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氷撃のカイ・フィリード  作者: 狼花
4章 【水と夜光の絢爛 サレイユ】
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ある第二王子の独白

「……しかしアスール殿下、かの国の王は安易には信用できません。あの国は秘匿主義が過ぎるのです。何を企んでいるかも分からない」

「都合の良いことを言って、寝首を掻くつもりかもしれませんぞ」

「リーゼロッテに対抗すると言いながら、実は裏で神国と繋がっていることもあり得ます」

「もしそうなったら、サレイユはあっという間に潰されてしまう」


 飛んでくる意見が一段落したのを見計らって、アスールが反論を始める。案外気の短い異母弟のこと、とうに嫌気はさしているだろうに、腕も組まなければ足も組まない。しっかり背筋を伸ばして席についたまま、淡々と語る。


「それはない。国王ファルシェはハーヴェル公爵家の嫡男を匿い、リーゼロッテにかねてから密偵を送り込んでいた。以前オストで起こったテロは、リーゼロッテによる報復措置だ。彼は神国によって民や臣下を何人も殺されている。そんな凝った芝居を、ファルシェ王はしない」


 普通なら、それでこの問答は終了のはずだ。けれどもここで『それでも自作自演だったら?』という疑惑を突っ込んでくるのが、議会という場所だった。疑い、疑い、疑いまくって――それでも信じられると分かった時に、やっと彼らは重たい腰をあげる。途方もない根競べだ。


「神国と取引を結んでいる可能性もありますぞ」

「そうなると、王太子カーシェルの所在を掴んだという情報も怪しくなる」

「そもそも、なぜイーヴァンは神姫の後ろ盾についた? 一体どういう利点があったのか」

「本当に後見になったのか? 書状の一枚もないではないか」


 何度目の攻防だろう。アスールは本当に根気よく説得を始める。同じような質疑応答はここまで何度も繰り返した。アスールの回答は論理的で、勢いがある。始終押され気味の議会議員たちだが、それでも「うーむ」と唸ってうやむやにする。アスールの言葉に同意はできるが、納得はできないということだろう。


 息苦しくなって、僕は立ち上がって室内の窓を開けた。傍に控えていた従者が慌てて僕に代わって窓を開けようとしたが、彼に頼むより自分で開けたほうが早い。……あまりやりすぎると、従者の仕事を取ってしまって文句が飛んでくるのだけれど。

 涼しい風が室内に吹き込んでくる。もう秋の風だ。いつもなら寒いと文句が来ても良さそうな風だったが、息苦しいのは皆同じのようで誰も指摘をしない。それを見て、僕はまた席に着く。隣でアスールが、誰にも聞こえないように溜息をついたのが視界の端に映った。やっぱり、辟易していたらしい。



 議員たちがイリーネ姫を「本物の神姫」だと認めること、サレイユが彼女を拉致したと思われたらまずいので国全体で秘匿すること、これにともなって派閥争いも休戦とすること――ここまでは、割ととんとん拍子で決まった。というより、他に選択肢はなかった。リーゼロッテを怒らせることは避けたいが、イリーネ姫は神姫で、いずれサレイユ王家に名を連ねるヒトだ。リーゼロッテに忠誠を持っていなくとも、神姫を崇める女神教教徒は多い。頼ってきてくれたイリーネ姫を放り出すことなどできないのだ。ひとりくらいは『イリーネ姫を殺してしまえ』とでも言い出す不埒者が出るかと思ってはいたけれど、僕の想像以上にうちの廷臣たちは義理堅かったらしい。

 が、リーゼロッテとの同盟の破棄やイーヴァンとの協力を議題に持ち上げると、議員は渋りだした。何を今さら――イリーネ姫の存在を隠す時点で、リーゼロッテを裏切っているようなものなのに。そんなにかの国の機嫌を損ねるのが嫌らしい。僕だったら、加えてリーゼロッテと常日頃から敵対しているケクラコクマ王国を協力者に引きずり込んでやるのに。


 仕方ないといえば仕方ないのかもしれない。何にしろリーゼロッテは巨大すぎるのだ。兵力も、資産も、サレイユはリーゼロッテに劣っている。そのおこぼれに預かってきた我々としては、逆らうことがいかに無謀かを熟知している。

 だからこそ共犯――もとい協力者が不可欠なのだ。で、そこで名前が挙がったのがイーヴァンだということも、議員たちの頭を悩ませているのだろう。


 サレイユにとってイーヴァンは遠い国だ。国王ファルシェのことも、詳しくは知らない。ファルシェは他国との交流をあまり好まないし、何より奔放で考えていることが読めない人物だ。即位前はハンターとして遊びまわっていたということも、議員たちが良い顔をしない理由だと思う。

 けれども僕は、ファルシェが義に篤い人物だと知っている。勿論策謀高かったりしたたかだったりする面もあるが、それ以上に彼は若くて真っ直ぐなのだ。正しいと思うことに、全力を費やす。ファルシェにとってはハーヴェル公爵家のクレイザを匿うことも、イリーネ姫を助けカーシェルを救い出すことも、どちらも正義だ。そうなった彼は、信頼できる。おそらくイリーネ姫の後見に立ってくれたのも、カーシェルの所在を突き止めてくれたのも事実だ。


 けれど、議員相手に感情論は通用しない。湧き出る疑問はひとつずつ潰していくしかない。


 僕もアスールも、決定力に欠けていた。ファルシェが後見に立ったことを示すものが、何一つないのだ。用意しなかったファルシェもファルシェだし、要求しなかったアスールもアスールだ。ただまあ、今の状況で正式にイリーネの後見を公表しては、ファルシェも立場に関わる。下手なことはできなかったというのは理解できるだけに、何を悔やめばいいのか。

 今からイーヴァンに特使を飛ばすにしても遅い。下手な真似をして神国に悟られても困る。かといって何もない状況で説得できるだろうか。


 そろそろ僕もアスールの援護射撃をしたほうがいい。口下手で交渉事が苦手なアスールだ、そのうち言葉を失ってしまう。こいつが口ごもったら、もう負けだ。


「……サレイユ王国とリーゼロッテ神国の同盟は、両国の穏やかな首脳と国情によって成立してきたものだ。すなわち我らサレイユ王室と、リーゼロッテ神国の国王、その政策を引き継いだ王太子カーシェルとの間に成立していたからこそ、価値ある同盟だった」


 ずっと黙っていた僕が口を開いたことで、室内のすべての視線が僕に集中する。


「今はどうだ? 王太子カーシェルは行方不明、神姫イリーネも記憶を失うような『何か』を目の当たりにした。ファルシェ王がリーゼロッテに密偵を忍び込ませていたのは、今に始まった話ではないだろう。けれど密偵を見つけたからといって……神国は相手国の国王を暗殺しようとするような国だっただろうか? ヘルカイヤとの戦争とは訳が違う。イーヴァンでのことに、宗教的理由は一切絡んでいないよ」


 勿論、宗教的な理由があれば虐殺が許されるというわけではない。だが、神国王はそれを正義と考えられるヒトだったのは確かだ。女神教を信奉していた神国王は、教義に背くヘルカイヤの民を認められなかったのだろう。穏やかで優しいヒトではあったけれど、少しばかり狂信的だった。だからこそ教会の言いなりになって、戦争を始めた。王家と教会は、均衡を取るべき二勢力であったはずなのに。教会の過激な意見に、王家は待ったをかけなければいけなかったのに。

 ――そんなリーゼロッテに、サレイユは従ってはいけなかったのに。


 けれど今の国主はカーシェル。彼はそんな非人道的なことはしない。宗教に絶対の価値を置くこともない。なぜなら、彼は宗教も神も信じていなかったから。宗教国家リーゼロッテの王太子で、表向きには教徒を装って入るけれど――目に見えぬ神を信じ、すがるようなことをカーシェルはしなかった。いつだって目の前の人命を優先し、みなで手を取り合えるような国づくりを目指していた。そんな男だからアスールもファルシェも慕っていたのだ。


「そもそも、軍を他国へ進めるときは相互申告の義務があったはず。イーヴァンに兵を進めたリーゼロッテからは、何の申告もなかった。国の全権がメイナード王子に委ねられたという話もない。二国間の同盟は、もはや神国側から破棄されたと考えても自然だ」

「し、しかしダグラス殿下……! それはあまりに飛躍しすぎではありませんか」

「そうかな? このあとリーゼロッテが何をするつもりかなど、分かりきっていると思うけれど」


 僕は隣にいるアスールを指差す。アスールは涼しい顔で紅茶を口に含んでいた。……僕が本腰を入れて口を開きはじめたから、すっかり丸投げしているな。図々しい奴め。


「イリーネ姫の所在は隠した。だが、アスールはどうだ? アスールの帰国を、誰か隠そうとしたか? むしろ騒ぎ立てたじゃないか」

「……」

「イリーネ姫がアスールと共にいるところは、イーヴァンで目撃されている。神国はとっくに分かっていると思うよ、イリーネ姫がサレイユにいることはね」

「そ、そんな……では、最初から我々には成す術などいないのでは!?」


 ちらりとアスールに視線を送ると、アスールは頷いた。ティーカップを置いて、再び口を開く。


「神国はサレイユの出方を見ている。もうあの国は凶悪な軍国家と化しているのだ。私たちに残された道は、滅ぶか抗うか、ふたつにひとつ。私はサレイユが滅ぶのを黙って見ているのは御免だ。民を守るためにも、我々が諦めてはいけないのだ」

「そのためのイーヴァンとの協力……ですか」

「各個撃破されてからでは遅い。今ならイーヴァンの軍隊も財も当てにできる。二国で対抗すれば、神国の軍勢だろうが簡単には敗れまい」

「二国間同盟は、王太子カーシェルとの間で結ばれているということは忘れるな。彼の救出すなわち、同盟の実行だ。政治も知らぬ者に蹂躙されているリーゼロッテを救うのは、我々の責務だよ」


 僕も言葉を添えると、室内に沈黙が舞い降りる。強引な論法ではあったが、手応えはある。危機感を煽れば、踏ん切りもつくというものだ。

 我々はリーゼロッテに刃向うのではない。捕らわれたカーシェルを救い出し、神国を救う。それは事情を知っているサレイユにしかできない――そう言ったほうが響きが良い。言い方一つでこうまで意味合いが変わるのだから、面白いものだ。


 その時、突風が室内に吹き込んできた。さっき僕が開けた窓からだ。さすがに窓を閉めようと立ち上がりかけて――僕は中腰の姿勢のまま、硬直する。

 細い窓枠に危なげなく立ち、室内を眺める黒づくめの男がいる。武芸の心得など僕にはないから、気配なんて気付かなかった。警備の目もかいくぐって、こんな宮殿の奥地の議会場まで、どうやって入ってきたのだ。しかし長身巨躯で、眼帯で片目を覆うその姿は、どこかで見た覚えのある――。


「【黒翼王】殿!」


 アスールが言いながら立ち上がった。その言葉に議員たちもどよめく。元ヘルカイヤ公国の【目】、ハーヴェル公爵の懐刀――【黒翼王ニキータ】。雷撃の矢を放ち、先の戦ではリーゼロッテの大地をいくつも焦土にした黒翼の英雄。

 サレイユにとっては、味方の敵。負い目のある存在だ。


 だが【黒翼王】はにっと笑う。噂とは違う、ヒトの良さそうな笑みだ。


「邪魔するぜ、サレイユのお偉方。……ああ、心配するな。俺はいま、イーヴァン国王の密使としてここに来たんだからよ」


 【黒翼王】は窓枠から飛び降りて室内に着地する。大柄なくせに、着地の音が一切しなかった。なんて身軽なのだろう。

 懐から一通の手紙を取り出して、彼は一直線にアスールの元へと歩み寄ってきた。


「アスール、よく聞け。俺はこの目で、王太子カーシェルの無事を確認した」

「……ッ!」

「間違いなくカーシェルだ。大胆にも、目が合った俺に『逃げろ』とまで指示をくれたぜ。大した王子様だな、ありゃあ」


 それを聞いたアスールの表情と言ったら――泣きそうなのか笑っているのか。『泣き笑い』とは、こういう表情なのかというほど、曖昧な表情をしていた。

 けれど朗報。世界中に名の知れた諜報のプロが、カーシェルの存命を確認した。化身族に国家の思惑などない――【黒翼王】の言葉に、偽りはない。


「ついでにファルシェのところに寄って、あいつから一筆もらってきた。必要だったろ?」

「【黒翼王】殿……! なんと礼を申し上げたら良いのか」

「礼は俺じゃなくてクレイザにな。こんな気の利いたこと、俺に思いつくわけないだろうが」

「クレイザも傍に!?」

「市街地に置いてきた。あとで拾ってくるさ」


 ひとしきりそんな話を済ませて、【黒翼王】は議員たちを振り返る。その一挙一動にびくついている議員たちは少々情けないが、僕も責められない。少しの畏怖感と、限りない喜びで、気持ちが落ち着かない。

 【黒翼王】はファルシェからの手紙をその場で開き、議員たちに見せるために高く掲げる。そこには確かにファルシェの名と、イーヴァンの国璽が捺されている。本物だ。


「いいか、目ぇひん剥いてよく見な。ここにはイーヴァン国王ファルシェが、神姫イリーネご一行の後ろ盾となっている旨が書かれている。つまり今の状況じゃ、まだあの嬢ちゃんたちはイーヴァンの大切なお客様だ。……まさか無礼には扱ってねぇよな?」


 凄みを利かせたその言葉に、議員たちが操り人形のように頷く。……滑稽なものだ。少し笑ってしまう。アスールに横腹をつつかれて、なんとか笑いをこらえる。


「ついでに、サレイユ王国に向けて正式に協力の申し出も書かれている。イーヴァン側から申し出てきたんだ、その意味をよく考えろよ」


 アスールが【黒翼王】やクレイザと行動を共にしていたのは聞いていたが――こんなにも尽力してくれるほど、彼らは信頼し合っていたのか。アスールはヘルカイヤ公国に対する負い目を抱え込みすぎていたから心配だったけれど、無用のことだったかもしれない。

 【黒翼王ニキータ】は味方についた。イーヴァンには【光虎ヒューティア】がいて、イリーネ姫の傍には【氷撃のカイ・フィリード】がいる。賞金ランキングの上位にいる者たちが、共に戦ってくれる。過酷なイーヴァンの山中で鍛えられた屈強な兵士と、機動力に優れた平野戦の専門家であるサレイユ騎士。兵力の面では問題ない。情報収集面でも、イーヴァンの密偵たちは高い能力を持っている。神国に後れを取ることは、ない――。


 【黒翼王】の登場で、議員たちも反論ができなくなった。ここでアスールがとどめを刺す。


「イーヴァン王国との協力に賛同する者は、起立願う」


 この場に集まった議員たちが、全員静かに起立したのだった。

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