◇生きるため(1)
フローレンツ王国、王都ペルシエ。
大陸最北部を領土とするこの国の歴史は長い。この大陸に国家と言うものが誕生したその時から「フローレンツ王国」は存在し、数多の小国が現れては消える歴史の中で一度として地図からその名を消したことはない。今でこそ文明の遅れた小国というレッテルを貼られているが、一時期には大陸中央部にまで国境線を伸ばした強国であった。保持する軍隊の力も当時は抜きんでており、豊かな資源や自然を求め軍国家フローレンツは南下政策を打ち立てていたのだ。
しかしながらその南下は志半ばにして食い止められ、今では大陸北部の貧しい土地を保有するだけとなっている。
そんな激動の時代を経験しながら、フローレンツの中央部にあるペルシエは建国のその時から王都として栄えてきた。戦渦に巻き込まれることもあれど陥落することはなく、王都は王都として守り抜かれてきたのである。戦時下においては巨大城塞としての機能も備えていた王都の城壁には、今でも剣戟で削られた石垣や、爆破されてへこんだ壁などが残されている。こうして残る戦争の爪痕は、平和な世となった今では歴史愛好家の間で興味深く取り上げられ、それを見るためにペルシエを訪れる観光客も多いという。
「でもさぁ、戦争の爪痕眺めて何が楽しいの?」
「さ、さあ……?」
カイの素朴な疑問に、イリーネは曖昧に答えて微笑んだ。
上質なウォッカに、北の海で育った脂たっぷりの魚の料理。フローレンツの食文化はこのふたつを中心に発展し、王都のあちこちに酒場が開かれている。寒い冬を越すために、人々は集まって酒を飲む習慣があるのだとか。
ペルシエ周辺まで来るとだいぶ気候も穏やかになり、草木も青々としてくる。野性の鳥や昆虫の姿もいくつか見えて、イリーネは少し嬉しい。
王都の城門を入ってすぐのところに案内図があり、ふたりはそこで足を止めた。ここにもまた宿や酒場が密集している地区があるが、その店舗数がエフラの比ではない。カイは首を捻った。
「うわ、いっぱいある……しかもめちゃくちゃ広い街だね、ここ」
「国都ですからね。人もいっぱいいます」
大雑把に王宮、貴族街、商業街、工業街、住宅街などに分けられるが、ひとつひとつの規模がとても大きい。ペルシエのほぼ中央に建つフローレンツ王宮。その周囲を取り囲むように貴族街が展開し、南側に商業街、東西に広く住宅街が広がっている。北の郊外地区には大規模な工業区だ。
今現在カイとイリーネは商業街の入り口にいるが、この地区だけでも一日ではまわりきれない。下手に歩いて時間を浪費する前に、きちんと宿を決めておいた方がよさそうだ。
「宿決めの前に、少しだけ話いい?」
「え?」
急に改まってそう切り出したカイに、イリーネは目を見張る。カイは人混みを避けて案内図の前から離れると、丁度良く空いていたふたりがけの街頭ベンチに腰を下ろした。良く分からないままイリーネも隣に座る。
「そろそろね……お金ないんだ」
「……ですよね」
「うん。で、何か仕事探して働かなきゃいけないわけなんだけど」
ひどく生臭くて深刻な話題に、イリーネも生唾を飲み込む。
「ぶっちゃけ旅行者である俺たちができる仕事って、ひとつしかないんだよね」
「それは?」
「ハンター」
「!?」
イリーネがびくっと身体を硬直させた。
ハンター。ステルファット連邦が運営する『狩人協会』所属の人間。賞金のかけられた化身族を狩り、それを支配下に置くことを目的とした集団。
イリーネにとってハンターは『敵』だった。何もしていないのに、そこにいるだけでカイを襲う。平和な日々をわざわざ乱しにやってくる。そんな存在に、自分もならなければいけないのか。
するとカイが手をひらひらと振った。
「言いたいことは分かるけど、ちょっと落ち着いて。続きがあるから」
「は、はい」
「ハンターの仕事って、実は色々あってね。獣狩りをしているハンターっていうのは、腕に自信があるごく一部の人間だけなんだ。大部分の人は、こつこつ堅実に別の仕事をしている」
「別の仕事?」
「協会には、住人の小さな『依頼』が届く。物資の納入、人探し、配達、まあそんな感じのやつ」
それは朗報だった。もちろん小さなお仕事であるからには、報酬金も大した額ではないだろう。だがそれでもカイに同族殺しをさせるくらいなら――。
などと思っていると、カイが「まあ俺としては賞金稼ぎしてもいいんだけどね、そのほうが稼げるし」なんてことを言っている。確かにカイならば、大抵の賞金首を仕留められそうであるが。
「イリーネは、きっと嫌でしょ? 戦うの」
「……嫌、です」
甘いことを言っているのかもしれない。
誰もが羨む【氷撃】と組んでおきながら、戦いの任務をこなさない。なんて贅沢で、勿体ないと詰られるだろうか。
それでも――。
「分かった。なら、俺は君に従う」
「ありがとう、カイ」
夕暮れ時だからか、人々の足並みは速い。特に城門付近はごった返すというのが常であって、少し歩くだけで他人と肩をぶつけてしまうほどだ。
よく見てみれば、浅黒い肌をした人や、逆に純白の肌をした人が混じっている。さすが王都というだけあって、各国から大勢の人が集まっているのだ。
「前にも言ったけど、ステルファット連邦は協会を推進・支援している。ハンターになるだけで支給金がもらえたり、旅先の宿で割引してもらえたり、なかなかおいしい職業なんだよね」
「支援が徹底しているんですね。それだけハンターの功績があるんでしょうか」
「お金をばらまいて嗾けているだけかもしれないけど」
ふたりはベンチから離れ、人の波に乗って大通りを歩いていく。善は急げで、狩人協会のペルシエ支部へ向かうことになった。ペルシエの協会はフローレンツ全土の支部を統括する場所でもある。それだけ人も多く、依頼も多い。待遇もいいだろう。
もっともカイの目的は、「ハンター登録したときに支給されるお金」だそうだが。
「でさ、もう一個問題があるんだけど」
「なんですか?」
「ここまでなんとか俺が君を引っ張って来れたのは、単純に君より年数生きているからなんだけど。さすがに俺も狩人協会には入ったことないんだよね」
「それは……そうでしょうね」
手配者が協会に寄りつくなど、考えることもできない。
「だからここから先は、俺も未知の世界なわけで」
「はい」
「知っての通り、俺はコミュニケーション能力の欠片もない」
「そんなはずはないと思いますけど……」
「とにかく俺は人見知りで、喋るの面倒なんだ」
「私とは普通に喋ってますよ」
「君は特別」
「そうですか、それはどうもです」
「そういうわけで、登録手続きとか君に任せるよ」
「ちょ、ちょっといきなりハードルが高すぎます……」
カイはうろたえるイリーネの肩に手を置いた。そんな風に触れられたのが初めてなものだからイリーネの心臓は飛び上がったのだが、カイのほうには『励ます』程度の意図しかなかったらしい。
「大丈夫だよ。どう考えても、君の方が社会性がある。それにね、協会は人間族が仕切る組織だよ。化身族はあくまでも人間族のお伴だから、君が喋ってくれる方が都合がいい。ほら、決定」
「そんなに喋りたくないんですね!?」
イリーネもなけなしの勇気をふるって抵抗していたが、そうしている間にもふたりは狩人協会のペルシエ支部前に到着してしまった。どこの街でもそうだったように、協会前は混雑している。屈強なハンターたちの姿を見るだけでイリーネは委縮してしまう。
カイはマントのフードを被って顔を隠した。銀髪はさすがに目立ちすぎるし、フローレンツ最強の化身族として追われているカイの顔は知られている可能性がある。現に、顔を見ただけでカイとばれてしまっていたのだから。
小柄なイリーネが、そのたむろしているハンターたちの間を通り抜けて協会内に入るのは並大抵の気力では不可能だった。だがカイがイリーネの姿を隠すように背後に立ち、すいすいと肩を押して中に入っていく。呆気ないほどだったが、意外と誰も気に留めないものである。
協会内は非常に広く、清潔感のあるホールだった。中央奥にはカウンターがあり、職員と思われる人間が四人ほど待機している。視線を向かって左側へ送ると、そこは壁一面が掲示板となっていた。その掲示板の前に大勢のハンターが立っている。右側にも同じような掲示板があったが、そちらには人が少ないようだ。
「右側の掲示板は賞金首の手配書だよ。左側がお仕事ものの依頼が掲示してある」
視力の良いカイには、遠目にも掲示板の内容が読めたらしい。やはりカイが言っていた通り、賞金稼ぎをしようとするハンターは少ないようだ。
あれよあれよという間に、手の空いていたカウンターの職員の前まで押し出される。そこにいたのはイリーネと同年代らしき少女だ。綺麗な茶色の髪をふたつに結び、肩から下へ垂らしている。制服なのかきっちりした服を着込んでいたが、快活そうなやや吊り眼の瞳が可愛らしい。
「こんにちは! 今日はどういったご用件で?」
「あ、ええと……その、ハンターになりたいんです」
なんとかそれだけ伝えると、受付嬢の彼女はにっこりと微笑んだ。
「ハンター登録ですね。ハンターになるには人間族と化身族のペアであることが最低条件ですが、そちらが契約された化身族の方ですか?」
「はい」
「ではこちらの用紙に記入をお願いします」
はきはきとした口調で、手際よく彼女は仕事を進めていく。ペンと一緒に差し出された紙には人間族、化身族ふたつの欄があり、それぞれに名前や年齢、出身国を書くことになっていた。
ペンを持ったイリーネは色々困ってしまった。そもそも記憶のないイリーネは、この名が本名なのか分からない。それにカイの名を書いても、色々困るのではないだろうか。年齢や出身国も当然不明だ。
「いいよ、適当に書いちゃいなよ」
カイが後ろから無責任なことを言う。イリーネは溜息をつきつつ、ペンを走らせた。
「私、何歳に見えますか?」
「十八くらい?」
「じゃ、貴方は幾つなんですか」
「ええっと……忘れちゃったな。確か五十くらい」
「……え?」
「化身族は寿命が長いから。俺は若者のほうだよ」
とんでもないことを聞いたが、そのことは後回しにしておこう。
「出身はフローレンツでいいですよね」
「うん」
記入欄をすべて埋めて受付嬢へ返すと、それを確認しながら彼女は頷く。
「承りま……」
不自然に途切れた後、受付嬢は愕然とした顔でこちらを見る。正確には、フードで顔を隠しているカイだ。
ああ、やっぱりカイの名前はまずかったのだろうか。
受付嬢はバンとカウンターに手をつき、こちらに身を乗り出してきた。隣のカウンターとは仕切りがあるが、それでもなお受付嬢は声を潜めた。
「し、失礼ながら、特級手配者【氷撃のカイ・フィリード】様でいらっしゃいますか!?」
「そ、そうです……」
わぁお、と受付嬢の口が動くが声は出ない。イリーネも少し屈み腰になって、彼女に囁く。
「あのっ、まずかったでしょうか?」
「【氷撃】様はフローレンツで最も有名な手配者でいらっしゃいますから……何かの拍子でばれたときに、大騒ぎになるかと」
張本人のカイは、物珍しそうに協会内に視線を巡らせている。
「……よし、こうしましょう」
受付嬢はペンを手に取ると、『カイ』と書かれた登録名のところに一文字つけたした。
登録名『カイル』。
「これなら多少の目くらましはできます!」
「い、いいんですか!?」
「いいのです! 便宜上の登録名なので偽名オッケーです!」
平気で大胆なことをやってのけた受付嬢は姿勢を正し、書類を手に取った。
「えー、ではイリーネ様、カイル様で承ります。正式登録まで一日ほどお時間頂きますが、本日の宿泊先はお決まりでしょうか?」
「いえ、まだ」
「でしたら、この協会の二階部分が宿泊施設となっております。どうぞお使いくださいませ。のちほどお夕食をお持ちしますね」
本当にハンターの待遇というのは恵まれていた。あまりのことに呆気にとられていたイリーネは我に返ると、受付嬢に礼を言ってカイと共にカウンター脇にある二階への階段を上って行った。
協会内の宿泊施設は、街中にある一般的な宿となんら変わらず、むしろもっと至れり尽くせりだった。宿泊料は無料、食事代も無料、入浴も自由にできて、設備も整っている。ハンターという肩書だけでここまでしてもらっていいのだろうか。
「すごいね、ハンターっていうのは」
部屋に入ってベッドに腰を下ろしたカイがぽつりと呟く。イリーネも頷く。
「にしても丸一日待たなきゃいけないのか……暇だね」
「だったら、街の見物でもどうですか?」
ここぞとばかりにイリーネは提案する。今まではペルシエへ行くことを目的に旅をしてきたから、街の見物など一切してこなかった。だが、これから数日ここに留まるなら、あちこち見て回ってもいいだろう。
そう思ったのだが、カイは頭を掻いた。
「……出かけるの?」
「えっと、嫌ですか?」
「……うーん」
何か迷っているカイは、そのまま沈黙する。首を傾げたイリーネだったが、そこではたと気づいた。
豹は夜行性だ。昼にこそ眠る種族。明日は一日せっかく一所に留まってゆっくりできるというのに、貴重な睡眠時間を王都見物で使ってしまうのはきついのだろう。
だがだからと言って、イリーネもひとりで出歩く度胸はない。けれども部屋にいれば、休んでいるカイの邪魔にならないだろうか。
カイと一緒になって葛藤を始めたとき、扉がノックされた。イリーネが小走りで扉を開けに行くと、廊下に先程の受付嬢が立っていた。
「失礼します。お夕食の希望を受け取りに参りましたが、何か御座いますか?」
「あ、あの、お仕事はカウンターだけじゃなかったんですね」
ついついそんなことを尋ねると、彼女はにっこり笑った。
「受付業務は先程終了して、夜間は宿泊施設の業務になります」
「大変なんですね……」
彼女が持って来ていたメニューを見ながら、カイはまたサラダパスタを注文だ。相変わらずのことに苦笑しながらイリーネも料理を選ぶ。注文を受け取って引き下がった受付嬢は、しばらくしてまた部屋を訪れた。引いてきたワゴンの上に料理の皿が乗っていて、食欲を刺激する。
配膳までしてくれた彼女に低頭しつつ、イリーネは問いかけた。
「王都で有名な場所ってありますか?」
「ペルシエは初めてですか?」
頷いたイリーネを見て、受付嬢は首をひねる。
「そうですね……観光でいらっしゃる大部分の方は史跡巡りをされるようですよ」
「史跡?」
「このあたりには古の遺跡が多く残されているんです。歴史愛好家の方たちを狙ってのことではありますが、商業街は大変賑わっておりますよ。若い方でも十分楽しめます」
やはりペルシエという街は歴史的価値の塊なのだろうか。正直イリーネはあまり歴史に興味はないのだが、賑わっている商業街というのは見てみたい。
すると受付嬢が「あ」と目を輝かせた。
「それじゃあ、明日一緒に見物に行きませんか?」
「え!?」
「非番なんです。王都をご案内させて頂きますよ」
「い、いいんですか?」
「はい! 丁度暇を持て余しかけていたところだったので、ぜひぜひ!」
イリーネがカイを見やると、カイはパスタをフォークに巻きつけながら言った。
「行っておいで」
その言葉に喜んだのはイリーネではなく受付嬢のほうだった。そうして笑っていると、幾分かイリーネより年下に見える。
「ありがとうございます! 私、狩人協会ペルシエ支部所属、アネッサと申します。よろしくお願いしますね!」
ハンターへの王都案内も、業務の内なのだろうか。そんなことを思いつつ、イリーネは嬉しそうなアネッサと握手を交わしたのだった。