銃を向ける覚悟はあるか
荒涼とした大地に、乾いた風が吹く。草木の絶えた荒野にぽつんと家屋がいくつか建っているが、そのいずれも人が住まなくなって久しく、風化によって殆ど原形が残っていない。それでもまだ『街があった』と分かるその廃墟に、いまふたりの男がいる。
いずれも年若い男で、肩には猟銃を提げている。日々訓練し、今や腕のように扱えるようになった相棒だ。
「……このあたりでいいか」
「そうだな」
二人がかりで運んできたものを、とある家屋の跡に置いた。それは巨大な木箱だった。人ひとり入れそうなほどの大きさだ。
かなり重そうなそれを慎重に地面におろし、ひとりの男が息をついた。
「しかし惨いことをなされる……まだ年端のいかない娘であるのに」
「しっ、滅多なことを言うんじゃない。俺たちの仕事は終わったんだ、帰るぞ」
男は木箱についていた錠を外した。鍵だけ外して蓋は開けるな。生きる気力があればそこから自力で出るであろう。それがふたりに与えられた指示だった。
木箱を放置して、廃墟の外に止めておいた馬の傍に戻る。と、男が『ひっ』と声をあげた。
「お、おい! あれを見ろ!」
「なんだ?」
相手が示す方向に視線を向ける。今にも崩れそうになっている家屋の屋根の上に、巨大な影がある。この周辺は生命が死に絶えた不毛の大地。動物はおろか、植物も生育できない環境だ。
そんな場所に、黒い影。人間の大きさではない。
「……野生のケモノじゃないか! まだ生き残っていたんだな。というか、どうしてそんなに驚いているんだ。ケモノ狩りは慣れているだろ」
「そ、そうじゃない! よく見てみろ!」
声が震えている彼ほど目の良くなかった男は、改めてじっとその影を見つめた。
すらりと長い肢体。四本の脚。長い尾。
そのすべてが、白銀に輝いている。
男はようやく、相方が尋常でない驚き方をしていることに得心がいった。
「なっ――あれは、豹!?」
豹を見るのは初めてではない。だが、豹にあるべき身体の模様もなく、ただ雪原のように美しい白の体毛に覆われたそれは、ケモノ狩りをして長いふたりも見たことがなかった。
その美しさはまるで氷の刃のように――切れ長の金色の瞳が、男たち二人を見つめていた。
「も、もしかしてあの有名な……」
「ああ、ああきっとそうだ!」
恐ろしいと思う気持ちはある。だがそれ以上に、ふたりには「この大物を仕留めなければ」という気持ちの高ぶりがあった。強く、美しく、珍しいケモノを捕獲すると、一躍名をあげることができるのだ。
自分たち二人は「弱者」だ。銃で武装しなければ戦えない。しかしこのケモノを仕留め、従わせることができれば――一気に「強者」の仲間入りを果たす。
「撃つぞ! 絶対仕留める!」
男は猟銃を構え、発砲した。屋根の上の雪豹はひらりとそこから飛び降りた。そして一息の跳躍で、男に向けて飛び掛かってきた。
「う、うわあああ!?」
雪豹の鋭い牙が光り、男の喉笛を噛み裂いた。一瞬のうちに相棒を失った男は、悲鳴を押し殺して銃を構えながら、ゆっくりと後退する。
豹は、男に向けて血に濡れた牙をむき出して唸る。それはさながら、縄張りを荒らされた怒りを表すかのようなものだった。
これは報いか。命令だったとはいえ非人道的な行いをした自分たちへの罰なのか。
手柄を得るために、この美しいケモノに挑んだ自分たちが愚かだったのだ。
絶対的な死が、迫る。
「し、死にたくない……死にたくない、死にたくない!」
男は叫び、やみくもに銃を撃った。発砲音が連鎖する。照準を合わせずに撃った銃弾がこの軽やかな雪豹に命中するわけもなく、雪豹は真っ直ぐ突進してくる。
「いやだあああっ」
悲鳴は断末魔に代わり、意識がぷっつりと途絶えた。
――豹に食らいつかれたその反動により、超至近距離で引き金を引いたことを、男は知らないまま。