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氷撃のカイ・フィリード  作者: 狼花
1章 【北の果て フローレンツ】
14/202

◆生きるため(2)

 夕方でもあれだけ賑やかだった王都ペルシエは、夜になっても煩い。


 黙ってベッドに横になっていたカイであったが、彼の鋭敏な耳は遠くの喧騒もとらえる。常人には聞き取れない音であるし、カイとしてもささやかな音であるが、一度気になりだしたらもう眠れない。

 身体を起こすと、隣のベッドに眠るイリーネはこちらに背を向けて丸くなっていた。またいつもの態勢だ。身体が痛くならないのかと不思議ですらある。


 足を床に下ろすと、ひんやりと冷たい木の床材の感触が足裏に伝わる。揃えておいてあったブーツに足を差し込み、静かに立ち上がる。窓辺に立ってカーテンを開けると、見えたのは青白い月と、遠くの方に見える家屋の明かりだ。

 もう深夜もいい時間だというのに、ペルシエには明かりのついている建物が多い。一際背の高いあの建物は、王宮か。これまでカイとイリーネが旅してきたヘベティカ、エフラの街は、夜は死んだように静かだった。さすがに国都となると、夜も機能していないといけないらしい。


 二階にあるこの客室の窓の真下は、協会の敷地であるちょっとした庭になっている。そこを見下ろしたカイは、『おや』と唇だけを動かせた。

 庭に人がいる。夜目のほうがよく利くカイは、それが受付嬢のアネッサであることにすぐ気付いた。


 いい機会だ。彼女には色々と聞きたいことがある。


 そう思って窓辺を離れ、部屋の出口に向けて歩き出そうとする。と、イリーネが顔を上げた。


「あれ、起きてたの」

「カイ……どこ行くんです……?」


 起きていたというより、眠りが浅かったというべきか。どうやら彼女も、ハンター組織の中心部にいては緊張が解けないらしい。野宿のほうがよく眠れるというのもおかしな話であるが。


「ちょっと、散歩」

「え……? こ、こんな夜に危ないですよ……」


 ぱっと身を起こしたイリーネだったが、カイがその肩を支えて横にさせる。


「大丈夫だから、寝てなって。休める時に休むのは旅の基本だよ」

「でも……」

「辺りを歩いてくるだけだよ。建物からは出ないから、心配しないで」


 カイはそれだけ告げて、部屋を出て行った。


 廊下は静まり返っていた。毛の長い絨毯はカイの靴音も吸い込み、彼はほぼ物音をたてずに一階へ降りた。

 あれだけハンターで埋め尽くされていた一階ロビーにも、さすがにこの時間は誰もいない。灯りもひとつだけしかついておらず、非常に薄暗い。カイはすぐ傍にあった掲示板の前に歩み寄った。壁一面にかけられた掲示板に貼られていたのは、フローレンツ王国内で確認されている賞金首だ。

 賞金九八〇〇万ギルの特級手配者、氷撃のカイ・フィリード。その手配書を掲示板の一番上に見つけ、カイは小さく首を振る。


 何をしたわけでもないのに。――いや、何もしなかった訳ではない。ただ向かってきたハンターたちを、防衛精神に基づいて殺しただけ。自分から人間に害を及ぼしたことは一度だってないのに、どうして追われなければならないのか。

 しかしそんな自分が、今度は狩る側に回るというのも皮肉なものだ。


 と、静かだったロビーに突如音が響いた。そちらを振り返ると、玄関の扉が押し開けられていた。ランプの光と共に入ってきたのは、庭にいたアネッサだ。彼女は薄暗い室内にぼんやり佇むカイを見て飛び上がった。当然である、悲鳴をあげなかっただけ肝が据わっている。


「び、吃驚した……え、ええっと、【氷撃】様、どうしたんです?」

「妙な名前で呼ばないでよ」

「す、すいません。ではまあ、便宜上『カイル様』と」

「もうなんでもいいけどさ」


 カイはアネッサに向きなおった。


「君こそ、こんな夜にどうしたの」

「建物を一周見回って休もうと思っていたところですよ」

「ここで暮らしてるの?」

「はい、住み込みなんです」

「夜中は協会って機能してないんだね」

「この国では灯りは貴重ですから。それより何かお困りでしたか?」


 深夜で疲れもたまっているというのに、それらしい雰囲気がアネッサにはない。職務に熱心な人なのだろうとカイでも分かる。


「聞きたいことがあった」

「なんでしょう?」

「どうしてイリーネを街に連れ出そうとしたの。何を企んでる」


 カイは『腹の探り合い』のような器用な真似はできない。だからいつだって直球勝負である。

 アネッサは微笑む。


「あの時言った通りですよ? 明日非番で、一緒に出掛けてくれる知り合いもいないので、観光がてら。ハンターの皆さまのサポートは私たちの仕事ですから」

「ふうん、そう」


 素っ気なく相槌を打ったカイは軽く腰に手を当てた。その紫色の瞳はいつものように穏やかでやる気がなさそうだったが、アネッサを真っ直ぐ射抜いている。

 イリーネが信じた相手は信じると決めたカイであるが、生来彼は疑い深い性格だ。アネッサは明らかに怪しいし、手放しで信用するのは無理もあった。


「あともう一つ聞きたいんだけど」

「はい」

「どうして俺の正体をばらさなかったの。フローレンツ王国は、俺が欲しいんでしょ。君たちは俺を捕まえるハンターだ。ハンターが獲物をみすみす見逃すのは、どうして?」


 アネッサは笑みを消すことはなく、あくまでも営業姿勢でカイに対する。


「あそこで私が【氷撃】の名を叫んだら、大騒ぎになったでしょう。それを避けたかったので。血が上るとハンターたちは、一対一のデュエルの原則など無視して貴方を襲ったでしょうし」

「あの場を凌ぎたかっただけなら、俺の登録に偽名を使うまでしなくて良かったんじゃない?」


 彼女は一介の受付嬢だというのに、親切すぎた。親切な人間は――何か企んでいる。


「……あのー、ご迷惑でしたか?」


 迷惑ではない。むしろ助かった。その善意の裏にどんな考えがあるのか――どうあってもしらを切るつもりらしい。

 カイは溜息をついた。


「まあいいよ。ただ覚えておいて――俺はハンターになるからといってその規律に従う気は毛頭ないし、イリーネに何かするようだったらただじゃおかないから」


 言い終えるとすぐにカイは踵を返した。どうせ街に留まっていなければならないのは同じだからとイリーネの外出を許可はしたが、彼女の身に何かあればカイにはすぐ分かるのだ。契約具を通して伝わってくる彼女の動揺や興奮は、日に日に精度を増している。明日彼女が王都のどこかで悲鳴をあげようものなら、すぐにカイはイリーネの匂いを頼りに駆けつける。

 そんなことが起きぬよう祈りつつ――明日は久々の昼寝を楽しませてもらおう。





 部屋に戻ると、イリーネは起きていた。ベッドの上で膝を抱え、身体に巻いた毛布に顔をうずめた姿勢で。まるで迷子になった女の子みたいだ。カイの姿を見てイリーネはぱっと顔を上げた。


「カイ……!」

「寝ててって言ったじゃない」

「ひとりだと……不安で、横になってられなくて」


 恥ずかしそうにイリーネはぼそぼそと呟いている。カイは自分のベッドに腰を下ろした。

 イリーネがよく眠っていたのは、自分が傍にいるという安心感があったからか――なんて思うのは、きっと自意識過剰というものだ。


「もうどこも行かないから」


 そう言ってやると、イリーネは頷いてベッドに潜り込む。その華奢な背中を眺めたカイはゆっくり目を閉じた。


 ――寂しがり屋なんだな。いや、今に始まったことではない。以前からそうだったではないか。寂しがり屋なのか心配性なのか、イリーネはどちらともとれる性格だ。

 昔だって(・・・・)、少し行方をくらましたカイを心配して泣くほど――。


(……ねえ、ほんとに覚えていないの?)


 言葉にならない問いにイリーネが答えてくれるはずもない。


 カイもまた諦めてベッドに潜った。最近になってやっと夜に眠る癖もついてきた――今日は、二時間くらい眠れるといいのだが。

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