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氷撃のカイ・フィリード  作者: 狼花
1章 【北の果て フローレンツ】
3/202

◆最果ての地で出会いしは(2)

 焚いた炎の明るさがなくとも、闇の中を歩く分には何も不自由がない。人の姿をとっているときは幾分か能力も落ちるけれど、夜目は人の姿になっても優れている。だからカイは焚き火の傍を離れ、闇の中に横たわるふたつの死体のもとへと歩み寄った。





 この廃墟群は、カイにとっての穴場だった。大昔に巨大地震と大津波に襲われ、ここにあった都市は滅んだと聞いている。自分以外の誰もこんなところに足を運ぶことはなく、植物でさえ行き場を失った死の大地。ここの静寂が好きで、前々からよくひとりで来ては昼寝を決め込んだり、時には物思いにふけったり、逆に何もせずにただぼんやりしていたりしたものだ。

 だから、この場所へ近づいてくる人間を見たときは驚いた。大きな木箱を積んだ荷馬車と、それを先導する馬に乗ったふたりの男。廃墟群の少し手前で荷馬車から木箱を下ろして、男はふたりがかりでそれをここまで運んできたのだ。


 息を潜めて様子を見ていると、木箱の中には人間が閉じ込められているということが分かった。木箱の錠だけ外して男たちが立ち去ろうとしたから、ああ人間を捨てに来たのかとも悟った。


 人間でないカイが、『非人道的だ』なんて言える義理ではない。人の道など、カイは知らない。結局のところ、あの時の自分は何を思っていたのか――人間ふたりを、殺したのだ。

 その際に死にもの狂いの男が発砲した銃弾が腹を貫通したのは誤算だった。這うようにして何とか動き、遠方で待機していた荷馬車を引く馬たちに『去れ』と告げる。彼らはカイと同じ化身族、豹に属するカイと異なるトライブ・【ホース()】に属する者たちだった。豹と馬の力の差は歴然で、馬は荷馬車を捨てて平原の向こうへ駆け去った。


 それを見届けてから、残った力で木箱を破壊した。もう人の姿をとる気力さえ残っていなかったのだ。

 木箱の中にいたのは――ひとりの人間の女だった。青く裾の長いドレスに、赤みがかった長い髪、透明感のある白い肌。

 なにより――懐かしい匂い。


 その女が誰なのか、脳裏に何かかすったところでカイは力尽きた。

 やっと意識がはっきりしたとき――自分の傷は塞がっていて、傍に彼女が倒れていたのである。



 


 男二人の服に手を突っ込み、荷物をすべて取り上げた。少しばかりの金が入った財布、水飲み袋、訳の分からない名刺のようなもの、そして猟銃にナイフ。なんとまあ軽装なこと。食料などは馬に積んであったのだろうが、この軽装で旅をするとはよほど慣れているか、よほど世界を軽視しているか、どちらかだ。


 名刺や猟銃は必要ない。特に銃なんて、人間が「ケモノ狩り」をする時に使う武器だ。金は死者には必要ないものだから頂戴する。水飲み袋は――カイは洗って使えばいいが、あの子は嫌がるだろうか。ナイフも役に立つ、もらっておこう。

 朝になって彼女にこの死体を見られるのはなんとなく避けようと思って、目につかなさそうなところへ移動させておく。地面にはたっぷり血の痕があったけれど、カイが流した血だといえばいいだろう。


 作業を終えて焚き火の傍に戻ると、彼女はすやすやと眠っていた。よくもまあこんなところで眠れるものだ。それだけ疲れていたのか、それとも神経が図太いのか。人間の少女は、野宿を嫌うと聞いていたのだが。

 隣に座って、じっとその寝顔を見つめる。……この子は幾つなんだろう。化身族は長寿の種族だから、見た目と年齢が合致しないことが往々にしてある。人間族の歳の取り方をカイは知らないが――十代後半、だろうか。丁度少女から、女性へと変わりつつある年頃。


 名前も、生まれも、この世界がどんな世界なのかさえ分からない、すべてを失った人間。

 記憶がないというのは、どんな気持ちなんだろう。思うのは、その程度だ。


 嬉しいはずもなかろうが、自分の横で眠るこの子の顔に悲壮感とか、そういったものは見て取れない。混乱して錯乱したり、泣き叫んだりするんじゃないかと、内心では構えていたのだけれど。



 ――命を救ってもらった恩は、重い。

 この子にとってはなんでもないことでも、生きるか死ぬかの世界で生きてきたカイにとっては重大な問題だ。


 本当は嫌いだった。他の化身族やトライブの仲間のように、人間と契約を交わしてその傍に寄り添うのは。人間が嫌いとかそういう次元の話じゃなくて、傍に誰かがいるのが嫌いだったのだ。

 元々豹とは、群れない生き物だ。誰かとつるむということに、まったく魅力を見いだせないでいた。


 ただ、カイは命を救われてしまった。そのことに対する恩は、必ず返そうと思う。


 そう、たとえば先程の馬たちのように――ハンター(・・・・)に狩られ、無理矢理従わざるを得ない状況に陥るよりは。自分から進んで人間に近づく方が、楽に決まっている。

 カイがいて何になるというものでもないかもしれない。もしかしたら、カイがいるせいで不要な争いに巻き込まれるかもしれない。それでも、傍にいてやれば守ることはできる。


 この子がこの世界で生きて行けるようになるまで。可能ならば、記憶が戻るまで。

 この子の傍で、手助けしよう。そういう生き方も、たまにはいいかもしれない。





 夜が明けてきた。焚き火の炎は既に揉み消してあって、真っ黒になった木切れの残骸が転がっているだけになっている。

 結局彼女は、朝まで一度も目を覚まさなかった。カイが夜中何をしていたかといえば、火が消えないように木切れを放り込んでいるか、ぼんやり座っているかのどちらかだった。


 食料を探しに行くか。朝から魚というのは嫌だな。さすがに少なくなった木切れでもう一度火をつけるのは面倒臭い。もう少し南へ行けば、植物も生えている。一年中実をつけている果樹があるから、それでもとってこよう。腹の足しにはならないけれど、どこか街に行くまでは辛抱してもらわないといけない。


 二十分くらいひとりにしても大丈夫だろう。ここは、植物でさえ行き場を失った死の大地なのだから。


 左耳の耳飾りに触れると、すっと身体が軽くなるのを感じる。閉じていた目を開けると、視界がクリアになっていた。あらゆる感覚が鋭敏になり、身体能力は飛躍的に上昇している。夜の間に身体を休めたおかげで、身体も軽い。自分の手の爪は、鋭く尖っていた。

 どちらが真の姿なのかは、カイにも分からない。身体を休めるには人の姿のほうがいいが、獣の姿の時は気合いが入る。『お前に気合いなんかないだろう』と昔仲間に言われたが、そんなことはないと思う。少なくとも、堂々とすることはできた。


 寝ている彼女の上をひょいと跨ぎこす。デリカシーがないとか言われたこともあったけど、獣にデリカシーなんて訳の分からないものを説かれても困る。

 そのまま軽やかに走り出そうとして、ふと振り返ってみた。


 ――彼女の顔が、昔会った人間の顔と重なった。


 幻だな。豹の中では割と大柄な身体でひとつ身震いして、カイは強く地面を蹴って走り出した。

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