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氷撃のカイ・フィリード  作者: 狼花
1章 【北の果て フローレンツ】
17/202

◇生きるため(5)

 翌日も非常に恵まれた天候となり、北部のこの街でも比較的暑さを感じるような朝だった。どうやら夏本番はこれからのようで、出歩くだけで暑い季節がやってくるのだろう。


 今日は初めての仕事だ。アネッサが初心者向けの簡単なものを用意してくれているだろう。少しの期待と不安を抱えながら食事をしたのだが、やはりカイは『働く』ということに消極的である。


「俺暑いの嫌いだから、体力節約の方向でよろしく」

「体力節約ってなんですかもう」

「一回だけ真夏の南国に行ったことがあるんだけど、あれは暑くて死にそうだったよ」


 カイは北部に住む雪豹だ。暑さに弱いというのはなんとなく分かるが、『死にそう』になるほど暑いのか。いや、そんなわけがない。


 例の通り協会職員が運んできてくれた朝食は、カイ仕様に肉っ気がゼロであった。パンにスクランブルエッグ、サラダと果物。なんて健康的なのだろう。カイの食事の風景といえば、サラダをフォークでつついているか、サラダパスタをちゅるちゅる啜っているかのどちらかだ。


「南国……リーゼロッテ神国と、ケクラコクマ王国でしたっけ」


 呟くと、カイは軽く目を見張った。


「よく知ってたね。……ああ、昨日会ったって言う変な人が教えてくれたんだっけ?」

「へ、変な人って……」


 まあ、変な人ではあったけれども。


「神国って、どういう意味ですか?」


 西方の島国ステルファット連邦を除けば、今まで聞いてきたのはすべて「王国」であった。王がいて、王が政治をしている国家だ。だがリーゼロッテ神国は少し違うのだろうか。

 それを聞くと、カイは渋い顔をした。話すのを躊躇っているようだったが、やがてトマトにフォークを刺しながら説明してくれた。


「本当の意味は『神が開いて守護する国』って意味だけど、まあリーゼロッテの場合はあんまり関係ないね。建前みたいなものだし」

「建前……?」

「女神エラディーナって分かる? 大聖堂に行ったなら、名前は見たと思うんだけど」


 イリーネは頷いた。

 人間族と化身族を創造した、創世の女神エラディーナ。


「リーゼロッテは、その女神が最初に降臨した大地だ……と言われている。真偽はともかく、その威を借って『神国』を名乗ってる。女神を祀る大聖堂の本体はリーゼロッテにあるし、連邦が推進する協会の運営に多額の資金援助をしているのも神国だ。協会運営をしている連邦を除けば、まず間違いなく大陸の覇権は神国にある」


 つまり狩人協会は、リーゼロッテ神国の資金援助あってこそのものということか。だが――それはどこか腑に落ちない。


「女神エラディーナは、人間と化身族の平等を願う人なんでしょう? その女神を祀る国が、どうして化身族の狩りを援助するんです……?」

「言ったでしょ。だから『建前』なんだ」


 カイの口調は非常に乾いていた。


「リーゼロッテの南東に、ヘルカイヤ公国って小さな国があったんだけどね。何十年か前に神国はそこと戦争をして、神国領に併合してしまった」

「どうして……?」

「『女神の名のもとに、化身族を迫害するヘルカイヤを断罪する』……という建前。鉱山資源だか海域拡大だか知らないけど、狙いが女神とはまったく別の場所にあったのは確実だよ。本当に化身族の命を軽んじているのは、神国のほうだ。戦争に使ったり奴隷にしたり――」


 ――以前にカイは、『他人の命など興味はない』というようなことを言っていた。けれどもそれは強がりか、もしくは本音ではなかったのかもしれない。不当な扱いを受ける化身族について、憤慨するような物言い。冷めたカイらしくない言葉だ。

 もしかして、カイはその様を間近で見たことがあるのでは――?


「……酷い国ですね」


 呟くと、カイは顔を上げた。


「ごめん、悪く言っちゃって」

「え?」

「ああ、いや……朝から重い話題でごめん」


 喋りながらも食事の手は休めなかったカイは、早々に朝食を食べ終えていた。それを見てイリーネも、やや焦って食事を再開する。

 冷や水を口に含みながら、カイは首を捻った。


「……それにしても、青い髪と青い目の変な人か……」

「いや、変な人だったのはそうですけど」


 今度は思い切り口に出してしまった。はっと思って口をつぐむと、ふっとカイが笑みをこぼした。



 ――無表情の絶世の美男子が、微笑んだ?

 それは確かに笑みだった。紫色の目元を和ませ、口角を少し上げて、確かに『笑った』という息遣いが感じられる。


 ほんの一瞬の笑みだったけれども、カイは初めてイリーネに笑みを見せてくれたのだ。



「……君がそんなに言うなんて、よっぽど変な人だったんだね。妙なことされなくて良かったよ」


 不意打ちで見せられた笑顔はとても綺麗で、しかもとんでもなく優しくて。思わずイリーネは赤面してしまった。


(いきなりは……ずるいなぁ)


 理不尽なことを思いつつ、イリーネは黙々と朝食を口に運ぶことに専念したのだった。





★☆





 一階受付ロビーに降りると、今日もまたロビーは賑わっていた。カウンターにはアネッサが立っていたので彼女の下へ行くと、アネッサはにっこりと微笑んだ。


「おはようございます! 体調は万全ですか?」

「うん、おかげさまで」


 イリーネは頷いたが、『体調は万全か』という問いかけには内心で首をひねる。なぜあからさまにそんなことを言うのか。


「それでは、ハンターデビューですね! 今回用意させてもらったのは『納品』の依頼です」


 アネッサはカウンターの後ろにあった棚から一枚の紙を取り出し、イリーネに差し出す。依頼人の名前、依頼内容、期日などが書かれた書類だった。


「『納品』は依頼の中でも基本中の基本です。依頼人に依頼された物資を集め、ここへ持って来てください。そのあとの手続きはこちらで行いますので」

「はい」


 イリーネは傍に佇んでいるカイの腕を引いて隣に立たせた。最近は対人交渉をイリーネに任せきりの彼は、話すら聞いていないことがある。

 カイは無言で上から順番に書類の内容に目を通していく。


「集めて頂きたいのは『フルーレの薬草』を三十本。詳しい絵を書類に乗せていますが、この時期は群生しているのですぐ分かると思います」

「ちょっと待った」


 アネッサの言葉を突如として遮ったのはカイである。イリーネは驚いてカイを見上げる。


「ど、どうしたんです……?」

「フルーレの薬草って、トラバス山にしか生えてない奴だよね?」


 カイの問いかけにアネッサは微笑む。


「さすがに良くご存知ですね。説明は不要でしたか」

「めっちゃくちゃ遠いんだけど」

「近場に目当てのものがあるなら、依頼主さんもわざわざハンターに頼んだりしないですよ?」

「……」

「まあ……どのハンターもトラバス山まで行くのを渋って、なかなか片付かない依頼だったんですよ。ですから、機動力の高そうなおふたりにお願いしようと思って」


 アネッサはイリーネに向きなおり、首を傾けた。


「お願いできますか?」

「う、うん……?」


 困ってカイを見ると、やれやれといった態でカイは肩をすくめた。それは了承のポーズだ。

 アネッサが差し出す書類を受け取る。書類の下にはフルーレの薬草の図、群生地、地図が書かれている。これらは協会が用意してくれたデータだろう。

 それと共に、二千ギルをアネッサからもらった。初回任務ということで支給金だそうだ。金欠になりそうだったのでこれは助かる。


「ありがとうございます! その書類は納品物と一緒に返却をお願いしますね。では、行ってらっしゃーい!」


 明らかにほっとした表情のアネッサが、元気よく送り出す。カイの口ぶりから、さりげなく無理難題を押し付けてきたのはイリーネにも分かっていた。

 人ごみに流されるようにして協会の外へ出る。カイは丸一日ぶりの外出だ。協会前には相変わらずハンターがたむろっているので、その場を離れながらカイが頭を掻いた。


「まったく……あの子、遠慮を知らないよね。ネコ科動物は持久力がないってのを知らないのかな」

「あの……トラバス山って、そんなに遠いんですか?」


 地理をまだ把握していないイリーネが問うと、カイはくるりと背後を振り返った。そして遠くに見える青々とした山を指差した。王都に入ってから、ずっと視界の端に映っていた山だ。


「あれ」

「はぁ……」

「エフラの街に川があったでしょ? あのシャルム川が流れ出ている山が、トラバス山」


 カイは再び歩き出す。腹は括ったのか、山の方向へ向かっていた。


「麓の街トラバスに着くまで、徒歩一日半」

「……え」

「フルーレの薬草の群生地まで、半日の登山。つまり往復で四日」


 イリーネは驚いて、前方に見えるトラバス山をもう一度見上げた。とても近くに見えるのは、単に空気が綺麗だからだろうか。あそこの麓にたどり着くまでにそんなに時間がかかるとは。カイが食って掛かったのも当然かもしれない。


 初回の依頼だから、短時間で済むだろう――というのは甘かったらしい。


 考えてみれば当然だ。アネッサも言っていたが、近場で済むならお金を払ってハンターに依頼を頼んだりしない。ハンターに依頼をするということは、『どうしても必要だけれども自分で行くには遠い、もしくは危険』ということだ。


「……お金を稼ぐって、大変なんですね」

「まったくだよ」


 ふたりはしみじみと呟いた。それでも、引き受けてしまったからには遂行しなければならないのである。カイが仕事に乗り気でなかったのが、なんとなく分かった気がした。





 トラバス山は王都ペルシエのやや南東に位置し、南北にそびえる大きな山である。平地が多いフローレンツでは最高峰の山で、非常に緑豊かな場所だ。自生する植物の種類も豊富で、医者や薬師が薬草の類を採取するためによく訪れる。それ以外にも、比較的整備され緩やかな山であるのでハイキング気分で登れる行楽地でもあった。

 カイとイリーネが向かおうとしているのがまさにそのトラバス山なのだが、目的物であるフルーレの薬草があるというのは山頂付近。ハイキングコースから外れた、深い山の奥だという。ただでさえ王都から距離のある山の、さらに奥の方へ行かなければならないのだ。


 一応の旅装を整え、王都の南方にある城門から外へ出る。馬車も勿論出ているが、乗ったとしても到着まで丸一日かかるのだ。


 今日は朝から気温が高い。昼になっていくにつれて、もっと暑くなっていくだろう。ただ歩いているだけでじんわり汗ばむほどだ。南国に比べれば涼しい夏でも、今日がイリーネにとって最高温度の日であることは間違いない。


「今日は体力温存で行こうと思ってたのになぁ」


 カイはぼやきつつ城門を出て、慣れた景色の街道を進んでいく。しかし幾ばくも進まないうちに、カイは歩みを止めた。


「……トラバス山まで歩くの、気がおかしくなりそうだからさ」

「は、はい」

「俺が化身して、背中にイリーネが乗る。で、俺が走る。どう?」

「えぇっ!?」


 予想してもみなかった提案にイリーネがぎょっとする。


「だ、だって、それだと体力温存できませんよ? それにその、私が乗ったらカイが潰れちゃう……」

「そんなまさか。俺、豹の中じゃ大柄なほうなんだから大丈夫だよ」

「ネコ科動物は持久力ないんでしょう?」

「全速力の場合はね。ゆっくりでも馬より速い自信はある」


 のんびりと歩きはじめたカイの後を、イリーネは慌てて追いかける。カイは頭の後ろで腕を組んだ。


「それなら四日かかるところが二日で済むよ。街道じゃなくて最短距離を突っ切るから、かなり短縮できるんだ」


 イリーネは小さく唸った。ふたりで徒歩の旅を続けるより、そのほうがカイの負担は減るのだろうか。だとしても自分だけ背中に乗って楽をするなど、申し訳なくて仕方がない。けれども無理をさせてしまうのも心苦しい。葛藤だ。

 黙るイリーネに首を傾げたカイは、イリーネの返答を待っている。彼女は意を決した。


「……お、お願いします」

「了解」


 カイはあっさりと頷き、街道を外れて荒野を歩きはじめた。ついていくと、彼は軽い鞄を背に負った。


「不便なことに、獣の姿の時は言葉喋れないからさ。でも意味は理解してるから、なんかあったらすぐ言って。落ちないように、この鞄を手綱代わりに掴まっててね」

「は、はい……」

「休憩は昼一回。それ以外は駆ける。結構飛ばすから、気を付けて」


 それだけ言ってカイは化身した。背負った鞄は化身してもそのままだ。確かに大きな豹ではあるが、彼の背中に乗るというのは――。

 土壇場になってまた逡巡し始めたイリーネだったが、そんな少女の前にカイが乗りやすいように伏せてしまったので、これは覚悟を決めねばならない。カイの背中にまたがり、手綱代わりという鞄を掴む。それを確認してからひょいっとカイは立ち上がった。一気に目線が高くなって足が地面を離れる。そして三歩ほど歩き、十歩ほど徐行して、一気にカイはスピードを上げた。


 イリーネは悲鳴をあげなかった。正確に言えば声など出なかったのだ。周りの景色を楽しむ余裕などなく、振り落されないようにしがみついている他にない。何よりあまりの速さで、風を切る音とカイの軽快な足音しか聞こえないのだ。


(は、速すぎ……!)


 必死で体高を低くしてカイの背中に顔をうずめる。そこでふと、その柔らかい白銀の体毛に気付いた。ふわふわで、ふかふかで、温かい――思わず頬ずりしたくなるくらい綺麗な肌触りだ。

 マメに湯浴みしているわけでもないのに、どうしてこんなに綺麗なのだろう。一瞬そんなことを思ったが、その思考は本当に一瞬のものであった。さらにスピードを上げたカイにしがみつくので精一杯で、考え事などする余裕がなかったのである。


 イリーネを乗せた白銀の豹は、街道を無視して荒野をひたすらに突っ切って行った。

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