◇異端の血(7)
「うわああッ!?」
悲鳴があがった。イリーネのすぐ傍にいたカスパーだ。
カスパーは驚愕のあまり後ずさりをして、ライルはといえば呆然とイリーネを見ている。
顔を上げてみると、ライルもカスパーも、包囲していたハンターたちも、みなイリーネに視線を向けていた。それに気づいたイリーネは、ゆっくり立ち上がる。
別に、ライルやカスパーからの礼の言葉や称賛の言葉を聞きたかったわけではない。だがこの反応は、正直予想外だった。周りの目に感謝も称賛もなく、あるのは――畏怖と恐れ。
(私、何を――?)
ライルの傷はすっかり治っていて、流れた血の痕だけが残っている。痛みも当然ないらしく、ライルの表情も苦しそうではない。
だがなぜだろう――少しだけ、辛そうに見える。
そのライルが、地面に座ったままイリーネを見上げた。
「イリーネ、ちゃん」
「え……?」
「イリーネちゃんは……混血種だった、の?」
まざりもの。
その言葉の意味を理解しようとしたその時に、カイがイリーネを後方から引き寄せた。そして何かをライルに突きつける――護身用の、ナイフだ。
「に、兄ちゃん……」
「その呼び方を使う奴は、みんな俺の敵だ」
何をしているのだろう。どうしてカイはライルにナイフを向けているのだろう。
ナイフは刃物。――つまり武器。
それをライルに向けるのは、なぜ。
カスパーがライルとカイの間に割り込んで、ライルを庇うように手を広げた。カスパーの目は恐怖に揺らいでいたが、それでもライルを守ろうと必死だ。
カイの腕にすっぽり収まっているイリーネの耳に、背後から雑音のように声が聞こえてくる。
「……あの女、混血種らしいぞ」
「……まさか本当に」
「……殺してしまえ」
後ろにいる、ハンターたちの遠巻きな声だ。
混血種。ハンターたちが化身族を見下して『ケモノ』と呼ぶものより、もっと恐ろしい呼称のように聞こえる。
カイがさらに強くイリーネを抱き込んだ。身体全体で、イリーネの聴覚を遮断するように。
それと同時に彼は背後へと目線を向けた。冷たい目――その瞬間、ハンターたちの足元が一気に凍結を始めた。“氷結”だ。獣の姿でないと魔術は使えないのかと思っていたが、どうやらそうではなかったらしい。
おののくハンターたちをスルーして、カイは一歩前に進み出る。と、カスパーが叫んだ。
「ち、近づくな!」
ぴたりとカイは動きを止めた。だが彼にはカスパーなど見えてはいないようだ。ナイフを下ろして、カイの視線はへたりこんでいるライルに向けられている。
「――これだけは覚えときな。君はイリーネに救われた。そのことを認めないようなら、俺は君を軽蔑する」
カイはマントを広げて中にイリーネを入れ、彼女を庇うように踵を返して歩きはじめた。広場を出る際にハンターたちの畏怖の声を聞いたような気もするが、もはや何とも理解できない。
ただカイの歩調に合わせて歩くだけ。マントで視界も遮られているから、どこをどう歩いているかも分からない。とにかく怖くて――肩を抱き寄せてくれるカイの手だけが頼りだった。
「……まざりもの」
ぽつっと呟くと、カイがそっと耳元に顔を寄せた。
「気にしなくていい」
そんなことを言われても。
と、背後から慌ただしい足音が聞こえた。こちらに向かって駆けてくる音だ。
「――兄ちゃん! イリーネちゃんッ!」
ライルの、声。
振り返ろうとしても、カイがそうはさせてくれなかった。マント越しに、くぐもったライルの声が聞こえる。
「イリーネちゃん、俺、そんなつもりじゃなかったんだ! ありがとう、怪我治してくれて、ありがとう! だから、だからッ……またいつか、絶対会おう!? 俺、イリーネちゃんと兄ちゃんと一緒に旅できたの、ほんとに楽しかったからッ……」
ライルの声が、少し途切れる。
「……行かないでよ……こんなの、嫌だよ……ッ!」
「……ここにはもういられないよ」
カイが答える。
「ほとぼりが冷めたころに、またね」
幾分か柔らかくなったカイの声。それでもカイは歩を進めた。
結局イリーネは、ライルの姿を見ることができなかった――。
★☆
呆然自失の時間があって、それからのことをイリーネはあまりよく覚えていない。我に返ったのは夕闇に染まる街道の上で、もうイヴェールの街は遥か後方にあった。
マントからは出て、カイに手を引かれて歩いている状態だった。ずっと足元に下ろしていた視線を上げると、カイの銀の後ろ髪が歩調に合わせて揺れている。どちらも無言だった。
「……カイ。混血種って、なんですか」
問いかけると、カイは少し時間を置いてから答えた。
「人間族と化身族の間に生まれた子供のこと」
「混血……?」
「混血児のパターンは二種類ある。まずは化身族の特徴を強く受け継いだ場合。これだと親通り化身ができて各感覚が優れているけれど、化身族としては非常に短命になる」
化身族は百五十年近く生きるというから――人間の寿命を引き継いで八十年近くで死んでしまえば、それは確かに短命だ。
「もうひとつは人間族の特徴を強く受け継いだ場合。見た目も能力も人間そのもので、化身もできないけれど――ただひとつ、魔術を使える可能性がある。親によるけどね」
「私の治癒術が、それ……?」
「魔術は本来、化身族しか使えないから。勿論、化身族でも魔術が使えるのは一握りだ。そんな化身族の血を引いていれば、子供は当然魔術は使えない。だから、ハーフってことは分からないことが多いんだけど……君の場合は、そうじゃなかった」
ならカイは最初から分かっていたわけだ。人間族であるイリーネが治癒術を使った時点で、イリーネが混血種だと。オスヴィンの廃墟で出会った、あの時から。
「そっか……どっちつかずだから、どっちの種族からも嫌われるんですね」
呟くと、カイは首を振る。
「そうじゃないよ。ただ……人間族と化身族の間に、子供はできないっていうのが今までの認識でね。大体の一般人は、混血児が生まれるなんてあり得ないと思ってるんだ」
確かに――混血が嫌われるのなら、ヘベティカでのヘラーの『新婚』発言も、アネッサの『恋愛』発言も奇妙だ。自然と避けるだろうその話題を、むしろ彼女たちは喜んでしていた。
つまり彼女たちは、異種族の恋愛はアリでも子供はできないと信じているということか。――そんな考えなど、最初から頭にないのだ。
「でもその認識を壊して、世界には確かに混血児が生まれている。混血が生まれにくいのは本当だし、人数も少ないけどね。ハンターとか、情報通の商人なんかはそのことを知っている。だからそれを、みんなは『災いの予兆』だの『不幸の存在』だのって勝手なことを言って禁忌にする」
「災いの予兆……」
「本気にしないで。出所の分からない、ただの戯言だ」
良く分からない自分とは違う存在を、人は無意識に排除しようとする。つまりは、そういうことか。
最初から知っていたならどうして教えてくれなかったのだ。――カイにそう問い詰めたところで、何が変わるわけでもない。それに分かっているのだ。カイは、イリーネが傷つかないように、できれば気付かないように、隠し通そうとしていたのだと。魔術を人前で使わないという約束は、すべて混血の事実を露呈させないため。
その厚意を破ったのは、自分自身だ。
「……最初から分かっていたのに、なんで。私のこと、厄介じゃなかったんですか?」
分かっているのに。どうしても、責めるような口調になってしまう。
「厄介なんて思わないよ」
「だって混血は異端で、気持ち悪かったりするんでしょう?」
「俺はそんなこと思わない。君は君だ。種族を気にするなんて、時間の無駄だよ」
イリーネの足が徐々に止まる。カイはそれに気づいて、足を止めた。そしてイリーネと向き合う。
「もう一回言う。君と契約を結んだのは俺の意思。君と旅することを決めたのも俺の意思。俺は自分で、君を守ると決めたんだ。だから君を悪く言う奴は、許さない。混血種なんて差別用語も、大嫌いだ。俺と君の何が違うの? 同じ『ヒト』じゃないか」
ヒト。カイはいつも、そう言っていた気がする。
「どうして、そんなに」
言葉にはならなかったが、カイは意味を理解してくれた。
「約束だから」
「私との約束じゃないです……」
「君との約束だよ」
予想外の答えに、イリーネは顔を上げた。カイは少し微笑む。
「……ひとつ俺の話もしてあげる」
「カイの?」
「俺、化身すると真っ白でしょ? 雪豹でも身体に斑点はあるはずなのに、どうにも俺は生まれたときからそれがない。親はちゃんと斑点があったのにね。おかげで小さいときは『劣化種』だの『異端児』だのって、散々言われたわけ」
「ひどいです……」
呟いたイリーネに、カイは頷く。
「さて問題。俺が真っ白なのは、俺のせい?」
「いいえ」
「……でしょ? だから、イリーネが化身族の血を引いているのも、魔術が使えるのも、君のせいじゃない」
カイはぽんぽんとイリーネの頭を軽く叩いた。見上げるほど高い位置にあるカイの顔は、穏やかに微笑んでいる。
「みんなありのままの君が好きなんだ。そんな君に救われてきた。俺は君に命を助けられたし、ライルもそう。ライルは……君が混血ってことを受け入れて、それでも君に感謝をしたんだよ」
また会おう、別れたくない。そんな思いを涙ながらに伝えてくれたライルに、今更ながら思いを馳せる。あのあとライルはどうしたのだろう。カスパーと、一緒だろうか。
あんな別れ方は、イリーネだってしたくなかった――。
「君の上辺だけを見て否定する奴なんて、無視すればいい。ライルみたいに、君の内面を知って君を受け入れてくれるヒトもたくさんいる。もし周りが嫌な奴らだらけでも、俺が君の一番の味方だから……怖がらなくていいよ」
泣きたくなど、なかったのに。
カイの言葉が胸に滲みて、どうしても涙があふれた。
声もあげずに泣くイリーネを、カイは黙って見守っていた。街道の真ん中で、ゆっくり日が暮れていく――。
★☆
国境の街トウルに到着したのは、その日の夜だった。
フローレンツ王国の最東部、イーヴァン王国との国境地帯ニム大山脈。その麓に形成された小さな集落が、トウルという街だった。ニム大山脈への山道の入り口に関所が設けられ、毎日商人やハンターが往来する。そんな旅客のために宿などは用意されていたが、隣街イヴェールと比べるとどこか閑散とした雰囲気がある。
「ねえ、イリーネ。確かアネッサから何か手紙を預かってたよね?」
夜間は国境の関所の門が閉じられているのを見て、カイは唐突にそう尋ねた。
「あ、そうでしたね。これです」
荷物の中から、アネッサから預かった封筒を取り出す。故郷のトウルに住む家族に届けてくれと言っていた。別れ際に急いで書いていた走り書きのような手紙――何が書かれているのだろう。
「アネッサの家、探さない?」
「え? でももう夜ですし、ご迷惑に……」
「まだそんなに遅くはないし、ほら、善は急げって言うじゃない。どうせ今日はこの街で一晩明かさなきゃいけないし、明日朝一で発つためにもさ、用事は今日のうちに済ませましょ」
都合の良いことを言いながらカイはくるりと踵を返して街の方向へ歩き出す。イリーネも仕方なく彼を追いかけた。
夕闇の中でまだ仕事をしている人もいて、カイは手近にいた男性に声をかけた。アネッサという少女の家を探している、と伝えると、男性はすぐにその場所を教えてくれた。アネッサが言っていた通り、小さな集落だから町全体が家族のようなものだそうだ。
そうしてたどり着いたアネッサの家は、市場から少し外れた場所にある住宅街の一角にあった。窓からは明かりが漏れて、賑やかな笑い声が聞こえてくる。アネッサは弟妹が多いと言っていたから、その子たちだろうか。
なんとなくノックするのを躊躇っていると、カイが迷いなく家のドアを叩いた。イリーネの心の準備も何もありはしない。
扉が開いて、出てきたのは中年の女性だった。綺麗な茶色の髪や、快活そうな目元などはアネッサに共通するものがある。母親だろう。
「はい、どちらさまで?」
にこやかなその問いに、カイがイリーネの背中を押す。ノックしておいて喋るのはイリーネなのだ。若干カイをうらめしく思いつつも、イリーネはアネッサの手紙を取り出した。
「あ、あの、夜分にすみません。私たちハンターで……アネッサさんから、個人的な手紙を預かっているんです」
「まあ、娘から? わざわざごめんなさいね」
「はい、どうぞ。ご確認お願いします」
手紙を受け取ったアネッサの母親はその場で封を切り、中に入っていた紙を取り出して文面に視線を落とした。そして十秒ほどして顔を上げ、彼女はにっこりと微笑んだ。
「どうぞ、上がって?」
「え? いえ、おかまいなく……」
「そうもいかないわ。ほら、見て」
母親はイリーネに、手紙を見せてくれる。そこには、本当に走り書きでアネッサの短い文章がある。
『この人たちは私の大切なお友達です。
山越えの前に一晩泊めてあげて。アネッサより』
「……!」
イリーネは息をのんだ。母親はころころと笑う。
「アネッサの大事なお友達なら、我が家にとっても大切なお客様だわ。さ、遠慮しないでいいのよ。チビがいっぱいいてうるさいかもしれないけど、お夕飯とベッドはすぐ用意できるから」
詳しい事情も聞かないで――娘のアネッサが信頼している人だから、母も信頼する。たったそれだけのことで、いいのか。
母親は家の中に入り、騒いでいる子どもたちに『お客様だから静かに!』と言いつけている。呆然としているイリーネの肩を、そっとカイが叩いた。
「言ったでしょ? 君の内面を知って、君を大切にしてくれる人はいっぱいいるって。例え君の素性を知ったって、きっとアネッサの気持ちは揺らがない。どうでもいいと思う人に、普通の受付嬢がこんな融通はしてくれないよ」
やっと収まったはずの涙が再びこみ上げてきて、イリーネは慌てて目元をぬぐった。
カイがアネッサの家族を探すことを強行した理由が分かった気がする。なんてことはない、カイはペルシエで、並外れた視力と長身のおかげでアネッサが書いた手紙の文面を元から把握していたというわけだ。カイとイリーネに、万全の態勢でニムを越えてもらうために――そんなアネッサの思いを、カイは無駄になどしなかったのだ。