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氷撃のカイ・フィリード  作者: 狼花
1章 【北の果て フローレンツ】
16/202

◇生きるため(4)

「やあ、そこの姫君たち。少し相席させてもらってもいいかな?」


 背後からそんな声が聞こえて、イリーネとアネッサは会話を中断した。振り返ると、そこにひとり青年が立っている。黒いロングコートを着た背の高い人で、非常に整った顔立ちをしていた。透き通る空のような色の髪と、同じ色の瞳。短く切りそろえられた髪も、整った顔に浮かぶ笑みも爽やかで、いかにも好青年といった様子だ。

 ただ、その第一声といい、返事を待たず同じテーブルの席についてしまったことといい、少々軽薄なイメージはある。けれどもそこまで嫌な雰囲気はない。


 アネッサがにっこりと微笑む。


「お兄さん、ナンパですか?」

「そんな軽いものではない、もっと崇高なものだよ。何せこのフローレンツという荒野に咲く二輪の美しい花に近づくのは、並大抵の覚悟では成し遂げられないのだからね」


 二輪の美しい花――何を言っているのかと思ったが、どうやらイリーネとアネッサを指しているらしい。


「それにしてもここは夏だというのに肌寒いね。思わずこんなコートを買ってしまったよ」


 ねえ、と同意を求める笑みを向けられて、イリーネも困ったようにお愛想の笑みを向けておく。アネッサが早くも親しげに青年に声をかける。


「旅の方ですか? もしかしてハンター?」

「ハンターではないよ。そうだな……さしづめ『放浪者』といったところか。様々な国を、気ままに旅している」

「なんの旅?」

「それは勿論、美しい女性と巡り合うためさ」


 放浪者は断言した。なるほど、そこまでするのなら確かに『ナンパ』なんて軽いものではないのかもしれない。世の中には変わった人もいるのだとイリーネは妙に納得した。

 テーブルの上で指を組んだ放浪者は、イリーネとアネッサを見比べる。


「姫君たちはハンターなのかな?」

「ハンターは彼女だけです。私は協会の受付嬢ですよ」

「なるほど……」


 放浪者がこちらを向いたので、イリーネとばっちり目が合う。無言でいるのも悪いかと思って何か言おうと思ったのだが、それより先に放浪者が口を開いた。


「旅は……辛くないか?」

「はい。むしろ、楽しいくらいで……」

「それは、姫君のパートナーである化身族と気が合ったからかな?」

「気が合っているかは分からないけれど、信じていますから」

「ならばいいのだが。いやなに、ペアの相性が悪いとハンターとしては致命的であるからな。仲が良いに越したことはない」


 放浪者はすっと手を伸ばし、テーブルの上に出していたイリーネの左手をそっと包み込むように握った。驚いて顔をあげると、放浪者の青空色の瞳には真剣な色があった。軽薄さなど、どこかに消えてしまっている。


「辛ければ、サレイユ王国へ行くと良い」

「え……!?」


 唐突な言葉にイリーネが瞬きをすると、放浪者はにっこりと微笑んだ。


「あそこは豊かな緑と水に恵まれた良い場所だ! 姫君のためならば一等地に別荘を建てようではないか。大陸最大の湖ラーリアの畔など格別な土地だ。そこでいずれ幸せな生活を築くのも悪くはなかろう? 勿論、私とだ!」

「え!?」

「しかしイーヴァン王国の高地というのも捨てがたい。いや、南のリーゼロッテ神国(しんこく)の美しい森林も良いな。ああ、だがケクラコクマ王国は遠慮したいな……私は砂漠の暑さが苦手なのだ」

「や、やっぱりナンパじゃないですか!」


 思わずイリーネがそう言うと、アネッサがふたりの間に割って入った。


「お兄さん、あんまり手を出すと酷い目に遭いますよ。彼女のパートナーさんはとんでもなく強いですから」

「ふふ、だが覚悟ならば私はとっくに固めているぞ。女性に声をかけるには命を懸け、誠心誠意の真心を持つのは至極当然。命を狙われたくらいで手を引いたりはせぬ」

「危ない人になってますよ、お兄さん」


 アネッサもやや呆れた様子で突っ込む。放浪者はにっこりと微笑み、椅子から立ち上がった。


「さて、話に付き合ってくれてありがとう。姫君らに出逢えただけで、私がフローレンツへ入国した価値はあるというものだ」

「それ会う人誰にでも言っているんじゃないんですか?」

「失敬な。私は不誠実な男ではないよ」


 放浪者はイリーネに視線を向ける。


「同じ旅の者だ、どこかでまた会うことがあるかもしれぬ。その時は姫の名をお聞きする。私もまた、名を明かそうではないか」


 ぽかんとしているイリーネをよそに、放浪者は軽く片目をつぶって見せてその場を立ち去った。まるで嵐が去ったかのような感覚を覚え、イリーネはアネッサを見る。アネッサはテーブルに頬杖をついて面白そうに放浪者の後姿を眺めている。


「面白い人でしたねぇ。イリーネさんのことがすっかり気に入ったみたいですね」

「な、なんだったんだろう……」

「まあ大丈夫ですよ、大陸は広いんです。王都でさえ難しいのに大陸のどこかでもう一度遭遇する可能性なんて、皆無に等しいですよ」

「そうだよね……」


 頷きつつも、何か違和感があるような気がする。

 女性好きを気取っているような、そんな不自然さだ。


「午後からの予定なんですけど、どうします? もう少し商店街見て回るとか、他にも色々――」


 アネッサの声で我に返る。ちらりと背後を振り返ってみても、もうあの放浪者の姿はない。

 当たり前だと内心で嘆息しつつ、イリーネは現実に立ち戻って行った。





★☆





 日が暮れはじめる前に、ふたりは協会へと戻った。自室に荷物を置いてくるというアネッサと別れ、イリーネはひとり二階へと上がる。階段を上がって左の廊下を進んだ先が、カイとイリーネの部屋だ。

 一応ノックをする。返事がないのでゆっくり扉を開けた。室内は非常に静かだ。まだ寝ているのだろうか。


 入り口傍にある洗面室の横を通過して、ベッドルームへと。二つのベッドの上にカイの姿はなかった。首を傾げた瞬間、視界の端で何かが動いた。はっとしてそちらを見ると――絨毯の敷かれた床の上に、白い物体が丸まっているではないか。


「ひゃあっ」


 あまりのことに驚いて声をあげてしまう。白い物体――いや、豹の姿に化身したカイはおもむろに顔を上げ、金色の瞳でこちらを見てきた。もぞもぞと身体を起こして『おすわり』のポーズをカイがとったところで、イリーネの悲鳴を聞きつけてアネッサが駆け込んできた。


「イリーネさんどうしたんですか!? ……って、わぁお」


 昨日無声音だったアネッサの『わぁお』は、今回は声になった。目を丸くしているアネッサの目の前で、カイは人の姿へと戻った。床に胡坐をかいて座っているカイは、ずっと寝ていたためか癖のついた銀髪を掻き回しながらこちらを見上げてくる。


「いきなり悲鳴あげないでよ」

「だ、だって……! カイが豹の姿だったから、吃驚して」

「豹の時が一番リラックスできるからさ。おかげでよく寝たよ」


 大きく腕を天井に突き上げて伸びをしたカイは、まだ眠そうな目をこちらに向けてくる。


「楽しかった?」

「はい、それはもう。あっ、そうだ、カイにお土産があるんです。アネッサお勧めのお菓子屋さんのマフィンなんです。……あの、そういえば甘いもの好きでしたか?」

「うん」

「なら良かった、あとで食べましょう」

「いま食べたいな」


 カイは立ち上がってベッドに腰を下ろした。


「ぶっ続けで寝ていたから、お腹空いた」

「……はい!」


 その答えに嬉しそうにイリーネは答え、袋からマフィンの箱詰めを取り出してテーブルに置いた。カイが興味津々にそれを覗き込む。


「とりあえず無難にハチミツ味とココア味を三個ずつ買ってきました」

「じゃ、ハチミツ」

「はいどうぞ。あ、お茶入れますか?」


 仲睦まじい様子にアネッサはにまにましつつ、テーブルの上に一枚のカードを置いた。早速マフィンに齧りついているカイと、お茶のポッドを手に持ったイリーネがそれに視線を落とした。


「登録手続きが完了しました。これがハンターの証明証になります。正式にハンターの仲間入りですよ」


 イリーネとカイの名前――カイの名は便宜上カイルであるが――が書かれたカード。そこにペルシエ支部の所属であること、ハンター登録日などが記入されている。


「このカードは世界のどこでも使える重要な身分証明証になりますから、なくさないでくださいね」


 カードをひっくり返して裏面を見たカイだったが、そこには赤い紋章が描かれているだけだった。今はもう珍しい『弓矢』の紋章だ。この協会の壁にも同じマークがあったから、これは狩人協会のエムブレムなのだろう。


「これ持ってると、何ができるの?」

「まず、各地の協会支部でハンターとしてのお仕事ができます。加えて、協会傘下の商店――たとえば宿屋、食事処などで代金の割引サービスなどが受けられますよ。さらに、国境越えには政府自治体の発行した旅券が必要ですが、ハンターの場合その一枚でパスできます」

「へえ、便利だね」


 しげしげとカードを眺めながらも、カイはマフィンを食す口を休めない。フローレンツ一の賞金をかけられた化身族の、そのあまりの呑気さにアネッサも拍子抜けしたらしい。おもむろにアネッサが尋ねる。


「……マフィン、美味しいですか?」

「うん」

「なら私もお勧めした甲斐があったというものです」


 即答したカイに苦笑しつつ、アネッサはイリーネに向きなおった。


「では仕事についてご説明しますね。タイプは二種類ありまして、協会に寄せられた人々の困りごとを解決する『依頼』と、賞金のかけられた手配者を追う『追跡』です。当然追跡のほうが危険が大きいのですが、その分報奨金も法外な額になります。追跡対象を発見したら、人間の場合は身柄確保を、化身族の場合はデュエルによっての勝利をもって任務完了となります」


 その説明を聞いて、イリーネが目を見張った。


「賞金首は化身族だけではないの?」

「大罪を犯した人間族の犯罪者を国家が指名手配した場合、その捕縛の協力要請が出されます。まあ、警察のお手伝いですね」


 そうだったのか。てっきり協会は、化身族を狩るのを目的としているのだとばかり思っていた。



 依頼も追跡も流れは同じだ。

 受注し、任務をこなし、完了を報告する。

 どこの協会にも任務内容の書かれた掲示板があり、それを見て遂行できそうな任務をこなしていくのである。


 依頼の内容は多岐に渡る。配達、物資納入、時に野獣の討伐など。内容によっては達成期限が決まっていたり、逆に無期限だったりする。こまごまとした簡単な依頼をこなして、まずはハンターとしての経験を積むのが新人の通る道だ。

 追跡はその内容からして非常に危険である。追いかけるのは、大罪人と強力な化身族。余程腕に自信がなければ、これを専門に仕事をするのは難しいだろう。

 ちなみに追跡任務は、どこにいるともしれないヒトを探し出す任務であるために、協会での受注は不要ということになっている。見つけ次第、即遂行せよということだ。



「任務の達成報告は、その依頼を受注した支部でしか受け付けられません。仕事を終えたら戻ってきてくださいね。追跡任務の達成報告はどこの支部でも受け付けていますが、なるべく大きな都市の支部に行った方が報酬は手っ取り早く受け取れます」


 それらの説明を一気に終えたアネッサは、自分の分までコーヒーを淹れてくれたイリーネに『いただきます』と頭を下げて、それに口をつけた。


「……とまあ、仕事については以上です。これからは実際に任務をこなしていって頂きます。ところで参考までにですけど、追跡任務を行うつもりはありますか?」


 余程気に入ったのか、二つ目であるココア味のマフィンを箱から取り出したカイは、ちらりとイリーネに視線を向けた。すべて委ねるという目だ。

 イリーネは頷き、アネッサに向きなおる。


「追跡任務は、しないつもり」


 するとアネッサは微笑んだ。


「なんとなくそんな気はしてました。……イリーネさんとカイルさんなら超一流の追跡ハンターになれそうなんですけど」


 カイに横目で視線を送ると、彼は黙々とマフィンを食べている。そんなに空腹だったのか。


「分かりました。では簡単な依頼を見繕っておきますから、明日の朝私に声をかけてください。早速ひとつ依頼をこなしてみましょう」

「うん、ありがとう」

「ってな感じで、長ったるい説明は終わりです!」


 アネッサはコーヒーを一気に飲み干して立ち上がった。イリーネもつられて立ち上がってしまう。


「あ、そうです。新人ハンターさんにはサポートの協会職員がつくんですが、イリーネさんたちのサポートは私が務めさせていただきますね!」

「ほんと? アネッサがいると心強いよ」

「はい! 誠心誠意お手伝いします。カイルさんも、よろしくお願いしますね」


 カイは頷いて『よろひく』と答えた。くぐもって聞き取りにくいのは、口の中にまだマフィンが残っているからである。


「長居しちゃってすみません。今日あちこち回っちゃって疲れたでしょう?」


 部屋を出るアネッサを玄関口まで見送ると、アネッサは申し訳なさそうにそう謝した。イリーネは笑みを浮かべて「そんなことない」と否定した。


「とっても楽しかった。また機会があったら、一緒にお買い物できたらいいな」

「こちらこそ! まだまだ行っていないお店ありますから、またご案内しますよ!」


 アネッサも嬉しそうに微笑んだが、急に表情が曇った。その急激なテンションの変化にイリーネがきょとんとすると、アネッサは両手でイリーネの手を包み込むように握った。俯いたまま、しばらくその状態で沈黙している彼女を見て、イリーネはやや慌てた。


「ど、どうしたの……?」

「――ごめんなさい、イリーネさん」

「え?」

「……いえ。なんか、謝っておきたい気分だったんです」


 ぱっと手を放したアネッサの笑みは、憂いの色などまったくないいつもの快活なものであった。アネッサはイリーネに頭を下げて、廊下を駆けて行った。





 部屋の中に戻ると、カイはマフィン詰めの箱に蓋を被せていた。これ以上食べないようにという自制だろうか。そう思うとなかなか可愛らしいものである。


「カイ、お夕飯食べられるんですか?」

「大丈夫大丈夫、余裕。俺、小食じゃないからね」


 肉を食べないだけで、他は一定量以上カイは食べる。それはイリーネも知っているが、夕方に大きめのマフィンをふたつもたいらげるとは。


「明日からお仕事かぁ……」


 カイはのんびりと呟いて、ベッドに倒れ込んだ。イリーネがマフィンの箱を片付けながら苦笑する。


「散々寝ていたのに、また寝るんですか?」

「だって、こんなにごろごろしていられるのは今日だけでしょ? もうちょっとだらけていたい……」


 ぷらぷらと足を揺らしてブーツを脱ぎ落とし、カイはもぞもぞとベッドの上で身を丸める。ふう、と大きく息を吐き出したカイを見て、イリーネはぽつりと呟く。


「……猫みたい」

「ネコ科だもんねぇ、俺」

「それはそうでしょうけど」


 カイはちらっとイリーネを見上げる。


「今日はどこ行って来たの? 寝物語に聞かせてよ」

「寝ようとしている人になんて話しませんよ」

「嘘だよ嘘。ちゃんと聞いているから、教えて」


 いやに素直で甘えてくるカイに微笑み、夕食の時間までイリーネはカイに今日一日の思い出をすべて語って聞かせたのだった。

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