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氷撃のカイ・フィリード  作者: 狼花
8章 【嵐の前夜】
201/202

◇歪んだ言葉(10)

「俺は行くよ」


 最初にそう宣言したのは、カイだった。迷いのない言葉に、カーシェルはその厳しい表情を和らげた。


「即答か。勢いだけで言っているわけではないようだな」

「もう決めてたからね。中途半端はしない、【獅子帝】をどうにかしないと気が済まないんだ」


 次に名乗りを上げたのは、イリーネとしては意外な人物だ。


「僕も、行きたいです」

「クレイザ殿」

「ステルファット連邦には何度か行ったことがあります。ヘルカイヤとも民間レベルで友好を築いていた国でしたから、その繋がりが役に立つこともあるかもしれません。それにほら、武骨な男ばかりが揃って踏み込んでいったら、怖いじゃないですか。交渉役として使うには、僕は適任でしょう?」


 微笑みつつも、弁の立つクレイザはカーシェルの反論を封じ込んでいく。そもそも反論するつもりもなかったらしいカーシェルは苦笑いだ。


「確かに適任ですね。ニキータ殿は?」

「愚問だな。こんな面白そうなことを逃す気はねぇぜ」

「……そうですか。貴方がたの助力が得られるのはとてもありがたい。よろしくお願いします」


 こんな風に、クレイザとニキータがなんのわだかまりもなく接してくれることが、カーシェルにとっては何よりも嬉しいに違いない。顔を合わせて言葉を交わせること自体が奇跡のようなものなのに、当たり前のように協力してくれるのだから。本当に心の器の大きなふたりだ。出会ったときには記憶を失っていて、イリーネはその奇跡を認識するのが遅くなってしまったけれど。


 食い気味に立候補したカイとクレイザのおかげでタイミングを逃していたアスールが、ひとつ空咳をして口を開いた。


「勿論、私も行くぞ」

「アスール。今のお前はまだサレイユの第一王子だ。軍事を一挙に担う立場でもある。その身がステルファットの内紛に干渉するという重大さは分かっているか」

「分かっているとも。だが、行かねばならぬ。ことが『ステルファットの内紛』で済んでいるうちに、大陸規模の騒乱になるのを防ぐのだ。……私は個人としてこの戦いに参加する。サレイユとは何ら関わりのないことで、万一のことがあったとしても私の責任だ」


 それに、とアスールは笑みを浮かべる。


「この剣が古の竜族にどこまで通じるか、試してみるのも一興というもの」

「……お前という男は」

「ははは。羨ましいだろう、カーシェル。成果は報告するから、楽しみにしていてくれたまえよ」


 あえて軽い調子でそう言っているが、彼の笑みがやや強張っていることを横から見ていたイリーネは見逃さなかった。剣士として、強者と戦うことに喜びを見出すのは、常ならばカーシェルのほうだ。アスールにとって剣術は自衛の手段。自分の身を守るために最も信頼のおけるもの。そのために研ぎ澄ましただけのものであって、それ以上の価値をアスールは剣術に見出してはいない。根っから慎重なアスールのこと、情報が何もない竜族に挑むなど、恐ろしくてたまらないのだろうに。


 アスールが行くと言えば、チェリンも当然のように同行を申し出る。以前ならばそのような選択をチェリンに強いることに、アスールは罪悪感を抱いていただろう。だが今回、アスールはさっぱりとしていた。チェリンが決して強いられて決断しているわけではないということを、正しく理解しているのだろう。相棒と呼ぶにふさわしい信頼関係だった。


「悪いが、俺は行かない」


 流れをぶった切ってそう宣言したのはファビオである。なんとも彼らしい豪胆さだが、さすがにそれだけでは言葉が足りないと思ったのか、ややあって付け加える。


「勘違いするなよ、怖気づいているわけではない。……俺は里に戻り、このことを長に報告しに行く。さすがの長も動いてくださるだろう、いや俺が説得する。カイがしくじったときに備えておかねばならんからな」

「ちょっと、なんで俺がしくじる前提なの。失礼な」

「ふん、常に最悪の事態に備えておくのが一流の戦士というものだ」

「そんな言葉、猪突猛進ファビオから聞きたくなかったなぁ。……任せたからね」

「ああ」


 言葉短く、ふたりのやり取りは終了する。いつの間にこんなに仲良くなったのだろうかと、初めて出会った時の印象が強烈なイリーネは首を傾げるばかりだ。


「……一度ステルファットに入ってしまうと、出ることは難しいんだな?」


 そうツィオに問いかけたのは、黙考していたアーヴィンである。古の竜族を前にして気圧されずにいることは流石だった。ツィオは少年に対して頷いてみせる。


「難しかろうな。わしも、そう何度も転移(テレポート)してはやれぬ。おぬしらの場合、空へ飛び立った途端に撃ち落とされてしまうじゃろうて」


 何も言わなくても――あるいは、ヘルカイヤでの作戦を見ていたからか――ツィオは、アーヴィンとエルケがどのような役目を背負ってきたかを把握していた。すなわち、斥候と伝令。ステルファットに潜入するカイたちと、大陸で待つカーシェルたち、ふたつを繋ぐ役割を担おうとしてくれているのだろう。だが、並みの化身族より腕が立つとはいっても、カイやニキータほどではない。そのことも、痛いほどにアーヴィンとエルケは知っている。

 眉をしかめて考えていたアーヴィンだが、やがて決意したように顔を上げた。


「なら、僕もここに残る。これまで通り、獣軍への協力を続けます」

「助かるが、良いのか。ハーヴェル公の傍を離れても」


 カヅキの言葉にアーヴィンは頷く。


「同行したところで僕にできることはなさそうだ。伝令の役は果たせないけれど、離れていてもクレイザ様たちの『気』は読める。こちらに残って、クレイザ様たちの無事をカーシェル王子に伝えることはできます。そうしたら、王子も安心でしょう?」


 何が起こるか分からない場所に潜入するカイたちのことを、生きているか死んでいるかだけでも逐一知ることができるのは、残る側としては大いに安心なことだろう。それを理解しているアーヴィンは、いつも自分の能力を最大限生かす方法を探してくれている。


「それで良いよな、エルケ」

「はい。主の御心のままに」


 確認するように声をかけられたエルケは、微笑んで深々と頭を下げる。


 これで、ステルファット連邦に向かうか否かの意思を示していないのは、イリーネだけになった。本当は決まりきっている、みんなと一緒にいたい。最後まで見届けたいとか、怪我の多い仲間たちの治療をしたいとか、理由はいくらでも出てくる。しかし、同じくらい同行してはいけない理由も出てきてしまう。自衛手段すらまともに持っていないから、神姫だから、情勢が不安定なこの時期に国を離れてはいけないから、王女が他国に干渉してはいけないから、何かあればカーシェルの責任になるから。それらすべてをアスールのように「自分の勝手だ」と言い切れるほどには、イリーネは強くなかった。

 自分の好きなようにと、カーシェルは言ってくれた。イリーネが同行を望めば、きっとみなそれを受け入れてくれる。けれど、それでいいのか? アーヴィンは自分のやるべきことをしっかり考えて、残留を決めた。幸いにも、契約主のイリーネが離れたとしても、カイの足を引っ張ることはない。ステルファットに潜入することと、国に残ること。どちらで、より多くイリーネは力になれるだろうか?


「……私は」

「イリーネちゃんは、わしらから離れぬ方が良いかもしれんのぅ」


 少し時間がほしい、考えるから。そう言おうとした矢先に放たれたツィオの言葉に、イリーネだけではなくこの場にいる全員が目を丸くした。


「フロンツェはな、自分の不老不死の原因を作ったエラディーナを憎んでおる。そしてイリーネちゃんはその血族にして、エラディーナと同じ神属性魔術を扱い、彼女によく似ている。正直なところ、イリーネちゃんがフロンツェの一番の標的になり得るぞい」

「で、では……私は国に残った方が良いのでは?」

「フロンツェにとって物理的な距離などあってないようなものじゃよ。であれば、カイやニキータといった強者の傍にいた方がまだ対処ができる。カーシェル王子も強者には違いないが、四六時中イリーネちゃんの護衛につけるわけでもなかろ?」


 イリーネの傍には常にヒトがいるが、それは教会の女神官や教会兵ら僅かな人数だけだ。カーシェルがイリーネの護衛につくなど、それこそあり得ない。ならば最初からカイの目の届くところにいたほうが安全というのは、うなずける話だ。


「どうしたい、イリーネ。お前の意思を尊重する」


 カーシェルがそう問うてくる。やはり、この義兄はイリーネを止めようとはしなかった。ことがことだけに、もはや世界に本当の意味で安全な場所などない。国に残ることが絶対安全だというならば、カーシェルはイリーネを引き留めたのかもしれないが。まだあまり実感が沸かない『竜族の復活』の脅威を、カーシェルは静かに、だが正しく把握して、イリーネの自由を許してくれる。それはイリーネ本人と、同行するカイやアスールへの信頼に他ならない。


「……カイたちと一緒に、ステルファットへ行きます。少しでもお役に立ちたいです」

「なに言ってるの、あんたが後ろにいてくれるから、何かと怪我の多い誰かさんたちが好きに戦えるんじゃない。一緒に来てくれなきゃ嫌よ」


 からっとした様子でそう言ってくれたのはチェリンだ。何かと怪我の多いカイとアスールが、やや複雑そうに顔を見合わせている。自覚があるのは結構なことだ。つい気が緩んで、イリーネは微笑む。


「ふふ。あんまり治癒術に頼っていると、自然治癒力がなくなっちゃいますよ?」

「それは分かっているんだけどねぇ、これがなかなか。というわけで、この先もよろしくね、イリーネ」

「怪我しないように努力するとかはないんですか、もう」



 ツィオの力を借りてステルファット連邦へ潜入するのは、イリーネ、カイ、アスール、チェリン、クレイザ、ニキータ。こうして並べてみれば、いつもと同じ面々である。他の者たちは各々の国に残り、万が一の事態に備えていつでも動けるようにする。連絡を取り合うことはできない。頼りになるのはアーヴィンとエルケの『気』を読む力と、サレイユの沿岸からかろうじて肉眼で捉えることのできる監視網だけだ。


「少数とはいえ、リーゼロッテからステルファットへ転移(テレポート)するのはちと厳しい。すまんが、もう少し近づきたいのじゃが。そのほうが術の精度も上がるでの」

「精度って何よ」

「あまりにも距離があると、とんでもない場所に到着しかねないということじゃ。フロンツェの目の前とかな?」


 チェリンの胡散臭げな問いに、からからとツィオが笑う。「それはそれで手っ取り早いが」とニキータが肩をすくめたのが見えた。手っ取り早いかもしれないが、正気ではない。


「ならばサレイユまで移動しよう。王都グレイアースの西に、連邦に最も近い街がある」


 アスールがそう提案すれば、ツィオも頷く。王都の西ならば、国に戻っているダグラスとジョルジュにも事態を説明することができる。連邦に最も近い大陸の国、サレイユの援助は必須だった。

 それはいいけど、と前置きしたのはカイだ。彼はツィオに目を向ける。


「サレイユまでって馬を使っても相当かかるよねぇ? ツィオ、どうにかできないの?」

「どうにかとは?」

「サレイユまで一度転移(テレポート)するとか、竜に化身して俺らを乗っけてくれるとか」

「おぬしら、さっきからわしのことを便利な足だとしか思っておらんようじゃのう……? 闇魔術は総じて消費魔力が多いゆえに、フロンツェでさえそう何度も乱発できん。まして化身などもってのほかじゃ、フロンツェの前にわしがハンターに狩られかねないじゃろうが」


 まあ、おとなしく狩られてやるつもりはないがのぅ、とツィオは上機嫌だ。カイはあてが外れたような表情で頭をかく。だが、カイでなくとも思うものだ。リーゼロッテからケクラコクマを通過して、サレイユの最西部へ向かう。どれだけの日数がかかることか。


「それは問題ないだろう。頼りになる鳥族が、この国には大勢いるじゃねぇか」


 そう不敵に笑ったのはニキータである。次いで、何かに思い当たったらしいクレイザが「ああ」と頷く。カイが首を傾げた。


「俺たち一人ひとり、乗っけてもらうってこと?」

「そんな面倒なことするかよ。籠を使うんだ。大籠にお前ら全員入れて、鳥族が数人がかりで吊り上げて飛ぶのさ。楽だろ?」


 それを聞いて苦い表情をしたのはカヅキだ。その表所に、ニキータはますます笑みを深くする。


「……ヘルカイヤ軍の十八番、人間の兵士を大量に輸送する『大籠』、だな。鳥族が上空から奇襲をしかけてくるのはともかく、馬か徒歩で突撃してくるはずの人間まで、空から来るのだからな。しかも時には、人間ではなく火薬の類を積んできた。あれは恐怖だったな」

「はっはっは。ハーヴェル公は敵の意表を突く作戦がお好みでな。てっきり、獣軍も取り入れてくるかと思っていたが」

「試みはしたが、失敗した。まず籠を吊り上げて水平を保つのが難解だったし、その状態で早く飛ぶことなど、一朝一夕では不可能だった」


 人間と化身族が一体となって戦う、ヘルカイヤらしい戦法だった。特に鳥族が強力だったこともあって、空中戦は常にヘルカイヤに分があったという。どうやら、ニキータがその作戦の考案者であるらしい。


「ヘルカイヤでの作戦に協力してくれた奴らは、今もここに留まってくれている。あいつらに任せれば問題はねぇよ」

「それは助かるが」

「これができれば物資の輸送も簡単にできるし、役に立つこともあるだろ。時間があれば俺が仕込んでやってもいいし。……あいつらに仕事を与えてやってくれ。自分たちにできることはないかって、必死だからな」

「僕からもお願いします」


 クレイザもそう言葉を添えると、カヅキは苦笑を浮かべた。


「頼むのはこちらのほうだ。それが可能ならば大きな時短になる。イリーネ姫たちさえ良ければ、ぜひ手を貸して差し上げてほしい」


 そういった後でちゃっかり獣軍に『大籠』の伝授を頼むあたり、カヅキも抜け目がなかった。いまいち『大籠』とやらが想像できないイリーネは、それを使用することの可否を問われても頷くことしかできない。なんとなく察しがついているらしいカイなどから反対の声が出ないのだから、大丈夫だろう。サレイユまでの移動の問題は解決できそうだ。


「鎖国してからのステルファットの内情は、さすがのわしも知らん。政府と狩人協会の現状も、フロンツェの所在も、連邦に入ってから探ることになる。わしが便宜を図れるところはもちろん図るが、都市が機能しているかも怪しいのでな。準備は大陸にいる間に、怠りなく済ますとよいぞ」


 都市が機能しているかも怪しいという言葉に、ステルファットの内戦の深刻さが見え隠れする。本来は政府の援助があって成り立つはずの民衆の生活が、政府によって破壊されている――内戦と無関係の一般人にとって、過酷な生活のはずだ。


 『大籠』とやらの準備が必要だからと、クレイザとニキータとカヅキは早々に獣軍のもとへ向かった。この先の詳細を聞くのはイリーネらに任せてくれるらしい。

 部屋を出る寸前で、ぴたりと足を止めたのはカヅキだ。くるりと振り返って、彼はイリーネに声をかけてくる。


「イリーネ姫」

「はい?」

「ひとり、推薦したい獣兵がいる。許していただけるなら、姫の道行きに同行させてやってほしいのだが」


 曰く、イリーネが危地に赴くのに獣兵のひとりもついていないのでは面子が立たない、今後の獣軍を引っ張って行ってもらいたい期待の若手だから大きな経験をさせてやりたい、とのことだった。カヅキが推薦して、次の獣軍の指導者と目されているほどの人物ならば、イリーネに文句はない。むしろありがたい限りだった。


「話はこれからつけに行くが、快く引き受けてくれるだろう。姫や、カイにとっても知らぬ男ではない。安心してほしい」


 では、と軽く会釈して、カヅキは今度こそ部屋を出ていった。自分とカイに共通の獣兵の知り合いがいただろうかと首をひねったのだが、カイは「ああ、あの子ねぇ」と何やら納得した様子であった。


「良い上司だねぇ、カヅキは。そりゃ獣兵たちがしがみついて離さないわけだよ」

「……はい、そうですね。あんなヒトは、他にいません」


 化身能力を失ったカヅキを、いまだ獣軍将の地位にとどめているのは大勢の部下たちだ。彼らが否と言うから、後任に指名した者が拒絶したから、カヅキは辞めることができないでいた。本来、あり得ないことだ。戦う力を大幅に失った者を、化身族たちが上に頂いたままにするなど。

 それでもカヅキが今もその地位にあるのは、獣兵が彼を将と認めているから。実力だけではなく、その人柄を、才覚を認めているから、将と呼ばれるのだ。元は荒れくれ者で、ハンターに狩られて集められた部隊だったころとは違う。獣軍がひとつの部隊としてまとまりを見せているのは、間違いなくカヅキの功績だった。もう彼らは、替えの利く恐ろしい傭兵集団などではなかった。信頼に値する歴戦の戦士の部隊だった。


 願わくば、少しでも長くカヅキに現役でいてほしい。彼がいつか戦線を退いたとしても、彼の意思を継ぐ人物が獣軍を引き継いでくれればいい。そうすればきっと、人間と化身族の距離はもっと近くなる。

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