◇異端の血(4)
「……そう、それでな、俺は言ってやったんだよ。『やめろ、よってたかって大の男が女の子を取り囲むんじゃねえ』ってさ」
「すごい、勇気ありますね。私怖くてそんなこと言えません」
「でしょでしょ? けどそうしたらさ、そいつら俺のこと見て大笑いしたんだ。で、こっちに近づいてきて……」
「ま、まさか返り討ち……!?」
「ところがどっこい。そいつら演劇団の人間でさ、夜に酒場でやる興行の演劇の練習してたんだよ」
「じゃあ、お芝居だったんですか?」
「そう。いかつい男ばっかり揃えてたから、迫力満点で。けど俺が驚いたのはそれじゃなかったんだ」
「というと?」
「その金髪で小柄で、すんごい可愛い女の子さ。壁際に追い詰められてびくびくしてたのは勿論演技だったんだけど……なんと、女装した少年だったんだよ!」
「えっ、男の子?」
「そうなんだよ! 俺、その子助けたいと思って勇気振り絞ったのに、まさかの男だよ!? カツラつけてドレス着てさ、いくら女装してたからって俺は男に一目惚れしちゃったんだよ! 酷い話でしょ!?」
興奮した様子のライルに、イリーネは思わず吹き出してしまった。ライルは溜息をついて肩を落とす。
「やんごとない事情で女装せざるを得なかった男子、ってのが主役の演劇だったらしいんだけどね。気になったから夜に興行見に行ったけど……悔しいくらい面白かったんだよね、これが」
「そうなんですか。ふふ、見てみたいです」
「フローレンツの国内を旅して回ってるらしいから、どこかで会えるかもしれないよ。あ、でもイリーネちゃんたち、このままイーヴァンに行くんだよな」
ライルとイリーネの後ろをのんびり歩いていたカイは、賑やかなふたりを見やって長い沈黙を破った。
「君たち、よくそんなに喋ることあるね。主にライル」
「えーっ、兄ちゃんがだんまりなだけだよ! そんな涼しげな顔しちゃって……ちょっと俺の荷物持ってくれない?」
「嫌でーす」
にべもなく却下したカイだが、ライルも本気でカイが承諾してくれるとは思っていなかったのだろう。あっさりと別の話題に話を持って行った。
ニーナの街を出て数時間。ライルは本当によく喋った。旅の行商人として各地で体験した楽しいこと、驚いたこと、怖かったこと、面白かったこと。ライルは実に経験豊富で、かつ話し上手でもあった。面白おかしいライルの話を聞くのはイリーネにとって苦痛ではなかった。話に夢中になっていると、いつの間にか時間が経っているのである。
今もこうして、ライルが『旅先の路地裏で襲われそうになっている女の子を助けたらそれ自体が演劇の練習で、かつ一目惚れしてしまったその少女が実は男だった』という笑い話をしてくれていた。
カイは空を見上げて時刻を確認する。太陽はほぼ真南、お昼だ。少し背伸びをしたカイは、街道の先に旅人のための休憩所があるのを見つけたらしい。
「あそこに小屋あるから、そこでお昼がてら休憩しようか」
「はい」
カイの言葉にイリーネは頷き、「よっしゃ」とライルは巨大なリュックサックを背負い直す。よくもまあそんな大荷物を持って、イリーネらのペースを乱すことなく歩けるものだ。余程の健脚なのだろう。
休憩所は無人だった。日差しの強いときに屋内に入ることができるのは嬉しいものだ。床にリュックを置いてライルは額に滲んだ汗を拭った。
「ふう、疲れた疲れた……けどこの調子なら、予定通りイヴェールに到着できそうだ」
「そういえば今更だけど、なんで商売もせずイヴェールに急行してるの?」
パック詰めされたスープの袋とマグカップを荷物から出して、カイが尋ねる。さすがに昼からライルも本格料理を作るつもりはないだろう。
ライルは笑みを浮かべる。
「ずっと仕入れたかった薬草をね、知り合いが融通してくれることになったんだ。その取り引きの場がイヴェールなんだよ」
「へえ、意外とちゃんとした理由だったんだ」
「逆に聞くけど何を想像してたの!?」
ライルがカイに食らいついたが、カイは飄々としたものである。
「惚れっぽいみたいだから、好きな女の子でもいるのかと。一目惚れした女の子が不治の病で余命幾ばくもない、だから行くんだ! ……みたいな」
「ちゃっかりさっきの話聞いてたのかよ……! っていうか惚れっぽいわけじゃないからな!」
「でも綺麗で可愛いと男子でも好きになっちゃう……」
「ちっがぁうっ!?」
「むきになって否定するのは疑わしいねぇ」
声にならない悲鳴をライルがあげる。イリーネは湯を沸かしながら――最近やっと火打石が使えるようになった――笑う。まるで兄弟ではないか。
「仲良しですね」
そういうとふたりとも憮然として黙った。ライルは恥ずかしいのか顔を赤くしたまま、話題を逸らすために口を開いた。
「そ、そういうイリーネちゃんと兄ちゃんは? 手配者の追跡任務でイーヴァンに行くのかい?」
「あ、いえ……元々私たちがハンターになったのって、お金稼ぎのためっていうのが大きくて」
イリーネの言葉をカイが受けて頷く。
「俺たち、気ままな旅人だからね」
「旅人? つまり特にあても目的もなく?」
「目的はあるけど、あてはないかなぁ」
目的――イリーネの記憶探し。けれど目ぼしい手掛かりはなく、イリーネも実はそこまで気にしていなかったりするが――。
カイはイリーネを肩越しに振り返った。
「でもま、楽しいから良いよね?」
イリーネは瞬きをし、それから満面の笑みを見せた。
「はい。良いんです」
ふたりのやり取りをぽかんとして見ていたライルが、不意に破顔した。
「……いいなあ。なんかふたりとも、これぞ『パートナー』って感じだよ」
「事実そうですもん」
真顔で断言するカイは、イリーネも意外に思ってしまった。カイは別段おかしなことを言ったというつもりはないらしく、黙々とスープの袋を湯で温めている。
パートナー。素敵な響きだ。カイは良くも悪くも思っていることしか言わない。つまりカイのパートナー発言は紛れもない本心なわけで、イリーネもそう思って構わないということだ。
勿論、契約具を渡しているのだからパートナーであることは確実だ。けれどそういう意味でのパートナーではなく、共に旅をするうえで契約を超えた相棒でありたい。イリーネにはどこかそんな思いがあるのだ。
対等でありたい、など――傲慢な願いだろうか。
「……イリーネ、顔赤いけど大丈夫?」
カイが自分の名を呼んだことに気付いて、イリーネは我に返った。僅かに火照った頬に手を当てて慌てて笑みを浮かべる。
「な、なんでもないです。外暑かったから、ちょっと火照っただけで」
「ならいいけど、無理はしないでね」
本当に、無愛想に優しい人。
★☆
昼食を終えて再び歩き出し、はや数時間。
「……だから、目測を誤ったんだよ。さっき見かけた休憩所で休めば良かったんだってば」
「だ、だって! まだ休むには時間早かったから、頑張れば次の休憩所まで行けるかなあって……!」
「その結果、街道のど真ん中で立ち往生ですけど」
カイの言葉にライルが呻く。イリーネはその傍で苦笑を浮かべている。
街道沿いに建てられている休憩所だが、その間隔は必ずしも等間隔というわけではない。十五分も歩けばまた次の休憩所があることもあれば、二時間近く歩いてやっと見つかるということもある。
夕方の四時ごろに、三人は休憩所を見つけた。ここでカイとライルの意見が割れたのだ。カイは「もう今日はここで休もう」、ライルは「もう少しすればまた休憩所があるからそこまで頑張ろう」というのだ。フローレンツ東部に詳しいというライルの言に従って歩を進めたのだが、行けども行けども荒野ばかり。建物の一軒もありはしない。
そうしているうちに、周囲はとっぷり夜になってしまったというわけである。
「こっちのほう詳しかったんじゃなかったの?」
やれやれといった様子のカイの言葉に、ライルが項垂れる。
「……ごめん、なんか思ってた場所と違うっぽい」
「仕方ないね。今日は野宿だ」
カイはそう言って、街道から逸れて平原のど真ん中に荷物を下ろした。男性二人は荷物を持っていたためにランプはイリーネが持っていたのだが、夜目の利くカイは灯りなどなくても平気らしい。とりあえずカイを追いかけると、ライルが申し訳なさそうに両手を合わせてきた。
「イリーネちゃん、ごめん。野宿なんてさせちゃって」
「大丈夫ですよ。私、野宿好きですから」
好きと思えるほど野宿をした経験はない。ただイリーネは知っているのだ。カイと出会ったとき、ずっと傍にいて火を焚いていてくれたこと。寒くないようにと火を絶やさず、壁のある場所に移動させてくれたこと。魚やキリアの実を取ってきてくれたこと。イリーネにとって『野宿』は暖かな想い出なのだ。
まだそれほど日数が経ったわけではない――それでも、北の果てオスヴィンから、南のニーナまで来てしまった。この数十日で、どれだけの思い出ができただろう。
不思議なもので、カイとはもう何年も一緒にいたような気さえしてしまうのだから。
「二人とも、なんか薪になりそうな枝を探してくれる?」
カイからそんな指示が飛び、イリーネは素直に頷いたがライルは微妙な顔をした。
「薪って……こんな野っぱらでそんなのあるかなぁ? ランプで灯りはどうにか」
「蝋だってお金かかってるんだから、勿体ない」
「お金持ちなのにケチだよ!」
「倹約してるって言って。それに第一、火を焚かないと夕飯食べれないよ」
「あ、そういえば夕飯まだだっけ……思い出したら腹減ってきたなあ」
相変わらず兄弟のようなやりとりをしつつ、カイはふたりを振り返る。
「俺はひとっ走り遠くまで薪拾いに行ってくるから、ここらはよろしく」
「えっ、あの、気を付けて」
イリーネの声を背中に受けて、カイは化身して闇の向こうへ消えて行った。あっという間に見えなくなった白銀の豹の姿にライルは苦笑した。
「頼りになるねぇ」
「は、はい」
「よし、俺たちもぼちぼち燃えそうなもの探しますか」
この荒野のど真ん中で、カイはイリーネをライルとふたりきりにした。
それだけカイがライルという青年を信用した証だろうか。
イリーネとライルが周辺で拾い集めた枝はたかが知れていたが、ほどなくして戻ってきたカイは口に大量の枝を咥えていた。一体どこにこれだけの薪が落ちていたのか不思議なのだが、なんとか火を得ることには成功した。
粗末ながら夕食を終えると、疲れたのかライルはすぐに寝袋に潜って眠ってしまった。その爆睡ぶりを見てカイが肩をすくめる。
「まったく、一番張り切ってた人間が最初にダウンとはね」
「重い荷物を背負って歩き通しでしたもの。疲れちゃいますよ」
火にあたりながらマントを身体に巻き付けたイリーネは、隣に座るカイに微笑んで見せる。夏であろうと夜は寒い。北国フローレンツでは当然だ。
カイはイリーネに視線を向ける。いつかのように、その銀髪は赤く染まって見えた。
「君は平気なの? 見張りは俺がするから、休んでいいんだよ」
「なんか……久しぶりの野宿が嬉しくて、眠れそうにないです」
「……とんだお転婆だね」
カイは少しだけ笑い、地面に仰向けに寝転がった。イリーネもつられたように夜空を見上げた。今日は雲一つなく、綺麗な星空だ。
「綺麗ですね」
「フローレンツは空気が澄んでるから。天体観測には丁度いいよ」
そう呟きながらカイはおもむろに夜空の一点を指差した。その先を追うと、無数にきらめく星の中でひとつ、きわめて明るい星があった。青白いその光を指差して、カイは言う。
「あれが、『北の一星』」
「一星?」
「星って季節によって位置を変えるんだけど、あの星だけはずっとあの場所から動かないんだ。それに、明るい星だから見つけやすい」
カイは腕を下ろした。
「昼の間は太陽、夜は北の一星。それを目印にして、旅をするんだよ」
「旅の知恵、ですね」
ずっと上を見ていて首がしんどくなってきたので、イリーネも仰向けに寝転んだ。視界すべてが星空で、独り占めしている感覚だ。なんて贅沢なのだろう。
いい気分に浸っているというのに、焚き火の向かい側で眠っているライルの寝息がふたりの耳にも届いてくる。カイは頭を掻き、イリーネは微笑んだ。
「ライルと一緒に旅できるの……あと一日ですね」
「そうだね」
「ちょっと、寂しいかも」
「まあ、無駄に元気な奴だからね」
素っ気ない言い方をするカイに、イリーネは首をずらして顔を向ける。カイは夜空に視線を向けたまま、吐息のような声で呟いた。
「……嫌いじゃなかったよ、ああいうタイプは」
「素直じゃないんですね」
「俺はいつだって素直だよ」
そして響く、ライルの健やかないびき。
「……騒音だな、叩き起こすか」
「や、やめてあげてください、寝かせてあげましょう……!」
イリーネの尽力によって、ライルの安眠は守られたのであった。




