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氷撃のカイ・フィリード  作者: 狼花
2章 【青き嶮山 イーヴァン】
33/202

◇山岳を越えて(4)

 チェリンに言われた通り、翌朝は一時間ほど時間をずらして食堂に入った。昨日と同じく食堂内はがらんとしていて、チェリンは一人で空いた食器を下げてテーブルを拭いていた。

 入ってきたイリーネとカイを見て、チェリンがふっと笑う。


「良いタイミングね。ハンターたちはちょうど出かけたわよ」


 好きなところに座るように言われたので、昨夜と同じく壁際のテーブル席へ座る。すぐにコップに注いでくれた柑橘のジュースを飲んだカイは、意外と酸味が強かったのか少し眉をしかめた。


「いくら時間ずらしたにしても、お客が少なくない?」

「いつでもここはこんなものよ。わざわざこの山脈に挑もうなんて物好き、そういないんだから」


 にべもなくチェリンはそう切り捨てた。


「ハンターも商人も旅人も、山越えするときは隊を組むの。だから大規模な隊が泊まれば忙しいけど、そうでなければ閑散としたものよ。あんたたちみたいに、たった二人でここまで来る方が珍しいわ」


 言いながらてきぱきと料理の皿をテーブルに並べていく。パンがあったので驚いたが、小麦ではなく、この近辺で比較的簡単に収穫できる芋で作られたパンなのだそうだ。それにチーズを混ぜて焼き上げられている。小麦のパンより食感に弾力がある。

 それを朝早くから手作りしていたというのだから、ただただ驚くだけだ。


 温かい野菜スープにほっこりしていると、厨房のほうからチェリンの声だけが聞こえてきた。洗い物をしているようなので水音もする。


「あんたたち、今日一日どうするつもり?」

「えっと、食料の調達とかもあるので、今日はニムにいます」

「そう。あんたたちの部屋は掃除するから、一時間くらいは外出してもらうからね」


 有無を言わさぬ言葉にイリーネは苦笑して了解した。街を見物しながら買い物していれば、時間などいくらでも潰せるだろう。昨日は夜の闇と疲労のせいで殆ど見ることのできなかったニムの街を、じっくりと観光しよう。





★☆





 ニムというのは、非常に高低差の大きい街である。

 山を切り崩し木々を倒すのではなく、山に沿って家を建てる。そのような建築法を街としてとっているためか、形としてはとても奇妙でいびつに見える。屋根から太い木の幹が飛び出していたり、中には大木の幹をくり抜いてその中に住んでいるという人もいるようだ。そう考えると、平らな大地に木造三階建てだったあの宿は、非常にまともな住宅だったといえる。


 そういう訳だから、ニムには『ここからここまでがニムの街』というような境界線はないそうだ。人が密集して住んでいて商店が立ち並ぶ一角を『街』と呼んでいるだけで、住宅はあちこちに分布している。色々と場所によって区画分けされているようで、ほぼ垂直の坂を登ったり、吊り橋を渡ったり、街中を流れる小川を越えたりと、起伏に富んだ地形だ。


 ニムの生活は八割がたが自給自足で、月に数度だけ麓の街から移動販売が来るという状況だ。住民の殆どが農業や酪農に従事し、ニムに存在する商店はもっぱら旅行者向けである。ここには耕作に長けた豊かな土壌と綺麗な水、自然の豊かさをもたらしてくれる山があるのだ。山中での採集を主に行い、時に狩猟もする。そうやって生活しているのだ。


「極めて原始的だけど、そういう暮らしが良いって考えは多くてね。結構、この街に移住する人はいるみたいだよ」

「私、分かる気がします。ここにいるとなんだか清々しいですし」


 イリーネはそう言って空を見上げた。今の時期の落葉樹は、見事に青々と茂っている。背の高いはそれらは葉で直射日光を遮り、隙間から暖かい日差しを地上まで届けてくれた。風に葉が揺れる音も心地よく、自然の偉大さを感じさせる。


「……確かにニムは良いところだ。もう何百年も人が住みついても山が枯れる兆しはない。多分、ニムの人たちが山を大切にしているから」

「山を大切に?」

「ここ以外にもね、山の中で暮らす民族っていうのは大勢いるんだ。けど少しずつ、確実にその数は減ってきている。山の獣を狩りつくし、食材や資材を採りすぎたから、山に人が住めなくなったというわけ」


 カイはふっと道を逸れ、急な石段を登り始めた。カイは長い脚でひょいひょいと登っていくが、一段一段が高く、イリーネでは一苦労だ。


「でもニムは違う。ニムの人間は『山に住まわせてもらっている』って意識だから……この山は、ずっと綺麗なんだよ」


 石段を登り切ったカイが、手を差し伸べてイリーネを引っ張り上げる。そうしてイリーネの目の前には、周辺でもひときわ巨大な木が現れたのだ。


「わ……」


 明らかに特別視されていると思われるその巨木の周りには囲いがされてあり、近づけないようになっている。その下には街の住人が供えたらしい杯や食べ物が置いてあった。

 顔を大きく仰向けて見上げてみても、その巨木の頂上を見ることはできない。幹も人間が十人以上いないと一周できないほど太いし、何もかもが大きい。


「この木は?」

「ご神体、だよ。神様が宿っている木って言われていてね」

「神様って、女神エラディーナ……」

「じゃ、ない。世界の統一宗教は女神教だけど、それ以外の宗派も細々と続いている。そのひとつがこれ……『山の神』だ。ニムの山に住む人たちが大切にする、山の守り神」


 言われて、もう一度イリーネはご神体の巨木を見上げる。


「ニムの人たちは、この木を大切にしてきたんですね」

「そう。ずっとずっと昔からね」

「どのくらい?」

「さて……少なくとも、数千年単位だろうね。これだけ大きな木なら、そのくらいの樹齢はありそうだ」

「木って長生きなんだ」

「この木に比べたら、俺もまだまだ若造だな」


 生まれてから五十年という年月も、イリーネにしてみれば長い時間だ。それでも、四桁以上の年数をこの地に深く根を張って生きている神木と比べれば、確かに大したことのない時間かもしれない。

 それだけの生命力や歴史は、素敵だと思う。


「小さいときは、よく秘密でここに来ていたんだ」


 不意に聞こえたカイの言葉に、イリーネは驚いて振り返る。イリーネの驚きの表情が意外そうなカイだったが、すぐに得心がいったらしい。


「ごめんね、前に俺が故郷の話をしたとき取り乱したから、避けててくれたんだよね。この話」

「あ、あの……聞いちゃいけないことだと思っていたから」

「そういうわけではないんだけど……うん、なんだろうね。俺にもよく分かんないや」


 カイは木を見上げる。


「ここに立って木を見上げていると、この大きさにいつも圧倒されてた。追いつけないのは自分が子供だからなんだろうって思っていたけど……大人になって、背が伸びても、やっぱりこの木はでっかいな」

「それってつまり、木と背比べしてたってことですか?」

「そうかも。割と本気で」


 その答えにイリーネは笑った。木と背比べ――山中の木ならともかく、このご神体と。そんなことを本気で考えていたとは。


「子供のころのカイって、可愛かったんでしょうね」

「やだなあ、今だって可愛いでしょ?」

「……えっと」

「ごめん、冗談」


 柄でもなくとぼけたカイは、イリーネの反応を見て即座に後悔したらしい。言わなきゃよかったと苦虫を噛み潰しているようなカイの様子に思わず微笑むと、カイは銀髪を掻きあげて神木に背を向けた。


「さ、観光は終わりだ。物資調達、行くよ」

「はい」


 さっさと歩き出したカイを追って、今度は石段を踏み外さないようにと慎重に下り始めたのだった。





 このニムという街は狩人協会からは完全に独立した街で、街の中に「ニム支部」というものは存在しなかった。ハンターも来るには来るが留まることはないし、ニムの住民がハンターになることもないので、必要がないのだ。そのために傘下の商店もなく、山中では貴重品だけに物価はどれも高かったのだが、だからといって下山するまで補給しないという訳にもいかない。まだ金銭的な余裕はあるが、山を下りたらどこかの街でまた仕事をする必要がありそうだ。


「そういえば、とりあえずイーヴァンに入るってことで山を越えてますけど、どこに行きます?」


 イリーネは先程購入したイーヴァンの地図を思い浮かべて言う。地図一枚でも相当な値段だったが、背に腹は代えられない。地図によれば、イーヴァンはやはりどこも標高が高く、山々の間に小さな集落が点在するといった国土らしい。国内でも数少ない平地、つまり盆地地帯に、イーヴァンの王都オストは存在するようだ。

 そこに至るまで、どれだけの山を越え谷を越えなければならないのだろうか。


 買い足した食料品や水、消耗品を入れた袋を肩に担ぎながら、カイが顎をつまむ。


「そうだねえ……また王都目指せばいいんじゃないかな?」

「じゃあ、目的地は王都オストですね」

「うん。まあ、なるようになるでしょ」


 なるようになる。それがカイの思考だ。いつまでにここへ行って、ここで一泊して、などという計画は殆ど立てない。行き当たりばったりといってしまえばそれまでだが、もし予想外の事態が起きても乗り越えることができるだけの余裕と知識と経験があるのだ。たいていのことは上手くいくし、そんなカイと一緒にいられるのはとても心強い。

 自分も余裕というものを持って行動してみたい――なんてことを思いながら、イリーネは宿へと戻っていった。


 と、宿の裏手からチェリンが現れた。手にカゴを持っていて、その中には数種類の野菜が入っている。どれも土まみれだ。

 チェリンも二人に気付き、軽く片手をあげてくれた。


「お帰り。案外早かったわね」

「はい、荷物も多くなってきましたし。その野菜は?」

「夕飯用のものよ。結構捨てたもんじゃないでしょ?」


 誇らしげにカゴの中身を見せてくれる。どれも立派に育っていて、見事だ。これまであまり野菜そのものを見る機会がなかったので、ここまで作物が成長するのかと驚きである。ニムの土は本当に肥えているのだろう。

 それにしても、時刻はまだ正午を回ったばかりだというのに、もう夕食の仕込みなのか。


「いま収穫したばっかりなんですね」

「ええ。この裏に宿の農園があるから」

「わあ、見てみたいです」


 にこにこと微笑んでいるイリーネにチェリンは軽く目を見張り、それから、目を逸らした。


「……も、もう一度野菜採りに行くけど、一緒に行く?」

「いいんですか? ありがとうございます!」

「別にそんな感謝されるほどじゃ……見ても大して面白くないわよ」


 素っ気なく言いつつチェリンの頬が赤いのは、照れたためか。


「なら俺、荷物を部屋に置いてくるから。それ貸して、イリーネ」

「あ、はい。お願いします」


 イリーネが持っていた荷物をカイに渡すと、チェリンが慌てたように口を開いた。


「あ、あんたも見に来るつもり?」

「だめ?」


 カイが小首をかしげると、チェリンは憮然としつつ首を振った。


「……だめじゃ、ないけど」

「ん。それじゃあとで」


 そう言ってカイは宿へと歩き出し、イリーネはチェリンと一緒に宿の裏へと回った。


 宿の裏は日のよく当たる場所で、きちんと畑が整備されていた。すぐ傍には深い森林が広がっている。畝には畑ごとに様々な種類の作物が植えられていて、夏の野菜が多く実っている。

 少し離れた場所には小屋があって、そこからは微かに鶏の鳴き声が聞こえてくる。畑だけでなく、動物も飼育しているそうだ。新鮮な卵や牛乳を毎日得ることができるわけだ。


「すごい、野菜がいっぱい……!」

「大袈裟ねぇ。まるで畑を見るのが初めてみたいじゃない」


 図星だったのだが、まさかそんなことはチェリンも思っていないし、イリーネも笑ってごまかすことにした。

 チェリンは次々と鋏を使って野菜を収穫していく。真っ赤に熟れたトマトだ。このままかじりついても、甘くて美味だろう。


「私も採ってみていい、ですか?」


 思わず尋ねると、チェリンは笑って頷いた。


「お客に手伝ってもらうのは気が引けるけど、やってみたいなら良いわよ」


 チェリンから鋏を貸してもらって、トマトのヘタのすぐ上を切る。たったそれだけのことだったが、イリーネには初体験だ。自分が食べるものを自分で収穫するというのは、素晴らしいし嬉しい。イリーネはこのトマトを育てた訳ではないが、チェリンにとっては思い入れのある作物だろう。


 結局ふたりで手分けして野菜の収穫をしていると、イリーネと背中合わせに作業していたチェリンが不意に口を開いた。


「ねえ、あんた……えっと」

「あ、私はイリーネです」


 そういえば名乗っていなかったことに気付き、イリーネはそう答えた。チェリンは頷く。


「イリーネは、なんであいつとここに来たの?」


 あいつ、というのがカイを指すということはイリーネにも分かる。


「イーヴァンへ行く途中なので……」

「なんでイーヴァンに行くの?」

「旅しているんです」

「何の旅?」


 なんだろう、なぜこんなに詰問されているような気分になるのだろう。


「探し物があるから、かな」


 もう、今はそれが『口実』のようなものかもしれないけれど。


「どこで、あいつと出会ったの?」

「フローレンツで」

「そうなんだ」


 チェリンは一度そこで黙った。イリーネは身体ごとチェリンを振り返った。


「私も聞いていいですか?」

「なに?」

「カイと知り合いなんですか?」


 その問いにチェリンは頬を引きつらせた。それを見て「やっぱり」と内心で確信する。


「し、知り合いじゃないわよ!? あいつは有名な賞金首でしょ、だからあたしが一方的に知っているだけよ」


 確かにそれはそうか――カイはチェリンのことを知らないようだし、知り合いではなさそう。

 つまり、チェリンは『賞金首』ということ以外で、カイのことを一方的に知っていたのではないだろうか? でなければ、やけにカイを気にする彼女の言動は奇妙だ。


「……ま、まさか実際に会うことになるとは思わなかったから、驚いていただけなの」


 ぽつっとそう呟いたチェリンは、大きく息を吐き出して顔を上げた。


「――来るとか言っておきながら、あいつ、来ないじゃないっ。何してるのよ」

「そういえば、時間かかってますね」


 宿の二階に上がって、部屋に荷物を置くだけだ。とっくに来ていないとおかしい。鼻も目も利くカイが、イリーネたちを見失ったということも起こるわけがない。

 何かあったのか――?


 そう思ったとき、草を踏みしめる足音が聞こえてきた。噂をすればとイリーネは表情を明るくしたが――すぐにイリーネはその笑みを消した。


 カイが来たなら、足音が聞こえてくるのは真逆のはずなのに。どうして、山のほう(・・・・)から人が近付いてくるのだ?


「……イリーネ、下がって!」


 チェリンがイリーネを自分の方へ引き寄せた。彼女もただならぬ気配は感じているのだ。


 そうして木々の奥から姿を現したのは、銃を肩に担いだ男三人だった。チェリンはイリーネを背後に庇いながら後退する。

 銃を担いでいるということは、街の住人が狩猟にでも行っていたのか。そう考えもしたが、チェリンの様子からしてそうではなさそうだ。では、悪意を持つ人間か――。


「山を住処にする盗賊たちだわ。何年か前に追い払ったはずなのに……」


 つまり、山賊か。

 チェリンはふっと口角を僅かにあげる。額には冷や汗が滲んでいたが、それでもチェリンは気丈だった。


「何か用かしら?」

「なあに、ちょっとした餌を取りに来ただけさ」


 男がにやりと笑う。チェリンは滑るように一歩前に踏み出した。


「餌? それはあたしたちのことを言ってるのかしら――」


 チェリンの隙の無い動きが、ぴたりと止まった。チェリンの鼻先に、猟銃が突きつけられていたのである。他の二人の男も、左右からイリーネに銃口を向けている。


「大人しくついて来てもらおうか」


 チェリンは身構えを解いた。不安そうなイリーネに向けて少し笑い、「いまは従いましょう」と告げる。

 男に後ろ手に縛りあげられながら、イリーネは固く目を閉じた。


 知っている――イリーネが強く念じれば、カイは気付いてくれるということを。

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