◇最果ての地で出会いしは(9)
酒場から少し離れた場所に、小さいながら公園があった。子供が遊ぶ場所なのか、遊具らしいものもいくつか設置されている。
カイは酒場を出てから真っ直ぐここに来て、銃を突き付けてきていたハンターと対峙している。否――実際に対峙しているのは、カイより一回りは大柄な別の男である。ハンターは、その男の後ろに立っている。
イリーネも、カイに庇われるように彼の後ろにいた。
公園はハンターの仲間たちによって取り囲まれ、カイとイリーネが逃げる隙はない。
一体これから何が始まると言うのだろう。
「……ハンターが化身族を狩ることを、一対一を原則に『デュエル』と呼ぶんだ」
「え?」
「厳密に言えばハンターは戦わないけどね。俺と、あのハンターと契約した化身族の戦いだ」
カイがぼそっと、そう説明してくれる。
「そのデュエルの結果、ハンターが建物を壊しても、あるいは人を殺しても――それは罪に問われないことになっている。化身族を狩るためにどんな犠牲を払っても構わないということだね」
だからウェイターは外に出ろと言うだけで、制止はしなかったのか。一般市民も、デュエルというよく分からない戦いを受け入れているということか――。
「相手は俺を倒すというより、君の持っている俺の契約具が欲しいわけだ。君を狙ってくるかもしれないけれど、必ず守る。だからちょっと力を貸して」
「ど、どうすれば……?」
「俺のこと、信じてくれればそれでいいよ」
カイを信じる――彼の勝利を、信じる。
簡単なことだ――。
「何をぶつぶつ言っていやがる?」
ハンターが苛ついたように、猟銃を肩に担ぐ。カイは視線を前方に戻した。
「ちょっとした打ち合わせだよ」
「はんっ、逃げるつもりか? そりゃ無理な打ち合わせだなぁ」
都合よく解釈したハンターの言葉に、取り巻きのハンターたちも笑う。と、ハンターの後ろからひとり男が飛び出してきた。
「おい、兄貴! 約束は覚えているだろうな?」
「ああ、もちろんだ。俺があのケモノを倒して、契約主の女はお前にくれてやる」
あっ、とイリーネが声をあげた。カイも僅かに目を細めている。
そこにいたのは、ヘベティカでイリーネに絡んできた男だったのだ。カイは銀髪を搔きあげる。
「あー……あの時にばれてたのかぁ」
兄貴と呼ばれたそのハンターは、ここにいる者たちの中では最も格が上なのだろう。強い人には強い化身族が控えている。カイと対峙している屈強な男が、どれほどのものなのか。
大丈夫――カイは強い。
「よし行け、ヴォルグ!」
ハンターがそう指示を出すと、化身族の男の身体が光った。人間の輪郭が崩れ、みるみる間に膨れ上がっていく。光の収束とともに現れたのは、二メートルを超す巨大な熊だった。
「トライブ・【ベア】――」
カイは相手を見てぽつりと呟くと、すっと目を閉じた。同じようにカイの身体も光り、輪郭を失う。カイの輪郭は相手とは対照的に小さくなり、白銀の豹へと変貌を遂げる。瞳の色は金色に輝き、長い尾の先だけが黒く染まっている。その姿を見るのは三度目だが、やはりしなやかで華奢な肢体が美しい。
白銀の豹を見て、取り巻きたちがざわついた。ハンターはにやりと唇の端を持ち上げ、笑って見せる。
「ふっ、探したぞ……懸賞金九八〇〇万ギル、特級クラスのケモノ! 【氷撃のカイ・フィリード】、会いたかったぜぇっ!」
その言葉と同時に、ヴォルグという名の熊が突進した。巨躯に似合わない速さだ。即死級の体当たりだったが、カイはそれを横っ飛びに躱した。そして地面に肢をつけると同時に反転、跳躍。
カイの鋭い牙が、熊の首筋を捉える。
「……!」
その凄惨な様子にイリーネは思わず悲鳴をあげそうになったが、熊も熊で尋常な相手ではなかった。腕を振るってカイを振り落す。地に足をつけたカイは姿勢を低くし、いつでも飛び掛かれる態勢になる。
懸賞九八〇〇万ギル――途方もない金額で、残念ながらイリーネはぴんと来ない。それに【氷撃のカイ・フィリード】とは。カイの二つ名だろうか。
首筋から血を滴らせる熊は、まだ戦意を失ってはいないらしい。ギラギラと光る眼でカイを睨み付ける。その剛腕から放たれる怪力は驚異的だったが、当たらなければ意味がない。速さで豹を上回るのは並大抵のことではない――それが分かっているからこそ、熊も迂闊には動かない。
だが、勝負は最初から決まっているようなものだ。何せ熊は戦闘開始早々に、急所を噛みつかれているのだから。
賞金首と、それを狩らんとするハンター。一対一を原則とする時点で、勝敗は決まり切っていたのだろう。
振り下ろされる拳を、まるで児戯のように軽く躱すカイ。見ていたハンターの顔にも、次第に焦りが出てくる。
「ちっ、何をしているっ」
ハンターは肩に担いでいた猟銃を下ろすと、その銃口を真っ直ぐイリーネへと向けた。それに気づいたイリーネがはっと身を硬直させた瞬間、熊の相手をしていたカイが一気に駆け出した。
熊が振り下ろす拳もカイを捉えることができない。そのまま一直線に雪豹はハンターへと向かい、跳躍した。カイは銃身を咥えると、大きく身を捻った。それと同時に銃身が真ん中から真っ二つに折れる。
「う、うわああっ」
ハンターは反動で地面にひっくり返った。口に残った銃の先端部分を吐き出したカイが、倒れこんだハンターの腹に前足を乗せる。
それはまずい、とイリーネは咄嗟に感じた。またヘベティカの時と同じように――カイに人殺しをさせてしまう。
「カイ、駄目ですっ」
そう叫ぶと、ぴくりとカイの両耳が動いた。声が聞こえたらしい――カイはハンターから足をどけた。ほっとしたのも束の間で、熊のヴォルグが凄まじい勢いでカイに体当たりをかましたのだ。
「あっ……!」
イリーネは蒼白になった。自分がカイに余計なことを言ったから、カイの反応が遅れた――カイは無事なのか。
心配することはなかった。カイは、高く跳躍することで体当たりを回避していた。凄まじい反応速度と跳躍力だ。
対象を見失った熊が自失しているほんの僅かな間に、カイは落下の勢いを利用して熊に飛び掛かった。空中で半身を捻り、その後ろ肢が熊を大きく吹き飛ばした。自分より二回りは巨大な熊を、豹が蹴り飛ばしたのだ。
どう、と地面に倒れ伏す熊。弱々しい光が熊を包み込み、それが消えることには人の姿に戻っていた。化身が解けたようだ。だがかなりのダメージを食らって気絶しているのか、ぴくりとも動かない。
カイは軽やかにイリーネの下へ戻り、化身を解いた。瞳もすっかり紫色に戻り、「やれやれ」なんて言いながら服の裾についた埃を払っている。
この場にいる誰もが唖然としていた。イリーネは単純に、化身族同士の戦いというものが衝撃的だったから。ハンターたちは、おそらく自分らのリーダーである男があっさり敗北したことが信じられないのだろう。
地面に尻もちをついたままのハンターは茫然自失から立ち直れないのか、ただカイを見つめるだけだ。
カイは周囲を囲むハンターたちをぐるりと見渡した。
「どう? 俺とやりたい人、いる?」
息ひとつ切らしていないカイの言葉に応える者は、当然のこと存在しなかった。
それを確認したカイは、やっとイリーネを振り返った。
「それじゃ、戻ろうか」
「……え、えっと、どこに?」
「酒場。頼んでた料理、冷めちゃうし」
あまりにも自然にそんなことを言うカイが、逆にこの場では不自然だ。カイが公園の出口へ向かうと、そこにいたハンターは条件反射でカイに道を譲った。悠々とそこを通って公園を出るカイの後を、イリーネも慌てて追いかけたのだった。
「まあ、こんなことが日常茶飯事なんだよねぇ」
酒場に戻って食事を再開したのだが、残念ながらイリーネの食欲は著しく減退してしまっていた。しかし頼んだからには食べないわけにもいかず、少しずつ口をつけている。対するカイは『運動の後は食欲が湧く』とばかりに魚のフライを野菜と一緒に食べている。
「氷撃のカイ・フィリード……それが貴方の名前なんですか?」
「いや、『氷撃』とかいうのは知らないよ。人間族が俺に賞金をかけたときに、それっぽい名前をつけただけだから。『フィリード』は出身集落の名前」
「懸賞金の九八〇〇万って、相当高額ですよね」
「稀に見る額だと思うね」
淡々と告げて、付け合わせの千切りキャベツを口に含むカイ。
――これでも、やはり強い化身族なのだ。化身族は強さがすべてだと言っていたことだし、カイ自身もそのことには誇りを持っているように見える。
「……怖かった?」
ぽつっと聞かれ、イリーネは即座に頷いた。
「怖かった、です……」
「そうか……でも多分、この先も同じようなこと何回もあると思うんだよね」
クリーム煮が半分近く残っているイリーネに『食べないの?』とカイが尋ねる。イリーネが曖昧に頷くと、カイは躊躇うことなくフォークを伸ばして食べかけのクリーム煮を皿に取り分けた。
「デュエルのコツを教えてあげる」
「コツ、ですか?」
「動揺しないこと」
ずるずるとカイはクリーム煮をすすった。
「化身族とその主人は契約具で繋がっていて、主人の動揺は化身族にも伝わる。そうなると、化身族は自分の力を存分に発揮できないんだよ。動きが鈍って、それは負けに繋がるかもしれない」
イリーネは乾いた口を潤すために、冷や水を口に含んだ。
「だから俺のこと信じて。俺は必ず勝つ、から」
カイより強い者は、そうそういない。であれば、負けることはない。至極簡単なことだ。その強さはつい先程見たばかりであるし――信じるしか、ない。
★☆
カイがとった宿は、やはり二人部屋を一部屋だった。ヘベティカの宿はイリーネたち以外にいなかったためにロビーでヘラーと長話も出来たが、今回の宿は他にも客が大勢いた。その殆どがハンターだったのだが、夕方のカイの戦いを知っているのか、誰も近寄ろうとはしなかった。カイは素知らぬ顔でロビーを通過して二階の部屋に戻り、イリーネもそのあとを追う。
部屋には浴室が備え付けられていて、非常に良い設備だった。カイは部屋に入るなり窓の遮光カーテンを閉め、ランプに火を灯した。
イリーネはランプをつけるカイの左腕に視線を送った。――彼はいつもシャツの袖は肘のあたりまでまくっていた。現に右腕は今もまくったままだというのに、左の袖だけしっかり下ろしている。まるで何かを隠すように――。
だから無意識にカイに歩み寄り、その左腕をそっと手に取った。驚いたような顔をしているカイを気にもせず、袖をまくる。そこには一筋の傷があった。もう血は止まっているようだが傷はかなり深く、くっきりと見える。肌の白いカイだから、尚更目立つのだ。
「いつの間に、こんな傷……」
「ああ、うん……あの熊さんの一撃目がかすってね。熊にしては俊敏な相手だったから、ちょっと油断した」
傷を指でそっと撫でると、イリーネの指先から淡い光が零れる。その光が瞬時に傷を塞ぎ、痕すら残さず綺麗にしてしまった。ほんの数秒の出来事で、イリーネもやっと我に返った。
そういえば自分は、治癒術という魔術を扱えるのだった――。
「あ、あのっ、なんかごめんなさい」
「なんで謝るの? ありがとう、傷治してくれて」
カイはそう言いながら、左腕をさすった。――おそらく袖を下ろしていたのは、イリーネを心配させないためなのだろう。
「でも大丈夫? 魔術は結構、疲労が激しいよ」
「多分、いまは大丈夫です」
そう、と呟きながらカイはベッドに座る。棚の上に置いたランプの炎が少し揺れた。少しばかり沈黙したカイは、ゆっくりと目線をイリーネに向けた。
「……あのね。俺との旅の約束、追加していい?」
「ど、どうぞ……?」
その一、契約具の耳飾りを肌身離さず身につけること。
その二、カイに対して無駄な殺生をするなと指示すること。
そして、その三は。
「治癒術を、人前で見せないこと」
「え……?」
「魔術はね、使う人が少ないから……結構変な目で見られることが多いんだ。そういう俺も、多少は魔術使えるんだけど」
「そ、そうだったんですか?」
カイが魔術を使うなんて素振りはまったく感じられなかった。というより、今の今まで自分が魔術を使えることを忘れていたほどだ。この世界に、『魔術』というものは完全なイレギュラーな要素なのだろう。
「君は優しいから、多分怪我している人を見たらすぐ飛んで行っちゃうんだろうけど。なるべく回避してもらいたい」
「分かりました、気をつけます」
騒ぎになるのはイリーネとて本意ではない。隠す必要があることは、とことん隠す。それがカイとの約束――。
カイはごろんとベッドに倒れ込んだ。
「にしてもなぁ……ほんとに襲ってくるんだな、ハンターたちは。俺はもう未契約じゃないのに、節操なしだな」
「契約している化身族は狩らない決まりだったんですか?」
イリーネの問いに、カイは「うん」と頷く。
「未契約の化身族しか狩っちゃいけないって、少なくとも最初はそういう決まり事だったはずなんだ。けどいつの間にか、他人から契約済みの獣を『奪う』ことを、狩人協会は黙認している――」
「化身族の人たちは、それでいいんでしょうか……」
「何が?」
「そんな『物』みたいに、人間の都合で取引されて」
意外そうに目を丸くしたカイは、銀髪をくしゃっと手で掻き回した。
「特に何も思ってないと思うよ」
「何もってことはないんじゃ……」
「化身族は人の皮を被った獣だよ。戦って、食べて、寝るっていうそれしか考えてない。――いつ襲われるとも知れない恐怖を味わうよりは、さっさと人間族と契約したほうが楽だって思う人もいるらしいけど」
化身族の尊厳もありはしない。そうでもしなきゃ、人間が支配する世界では生きられないのだから。
カイはイリーネに、そう断言した。
けれどもそれはカイには当てはまらないと思う。現にカイは今まで人に媚びずに生きてきて、イリーネと契約してくれたのも彼の意思だ。こうやって人間に混じって旅をして、行き先を決めて部屋を借りて、食料調達をしてくれる。カイには『思考』という能力がきちんとある。
だったら、他の化身族だって――。
「カイは、本能だけなんかじゃない……と思います」
食べ物に好き嫌いがあったり、イリーネのことを気遣ってくれたり。生存本能のままに生きている獣には、どれもできないことのはず。
それを告げると、カイはぽつっと呟いた。
「俺は、変わり者だからね」
きっと、良い意味の変わり者だ。
「それよりお湯使ってきなよ、イリーネ。疲れたでしょ」
「あ、はい。お先に使わせてもらいますね」
イリーネはそそくさと着替えを出して浴室へ向かった。カイには何も言わなかったが、丸二日間水を浴びることができなかったのは結構な苦痛だったのである。




