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氷撃のカイ・フィリード  作者: 狼花
8章 【嵐の前夜】
202/202

◇歪んだ言葉(11)

 イリーネの目の前にあったのは、どこからどう見ても植物製の巨大な『籠』であった。だが桁違いに大きい。どのくらい大きいかと言えば、長身のアスールでさえ籠の縁に手が届かないほどである。籠の中はと言えば、ヒトが十人入ってお茶会をしたって余るくらいのスペースがあった。底にはこれまた巨大なクッションが敷き詰められ、籠の編み目から落下しないように、格子の小さな柵も二重に取り付けてある。

 一体世界のどこに、これだけの籠を作れるだけの植物があったのだろう。色々と衝撃的すぎて、イリーネが最初に抱いた感想は、そんな素っ頓狂なものだった。


「ふふん、驚いただろう? これがヘルカイヤの『大籠』さ。急ごしらえだったが、そこそこのものができたじゃねぇか」


 籠の横に立つニキータは満足げにそう告げた。傍にはクレイザと、ヘルカイヤからの有志と獣軍の鳥族兵が十数人立っている。


「この籠にお前ら全員を乗せて、ロープで吊り上げてサレイユまで飛んで運ぶってわけだ。飛び方の訓練もきっちり仕込んだからな、安心安全の空の旅を保証するぜ」

「はあ……どうせそんなことだろうと思ったけど、えらく原始的だね」


 カイが軽くすくめる。疑り深いチェリンは、「本当に大丈夫なんでしょうね」と呟きながら、籠を形成する植物に触れている。イリーネも同じように籠に手を伸ばす。幅広で薄く見えたその植物は、思いのほか固く頑丈だった。


「消耗品だしな、凝ったって仕方ねぇだろ。置いておいても邪魔になるだけだし、使い終わったら解体するもんなんだよ」

「へえ、そういうもんなの」


 道具にこだわらないのは、ハーヴェル公の気質だったらしい。自らが使う剣や鎧も見た目より機能を重視したし、装飾の類は好まなかったそうだ。言われてみればクレイザも、大切にしているのは竪琴ひとつのみで、物に執着している様子はなく常に身軽だ。



 ツィオの正体を知り、ステルファット連邦への潜入を決定してから数日。イリーネたちは正式な使者としてではなく、密命を帯びた部隊として連邦に潜入することになる。ゆえにその作戦は秘密裏に行われるのだが、カーシェルはできる限りのバックアップをしてくれた。必要な装備を整え、同盟国サレイユとも連携できるようになっている。連絡に何度も飛んでくれたのはアーヴィンとエルケだ。彼らの迅速な伝達のおかげで、これから中継地点として訪れるサレイユの都市は、ダグラスの指示でイリーネらを受け入れてくれる。

 ステルファットを肉眼で捉えられる、サレイユ西部の街、シャンタル。それが今からイリーネらが向かう場所だ。


 この数日の間、ニキータは『大籠』の製作の指揮を執り、鳥族の指導に当たっていた。旧ヘルカイヤ兵とリーゼロッテ獣軍の鳥族兵は、先の作戦を通して打ち解けたらしい。かつての敵味方は思いのほか息が合って、ゆっくりと親交を深めている。トライブ・【ライオン】や【タイガー】といった大型の化身族が賞金ランキングの上位を占める中で、ランキング第四位に君臨するニキータは最強の鳥族として崇敬されている。その指導を仰げることは、すべての鳥族にとって光栄なことなのだ。その部下であった旧ヘルカイヤ兵の動きも、獣軍兵からすれば学ぶべきものである。滅多にない機会だから、貪欲に技術を吸収しておけと、カヅキが指示を出していた。


 そのカヅキは、カーシェルと共に姿を見せた。獣軍宿舎の裏手でせっせと製作していた『大籠』に乗って、いままさに出発しようとしていたイリーネらを見送りに来てくれたのだ。


「お兄様。お見送りに来てくださったのですね」

「ああ、もちろん。……イリーネ、忘れ物はないか?」

「大丈夫ですよ、もう。子供じゃないんですから」


 まるで旅行に出かけるのを見送るかのようなカーシェルの言葉に、イリーネは苦笑する。物資の準備をしてくれたのはカーシェルだ。十分すぎる準備をしてもらった。

 ヘルカイヤでの作戦のときもそうだったが、カーシェルは待つのが本当に嫌いなのだ。見送ることも、慣れているはずなのにいつまでたっても平然としてはいられない。今回見送るのは、妹なのだ。しかも、無事に戻れるかも分からない紛争地帯へ。言うべきことが見つからず、変なことを口に出してしまったのだろう。


 気づかわしげにカーシェルを見たカヅキは、あえて普段通りに淡々と口を開いた。後ろに控えていた若い獣兵を前面に出す。金髪碧眼の柔らかい顔立ちの青年だ。屈強な人物が多い化身族としては珍しく小柄だったが、カヅキが推薦するほどの男ならば只者ではない。ヘルカイヤ作戦からこちら、何かとイリーネらの護衛に就き、時にカヅキの右腕として活躍していたリィンだった。


「イリーネ姫、この男を連れて行ってやってほしい。俺の直属の部下、【時駆(ときか)けのリィン】だ。かつては一二〇〇万ギルの賞金をかけられた、一級手配者でもある」


 一二〇〇万ギル。九九〇〇万ギルの【氷撃のカイ・フィリード】や、一億ギルの【黒翼王ニキータ】には届かないものの、かなりの高額手配者である。この後ともにサレイユまで行く予定のアーヴィンが、隣で頬を引きつらせたのが見えた。【大鷹エルケ】の賞金は二六〇万ギルである。その差は歴然だった。

 だが、当のリィンはへらりと笑っている。


「加えて、リィンはステルファット連邦の出身だ。そういう意味でも、力になれるだろう。存分に使ってやっていただきたい」

「えっ、そうだったんですか……!?」

「はい、イリーネ姫。道案内、ヒトの紹介、戦闘のお手伝い、お役に立てることがあったらなんでもしますよ!」


 厳格な身分の中で育ってきたイリーネには、リィンの砕けた敬語が新鮮だ。力を至上とする化身族の社会の中では、自分より強力な者に対する敬意は人間のそれより強いというが、獣軍はカヅキの教えの賜物か、人間に対する礼儀も持っている兵が多い。その中でもリィンは特に人懐っこい性質だった。その柔らかい物腰と快活な表情のおかげで、初対面から好印象だ。


 リィンが快く受け入れられたのを見たカヅキが、ふっと嬉しそうに目元をやわらげた。だがそれもほんの一瞬で、すぐにいつもの真剣な表情に戻る。


「本来ならば、俺も共に行きたかった。……が、それは叶わないことだ。俺はこちらでできることをしよう。無事に戻られるのを待っている」


 ちらりとカヅキの視線がカイに向けられる。カイは無言でうなずいた。カヅキが一歩下がると、調子を戻したカーシェルが口を開いた。


「任務はひとつ、戦犯【獅子帝フロンツェ】の確保だ。生死は問わない。こちらから指示はできないからな……この先は、現場の判断に任せる。自分たちの生命を第一に、事を進めてくれ」

「はい」

「イリーネ、カイ、アスール、チェリン嬢、クレイザ殿、ニキータ殿、ツィオ殿、よろしく頼む。リィン、彼らをよく支えてやってくれ」


 その言葉に、各々が返事をする。ある者は平然と、ある者は少し緊張した表情で。

 別れを済ませて、イリーネたちは『大籠』へと乗り込んだ。敷き詰められているクッションは柔らかく、座り心地は悪くない。そうしている間にも鳥族が次々と化身して、足にロープを括りつけていく。じっとしていられない代表のニキータは、勿論自分も『大籠』をぶら下げて飛ぶようだ。意思の疎通は、イリーネらがステルファットに向かうのを見届け、その報告をカーシェルのもとまで持ち帰ってくれるために同行するアーヴィン経由でとってもらう。アーヴィンはエルケに乗って、『大籠』と並行して飛ぶという。指示出しのために、化身しない者が並行するのが基本だそうだ。


「全員乗った? 準備はいい? ……よし、ニキータ、あげてくれ!」


 アーヴィンの掛け声で、一斉に鳥たちが空へ舞い上がる。ロープがぴんと張られ、ついで巨大な『大籠』がゆっくりと宙に浮く。そのときは一瞬揺れたが、高度を上げるごとに次第に安定して水平を保つようになった。地上で見送ってくれるカーシェルやカヅキ、その他多数の獣兵たちの姿が小さくなっていく。カーシェルは微笑んで、小さく手を振ってくれた。

 十分な高さまで上昇した『大籠』は、アーヴィンの指示で水平飛行に移る。力強い羽ばたき。ぐんと、地上の景色が遠ざかった。


「ほほ、愉快愉快」


 ツィオはご満悦だ。予想以上に快適な乗り心地に、カイなどはすっかりくつろぎムードである。地上からはどのように見えているのだろうか。大きな空飛ぶ籠など、目撃したら目を疑うだろう。

 飛行が安定したのを見計らって、「さて」とリィンが切り出す。


「改めて、よろしくお願いしますね」


 リィンはイリーネの仲間たちについてカヅキなどから説明を受けていたし、何かと顔を合わせることも多かったから、みなリィンのことはある程度知っていた。あるいは、これを見越してカヅキは、前々からイリーネらの傍にリィンを付けておいたのかもしれない。


「リィン殿」

「呼び捨てで構いませんよ、アスール王子」

「……ではリィン。ステルファットの話を聞きたいのだが、良いか?」

「はい、どうぞ。といっても、お話しできることは少ないと思うんですけど」


 リィンは、二十五年ほど前に大陸へ渡ってきたという。それから現在に至るまで何度か故国に戻りはしたが、最後に戻ったのは十年前で、鎖国した五年前からはもちろんステルファットの状況は知らない。そうした前置きを聞いて、アスールは問いかける。


「竜族の存在を、ステルファットの人々は認知していたのか?」

「いえ、まったく。まさか竜族がいまもいて、それが国の政府を牛耳っていたなんて、誰も知りませんでしたよ。少なくとも一般人は」


 きっぱりとそれを否定しておいて、「でも」とリィンは続ける。


「大陸のヒトよりは、島のヒトにとって竜族は身近でしたよ。昔は島に竜が棲んでいた、っていう伝説がいろいろ残っていて。そういう意味では、まあ、今回のお話は受け入れやすくはあったんですけど」

「そうか。政府と狩人協会が衝突しているということについてはどうだ?」

「ちょっと信じがたいことですよね。僕が国にいたころは、良好な関係でしたよ。ステルファットの協会は大陸に比べて力が強いんです。政府も蔑ろにできなかったはずなんですけどね」

「それがフロンツェ、ひいては竜族のやり口じゃな。一度は友好関係を築いて懐に入り込んでおきながら、それを裏切る。そうして生まれる混乱は大きく、奴らにとっては美味じゃ」


 ツィオのその言葉に、リィンも言葉に詰まる。少し沈黙した若い獣兵は、やがて顔を上げた。


「……協会がまだ抵抗を続けているなら、その活動の中心になっているヒトに心当たりがあります。島に入ったらそのヒトと接触してみましょう。こんな感じでどうです?」

「それが一番だな。地元の人々の協力が得られるならばありがたい」


 アスールは同意を示して頷くと、何やら難しい表情で思案にふけってしまった。サレイユの都市シャンタルまでは、鳥族の翼を以てしても数時間かかる。空の旅は始まったばかりだった。





★☆





 サレイユのラーリア湖から流れ出る大河のひとつ、王都グレイアースのあるカトレイア半島に流れ込むオレント川。その支流のひとつであるセレスト川の河口域に、シャンタルの街はあった。グレイアースの真西に位置する。王都から最も近い港でもあり、旅客船や貿易船、ついでに軍船の出入りの多い街だ。

 鳥族は夜目が利かないものだが、兵として訓練を受けたヘルカイヤと獣軍の者たちは、夜間の飛行だろうと問題なく飛行できた。おかげで、イリーネらがシャンタルに到着したのは、出発した翌日の朝だった。どれだけ急いでも平気で船で数日かかるというのに、恐ろしい移動力である。


 シャンタルの街には、ダグラスの指示を受けてジョルジュが待機していた。根回しの良さにイリーネは驚いたが、アスールに言わせれば「当然」なのだそうだ。


「お疲れ様でございます、皆様方。事情は伺っておりますよ。少し休憩なさいますか」

「いや、すぐにステルファットへ向かおうと思う」

「承知しました、ではこちらへ」

「話が早くて助かる」


 アスールの賛辞に、ジョルジュはにっこりと微笑んだ。そうして彼が案内してくれたのは港である。イリーネの知る港といえば、どこまでも青い海が広がっているものだが、シャンタルの港から見る海は少しばかり景色が違う。水平線上に、大きな陸地が浮かんでいるのだ。

 あれがステルファット連邦。首都を持つ連邦最大の島、ラ・グラシア島だ。


「元々この街には、ステルファット連邦やその海域を観測する体制が整っています。連邦に入って何かあったときには、派手に空に向けて魔術なり狼煙なりを打ち上げてください。必ず見つけて、然るべき対処をしますので」


 説明を終えたジョルジュは、「それでは」と前置いてこう告げる。


「お気をつけていってらっしゃいませ」

「……相変わらずさっぱりした挨拶ねぇ」


 チェリンが呆れたように苦笑する。ジョルジュのそうした態度はいつものことだし、それがアスールへの全幅の信頼からきているのは勿論分かっているのだが、それにしてももう一言くらいないのかと思わないでもない。ジョルジュはチェリンの方を見て目を輝かせた。


「素っ気なかったですか? もしや情熱的に引き留めてほしかったとか……ああ、それならそうと言ってくだされば、このジョルジュが泣いて縋り付いてさしあげましたのに」

「この変態」

「ど直球罵倒ご馳走様です。……なんてね。以前にも申し上げた通り、時折お姿を見ることができれば、私はそれで良いのです。わざわざ確認などせずとも、私は皆さんの無事を知っておりますので」


 穏やかなジョルジュの本心は、容易には見透かすことができない。良くも悪くも鋼の精神を持つジョルジュは、アスールの臣下の騎士という立場から一歩たりとも外へ踏み出さないのだ。乳兄弟という気安い間柄らしい会話をしつつも、ジョルジュは決して主従の線を越えようとはしない。絶対服従というに等しいその関係は、どうにもアスールとジョルジュらしくないとイリーネは思ってしまうのだが、命を狙われることの多かったアスールにとって、ジョルジュは唯一絶対の味方だったのかもしれない。

 だから、本当はジョルジュも旅の供をしたいとか、アスールたちを引き留めたいと思っているのかもしれないが、それを言葉にも態度にも出さない。「後を頼む」と、アスールに言われたからだ。


「ですから、私はここで帰りをお待ちしております。どうぞご無事で」

「ああ。ダグラスのことを任せたぞ」


 淡々と、それでいて信頼感に満ちた主従の別れが行われている横で、アーヴィンの表情は硬かった。やはり彼は、ジョルジュのように笑顔で送り出せるほど、気持ちを割り切れてはいない。それでも、なんとか笑顔で見送ろうとして引きつった笑みを浮かべているのが、逆に痛々しい。ここまで『大籠』で運んでくれたヘルカイヤの義勇兵たちは、クレイザとニキータへ激励を送っている。獣軍の者たちも、リィンに声をかけているようだ。


「行きましょう。ツィオさん、お願いします」


 イリーネがそう告げると、ツィオは頷いた。そして彼に手招きされるまま移動したのは、港の倉庫の物陰である。


「さて、始めるとするかの」

「なぜこんな場所から……」

「言ったじゃろう、“転移(テレポート)”は影から影へ移動する闇属性魔術じゃ。ほれ、全員日陰に入りなさい」

「地味な旅立ちだねぇ」


 カイが呟いた横で、アスールが苦笑する。まったくだ、ジョルジュやアーヴィンに見送られて、派手に出発することになると思っていた。それがこのような倉庫の裏手からだなんて。

 無言で、チェリンがイリーネの手を握ってきた。“転移(テレポート)”は初の経験なので、勝手が分からない。まさかとは思うが別々の場所へ落ちたりしないように、チェリンはイリーネを掴んでくれたのだろう。もしくは、ちょっとの恐怖か。

 イリーネも、さりげなく横にいるカイの服の裾を握った。あっさりバレて、面白がったカイが、さらに横にいるアスールの肩に手を置く。戸惑ったアスールには、逆側から問答無用でクレイザがしがみついた。「何やってるんだよお前ら」、とニキータが言いながら、右腕をクレイザの、左腕をリィンの肩に回した。案の定、ツィオに「何をやっとるんじゃ」と突っ込まれる。


「仲良きことは美しき哉……では、行くぞ」


 その言葉とともに、ツィオの魔術が発動する。その瞬間、がくんとイリーネの膝が折れた。はっとして足元を見れば、ただの建物の影だったはずのそれが、黒い沼のように変化している。ぬかるんだ大地のように、足が嵌まって動けない。咄嗟にカイがイリーネの腕を強く引き上げてくれたが、カイも、チェリンも、全員が沼に足を取られて、身動きができないようだった。

 ツィオを信頼していないわけではない。ただ、あまりに不気味なこの術に、知らず悪寒が奔る。これが、闇魔術。【獅子帝フロンツェ】が使った、怨念や憎悪などの負の感情を操る“邪気(イル)”ではなく、影そのものを操る“暗影(シャドウ)”だ。


 影が意志あるもののように動き、イリーネらを包み込む。視界が完全に闇に覆いつくされた。

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