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氷撃のカイ・フィリード  作者: 狼花
1章 【北の果て フローレンツ】
19/202

◇生きるため(7)

 トラバスからの帰りも、化身したカイにイリーネがまたがる形となった。前日の疲れを感じさせないカイの力強い疾走には感動すらする。自分の体重を気にしていたイリーネだが、それを伝えたところ『君は紙みたいなもんだよ』という返答がカイから返ってきたためにがっくりした。軽いということをいささか大袈裟に強調してくれたのは嬉しいのだが、紙のほかに表現できるものはなかったのだろうか。


 通常人が歩く街道から外れているとはいえ、完全に人の目につかないという訳ではない。むしろ荒野を疾駆する獣の姿は、遠目からでも目立つであろう。そして『白銀の獣』といえばフローレンツでは【氷撃のカイ・フィリード】を真っ先に思い浮かべるらしい。

 そういう理由でカイは見つかってしまった。誰かといえば――。



「見つけたぞッ、【氷撃】!」



 空中から降りかかってきた声は何日か前に聞いたものだ。日の光が突如遮られたのでイリーネが頭上を見上げると、そこには巨大な鳥影。トライブ・【ホーク()】のエルケと――賑やかな契約主、アーヴィンだ。


「カイ、あれは……って、きゃあっ!?」


 カイはアーヴィンとエルケのコンビに気付くやいなや、格段にスピードを上げたのである。是が非でも突破するつもりらしいが、さすがに上空にいる鷹からは逃げられない。あっさり前方に回り込まれてしまい、カイも止まらざるを得なかった。


「ふっふっふ、逃げようとしても無駄だぞ!」


 エルケの背中からアーヴィンが降りてくる。相変わらず小柄な男の子だ。


 化身を解いたカイはエルケを見上げた。その視線は、カイが先日奥義“氷結(フリージング)”によって作り出した氷礫で撃ち抜いた翼に注がれていた。傷らしきものはひとつもない。


「やあ、数日ぶりだけど翼治ったんだね?」

「エルケは治癒能力が高いからな、おかげさまで――って、翼を撃ち抜いた本人が何を言う!?」

「面白いなぁ、君。名前なんだっけ?」

「アーヴィンだッ! これで五度目だぞッ!」


 五度目でも名前を覚えてもらっていなかったアーヴィンは憤慨したように足を踏み鳴らした。


「そうじゃないッ、お前なんで化身を解いた!? 僕とデュエルをする気はあるのか!」

「ないよ」

「おいぃ!?」


 どうしてこう、アーヴィンを相手にするとカイは一気に脱力してしまうのか。いや、むしろこのほうが自然体なのかもしれないが。一見すれば兄に駄々をこねる弟のようにしか見えず、イリーネも場を弁えずに微笑んでしまう。


「大体、どうして君は俺に付きまとうの?」

「お前を倒せば、フローレンツ最強の座を手に入れることができるからだ!」

「最強の座? それに何の価値があるの? そもそも『強さ』って何? 腕っぷしが強いことが何の役に立つって言うの? そうじゃないでしょ、本当の強さは目に見えるものじゃないんだよ」

「な、なに……?」


 どこか芝居がかっているカイの言葉に、アーヴィンが鼻白む。カイは構わず先を続けた。


「世界のあちこちで貧困に喘ぐ人たちがいる。フローレンツにはそういう人ばかりでしょ? 君が最強云々と言っている間に、いまもどこかで罪のない命が謂れのない理由で死んでいるんだ。君は何をすべきなの。君の相棒の翼に病人を乗せ、病院に届ける。食料を積んで、不便な土地の住民に届ける。翼のない俺にできないことが、君たちにはできるんだ。どうしてそれをしようとしないの。そっちのほうが余程格好良くて、心の強い人しかできないことだと思うよ」

「……」


 アーヴィンはすっかり黙って考え込んでいる。カイの言葉を真に受けたのか――いや、完全に受けている。根は真面目そうな少年だ。

 こんなときばかり饒舌なカイには、イリーネも呆れるばかりである。


「そうか……僕が人々のために動けば、それだけの人が救われるんだな」

「うんうん。全くその通り」


 見事に口車に乗せたカイであったが、真面目なアーヴィンは引っかかっても鷹のエルケは引っかからなかったらしい。つんつんと嘴でアーヴィンの肩をつつく。そこでアーヴィンは一気に夢から醒めたような顔をした。赤面した表情でカイに指を突きつける。


「……って、だ、騙されないぞ。そうやって上手く煙に巻くつもりだったな!?」

「ちっ」

「舌打ちするなッ!」


 アーヴィンの叫びと同時にエルケが宙に飛び立つ。そして勢いよく翼をはためかせた。今回は一発目から奥義の“豪嵐(テンペスト)”を使用してくるらしい。


 立っていられないほどの突風の直撃を受けたイリーネの身体がふわりと浮いた。そのまま後方に飛ばされそうになったとき、その身体を抱き留めてくれたのはカイである。風の勢いで遠方まで飛び退ったカイは安全な場所にイリーネをおろし、さっと豹に化身する。


 一撃目は威嚇の突風だったが、二撃目以降は刃物より鋭い凶悪な鎌鼬(かまいたち)となってカイを襲う。水平に飛んでくる目に見えない刃――“迅刃(カッター)”――をカイは本能だけで躱し、イリーネを襲いそうなものは得意の“氷結(フリージング)”で霧散させる。明らかにアーヴィンとエルケは数日前の敗北から戦法を変えてきていたが、カイもすぐさまそれを把握していた。


 弾丸より速いカイの氷の礫――“凍てつきし礫(フローズン・ショット)”。おそらくこれが、カイの二つ名である【氷撃】を【氷撃】たらしめる代名詞であろう。凍結した小石や砂はカイの意のままに飛び、恐るべき貫通力を誇る。エルケの“豪嵐(テンペスト)”による突風でも阻むのは難しい。


 周囲に浮かべたその氷の礫を、カイは豪速で飛ばす。人間ならば立っていられないほどの向かい風もものともせず、再びその礫はエルケの翼を撃ち抜いた。辛うじて二つ目の礫を避けたエルケであるが、アーヴィンは歯噛みをしている。


「また、駄目か……っ」


 カイの勝利が確実なものになった、それは誰の目にも明らかになってきたその時――。


「よぉ、よくやってんじゃねぇか」


 その場にいた四人が一斉に声の方向を振り向いた。勿論、声の主はカイでもイリーネでもアーヴィンでもエルケでもなかった。新たな五人目がそこにいたのだ。


 猟銃を肩に担いだ屈強な男。にやにやと薄ら笑いを浮かべる顔には悪寒すら感じる。カイもエルケも互いへの攻撃をやめ、男に向けて威嚇をする。カイは身を低くして唸り、エルケは滞空している。

 喋れない獣姿のふたりに代わって口を開いたのは、臆することのないアーヴィンである。


「僕たちはいまデュエルの真っ最中なんだ、邪魔をしないでくれ!」

「威勢が良いねぇ、少年。なぁに、手こずってるようだから手伝ってやろうと思ってなぁ」


 そう言って男はカイに猟銃の銃口を突きつけた。カイが今すぐにでも飛び掛かれるようにさらに身を低くする。

 気付けばカイたち四人を取り囲むように、複数のハンターが銃を構えているではないか。一体いつの間にここまで接近したのか――?

 アーヴィンも身構える。一応の体術は会得しているのか、なかなか様になっているようだ。そうして彼は叫んだ。


「何の真似だ! デュエルは一対一が原則、他人は手出しできない決まりだろう!」

「破ったからって何の罰もねぇんだ、いいじゃないか。賞金九八〇〇万ギルの【氷撃のカイ・フィリード】、二六〇万ギルの【大鷹(おおたか)エルケ】が揃ってるんだ。狩らない手はないだろうよ」

「だからって……!」


 イリーネはその様子を固唾を呑んで見守っていた。詳しいことは分からなくとも、決闘(デュエル)の最中にイレギュラーでかつ卑怯な第三者が現れたことは分かる。

 賞金二六〇万ギル、二級手配者【大鷹エルケ】。魔術を使えることが賞金首になる最低条件だというのなら、無論のことエルケもそうだった。比較の対象がカイなのが残念だが、三桁の賞金額も相当のものであると思う。


 ハンターたちはカイとエルケを狙っていたようだが、いつからだろうか。もしかしたらアーヴィンを追跡してたどり着いたのかもしれない。だとしたらこの男はハンターなわけだが、契約している化身族は? 姿が見えないが、どこにいるのだろう――。


 そう思った瞬間、足元の草が僅かに揺れた。はっとして視線を地面に落とすと、草の間を縫って何か細いものがうねっている。それを凝視して、理解した後には凝視したことを後悔した。


「きゃあッ」


 蛇が、イリーネの足に絡みつこうとしていた。


 カイがぴくっと耳を動かした瞬間、男が発砲した。乾いた音が響くと同時に倒れたのは、――イリーネだった。

 咄嗟にイリーネに向けて駆けだそうとしたカイだったが、それより先にエルケがイリーネのもとへ飛翔していた。巨大な翼でイリーネを守りつつ、地面を這っていた蛇を嘴でつまみ上げたのだ。


「このっ、卑怯者……! 【氷撃】、やれ!」


 アーヴィンが叫ぶ。カイの心情としては『君に指示されたくない』というところであったであろうが、無言でカイはそれを実行した。男へ飛び掛かり、一撃で仕留める。躊躇っている暇はない、喉笛を食いちぎったのである。残りのハンターと化身族も、瞬きをする間にすべて打ち倒す。通常はセーブしている能力をすべて発揮すると、カイは凄まじい虐殺者と化すのである。


 それと同時に、エルケがつまんでいた蛇も化身が解けた。化身族、トライブ・【スネーク()】だったようだ。蛇だった青年は情けない悲鳴をあげながら逃げ去っていくが、エルケも追いはしなかった。


 銃弾はイリーネの腕をかすり、反動で地面に倒れただけであった。カイが駆けつけながら化身を解き、身体を起こしたイリーネを支える。


「大丈夫、イリーネ……!?」


 珍しくカイの焦った声に、イリーネは顔をあげる。銃弾がかすったイリーネの右腕にはうっすら血が滲んでいて、カイは布を取り出して止血をはじめる。イリーネの目から見てもたいした傷ではないのだが、カイはひどく過保護だ。


「平気です……ごめんなさい、油断しちゃって」

「違うよ、俺の不注意だ。……ほんとに俺は、不便な頭をしてる……」


 化身族は戦いが始まるとおいそれとは止まれない。

 並外れた能力を持つカイも例外ではなく、むしろより顕著。エルケとの戦いにのめり込んだあまり、接近してくる多数のハンターに気付かなかったのだ。

 けれどそれは――傍観者の立場にいたイリーネの責任。

 アーヴィンは戦況に応じてエルケに指示を出したり、サポートしたりしているというのに。イリーネはすべてカイに任せきりで、見ていることしかできない。


 このままでは、きっと駄目だ――。


 その時、急にイリーネの眼前に小さな布袋が揺れた。顔をあげると、傍に来ていたアーヴィンが無言で袋を差し出してきていたのだ。彼は憮然とした表情で呟く。


「……血止めの軟膏。良ければ、使って」

「いいんですか……?」

「ひとりの女性に、大の男が寄ってたかって銃を向ける。奴らの卑怯なやり口にむかついただけだ」


 アーヴィンは自信なさげに、軟膏入りの袋を持つ手を下げた。


「お節介だったら……ごめん」

「そ、そんなことないです! アーヴィンもエルケも、助けてくれてありがとうございました。薬、頂きますね」


 イリーネは袋を受け取って微笑んだ。それを見たアーヴィンがみるみるうちに頬を紅潮させていく。かあっと赤面したアーヴィンはぱっと手を離し、そそくさとエルケの背に飛び乗った。


「じゃ、じゃあ僕はもう行く! お前たちも、早く離れたほうがいいぞ! 【氷撃】、次は逃がさないからな!」


 舞い上がったエルケの背からアーヴィンはそう告げ、飛び去っていった。見送ったイリーネの肩をぽんとカイが叩く。


「……少し場所を変えよう」


 カイがそう言ってくれた理由は分かっている。イリーネでも分かるほど強烈な血煙の匂いと――僅かに見える、死人の姿。それを避けるためだ。

 カイに腕を引かれてしばらく歩き、行きに休憩したような大木の下に座る。カイは水袋に残っていた水をすべてイリーネの腕にかけて洗い、綺麗に血を拭きとっていった。それからアーヴィンがくれた軟膏を塗りこんでいく。カイの指が傷に触れた瞬間に奔る鋭い痛みに、イリーネは眉をしかめた。


「っ……」

「滲みる?」

「ちょっとだけ……」

「すぐ終えるから、我慢」

「はいっ……」


 薬を塗り終えた後は、カイが持っていた清潔なハンカチを包帯代わりにした。一通りの手当てが終わると、イリーネの正面にしゃがんでいたカイはそのまま正座した。何が始まるんだと身構えたとき、カイは軽くイリーネに頭を下げてきたではないか。


「約束守れなかった。ごめん」

「約束……?」

「約束その二。『君が嫌がることをしない』」


 確かにその約束はあったが、嫌がることをしたらイリーネが止める、という約束ではなかっただろうか。カイ仕様なのか。


「思わず頭に血が上っちゃった。嫌なもの見せたね」

「そんなことないです……だって、守ってくれたじゃないですか」

「でも怪我をさせた」

「怪我ひとつなく旅ができるなんて、そんなこと思ってなかったです。最初から、それなりの覚悟はありました……」


 危険と隣り合わせの旅。きっと大変なことがあるだろうとイリーネは覚悟していた。だがこんな掠り傷はカウントに入らないと思う。

 けれどもカイは違うらしい。


「……怪我ひとつなく、旅させてあげたかったんだ」

「え……」

「でも、そっか……そんなこと、無理なんだよね」


 独り言のように呟いたカイは、ふうっと溜息をついた。


「この世界は案外、敵だらけなのかもしれないね」

「……銃って」

「ん?」

「ハンターの人が持っている銃って、どこで手に入るんですか?」


 イリーネのその言葉で、意図を察したのだろう。カイは目を見開き、次いで大きく首を振った。


「駄目だ。君に銃なんて持たせられない」

「でも……そうでもしないと、私は何も出来なくて……! せめて自衛手段くらい持っていないと……」


 いつかカイが、イリーネを庇って大怪我をするような気がして。


 カイは少し黙ったが、やがて息を吐き出すように言葉を絞り出した。


「……あのね。治癒術っていうのは(しん)属性の魔術の一種なんだ」

「はい……?」


 突拍子もない話にイリーネは唖然とする。


「魔術にもいろいろ属性があるって話。俺は見ての通り氷属性、さっきの鷹さんは風属性。それでイリーネは、神属性」


 それは極めて稀なことで、カイもあまり詳しくないのだとか。


「神属性の魔術は本来攻撃的なものじゃないんだけど、少し習えば使えるようになると思う。牽制とか威嚇とかそんな程度だけど、それでも防衛はできる」

「本当ですか!? ぜひ教えてください、カイ」


 期待を込めてそう告げたのだが、カイは肩をすくめた。


「ごめん、俺、神属性は本当に詳しくなくて。……でもね」


 イリーネの肩を掴んだカイは、真正面から彼女と瞳を合わせる。茫洋とした紫色の瞳は、真剣そのものだった。


「君は一度それを会得しているはずだ。だから、思い出せばきっと上手くいく」

「私が会得している……?」

「……多分ね。練習相手くらいにはなれるから、ちょっとずつやっていこう。ただし、俺以外のヒトにそれを見せたら駄目だよ」


 カイはそれをきつく言い聞かせて立ち上がった。イリーネもつられて立ち上がる。


「さ、ペルシエへ帰ろう。今度はちゃんと安全運転で行きますよ」


 重苦しい雰囲気を一蹴するように言ったカイは、もういつものカイだった。イリーネは頷き、化身したカイに乗る。白銀の豹はゆるやかに加速して、荒野を突っ切り始めた。

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