――ふと思いとどまった。振り返ってみれば、燃えている住居の消火に街の住人が当たっていた。だがあんなものは焼け石に水、大した効果はないだろう。

 ――イリーネだったら、多分、こんな街を放っては行かない。


 やれやれと溜息をつきながら、カイはそちらを先に済ませることにした。あの程度の火災なら、“氷結(フリージング)”でなんとかなるだろう。





★☆





 街の火災の被害が収まったところで、カイが伸した山賊等はニムの住人に任せて、カイは山の中を駆けていた。獣道すらない、完全な山中だ。もちろん生身で山の斜面を駆け上がっていくと、さすがに息を切れる。酸素が薄いから、少しの運動でこうだ。長期間の運動は控えた方が良さそうだが、そうも言ってはいられない。

 この環境下での生活は、慣れたものであるはずだ。二十年ぶりの故郷で、身体が順応しきっていないだけ。すぐにまた慣れる。


 イリーネとチェリンが連れて行かれたのは、ニムよりさらに高い場所にある大きな屋敷だそうだ。その存在もカイは知っている。だいぶ昔に、このニムに別荘を建てた変人がいて、その変人が死んでからは放置されていた。もはや廃屋であるが、ニムの住人もそんな場所まで行くことがないし、格好の穴場だったはずだ。


 だいぶイリーネの気配も感じられるようになってきた。近づいている。


 やがてカイは足を止めた。木々の向こうに、遠目ながら建物が見えたのだ。立派な屋敷であるが人の手が入らなくなって久しく、雑草や蔓が好き勝手に伸びて不気味な雰囲気を醸し出している。ニムの山中に似合わないほどごてごてした屋敷の装飾を見て、幼いころのカイは「この悪趣味な屋敷を建てた変人を一度見てみたい」と思ったものだ。もっとも、その変人はカイが生まれるとうの昔に死んでいたらしいが。


 屋敷の正面玄関に見張りがひとり。敷地内を巡回している山賊がふたり。さてどうしよう。正面から突っ切ってもいいが、相手の人数が分からないので下手に動けない。イリーネとチェリンを盾にされたら手も足も出ないからだ。

 理想を言えば、見つからないようにふたりを救出して、それから制圧に乗り出したいが――これでは無理か。さすがに敵の本拠地に侵入するのに、カイも生身というわけにはいかない。しかし獣の姿でいれば目立ってしまう。


 どこかに裏口でもないだろうか。そう思い、大回りに屋敷の裏手に回り込もうとしたその時――。


「……やあ、これはこれは」


 場違いな声がかけられて、カイは身構えた。背後からやってくる人の気配。振り返ると、旅装に身を包んだ若い男がいた。

 山賊の仲間ではなさそうだ。その白い肌から、イーヴァンの人間でもない。そもそもこんな状況下でにこにこ笑っているのは、迷い人か――。


 だが次の瞬間、カイは大きく目を見張った。その男の、透き通る夏の空ような青い髪と瞳に、見覚えがあったからだ。


「……あんた」

「こんなところで会うとは奇遇だな、【氷撃】」


 ――イリーネが、フローレンツの王都ペルシエで『青い髪と瞳の変な人に会った』と言った時から、半ば想定していたことではある。

 やはり、この男だったのか。どうせそんなことだろうと、思っていた。


「なにが奇遇だ。こんなところで会う偶然がそうあるわけない」

「ふふ、ごもっとも。……さて、久しいな。私のことは覚えているか」

「知らないね」

「つれないなぁ」


 ふふっと放浪者のその男は笑う。ちらりと横目でカイを見て、ぽつりと呟く。


「私とお前の仲ではないか。なあ、『ワンちゃん』?」

「ッ!」


 カイはぎっと男を睨み付けた。その呼び名自体はどうでもいい――いや、カイは断じて犬ではないし、ネコ科動物だが、本当にそれはどうでもいい。

 それに付随して思い出される過去の記憶が、いまはたまらなく邪魔だった。

 だが放浪者は気を悪くするでもなく、両手を広げて見せる。


「ほら、やはり覚えているではないか。ようやくお前と話ができて嬉しいよ」

「あんたは見ない間に、随分とでっかくなったね。身体も、態度も」

「それはな。人間の十五年は、決して短い年月ではない」


 カイがまた何か言おうとしたのを、放浪者は制する。


「積もる話はあるが……」

「別に何も積もっちゃいないけど」

「いちいち揚げ足を取るではないよ。そうではない、我々の目的は一致している。私もあの屋敷にどう攻め入ろうか苦心していたところ。手を組まないか?」


 ――この男は、どこからカイとイリーネを見ていたのだ。それらしい気配は一切なかった。だがカイよりも先にこの場に駆けつけていたということは……間近でイリーネが連れ去られるさまを見ていたということか。

 なんて男だ。


「イリーネを連れ帰ろうって言うなら……」

「……心配せずとも、そのような無粋な真似はしない」


 放浪者は腰帯に差していた剣を抜き放った。『剣』――世界の武器が銃に移行する前に使われた、長大な刃。この男は幼いころから剣の使い手であった。おそらく今となっては、かなりの腕前に上達しているだろう。戦力にならない、という懸念は最初からない。

 なんといっても、たったひとりでここまで来るほどの男なのだ。


「それに、イリーネの前に姿を現す気もない。私の存在は、今の彼女にとっては邪魔になろう」

「……ふうん」


 仕方がない。ふたりいれば戦略のとりようはいくらでもある。正直、この男の加勢は心強い。

 目的が一致しているなら、手を組むしかない。彼は、敵ではないのだから。


「さて、では行こうか、『ミルク』?」

「……その名前はやめてよアスール。俺は、カイだ」


 カイは不快気に吐き出した。

 カイの体毛が真っ白だからという、ただそれだけの理由でつけられた呼び名。訂正することもできず、カイはその名を享受してきた。だが今になってそれで呼ばれると思うと、こっ恥ずかしい。


 放浪者はくすくすと笑う。


「なんだ、私の名まで憶えていたのか。これはいい」

「いつまでも喋っているなら、置いていく」

「悪かった、今行くから置いていくな」


 背中にかかる放浪者――アスールの声を聞きながら、カイは茂みの中を移動していく。屋敷をぐるりと探ってみたが、正面玄関と窓以外に入れそうなところはない。ここは手っ取り早く、強行突破か。


「俺が突っ込む、あんたが倒して。ただし、殺さないように」


 それが悪人でも、イリーネは殺人を好まない。


「承知した」


 アスールは短く答えた。その眼は相変わらず愉快そうだが、だが驕っているわけではない。戦士の目だ。華奢で虫も殺さぬような優美な男に見えるが、きっといくつもの修羅場を乗り越えてきているのだろう。


 カイは化身した。もうここまでくればイリーネの気配も強く感じるため、豹の姿になっても問題はない。化身している方がイリーネの居場所を探りやすいし、戦いもしやすい。

 ここまでそれを躊躇っていたのは、アスールと意思の疎通ができないからだ。だがこの分なら平気だろう――この男は、言葉なしで通じるはずだ。


 茂みから一息に飛び出す。一直線に見回りをしていた男に飛び掛かると、男は驚愕して悲鳴を上げた。だがその悲鳴の半ばで、男は地面に倒れてしまう。アスールが剣の峰で鳩尾を一撃したのである。

 くるりと長剣を手の中で回したアスールは、カイに向けてふっと笑みを浮かべた。


「なかなかだろう?」


 殺さないように手加減ができるのは、殺し慣れている(・・・・・・・)者だけだ。


 常人ならば両手で構えるであろう剣を片手で軽々と扱い、そしてその剣捌きは華麗ですらある。剣舞のような優美さを持ちつつも、非常に実用的な剣技だ。動きに無駄がないから、それだけ神速の動きにも見える。

 ――この十五年、何があったのだろう。


 カイは無言で目を逸らし、軽快に駆けだした。アスールもそれに続く。見回りを倒したら、あとは正面突破。敵に知れるより早く、イリーネとチェリンを見つけ出すだけだ。

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