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氷撃のカイ・フィリード  作者: 狼花
1章 【北の果て フローレンツ】
15/202

◇生きるため(3)

 翌朝、朝食を持って来てくれた別の受付嬢から「アネッサはロビーで待っている」との伝言を受け取った。朝食を終えたイリーネは出かける支度を整えたが、街に着ていく洒落た服などない。結局いつもの旅装を整えたところで、椅子に座って水を飲んでいるカイを振り返った。


「カイは今日何してるんですか?」

「んー……寝てる、かな」


 そう答えながらも、カイは今にも寝てしまいそうなほどだ。イリーネと出会って数日間、殆ど寝ていないはずだ。無理をさせてしまっただろう。


 イリーネは契約具である紫色の耳飾りをつける。これが本当にカイの牙でつくられた装飾品だなどとは思えない。それだけ凝った造りで、綺麗だ。

 カイの手作りなんだろうか。いや、そうだと言っていたではないか。つまり相当、手先が器用。見かけによらないものだ。


「イリーネ、忘れ物」

「え? ……わっ」


 振り返った瞬間眼前に迫ってきたものがあり、慌てて受け止める。小さな巾着袋――ずっとカイが持っていた財布だ。まだ中には数枚の貨幣が入っている。


「出かけるのに無一文じゃ駄目でしょ」

「そ、そうでした……」

「ま、残り少ないお金だ。好きに使っていいよ」

「有難う御座います! それじゃあ、行ってきますね」

「うん、気を付けて」


 カイに見送られてイリーネは部屋を出た。ぱたんと扉を閉じて廊下に立つと、右にも左にも知らない人がいる。こちらに視線を向けている人はいなかったが、その瞬間ぞくりとイリーネの背筋に寒気のようなものがはしった。

 隣にカイがいない状態で歩くのは初めてだ。そのことが急に不安で仕方なくなる。振り返って部屋の扉を見つめ――今ならこれを開けた先にカイがいてくれるんだということを考えたが、すぐに首を振った。カイに依存しては駄目。ひとりで出歩くくらい、できるようにならなければ。

 それに今日は、ひとりではない。


 一階ロビーは朝からハンターで賑わっていた。こうして見ると、屈強なハンターだけでなく同い年くらいの少年少女のハンターもいるようだ。

 入り口付近にあるソファにアネッサが座っていた。彼女はイリーネを見つけるとぱっと立ち上がり、笑顔で手を振ってきた。昨日は制服だったアネッサは、非番ということで可愛らしいシャツにスカートを身につけている。


「おはようございます! 良い観光日和ですね」

「はい。今日はよろしくお願いします」


 丁寧に頭を下げたイリーネに、慌ててアネッサが首を振った。


「そ、そんなにかしこまらないでください! 私も今日は受付嬢ではなく、アネッサ個人としてここにいますから。敬語なんていりませんよ!」

「え、でも」

「多分私の方が年下ですし! 遠慮しないでください」


 アネッサは微笑んでイリーネの手を取った。


「さ、行きましょう! 王都は広いですからね、なるべく効率的に色んなところをご案内しますよ!」

「……うん!」


 元気のいいアネッサに連れられて、イリーネは協会の外へ出た。





 アネッサが最初に連れて行ってくれたのは商業区を抜けた先にある貴族街――正確に言うとそこは貴族街の少し手前、『遺構保護区』という場所であった。ここに来てから何度も聞かされたとおり、フローレンツ王国は古い歴史を持つ国家。王都ペルシエは、街そのものが遺跡と呼んでいいだけの価値を持つ。そんなペルシエの中にある『古き良き街並みと戦渦の爪痕』を後世に遺そうという試みから、この保護区が作られたそうだ。


「まあ、本当のところ私もそこまで遺跡好きってわけじゃないんですけどね。でもここにすっごい綺麗な大聖堂があるんで、それは是非見てもらいたいんです!」


 保護区へ至る緩やかな坂を上りながら、アネッサがきらきらとした目でそう言った。イリーネは首を傾げる。


「大聖堂?」

「創世神話に登場する女神エラディーナを祀っているんです。大聖堂は世界各地にありますけど、ペルシエのものは『世界三大聖堂』とかって言って、とても有名なんですよ」


 おそらくそれは、この世界に生きる者の当然の知識なのだろう。イリーネも以前は知っていたはずだが、記憶を失ってから『女神』という言葉は初めて聞いた。けれどもそのことを知られては色々まずいだろう――と思ったので、イリーネはそれ以上詳しくは聞かなかった。


「千年くらい前からある聖堂なんですけど、国の人が大事に守ってきたそうですよ。二百年前にあった大戦争のときにも、街中が火の海になった中で唯一焼け落ちなかった『奇跡の聖堂』と言われてます」


 最後にあった戦争は二百年も前なのか――とイリーネは内心で思う。それまではたびたび紛争が起きていたというが、それを最後に戦争は終結して平和な世になったと聞いている。

 人々は平和に飽き、退屈を嫌って『ケモノ狩り』とやらを始めたのだろうか――。


「実は今でも実際に使われている聖堂で、運が良ければ王族の方々と遭遇できるかもしれないんですよ!」

「今日は会えるかな」

「えへへ、可能性はありますよ」


 にこにこと笑って頷いたアネッサだったが、彼女は急に「あっ」と声をあげた。


「どうしたの?」

「思い出したんですけど、今はフローレンツ王宮に各国の王さまたちが会議でみんな集まってるんです。だから聖堂には来られませんね」

「そうだったの。でも、もしかしたら色んな国の首脳の人たちを一度に見られるかもしれないね」

「それ相当幸運ですね! よぅし、ちょっと王宮を覗きに行っちゃおうかな」


 勿論、王宮にはそうそう入ることはできないのであるが。


 坂を上りきった先、目の前にそびえる石造りの建物。それを認識したとき、頂上部にあるらしい鐘が重々しく鳴った。


「これが大聖堂ですよっ」


 アネッサがきゃっきゃと笑ってイリーネの手を引いていく。なんだか、可愛らしい妹のようだ。

 聖堂の出入りは自由で、大勢の人が聖堂の周囲に集まっていた。家族連れや恋人、老夫婦など、老若男女を問わず人気の場所のようだ。


 イリーネもアネッサと共に聖堂の大きな門をくぐり、建物内に入った。そして一歩踏み込んだ瞬間、イリーネは歓声をあげた。


「わぁ……!」


 高い天井と、靴音が響くほど磨かれた大理石の床。聖堂の奥に安置された大きな女神の石像と、その女神像を照らすように作られた窓。そこにはステンドグラスがはめ込まれ、色鮮やかな光をもたらしている。これが千年以上前の建物であるなど、信じられない。

 人は大勢いるのに、なぜか静寂を感じる。荘厳で神秘的な雰囲気が、この空間を満たしていた。


「綺麗……」


 女神像の前まで歩み寄って、石像を見上げてみる。とても精巧なつくりで、優しく微笑んで目を閉じ、胸の前で指を組んでいる姿だ。一体何を祈っているのだろう――。

 視線を下げると、像の台座部分に何か書かれていた。屈んでそれを見ると、女神エラディーナについての説明文だった。


 女神エラディーナはすべてのヒトを生み出した存在で――人間族、化身族ふたつの種族の繁栄を祈る姿が像になったのだそうだ。

 確かに母と呼べるだけの慈愛をもつ姿だとは思うが――どこかイリーネには引っかかる。


 きっと平等の存在として生み出したはずなのに。どこで何が狂って、化身族は人間の顔色を窺いながら生きるようになってしまったのか。


 見ればアネッサは女神像に何か祈っている。お祈りすると願いが叶うのだろうか――そんなことを思っているとアネッサがぱっとこちらを振り返った。


「あれ、お祈りはしませんか?」

「お祈り……?」

「女神様はいつでも私たちの傍にいて、見守ってくれているんです。だからお祈りをすると、力を貸してくださるんだって教えられているんですよ。お願い事をしたら、聞いてくれるかもしれません」


 イリーネはもう一度女神像を見上げた。

 祈るだけならただだよ――カイがいたら、きっとそんな風に言うだろう。イリーネは指を組み、女神像の前で目を閉じた。


(……とはいっても、何を祈ろう)


 記憶を取り戻すことか。無事この先も生きていられることか。カイが狙われないで済む生き方か。


(カイ……)


 カイと、一緒にいたいのか。……少し違う。


(カイと一緒に、旅していたい。なるべく、長く……)


 自分が記憶を失っていることをそれほど重要視していないことに、イリーネは気付いていた。いま何を望んでいるのか。どうして、出会って数日のカイと旅しているのか。

 答えは一つ。カイと一緒に旅をしているのが、心地よくて楽しいからだ。飄々として、やる気がなくて、いつも眠そうで。頼りがいがなさそうに見えて、とても頼りになる。そんなカイが傍にいるだけで安心したし、気付けば彼がいないと眠れないようにすらなっていることには愕然としたものだ。


 旅も苦ではない。むしろ心待ちにしていたような気分。


 だから、叶うことなら旅を続けていたい。カイと一緒が良い。その途中で記憶が見つかれば、それが良い――。


「なにお祈りしました?」

「……ふふ、旅が楽しければいいなって」

「素敵ですね! やっぱり旅は楽しくないと」


 アネッサはにっこり微笑んで、一度聖堂の天井を仰いだ。それからイリーネを振り返る。


「ええっと……ぶっちゃけ聖堂って、これだけなんです」


 ですよね、という気分だ。確かに入った瞬間感動したし、綺麗だと声をあげたけれど一回り見てしまうとそれで終了。アネッサもそれは同じ気分なのかもしれない。

 ふたりは聖堂を出て、来たのとは違う坂道を下り始めた。この先が商店街、観光客と王都の住民が入り混じる、王都最大級の往来だという。


「イリーネさん、何か買い物あります?」

「ううん、特には」


 気付けばアネッサは、イリーネのことを『様』ではなく『さん』と呼んでいた。


「それじゃあ、ちょっとだけ私の買い物に付き合ってくれませんか?」

「何を見るの?」

「お洋服です!」


 可愛い服がいっぱいあるお店なんですよ、と言いながら元気よく歩くアネッサに笑みを向けたイリーネは、ふと不思議な思いに駆られて振り返った。坂の上に先程の大聖堂の尖った屋根と、さらにその奥に巨大な王宮が見える。

 その瞬間、後頭部にずきりと痛みが走る。これは――馬車に乗ったときと、同じような。


「どうしたんです?」


 アネッサが足を止めて振り返った。イリーネは首を振った。


「……王都に来るのは初めてだと思っていたんだけど、なんだかここからの景色は見覚えがあるような気がして」

「小さいころにでもいらしたんでしょうか」

「そうかも」

「でも記憶に残りますよね、この景色は。私も最初見たときは吃驚しました。他国の人に色々馬鹿にされる後進国だけど、近代化した他国には絶対にない誇れる風景だなって」


 イリーネはまたアネッサと肩を並べて歩きながら首を傾げた。


「アネッサは王都出身じゃないの?」

「はい、私はもっと東の……お隣イーヴァン王国との国境であるトウルって街の生まれです」

「イーヴァン王国……どんなところ?」

「とにかく山ばっかりのところです! フローレンツとの国境にも大陸最高峰ニム大山脈がはしってますし、国内にもいくつも山脈があります。旅にはきついところとされていますよ」


 平地の続くフローレンツからは想像もできない土地だ。山脈の続く険しい国……そこに住む人たちは、どんな生活をしているのだろう。


「けど、そんなところからわざわざ王都で協会に?」

「私、弟妹が大勢いるんです。だから出稼ぎにきまして。こう言っては何ですが、受付嬢でも協会からのお給金は弾んでますから」


 アネッサはにっこりと微笑んだ。


「でも、やりがいはありますよ! 色んな国の色んな人と出会えるのは楽しいですし」


 はきはきと快活な彼女には、受付嬢というのはぴったりの仕事だっただろう。彼女のような人間がいてくれると思うと、ハンターとしての生活にも安心して取り組めそうだ。


「あっ、この店です! イリーネさん、どんな服が好きですか? この色なんて似合いそうですよ」

「え、アネッサの服を見るって話じゃなかった?」

「だってどれもこれも可愛いから、イリーネさんに似合いそうで! 穏やかな色もいいですけど、ここは黒でびしっと決めるってのもありですね。宿でお待ちのカイルさんを唸らせるような服見つけましょうよ!」

「どうしてそんなに気合入ってるの……?」


 イリーネは苦笑しつつ店内に入っていく。女性服専門店で、フローレンツらしいロングスカートやらニットやらがたくさん売っている。


 ご丁寧にカイルと呼んでくれたけれども、おそらくカイはどんな服を着ていようと気にしないんだろうな――とイリーネは頭の片隅で確信していた。


「あ、これなんてどうです?」

「ちょっ、思い切りドレスじゃない……! もう少し動きやすそうな旅装を」





★☆





 それから散々服を見て回っていたが、不思議なことに飽きることはなかった。綺麗で可愛い服を見ると心がときめくし、惹かれてしまう。結局アネッサの勧めで薄手のワンピースを一着購入。アネッサはここぞとばかりに数着を購入していた。

 商店街にはそれ以外にも、雑貨や靴、お菓子などを売る専門店が軒を連ねていた。冷やかすだけで楽しいというやつだ。人も多いけれど、アネッサと一緒に話しながらだとそれも気にならない。カイは無言でもその静けさに安心できたものだが、対極のアネッサのように気さくに話しかけてくれるのも嬉しい。


 商店街を歩き回った二人は食事をとることにした。大通りを抜けた先にちょっとした広場があり、テーブルと椅子が何セットも配置され、座ることができるようになっていた。そこに飲み物や食べ物を売る専門のスタンドがたくさん出ていたのだ。

 まずは飲み物調達としてジューススタンドへ。注文した果物をその場で絞ってくれて、氷も入っているので冷たく、食感も楽しい。イリーネが頼んだのはキリアのジュースだった。「定番ですね!」なんて言いながらアネッサは、数種類の果物のミックスを注文。驚いたことに、アネッサはこの店のメニューを制覇しているのだとか。

 そのあとアネッサが複数のスタンドで食べ物を買ってきた。ヘベティカ地方で有名だと言われた鶏肉に、エフラ地方の魚、芋を切ってからっと揚げたもの、そして生野菜をただ細切りにしただけのスティック。それらを一人前ずつ買って、ふたりで色々なものを分けて食べようというつもりである。


「ひとつの店に入るのもいいですけど、ここならいろんな料理が一度に食べられるんですよ! 庶民の考えですけど」


 確かに屋外で食事をする習慣は、身分ある人間にはないだろう。けれどもイリーネはそんなことを気にしないし、このほうが安く上がる。

 周囲には同じ考えの人が多いのか、たくさんあった席は殆どが埋まっていた。お昼時はいつもこんなだという。


「いやー、歩きましたね! っていうかすいません、あちこち引っ張り回しちゃって。大丈夫ですか?」


 野菜スティックを口に咥えながらアネッサが問いかける。確かに彼女が行きたいところを次から次へと回ったが、数時間ぶっ続けて歩いて旅をしていたイリーネにはたいした負担ではない。


「平気。お買い物って楽しいのね」

「ほんとですよね! やっぱり歳の近い女の人と一緒に行くと楽しさ倍増ですよ」

「普段は誰と行っているの?」

「それがひとりなんですよ。同僚の受付嬢たちと休みが被ることがまずないので、ひとりでぶらぶらと。王都に出てきてまだ日が浅いんで、こっちに友人もいませんし」

「まあ……」

「そうなると服選びとか困るんですよね、相談相手がいなくって」


 串揚げになっている鶏肉を、イリーネは串から抜いていく。アネッサが軽く身を乗り出した。


「で、ちょっと聞きたかったんですけど」

「え?」

「どこでどうやってカイルさんと出会ったんですか? 大問題ですよ、これは」


 食いつくアネッサにイリーネは苦笑した。


「そんなに?」

「そりゃそうですよ! カイルさんは自分に近づく人は必ず殺す……そんな風に言われてきた化身族です。まさか誰かと契約するなんて」


 近づく人は必ず殺す。それはきっと、ハンターしか彼に近寄らなかったということか。

 それはそうだろう……街中にいるカイは、とても化身族には見えないのだから。


「私はあの人に助けてもらって、私も助けた。そういう感じだったかな……」

「助ける?」

「うん。彼がいなければ、私はここまで来られなかったから。食事も寝る場所もお金も全部用意してやりくりしてくれたのは、彼だもの」


 きっとカイには必要ない。

 けれどもイリーネに必要なもの――『金銭』を得るために、カイはハンターにまでなってくれた。正直、契約というのは彼にとってそんなに重いものなのかと驚くばかりだ。

 いや、やめよう。カイはイリーネの傍にいてくれる。そのことについて疑問を持ったり、余計なことを言ったりすれば、彼の思いを否定してしまう。今はただ、傍にいてくれることへの感謝を。


「彼は、みんなが思っているほど怖い人じゃないの」

「イリーネさん……まるで恋しているみたいですね」

「……えっ!?」


 熱弁をふるっていたことに気付いたイリーネははっとして顔をあげる。にこにことアネッサは微笑みつつ、フォークで揚げ鶏を突き刺して口に運んだ。


「カイルさんのほうも、イリーネさんのこと大事に大事にしているみたいですし。化身族と人間族の間の恋ってのも、なかなか素敵じゃないですか」

「ちょっ、アネッサ……!」


 ふたりで笑い合いながら、のんびりと食事をする。

 それはとても穏やかで心温まる時間だった。

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