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氷撃のカイ・フィリード  作者: 狼花
1章 【北の果て フローレンツ】
23/202

◆異端の血(2)

 シャルム川を挟んで西側と東側では、王都やエフラを擁する西側のほうが活気にあふれている。


 ルウィンやこのニーナの街はまだそれほどではないが、これから東へ行けば行くほどイーヴァン王国が近くなる。王都周辺の人々は豊かな川と共に生きているが、東部の人間は険しい山々と共に生きているのだ。水の確保も容易ではなく、物資も圧倒的に不足。フローレンツで最も貧しい地域だ。

 ちなみに、イリーネと共に最初に訪れたヘベティカという街も、シャルム川の東岸にあるので東部地方に区分されている。


 王都ペルシエに比べればお粗末なものだが、それでも夜にしては活気のあるニーナの市場を歩きながら、カイは周囲の人間が自分に注目していることに気が付いた。夜でも銀髪は目立ってしまうらしい。フードでも被りたかったがマントは宿に置いて来てしまった。仕方がないので、俯き加減で道を歩いていく。


 昼間ライルに聞いた店はどこだっただろうか。確か市場の路地を曲がれと言っていたが、どこもかしこも路地だらけではないか。ひとつひとつ覗きながら目当ての店を探していたが、これでは埒が明かない。


「そこのお兄さん、もしかしてひとり?」


 背後から呼び掛けられてカイは振り返った。そこにいたのは鮮やかな赤のロングドレスに身を包んだ女だ。くねくねと妙な動きをしながらこちらに近づいてきて、カイの肩に手を乗せる。

 ――気安く触らないでほしい。


「この路地の先に、私のお店があるの。良かったら一緒にお酒飲んで遊ばない?」


 女が指差したのは、カイが今まさに佇んでいた路地の暗闇の先。

 王都の大都市の夜の市場と違うのはこういうところだ。地方都市では裏通りにある店ばかりが幅を利かせる。いわゆる遊郭というやつだ。


「急ぎの用事があるんだ。悪いけど」

「あぁら、つれないわね」

「それと」


 その気がないと知るやいなやカイの懐の財布に伸ばした女の手を、すぐに捕まえる。彼女はさりげなくやったつもりで、相当慣れているのだろうが、お見通しだ。お金だけくれてやるわけにはいかない。

 はっと驚いた顔の女の腕を掴んだまま、カイは彼女と距離を取る。


「こういう手癖の悪さは感心しないよ、お姉さん」

「……ああもうっ、油断も隙もないんだからっ」

「それこっちの台詞」

「あんたさては化身族だね? まったく、あたしの目も落ちたかねぇ」


 彼女の悪事を暴いた瞬間の変わり身の早さと言ったら。器用な女に呆れていると、女はさらにまくしたてる。


「こんな夜中にふらふら出歩いているから、世間知らずの坊やだと思ったのに」

「そりゃ残念だったね」

「……でもあんた、なかなかいい顔してるじゃない。ねえ、やっぱり店に寄っていかない? いいや、むしろあたしがお金払うわよ」


 若干恍惚気味の女の顔に薄気味悪さを感じつつ、カイは首を振った。


「君が自分で言ったんでしょ、俺は化身族だよ」

「種族の違いが何さ。やることは一緒でしょ?」

「……俺、そういう趣味ないから」

「もう。つれないわね」


 女もそれ以上食い下がるつもりはないようだった。そこでカイはついでのように女に尋ねた。


魔術書(まじゅつしょ)売りを探しているんだけど、場所知ってる?」

「あの陰気くさいおじさんかい? それなら丁度向かいの路地を入ったところで細々と店をやってるよ」

「そう。ありがと、助かったよ」


 あっさりカイと女は別方向へ向けて歩き出した。興味を失った途端にさっぱりとした人だなあとカイは内心で思いつつ、女に教えてもらった路地を進んでいく。

 市場の灯りも届かず薄暗い路地。通常であれば踏み外してもおかしくない石段を難なく下りきり、まっすぐ歩いていく。角を曲がったとこで、カイはやっと目当ての店を見つけた。


 石畳の地面にシートを敷いて、そこに座るひとりの男。彼の周りには古い本が積まれていて、とても店のようには見えない。けれども彼こそ、カイが探していた『魔術書売り』だ。


 店の前で立ち止まったカイを、ちらりと男が見上げる。遊郭の女が『陰気くさいおじさん』と言っていたが、真実のようだ。


「魔術書が欲しいんだけど」

「……あんた、化身族かい?」


 カイは頷く。男の質問も至極当然で――魔術書を求めるのは化身族だけだ。何せそれを必要とするのは化身族だけなのだから。

 男は重そうに腰を上げて座り直し、シートの傍にしゃがみこんだカイと目線を合わせる。


「なんの魔術書が欲しいんだい」

(しん)属性の魔術書」

「神属性か……レアものだな」


 感心しながら、男は積み上げられた本の中から数冊を引っ張り出してカイの前に並べる。革製の表紙が必要以上に重厚さを伝えてくる。


「俺しか扱っていない神属性の奥義書だ。自慢の品だよ」


 カイはぱらぱらと魔術書のページを繰る。びっしりと文字で埋め尽くされて見るだけで頭が痛くなってくるが、カイはすぐにそれを閉じた。


「奥義書じゃなくて、もっと初歩的なものが欲しいんだけど」

「なんだい、てっきり兄さんは賞金首だと思ったのに」

「俺はそうだけどね、これが欲しいのは俺じゃなくて俺の連れだから」

「つまり初心者ってことか」


 男はまた積み本の中から本を引っ張り出す。他の奥義書に比べればいくらか薄いものだ。


「これが一番基本的な神属性魔術の魔術書だ。言っておくが他の魔術書に比べると値が張るぞ」

「いいよ。いくら?」


 カイは迷うことなく即決して魔術書を購入した。確かに高価だったが一生に一度の買い物だ、惜しんでもいられない。

 代金を受け取った男はちらりとカイを見やる。


「俺ほど神属性魔術書を扱っている奴はいないぞ。ついでに奥義書もどうだい?」

「必要になったらまた来るよ」

「じゃあ、あんたは何属性だい。新しい奥義の会得でもしてみたら」

「悪いけど、俺は今の奥義が気に入ってるから。いつか縁があれば」


 早々に用を済ませてカイは路地を抜け、市場に戻った。魔術書は小脇に抱えているが、誰もそれが魔術書であることなど気にも留めない。


 魔術書。魔術を習得するための書。化身族であればだれもが一度は手にする、貴重な本だ。


 魔術とは本来、地水火風その他様々な自然現象を引き起こすだけのものであって、攻撃的なものではない。そんな魔術を『攻撃的に』昇華させるために必要な書。それが『奥義書』だった。

 カイは氷属性として、物体を凍らせる魔術を使うことができる。これが“氷結(フリージング)”。それを昇華させた奥義が“凍てつきし礫(フローズン・ショット)”。

 鷹のエルケの場合、エルケは風を起こすことができる魔術“烈風(ウィンディ)”を使う。それを攻撃的に昇華させた奥義が“豪嵐(テンペスト)”であり、“迅刃(カッター)”だ。


 人間族であるイリーネが、果たして魔術書からどれだけの魔術を学べるのか。それは分からないが、やってみる価値はある。――そう思ってからカイは憮然とした。


 やってみる価値とはなんだ。護身のためにイリーネがそれを習得したとして、実際に使うことになれば――彼女が傷つくだけじゃないか。隠しておけば良いことをわざわざ表に出す必要もなかろうに、一体自分はイリーネに何をさせようとしているのか。

 しかしカイも万能ではない。いつまた先日のように、カイが油断したところでイリーネに怪我をさせてしまうか分からない。彼女にも防衛手段があったほうが良いのは確かだ。


 遅かれ早かれ知ることになるのなら、今のうちに自分の口から言ったほうが良いのだろうか。そう思わないでもないが、なんと説明したらいいのか分からない。

 言えるわけがない――「君はヒトから恐れられる(・・・・・)存在だ」などと。





 悶々としたまま宿に戻ると、本当にイリーネはまだ起きてカイのことを待っていた。もう日付も変わるころだ。戻ってきたカイを見て明らかにほっとした表情の彼女は、すぐ小脇に抱えている本に気付いた。


「カイ、その本は?」

「魔術書だよ」

「魔術書?」

「魔術を学ぶために必要な本。君にあげるよ」


 差し出された本をイリーネはこわごわと受け取って、分厚い表紙をめくる。そこに書かれていた字を見て、彼女は目を見張った。


「……カ、カイ」

「なに?」

「この文字……まったく読めないんですけど」

「……」


 そういえば、魔術書に書かれている文字は古語。一般人は読めなくて当然。


 自分が読めるものだから、イリーネがそれを読めないなんてことをすっかり失念していた――どころか考えもしなかった自分に、カイは心底呆れたのであった。

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